第百二十一話:衝突、そして『彼』は策謀する。

『ねえミランダー、今日のお菓子はなーにー』

『んー? お嬢様の好きな、シフォンケーキですよー』

『うふふふふ』

『ワーイやったね!』

『うーふーふーふー』


 彼女には、果たして何が見えているのだろうか。


 一つの口で、しかし違う声音を作り、おままごとでもしているかのように。

 うららかな、とある家族の平穏な一幕を演じている。


 目の前の、身体を裂き『中身』を晒した死体で遊びながら。


「あうあ」


 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃと。

 掻き回し、撒き散らし、舐めとる。


 哀れ死体となった、ここの清掃員らしい男の身体は、時折びくんと大きく跳ねる。

 これは抵抗などではもちろんなく、死後筋肉による無意識の反射にすぎない。


『心臓と肝臓を取り替えっこ♪』


 その人間の『開き』に、手を突っ込み、かき回す。

 家族ごっこの次は、お医者さんごっこが今の彼女の気分だ。


 打ち上げられた魚も同然、しかし何の罪もないこの清掃員が幸運なことには、この悍ましい残虐行為を認識する前に死ねたことに尽きるだろう。


『────ねーえ、まだ追いかけっこするのー!? もう僕飽きちゃったー!』


 ビリーは血にぬかるんで汚れたまま立ち上がり、叫んだ。

 もちろんのこと、返事を返す者はいない。

 というのに彼女は構うことなく、突然クルクルと踊り出したかと思うと、演劇のような芝居がかった声音で続ける。


『お願いよ白うさぎさん、教えて私をどこに連れてくのー♪』


 倒錯的で脈絡の無い、ちぐはぐなその振る舞い。

 彼女の中にいる複数人の人格が、代わる代わる表出し、彼女をそうさせる。

 多重人格者には共通して見られる、この弊害。ビリーは人一倍────いや『多重人格者一倍』酷かった。


 それは一つの混乱とも言えるだろう。一つの器に、複数人が『生きて』いるのだ。

 自分がどこにいて、自分が何をしているか、自分でさえ定かではない。そもそも『自分』が誰なのか、どれなのかも、分からない。


 そんなビリーに、人影が飛び掛かった。


「う、うわああああああ!!」


 意味なく叫びながら、後ろから、不意を突いた形で襲い来る。


『なあんだ……そこにいたの』


 恐怖とは、再燃するもの。

 愚と分かっているはずのことを、人にさせる。

 少しは楽しめそうかと思った少年も、ご多聞に漏れず、所詮人ということだ。


「いらっしゃいませ死ね」


 ビリーは振り返るよりも早く、手を突き出した。


 ぐもっ、という珍妙でくぐもった音が響いた。

 突き出したその手は、胴を腹から背中に突き抜け、その肉を簡単にくり抜いた。


 血が、内臓が、肉が。貫通した二の腕にぐちゃりと温かく纏わりつく。ゼリーを詰めた水風船が数個束ねられたところに、腕を突っ込んだような感覚。

 この如何ともしがたい感覚に、ビリーが恍惚の笑みを震わせていた、その時。


「ご、ぱっ……ぁ」

『んぁ?』


 それは、拓二ではなかった。

 拓二とは似ても似つかぬ、年嵩のいった中年だった。ここの施設の人間同様、無骨な緑色の作業着で身を包んでおり、今や赤黒い色で染められている。

 しかし、目当ての人物ではなかった。


『あれ、これは……』


 ────ビリーは、勘違いしていた。

 自分に向けられる感情が、皆一様に恐怖で染まっていたため、誤解した。

 竦み、挫けた感情を見続けてきたために、誰もがそうなのだと思っていた。


 人間は、臆病な動物なのだと。

 たった一人では自分よりも弱く、自分よりも儚い。


 個人における人間とは、そういうものなのだと軽く思っていた。


『────っ!』


 その瞬間、拓二の『囮』ではなく『本命』を、ビリーは身をもって知ることとなる。

 音を立てて、第二の突撃が来る。


 しかし先程と違うのは────今のビリーは、既に事切れて重心を預けてくる『重荷』を、その手に抱えていること。

 これでは、避けられない。


 迫り来るのは、ビリーよりも背の高い一台のトラック。



 それがビリーの身体を────撥ねた。



◆◆◆



 やったか、と言うと実際にはやれてないことが多いというジンクスをふと思い出し、拓二は何も言わなかった。


 跳ね飛ばしたビリーの身体は、面白い程に吹っ飛んだ。

 おあつらえ向きに、近くに駐車していたゴミ収集車を借りて、遠慮なく引き撥ねた。

 避けられてしまわないよう、囮として隅に隠れていた作業員を取っ捕まえ、不意打ちで襲うよう仕向けた。

 返り討ちに遭うのは分かりきっていたが、致し方ない。人一人とトラック一台、これでくたばれば安いものだろう。


 少なくともダメージを負ってもらわないと困る。

 だが……


「クソッ、しぶとい……!」


 期待は外れた。

 拓二は、車高の高いこの運転席で確かに見た。


 

