第十八話:エレン=ランスロット

 セリオ────もとい、マクシミリアンとは、今まで一度として顔を合わせたことは無い。 

 この世界でもそうだし、そしてそれ以前の週の世界でも。直接的な接点もない、ネットチェスを一局やったくらいの関わりだった。


 もっとも二ヶ月前に、部下を装った彼と初めて会話はしたが……それだって背後から一方的に話し掛けられただけの上に殴られたせいで、その顔を拝むことは未だに出来ていなかった。


 これまでは、それすらままならなかった。

 そこまで持っていくのも一苦労だった。

 ツテからツテへ、俺の知る未来の情報(エサ)を垂らし、釣りをするかのように俺の存在を発信し待ち続けた。

 マフィアだとかギャングだとか、そんな漫画のような現実味の無い人間と関わるまでに、想像以上に地道で気長な作業を要した。


 マクシミリアンと会えたのは、結局は運なのだ。


 顔も知らないマフィア関係者に遭遇するためだけに、何度も失敗してはやり直してきた。ブラクラ踏んでクラッキングされたこともあれば、成り済ましにおちょくられもした。例えるならメタルスラ○ムでも探すような感覚で、幾度となく世界を繰り返した。


 マクシミリアンあいつは自分のもとに近付いた俺を誉めたが、それは違う。

 その前に俺は何度も間違えている。俺の場合そういう経験あってのもので、それをさも自分の才覚に見せているだけに過ぎない。


 だがそのことを、あいつは知る由もない。だから、俺を過大評価したからこそ、未来の話を聞いてくれたし、ジェウロを寄こして『招待』してくれた。

 自分自身をズルいと卑下したりする趣味はないが、その事を知れば、彼は俺の事を『客人』とはしなかっただろう。


『ふぅん、そっか。伝染ねえ』


 世界恐慌の事。そしてその前に起こる、引き金となるであろう出来事を伝えた時、マクシミリアンはパソコン越しにそう言った。それだけしか言わなかった。

 だが。

 ジェウロはもちろん、ボルドマンでもあり得ないと言う事を、あいつは否定も拒否もしていなかった。


 何を思っての事だったのかは、俺でも分からない。

 でも、そいつは、俺の話を黙って聞き続けていた。

 今に思えば、まさにエレンのように。彼らには、代々話好きの血が流れているらしい。


『そうかい。つまり僕は近々死ぬことになるのか……なるほど?』


 ネブリナファミリーのボスの死を含めた『起こる事件の全て』を話し終えた後、ヤツからそんな素っ気ない文面が返ってきた。


 文面から滲み出る淡白さ。俺の言葉を信じているのだとしたら、あまりにも反応が薄い。

 それでもあの時は、そんなもんかと思っていた。


 でも今、改めて思い返せば────まるで、こうなるかもしれないと予期していたかのようでもあった。



◆◆◆



『────そして本日未明、ウェストヨークシャー州ブラッドフォード大学付近で発生した襲撃事件で、意識不明の重体搬送されたスティーブ=ガリバーさんですが、現在集中治療室に移され、今も余談を許さない状態ということです。乗り合わせた運転手であるジョーン=コットンさんは先程死亡が確認され、警察は強盗殺人事件として、目撃された襲撃グループについて調査を────』



 ……間違いない、俺が前の世界で見たニュースそのものだ。

 思ったよりもてこずることなく見つかったな。事件内容も発生場所もほぼクリソツ。キャスターまで一緒。

 もうまもなく、この事件ニュースは『なんらかの圧力によって』不自然に風化する。これを最後に、犯人達が捕まったかどうかの続報もないまま、その後来襲する世界恐慌にメディアも忙しなくなるだろう。


 ただ違うのは、スティーブマクシミリアンが即死していない事。


 本来は、ここでヤツは運転手と共に死んでいた。しかしまだ死んでないという事は、俺がこの出来事をヤツに教えた結果、『マクシミリアンの死が改変された世界』に変化したという事になる。


