第八十二話:人を殺した者は。
『少々時間を取られたようですが、何を話しておられたので?』
マクシミリアンが病室から出ると、それを待っていたジェウロの事務的な声が迎えた。
問いながらもその無機質な声音が、かえって皮肉めいた響きとして耳に残る。
『早く帰ろうって言ったの、お父様なのにー』
続いて、エレンのふくれっ面から飛んでくる文句が、マクシミリアンの苦笑を誘った。
『あはは、ごめんごめん。ちょっと、ね。大したことは話してないよ』
『…………』
『…………』
『……あーうん、信用ないね僕って。知ってたけどさ』
部下だけでなく実の娘にさえ、胡乱な目つきで見られる彼の心境やいかに。
『……でも僕自身は、本当に何もしてないんだよ。何を考えて、何を選び取るかはタクジ次第だから』
病院の廊下を、エレンの車椅子に歩調を合わせながら.、親娘は会話を綴る。ジェウロは何も言わず、ただ恭しく後ろで控えるのみだ。
『いっつもそう言って、色んな人を唆してるのに? ほんと、悪いんだから~』
『そんなんじゃないさ、僕如きの話に唆されたなんて奴らは、皆愚かだった。それだけのことさ』
まあ、そこが楽しいところなんだけどね、と言い挟むと、エレンが口を開いた。
『……お兄様、少し元気が無かったよ。なんだか、上の空というか』
『うん、そうかもね』
マクシミリアンには、拓二の過去の全てを知る術はない。拓二が抱いたであろう無力感であったり、屈辱感や後悔も、罪悪感、憔悴感の程度を何一つ知らない。
だが、今の彼の心情を推し量ることくらいは出来る。良くも悪くも、生きるハリを失った拓二が、これからの指針を初めて失い、当惑しているということは。
『それで、その弱ったところにお父様は付け込もうとしてる。その愚かな人の中に、お兄様も加えようとしてる』
そして、エレンは歌うように言葉を紡ぎ、振り返った。
『でも、それは駄目。お兄様は、私のもの。〝お兄様は私が飽きたその時に、私が殺す玩具なの〟』
そう言ってエレンは――――それはそれは美しく、同性異性の隔たりなく全てを魅了するかのような笑みを浮かべた。
『だからーーーーまだお話も全部聞いてないうちに、私の玩具に手を出そうとしたら……お父様でも許さないよ?』
敵意をそっくりそのまますげ替えたかのような、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな魔性に、実の父親であるマクシミリアンでさえ息を呑んだ。
『……少し、誤解があるようだから言っておくけど』
その笑みに答えるように、どこか遠い目を向けてかぶりを振った。
『僕は最初から、誰の味方でもないんだよ。物を動かし、人を操れる今の自分が出来ることをしてから、後は傍観を決め込み続けるのさ。面白おかしく掻き回すための指と、それを見るための首だけ突っ込んでね』
『…………』
『そうして全部見届けた最後に、こう尋ねるのさ』
静かに唸る実の娘に対し、ただただマクシミリアンは、空気に溶け込みそうなありきたりな微笑みを返すのだった。
『さあ、次はどうするのかな――――ってね』
◆◆◆
「――――人を殺した者は、大きく二種類に分けられる。それが何か、分かるかい?」
マクシミリアンの話は、俺に合わせた日本語のその問答を端緒にして始まった。
唐突なその言葉の意味を測りかね、眉をひそめた。
「何だそりゃ……そいつは、誰かからの受け売り文句か?」
「僕の持論だよ」
「……どういう意味だ、説教でもしようってつもりか?」
「まさか」
大げさに両肩をあげる仕草で振舞うマクシミリアン。
「僕は職業柄そんな立ち位置にいないし……そうでなくても、今のこの世界において、人を殺すなんてことは羽のように軽い。それを弾劾することは、夢の中の出来事を責めることのように無意味だ」
「……まあ、そうだな」
ここまで聞いてなお、話の繋がりがまだ見えない。
こいつが何を言いたいのか、それが読めない。
しかし、だからこそ、その内容を促すためにも曖昧に頷いてみせた。
「君は……電話越しのメリーの声を聞いてどう感じたかな? その言葉の節々が明るいと言うか……もっと言えば、何だか距離があったようには感じなかったかい?」
「だから、何が言いたい? さっきからずっと、お前の話は要領を得ない」
「僕はね、メリーと話すと時々そう感じるんだ。自分の周りにある日陰に縛られず、光の中で強く生きようとしている。本当、良く出来た娘だよ」