 2トン程の重量から来る衝突のエネルギーを食らってなお、起き上がろうとしている。


「ターミネーターかよ……!」


 一つ理由を補足するなら、速度が問題だった。

 ここは公道ではない。施設が並ぶ、単なる車の通り道だ。これでは狭く、ビリーとの距離も短過ぎたために速度を稼げない。

 よって衝突した時のスピードは、50キロも出ていなかったことになる。


 人を轢き殺すに足る『重量』はあった。だが、ビリーを殺す『速度』が足りなかった。

 しかし一般に交通事故とされる一撃を受けて、ピンピンしているという事実。


 これまで化け物じみた振る舞いは数々見てきたが、それでもやはり衝撃を受けた拓二は、一瞬硬直した。

 だがそれも一瞬だ。

 すぐに思い直し、考えた。


 ────もう一度轢き抜く。

 分かりやすい、シンプルな選択。


 普通は避けられない。避けるような動きなど出来るダメージではない。

 普通。そう、普通は。

 だが、こいつに『普通』という言葉は無意味だ。だから、躱してもらっても構わない。


 その時はもういい。

 そのまま振り切り、祈の元へ向かうだけだ。

 

「いい加減死んでくれよバケモン、お前の相手は……少し疲れる」


 ちらりと瞳に陰を過ぎらせ、拓二は呟く。

 誰が聞くわけでもない、意味の無いその独り言。

 言葉内に含まれるのは、怒りでも悲嘆でも無い。それは、言うなれば────『懐古』。


 何かを振り返るような、遠い目をした後、我に返るように、そのアクセルペダルを踏み込んだ。


 そこに躊躇は無い。

 今度こそ、と速度を上げ、ビリーに迫る。


 ガゴンと、タイヤが何かに乗り上げた。

 ビリーが遊んでいた死体を踏み潰したらしい。

 しかし、それでは止まらない。

 難なく踏み越え、甲高い摩擦音を立てて走り出した。


『…………』


 立ち上がったビリーは、俯いていた。

 俯き、息を潜め、そのままの姿勢で固まっていた。

 が、すぐに顔を持ち上げ、自分に向かい突っ込んでくるトラックに────いや。


 、身の毛がよだつような笑みを浮かべた。


 そこから先は、一瞬のことだった。

 ビリーは両手を開いて差し出し、片脚を持ち上げた。

 差し向けるは、二つの掌と片足の裏。


 その姿勢を維持して頰を張り、歯を食いしばり、身体中の血管を切れるのではというくらいに浮き上がらせ、


オウッッッッッッッッッ!!」



 ────重量2トン、瞬間速度60キロ弱。

 ゴミ取集車てつのかたまり



「なっ……!?」


 再び、悲鳴のような摩擦音が轟いた。

 無理やり外側から止められた車は、タイヤが回らず制動距離を滑り、しかし徐々に速度を殺されていく。摩擦が筋となって、アスファルトを焼く。


 やがてゴミ収集車は、完全に停止した。


『……う、うふ、うふふ……!!』

「くっ……!!」


 まだ。

 まだ、あの笑い声が聞こえてくる。

 やはりまだ、死んでなどいない。


 そう考えた次の拓二の行動は、早かった。


 左腕一本で器用にシフトレバーをバックに動かした。

 停まっていた車が、後ろに動き出す。

 押して駄目なら、とばかりに後退し、つっかえるように車を停めていたビリーのバランスを崩させた。


「糞ったれ……! こちとら腕一本しか無いってのに!!」


 そして再びシフトレバーを動かし、アクセルペダルを全開で踏み抜いた。


「落ちろ!!」


 バランスを崩したビリーは、急な動作に振り落とされる。

 はずだった、が────


『あはははははははははは』


 ビリーは、ボンネットに五指を食い込ませ、しがみついている。

 そしてなんと、その上に『着地』するように昇り、進行方向を、全身で塞がれてしまったではないか。


 それだけに留まらない。

 ニッコリと拓二に笑いかけ、

 ドアガラスならまだしも、これはフロントガラスだというのに。

 いとも容易く、飴細工のようにぶち破った。


「っ────!!」


 拓二の目は、そうした動きの全てを捉えていた。


 破片を撒き散らし、形を変え、ぶち抜かれるフロントガラス。

 そして首元を狙って蛇のように伸びてくる、一撃必殺の魔の手。一度掴まれればひとたまりも無い、骨ごと持っていかれるだろう。


「ぐ、お……っ!」


 それらの一秒一秒の動きが、秒より細かな刹那となって凍り付く。

『予言の目』────その超越的時間感覚が、今この瞬間の拓二の視界であった。


 砕けるガラスの破片、襲い来る手を、拓二は全て目で追い身を振って避けた。


『ハハハァァアアアアア……!!』

「っ……!」


 取り戻した時間感覚の最中、ガラスを挟んで、一対一で彼らは向かい合う。