 最悪は免れた。

 だが、これではまだ何も回避できていない。ボスであるマクシミリアンが動けない状態にあるという意味では、生きてるのも死んでいるのも変わらないからだ。


 第二次世界恐慌という巨大な流れを、塞き止める事は出来ていない。


「……そろそろ沸いたか」


 テレビを消して、キッチンに向かう。電気ケトルで紅茶用の湯を作っているのだ。

 外は夜。部屋の中は室内灯の光だけで、どこか薄暗い。この部屋だけじゃなく、ドアを挟んだ先の廊下にも明かりはない。

 この家全体が、闇の中にある。

 まるで『彼女』の内面を表しているかのようだ────などと、柄にもない感傷に浸ってみる。



 ────人は、いつか死ぬ。俺が一度見た死なら尚更だ。



 今は耐えていても、もう明日には死ぬかもしれない。それは俺にも分からない。


 というか元々そんなもんだ、人生ってのは。

 人の生き死になんて、人が知るわけがないのが普通であって、俺みたいにそれを捻じ曲げようとしてる方がどうかしてるのだろう。


「……ああ、そうか。『だから』か」


 ハロッズで買った茶葉に湯を注ぎながら、視線を上に向けた。

『彼女』────エレンのいる二階へ。


 ここは、ボルドマンの第二住居だ。別荘、と言うには英国基準で至ってどこにでもあるような一戸建てである。主に彼が『普通』を装う時用に使ったりするらしく、基本部下にその管理を任せていて、自身は月に数回来るかどうかの隠れ家なのだと言う。

 孫エレンと遊ぶ時やパーティーなどで使っているため、エレンの住んでいる家とは別に彼女の部屋も設けているらしい。


 あの後……ボルドマンから、マクシミリアン強襲の知らせを聞かされてすぐ、俺とエレンはこの家に有無を言わせず連れてかれた。ただこの家の住所を書いた紙切れとタクシー代はしたがねを寄越し、そのままジェウロを引き連れてどこかへ行ってしまったのだ。


 俺はまだいい。

 だが、まだたった九歳の孫娘にさえ、何一つ言葉を掛けず、何一つ弁解もせずに。


「……やれやれ、厄介事を押し付けやがる」


 紅茶入りのカップ二人分を乗せたお盆を手に取る。

 その脇にポツリと置かれているエレンの車椅子のそばを素通りした。階段に足を掛け、溢さないように上っていく。


 二階にあるエレンの部屋は、分かりやすい。

 階段を中央にして囲うように並ぶ部屋の中で、星やハート型シール、鮮やかな色ペンで猫と犬が上手に描かれたネームプレートが一つだけ掛けられていた部屋があった。丸みのある女の子の文字で、『エレンの部屋』という英文字が大きく場所を取っている。