「親馬鹿話なら、よそで……」
いい加減、意味の無い世間話のように聞こえる長ったらしい言葉の羅列に苛々してきていた、その時だった。
「君も、僕と同じだよ」
「……?」
耳元で囁くような、届くか届かないかの声が鼓膜を撫でる。
対照的に、その顔はまるで嬉々として笑っていた。
「君のお友達は、君によって生かされた。メリーと同じで、ごく普通の、光の中で生きていけるだろう。何の罪悪感も感じず、引け目を抱かなくともいい、平穏な日常に」
そして、俺を見るマクシミリアンの目の奥が、その一瞬だけ光った。
「でも、今の君は、果たしてそんな彼らと面と向き合って会えるかな?」
――――愉悦という感情の色合いに。
「だって、そうだろう? 例え君のしたことが、お友達を守りたい一心での正当防衛であっても、この世界においては無かったことになることだとしても――――君は間違いなく、人を一人殺した屑だ。僕らと一緒でね」
「…………」
「君は、それでも彼らと一緒にいられるのかな?」
朗々とした語り口の中、俺は何を考えていただろう。
こいつの思惑について探っていたのも一つ。俺を誘うようなその問いに、警戒を寄せていたのも一つ。
「……何を言い出すかと思ったら」
桜季を殺した自分が、これからどうなるのか。どうするべきか。
いのりや夕平や暁と、どう接すればいいのか。接していいのか。それは、今に始まった問いではない。訊かれなくとも、俺自身考えていたことだった。
だが少なくとも。
それらの問いが全て正当であるとしても。
こいつの目の前で、こいつの言葉に素直に乗っかって、掛けられる問いに頷いたり首を振るような危険な思索に踏み込む気にもなれなかった。
「そんな当たり前のことをベラベラ話して、結局お前は何がしたい? 俺に何を求めてる?」
「やだなあ、単なるアドバイスだよ。僕は君ほどムゲンループの経験には長けてないけれど、別のことなら君に教えられるからね。もっとも、君ほどの人間には、お節介だったかな?」
それらの薄っぺらい言葉の数々に意味はない。人を思ってもみない美辞麗句も平気で口に出来るような奴だ。
祈とはまた別の怖さがある。こと経験においては、俺以上に秀でた能力のある猛者だ。こいつとは手を組むことはあっても、断じて味方ではないのだ。
……先ほど感じた予感は、このことを示唆していたのだろうか。
「でもまあ、君がこれからどうするのか。そういうことも踏まえてみるといいんじゃないかな」
くるりと背を向け、ドアに手を掛けてようやく俺の目の前から消えていく――――かと思えば。
「ああ、そうそう。そう言えば」
「まだ何かあるのか……」
ある意味、スカウトに来た成金達よりもしつこいタチなのかもしれない。
マクシミリアンもそんな俺の心情を察してか、もう俺に振り返らず、
「あはは、そううんざりしないで。最後にね、僕の持論を言い残して置くよ。君は、分かったかい?」
そして、笑みを浮かべた口の端からは、こう告げられた。
「人を殺した者は、こう二分されるのさ。――――『よく考える者』か、『あまり考えない者』にね」
◆◆◆
「ショックか? 桧作くん……」
細波が、何と言ったら分からないといった風に、恐々尋ねる。
彼は、車椅子をゆっくり押していた。やや不慣れながら、それでもその椅子に乗っかっている少年のことを気遣うように。
「……ショック、というか」
少年――――夕平が答えた。
今も寝ていなければいけない夕平は、細波に無理を言って、トイレへ連れて行って欲しいと頼んだのだ。
傷具合から、まだベッドから抜け出すのはご法度だろう。見つかれば怒られることは必至だ。
そもそも部屋にはちゃんと尿瓶もあったのだが……そもそも、トイレ自体が謂わば口実だ。
「……よく、分かんないんすよ、自分でも。俺、頭ボケちゃったのかな。何も、何も考えられなくて……」
どうしたいのか、自分でも分からなかった。
ただ外の空気を吸って、頭を冷やしたいと思ったのかもしれないが、それだけが本当に自分のしたいことだとは思えなかった。
いてもたってもいられなかった。何かしなければ、という考えだけがその他の何よりも先行した。
叶うことなら、清上学園に向かいたかった。そして、確認したかった。
最後に桜季や拓二を見た場所で、その痕跡を探したかった。