 圧倒的に次元が違うビリーの力に対し、発現した予言の目で以って拮抗し得る拓二。

 睨み合う両者は口元を歪めさせ、犬歯を剥き、笑い合っている。


 ゴミ収集車にはあるまじき、車体の尻を振った危うい挙動で、ゴミ処理場を仕切るフェンスを突き破った。

 ビリーと拓二、その行方は、吸い込まれるようにしてとある場所へと赴いていく────。



◆◆◆



『彼』の話をしよう。


 この狂宴を、上からじいと傍観する『彼』の話を。

 順調に一つの場所に集う手駒ピースを眺めて、ほくそ笑む『彼』のことを。


「『マクシミリアン』と『柳月祈』、それと『相川拓二』……欲しかった奴らは、何とかこれで一ヶ所に集まりそう、か」


『彼』は落ち着きなく、銀のロザリオを手の中で弄んでいた。

 それは元は首に通すネックレスであったのだが、今は鎖をどこかに外してしまい、単なる十字架の小物として、いつも身に着けているものだった。


「ハア……ンっとに面倒くさい奴ら。特にマクシミリアンはなぁ、俺が直接指示しなきゃ逃げられちまいそうだったし。まだ表立って姿見せたくないんだけどなあ……


 呆れの籠った呟きと共に、深々とため息を吐いた。


「後はモブがどうなるか、か。でも『屋久舎組』か……まさか、ヤクザ引っ張り出してくるとは思わなかったけど。さっすが社長さんだよなあ。俺なんかと比べもんになんねえくらい、コネがある」


 話はでかくなればでかくなる程、好都合だ。

 今はまだ事を深刻に荒立てないようマスコミも動いているが、じきにそうもいかなくなる。

『何かが起こっている』ではなく、『とんでもないことが起こった』のだと。

 平和ボケした連中が、完璧に事の重大性を把握する時が必ず来る。


 可能性、という弱い言葉では言い表せない。

 これはもはや、一本に収束され確立していく予定調和なのだ。


「やーでも、楽しいな。こういう全部見られる立ち位置ポジションって。なんか頭良くなった気分になる」


 そうなる未来を、自分は知っている。

 その一部始終を見ることが出来る、特等席に自分はいる。


 実際、自分はそう大したことはしていないのだ。

 コネクションなら、大宮清道が。

 権力なら、マクシミリアンが。

 頭脳なら、柳月祈が。

 単純な力なら、相川拓二及びその他に匹敵する手練れが。


 自分をはるかに上回るとんでもない輩が、好き勝手に暴れてくれているに過ぎない。

 彼らや彼ら以外にもまだまだ把握しきれていない者達が様々集まって、周りを巻き込んで殺し合っているのを、自分は上から覗き込んでいるだけに過ぎないことを知っている。


 自分に出来るのは、ただほんの少し、己の都合が良くなるように手を突っ込んで小さな力で掻き回すだけだ。

 たったそれだけでいい。それ以上のことは何もしないし、出来ない。


 言うならこれは、意趣返しなのだ。

 以前自分がやられたように、安全地帯から傍観し、裏から弄る。

 かつて自分がやられたように、チェスの盤上を突き、外野から当事者を弄ぶ。


「っと電話だ……もしもし……ああ、アンタか。どうすか、メリーちゃんは」


 そしてそのための手管こそが、メリーだった。

 自分にとって重要人物でありながらも一番未知数なのは、マクシミリアンであった。

 こればかりは、情報が少なかったのだ。

 というよりも、祈と拓二の他二人が困らな過ぎたと言ってもいい。


 だからこそ、一つ仕組ませてもらった。

 ────愛娘メリーという致命的弱点カードを切って。


「……ああ、うん。……はあ? 今更何言ってんの、アンタはこの俺が雇ったんだぜ。ちゃんと金も払った、依頼人の言うことは従えよな」


 電話の相手は、探偵であった。

 前からの顔なじみで、口利きしやすく信頼も出来る。

 メリー=ランスロットの尾行、及びその素行調査における写真撮影。まさにうってつけ、職業に適した仕事をしてくれている。


「つーか別に俺としちゃ、アンタに頼らなくてもいいんだよな、細波さんが興味あるかなって、なんとなく誘っただけでさ。……ああ、ああ……そうそう、それでいいんだよ」


 電話をしながら、落ち着きなく手で音を立て、十字架のロザリオを弄る。


「……あ? 何のためかって? んなの、分かりきってるだろ」


 銀の十字架のネックレスだった『これ』は、かつての貰い物であった。


 そして『彼』自身気付いたのは最近のことなのだが、施されている仕掛けを解くと────



「────暁の無念を、俺の手で晴らしてやるんだよ」



『彼』────桧作夕平は、そのナイフをデスクの照明に向けて、白刃を鋭く輝かせた。


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