「エレン」


 今この家に、俺たち以外の人間はいない。

 隠す意味もない以上、日本語で扉越しに声を掛けた。


「……なあに、お兄様」


 その声に、力はない。

 蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな弱々しい返事だった。


「……紅茶ができた。中入るぞ」

「うん……」


 何気に重厚なドアを軋ませ、身体を滑り込ませるようにしてその部屋の中に入った。


 家中のどこよりも、ここは明るい。俺が電気を点けてやった。暗闇の中少女が一人物思いに耽っているなんて絵、ドラマの中だけで十分だ。


 エレンは、ベッドに寝っ転がっていた。目は開いている。一体、どこを見ているのだろうか。


 おままごとで使うような小さなローテーブルにお盆を置くと、エレンがもぞりと身体を動かして口を開いた。


「……美味しそうだね、紅茶。お兄様、紅茶淹れられるんだ」

「ん? ああ……」

「ごめんね、それ持ってきて? エレン、動けないから」

「はいよ……ミルクは?」

「欲しい……」


 足の悪いエレンの身体を起こしてやる。

 ベッドに腰かける形になった彼女のそばに身を寄せ、ティーカップを手渡した。


 受け取りながらも、口を寄せようとはしない。

 カップを両手で柔らかく包みながらぼうっとしている彼女を尻目に、部屋の中を改めて見回した。


 淡いピンクの壁紙が印象的な、ファンシーな部屋。動物の顔をデフォルメ調に模したクッションが所狭しと置かれており、年頃の女の子よりも女の子らしい部屋だと思った。

 ますます、マフィアのボスの娘とは思えない。


「……不安なのか、親父さんのこと」

「…………」


 こうして父を想う彼女の姿は、本当にただのどこにでもいる女の子のようで。


「……あー。話、してやろうか。何か気が紛れるような、面白い話でも」


 それに比べて俺はやはり、自分勝手な奴だから。

 こんな時に限って、そんなクソみたいに気の利かない事しか言えない。


「…………」


 そしてやはりというかなんというか、口を閉ざしたまま、首を横に振るエレン。


 かと思うと、顔を俺の方に向けてくる。


 流石に怒ったのかと思ったが、俺を見返すエレンの瞳は、小さく揺れていた。


「……は」

「え?」


 その唇が、小刻みに震える。


「……今度は、お兄様のじゃなくて……エレンのお話、してもいい? 誰にも話したことない、エレンのお話……お兄様みたいに、上手に出来るか分からないけど」


 ……断る道理はなかった。


 今隣にいるのは、俺に銃を突きつけたネブリナ家のボスの娘じゃない。

 自分で作った死体を引き摺って放った殺人鬼でもない。



 ────今にもくずおれそうな程の華奢な身体と、泣き出しそうな顔をした一人の少女が、そこにあった。



「んじゃあ……聞くよ。いや、聞きたい」


 大事なことだから、二度言う。

 俺に、その申し出を断る道理はなかった。


「ありがと……」

「手短にな。俺は話をするのはいいけど聞くのは苦手なんだ」

「よかった。エレンもね、話を聞くのは好きだけど話すのは嫌いなの。……ふふっ、おんなじだね?」


 そのやり取りで、エレンが小さくはにかんだ。

 彼女を取り巻いていた空気が、僅かに軽くなったように感じた。だが、それでも空元気という感じを隠せない。


「……エレンね。お父様の名前、知らないんだ」


 彼女の『お話』は、その一言から始まった。

 少し思案気な表情を浮かばせ、指を唇に当てる。


「ベニー=グレイ、リンク=デフォー、アーロン=キール=レオナルド、アダムス=バジェット、オットー=ノーリッシュ……偽名はたくさん知ってるの。マクシミリアンってジェウロ達マフィアおしごとの人達が言ってるのも」

「お前は……そういうマフィアの事、いつ知ったんだ?」


 何てことないとでもいうように、エレンが紅茶を啜った。


「でも……本名は知らない。家族なのに、娘なのに、自分のお父様の名前さえ知らないんだよ? それに、ランスロットっていう苗字も、実はお母様の旧姓なんだって、ジェウロに教えてもらったの」

「…………」


 ちなみに母親は────と聞きかけて、止めた。

 何となく、想像がついたから。

 今は、むやみにそんなこと訊けなかった。


 その時、エレンがちらりと俺を見た。

 そしてすぐに目を伏せた。


「やっぱりおかしいよね……おかしいんだよね。エレンは、こんなにもお父様の事を知らない。名前さえも……もしかしたらずっと、一生……」


 カップを持つ手が震えている。

 声が、涙の入り混じった鼻声になってきていた。


「こんなこと、今まで無かった。お父様が……パパが死ぬかもなんて、考えたことも無かった。……怖いの。もし……もしもよ? パパの名前を知るのが、死んじゃってから他の誰かから聞かされた時だったらって……そう思うと、怖くて怖くて……しょうがない……」


 その時、彼女の着ていたドレスに、ポトリ、と滴が落ちた。

 慌てたように、ばっと手で隠そうとする。が、滴はぽたぽたと指の間を伝ってこぼれ落ちていく。

 持っていたティーカップはその拍子に滑り落ち、カーペットに残っていた中身が染み込む。幸い、割れたりはしなかったようだ。


 その事も気にせず、エレンはついに堪え切れなくなったらしく身体をわななかせた。


「嫌、いやよ……そんなの、いやだよぅ……!」


 その先を想像したのか、とうとうその大きな目から涙があふれ────それがきっかけとなって、嗚咽を溢し始めた。溢れる感情の赴くままに、子供らしい感情の入り乱れた声を立てて、大粒の涙を溢し続ける。


 俺はそれを、しばらく黙って見ていた。

 何度も何度もしゃくり上げ、両手で涙をぬぐい、身を震わせて泣きじゃくる。その様子を、永遠とも言えるような長い数分間、泣き声が木霊する部屋でその様子を見ながら俺は考えていた。


 俺は、どうするべきなんだろうな。


 何か声をかけるべきなのか。それとも、このまま放っておくべきなのか。


 エレンは今、分からないでいるんだろう。

 マクシミリアンの本名は、きっかけの一つに過ぎない。父親が死んだ時、その本名すら知らない自分と父親の間にある、家族という結びつきも一緒に幻のように消えてしまうように感じたのだろう。その寂しさと恐怖に、苛まれている。


 そして、本当の名前を教えてくれない父親に、今になって疑問を覚えてしまったのだろう。

 その真意が掴めないでいる。果たして、父親は自分の事をどう思っているのか? もしかしたら、自分を認めてくれていないのか? あるいは、とっくに見捨てられてるのか?

 そしてそんな疑問を覚えている自分は、娘失格なのではないか? と。

 色々な感情のがんじがらめに遭って、困惑しているのだ。


 だが、目の前で泣いている少女を慰める以前に、こいつらはマフィアの人間だ。ボルドマンは義がどうとか言っていたが、要は平気で人を殺す人間の集まりである。

 エレンは、もはや人を殺すことに慣れきっている。そんな連中とも肌が合ってしまっているのだ。ボスであるマクシミリアンはそれ以上。娘に人殺しを勧めているのだから。

 殺人狂(サイコパス)集団とまで言わないが、彼らにとって殺人は一つの手段であることには違いない。


 そんな世界で命を落とすことは────それも誰かに殺されるのならなおさら、自業自得とも言える。

 誰かを殺す人間は、殺される覚悟が要る。そんな感じの事を、誰かが言っていたような気がする。

 人を殺しておいて、いざ自分や周りの人間が殺されそうになるのは我慢ならない、嫌だというのは虫が良すぎる話だ。


 そう言ってエレンを糾弾するのは簡単だろう。今は身体を拘束されているわけじゃない。例え激昂して銃を構えようが、今度は一瞬で蹴り伏せられる自信がある。


 それらを加味して────果たしてそれは、正しいのかと考えていた。


 これを機に、人殺しを止めろという話に繋げるのは容易い。納得させられるかどうかは別として。

 正義感にかられ、そう偉そうに説いてやるのが人間的であるのは分かっている。こんなまだ年端もいかない幼い少女相手に、大人げなくその事で責め立てるのが正しいのは分かっている。


 もしも俺みたいな経過をたどりこの状況に陥ったら、誰だって、殺されそうになった怒りや恐怖をそうした善的な綺麗ごとで置き換えて彼女をなじるだろう。それを間違ってるとは言えない。事実、言ってることは正論だから。

 俺も、そうしようかと思っていた。


「……はぁ」


 だが、いずれ桜季を殺す俺がそれを言うのも、変な話だ。

 そう、思い直した。


 だから俺は、そういうご高説をたれるのは止めた。そこをとやかく言えるような人間じゃない。

 そういう役は、これから先現れるであろう、エレンにとっての主人公(おうじさま)に任せておけばいい。


「え、ふぇっ?」


 両手をエレンの脇に差し込み、ひょいと持ち上げた。

 やはり、その身体は羽のように軽い。恐らく二十キロにも満たないその身体を、俺の膝の上へ運んでやった。


「んっく、……お、お兄様? ひっく……」


 包み込むように、腕をその細い首に絡め、そっと背後から抱き寄せて密着させた。


「あ……」

「とりあえず泣き止め。な?」

「う、うん……」

 ぐすぐすと鼻をすすりながら、目をこするエレン。

 彼女の身体は、服越しでも伝わるくらい熱っぽい。先程まで血だまりで遊んでいたとは思えないほど、いい匂いがする。


 その状態のままで、まるでゆりかごのようにゆっくりと上体を揺らしてやる。

 話が出来るくらい落ち着くまでずっと、俺はそうし続けた。


「……落ち着いたか」

「うん、大丈夫……」


 俺の腕に、そっと小さな手が掛かる。


「ごめんね、お兄様。お話聞いてもらって。それに、だ、抱きしめてくれて……」

「いいよ別に。慣れてる」

「慣れてる……?」

「なんでもねえ」


 他に女落とす時とかにもよくやってるなんて、こんな時に言えたもんじゃない。

 生憎この歳になって幼女を口説くような趣味はさらさら無いが、一老人として女の子を相手取るには十分だ。


 そう、そもそも俺は誰かを説得するなんてガラじゃない。どちらかというと、籠絡したり弱みにつけ込む方が性に合っている。

 だったらせめて、このお嬢様のために慰めにもならん慰め話でもしてやろうかね。


「……なあ、エレンが誰かの『お話』を聞くようになったのは、親父さんの指示だよな?」

「? うん……」

「それは何年前?」

「うぅん……五歳のお誕生日が来てしばらく経ってたから……四年前? かな?」

「銃を持たされたのは、何時からだ?」

「銃……ええと、ちょうど去年ぐらいからかなあ。お誕生日プレゼントの時に……」


 ……俺はツッコまないぞ。


「ねえ、それがどうかしたの?」


 唐突な俺の言葉に、不思議そうに身体をひねって俺の顔を覗き込む。

 その問いには答えずに、今度は別の質問をしてみた。


「ふうん……じゃあ、今日本語話してるけど、ジェウロ含めて誰にも教えるなって言ったの、親父さんだろ?」

「えっ、そうだよ。何で分かったの?」

「いや、まあ勘だったけど。……なるほどな」


 訳も分からず首をかしげるエレンと、訳知り顔で頷く俺。


 エレンにも、俺なりの考えを教えることにした。

 絶望してても仕方ない。だったら気分が明るくなる、俺なりの希望的推測を。


「親父さんが日本語を話すなってのも、銃の使い方をお前に教えたのも、理由は分かるか?」

「……ううん」

「それはな……『こういう事』が起こるかもしれないって、アイツが思ってたからさ」

「えっ……?」


 本当に思っていたかどうかまでは、本人のみぞ知ることだが、この際どうでもいい。

 エレンにとっても、俺にとっても都合の良い解釈だが、可能性は無きにしも非ずだ。


「ど、どういうことなの?」

「マフィアのボスたるもの、今回みたいな命に係わる事に巻き込まれる事は少なくない。そして、その自分の周りにいる人間……お前や、お前のじっちゃんとかにもその危害が及ぶかもしれない。じっちゃんの方はまだしも、お前はまだ十歳にもなってない女の子だ」


 マクシミリアンは、保険をかけていたのだろう。

 こんな少女に銃を持たせ、人を殺させていた本当の意味。

 そして、エレン自身も言っていた、エレンを何度か飛行機に乗せて、仕事に連れて行かせた理由。


 今なら、あいつの思惑が読み取れる。そんな気がする。


「もしも自分に万が一の事があった時……あるいは、エレンの身に何かが起きて、自分も何かの事情があって助けに行けなかった時。そうなったらどちらにせよ、エレンは身一つで自分を守らないといけなくなる」

「うん……」

「だから、銃だ。いや、銃だけじゃないな。?」

「あっ……」


 エレンが、驚くような声を上げた。


「仕事に連れて行ったのは、今の内から『そういう世界』に慣れさせたかったから。自分の本名を教えなかったのも、余計危ない目に遭う危険性が高まるから。日本語を喋るなってのも、他の人間は知らないエレンだけの手数を作りたかったから。例えば、そうな────エレンがどっかに誘拐されて、英語で助けを呼んでも犯人にその内容はバレるけど、日本語で叫んでもその意味はバレない、とかな」


 物の例えだから、もっと他にも意味があったのかもしれないが。今はこれくらいしか思いつかん。


「まあ要は、お前にはある程度以上、自分達の世界で渡り合えるだけの器量を養っておきたかったんだろう。……前々から、親父さんは自分の『万が一の時』を考えてたんだと思うぜ」

「…………」

「全部、お前のために。ずっとアイツは、エレンの事を考えてたんだろうさ」


 エレンは、何か感じ入るものがあったのかどうなのか、じっとしたまま動かない。


 ……自分で話しておいてなんだが、思った以上にいい話になってしまった。

 あたかも家族愛をテーマにした美談のように語ったが、常人が聞けばすっ飛びそうな内容だ。

 やはりとても、九歳の女の子にする慰めではない。


 でもまあ俺は、そんなマクシミリアンの気持ちも立場も、分からなくはないというか。

 結局のところ、全部俺の都合良い考えを話したに過ぎないのだが、大丈夫だろうか。


「つまりだな、その……多分な、お前は親父さんに愛されて────って何だよ。なに俺の方見てんだよ」

「……ううん、べーつにっ! ふふっ」


 何だその微笑ましい物でも見たかのような笑みは。


「そっかー、エレンは愛されてるのね……嘘でもお兄様にそう言われると、なんか嬉しいな」

「嘘なんかじゃ────」

「お兄様って、案外優しいよね。もっときっつい皮肉言われるかと思ってたんだよ?」

「そっちのがよかったか?」

「お兄様なら、どっちでも。皮肉っぽいお兄様も好きだよ♪」


 そう言うと、エレンは俺の腕に猫のように頬ずりをしてきた。くすぐったい。今ならピコピコ揺れる猫耳が見えそうだ。


「……とにかく、大丈夫だ。お前はちゃんと娘として気にかけてもらえてる。それが分かりづらいものなだけで、な」

「そう、なのかな」

「それに────……」

「……それに?」


 これは、俺にとっても都合の良い話になる。

 エレンの言う通りだ。嘘のつもりはないが、所詮はこうだったらいいな、という夢物語に過ぎないが。


「それに、そんな用意周到な奴が、今日この日に何の備えもしてないわけがない。まだ死んでないってのはでかいな。生きてるんだったら、掛けておいたはずの保険は何時か活きる。自分の保身も含めて、アイツなりの策があるはずなんだ」


 それだけは、間違いないと思う。

 アイツは、俺の言葉を支持していた。そうなる予感があったに違いない。


 俺という保険が今ここにいるのが、その証拠だ。


「でも、でももしそんな保険なんて意味無かったら……?」

「……あー、もっとすぐに会えるさ。カミサマの御許で」

「……あはっ、酷い慰め方ね」


 相変わらずブラックジョークに対しては呑み込みが早いな、こいつ。

 まあ冗談はさておき。


「というわけでだ。即死じゃないなら、まだなんとでもなる。マクシミリアンには色々用意がある。多分アイツは生きて帰ってくる。つまりこの三つだ。な? ちっとは元気出たか?」

「……結局、お兄様の方がお話長くなっちゃったね。本当にお話が上手なんだから」

「ばあか、お前が聞き上手ってだけだ」

「そっか。……うん、そうだね。ありがとう、お兄様。ちょっと、元気出たよ」


 くすり、とエレンが肩を揺らした。いつものように、『お話』をしてやった後のように。


 俺の安い言葉だけで、効果があったのかどうかは分からない。エレンは聡い。あくまでただの可能性、気休めの言葉だって気付いているかもしれない。


 だが、安心したかのように身を委ねてもたれかかってくるエレンを見て、思った。

 この様子なら、大丈夫だろうと。


「あ、でも最後に訊かせて? お兄様は、どうしてそうお父様の事が分かるの? まだ会った事ないって、お父様言ってたよ? なのに『アイツ』とか、まるで知り合いみたいに……」

「ふむ……」


 少し考えた後、にやりと口角を持ち上げてみせた。

 あることを思い出したのだ。


「……『チェスの勝負は、嘘をつかない』、ってな」

「え?」


 飛行機の中でのエレンの言葉だ。正確には、マクシミリアンの言葉を彼女がもじった言葉。


「お前が言った事だろ。アイツが俺を知るように、俺もアイツが分かるんだよ。……お互いに、『食えないヤツ』ってな」

「なるほど、そっかー……」


 即興の話にしては、いいオチだ。上々だろう。

 やはり、我ながら俺は話す方が性に合ってるみたいだ。


 エレンは何故か嬉しそうに、俺の言葉反芻するように何度も頷いていた。


「……でも、それはそれで何か妬けちゃうなー」

「はっ、別に羨ましがるようないいもんじゃないっての、娘さん」

「あはは、そうなのー?」


 いつもの調子を取り戻し、エレンと話をしようと口を開きかけた────


 その時だ。



 ────コトリ。



 部屋の外から、小さい、本当に小さい物音がしたと思ったのとほぼ同時、

 けたたましい音を立て、勢いよくドアが開け放たれた。


 その瞬間、一つの影が真っ先に俺の方へ飛び込んできた。


「え……っ!?」


 何だ。誰だ────と。

 唐突なことで、考えている暇はない。

 不意を突かれたのもあって、とにかく早い。獲物をしとめようと飛びかかるチーターのような動き。



 間違いない。────侵入者だ。



「くっ……!」


 まず頭に浮かんだのは、エレンを守ること。

 とっさに、乗っかっていたエレンを突き飛ばす。襲撃者から見て、俺がエレンの盾代わりになるように。

 ベッドの上だから大丈夫だろうが、心配している余裕はなかった。


 『そいつ』との距離は、もうまもなくだった。手を伸ばせば、届く距離。

 ああ、とちった。近すぎる。


 刹那、『何者か』は腕を素早く伸ばしてきた。何かを突き付けるかのように。


 狙いは、顔。


「う、ぉおあぁあっ!!」


 ────間に、合わなっ……!



 そして、次の一瞬────紫電の走る鋭い音が部屋一杯に大きく響いた。

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