祈から、そこから二人の手掛かりを探そうとするのは絶望的だろうと言われても、それでも。
二人の存在が幻でなかったことを、自分が今いるこの日常が嘘でないことを、目に見える形で確かめたかった。
何もかも不透明なこの時間を、このまま享受したくなかった。
「まあ、な……」
細波が、浅く頷いた。
彼もまた、事件を僅かでも知る数少ない人間の一人。納得のいかないことも少なくないだろう。
「結局、何だったんだろうな……」
「…………」
細波の一言が、今回のことのすべてを物語っていたのだった。
「俺は……」
と、その時だった。
「――――っ、え?」
夕平の視線の先に、ある男が映る。
そこには、どこにでもいるような金髪の男と並ぶように話をしている、目を奪うほどの美少女――――
――――そして、彼らの後ろに淡々と付いて行き、少女の車椅子に手を添えている、スキンヘッドが特徴的な渋面の男がいた。
彼は、夕平の見知った顔立ちだった。
間違いない、何せ『あの日』に見た者の一人なのだから。
何故か子供用の傘を差し、自分を『客人』だとして学園に通してくれた謎の男だ。
「あ、アンタは……」
夕平の脳裏に、彼との僅かなやり取りが蘇る。
そして、心臓が小刻みに早鐘を打つ。
「……! ヒツクリ・ユウヘイ、か」
あの雨の中、確かに両者は交錯した。
桜季と拓二との繋がりを求めた、あの時に。
そして今、『あの日』そのものとの繋がりを求める夕平の目の前に、あの時の男――――ジェウロ=ルッチアは現れた。
◆◆◆
「私……どうしたらいいんだろう」
この病室の主が、やや不器用な退出をしたところで、残された暁がそうポツリと呟くのを、祈は耳にした。
「……突然、どうしたのですか?」
「…………」
尋ねると、最初その視線は祈と宙を彷徨い、口はパクパクと開いたり閉じたりを繰り返して言葉を発するのを躊躇っていた。
しかしやがて、じいっと見つめる祈の視線で、自分の口ぶりが焦らしているかのようであることに気付き、話しだした。
「今私がこうして生きてるのが、なんだか不思議なんだ。本当なら私があそこで死ぬはずだったような気がして……もし運命っていうのが本当にあるんなら、私はここにはいなかったはずなんじゃないか、って……そう思えて」
「それは……」
運命とは、また言い得て妙な言葉だと祈は思う。
ムゲンループ中、暁は繰り返し『死に続けた』。彼女が知らないだけで、何十回もその死を決定づけられてきた。
そして、言うなれば拓二はその運命を捻じ曲げるために、ムゲンループを生きてきたのだ。
「あの日……相川くんはあんなに傷ついて、夕平は馬鹿やって……いのりちゃんや細波さんにも助けられたよね。校門を開けて逃がしてくれた男の子に、可愛い外国人の女の子と、ちょっと怖いお医者さんみたいな男の人、他にも色んな……みんなが良い人じゃないって、いのりちゃんにもなんとなく教えてもらったけど、私を助けたつもりだったわけじゃないって言う人もいっぱいいると思うけど……」
「はい……」
「……でも、その人達がいなかったら、きっと私は生きてなかったんだよね。うん、きっとそう。私はあの日死んで、生き返ったんだ。そんな気がする」
暁の話すこの死の予感も、単なる勘などではなく、彼女自身のかなり鋭い感覚からなんとなくそのことを理解しつつあるのではないか。
彼女がムゲンループの住人である可能性はかなり低い。だがまるで、これまでの自分の死を直接目で見てきたかのような、どこか確信めいた口調だった。
「それに、助けられたって言うなら……不思議なんだけどね。なんだか、千夜川先輩にも助けられたような気もしてるんだ」
「立花先輩……?」
「あ、ううん、何でもない。変なこと言っちゃったね」
あはは、と力無い笑みが虚空に溶け入った。
祈には、暁の言葉の意味を理解出来なかった。その賢明な頭をもってしても。
彼女が何を言いたかったのか、何を感じていたのか、この時は分からなかった。
「……待ってください、立花先輩」
――――だが、しかし。
祈はこの時――――別のある『違和感』に、気付いていたのだ。その明晰な頭脳をもってして。
まだ誰もが知り得ない、『あの一日』に潜む、本当の姿を。
「……いや。いや、いや。待ってください、立花先輩。……今さっき、なんて……仰いました?」
「え……?」
「いえ、私の記憶違いでなければ――――」
そうして祈は、一字一句息遣いまでも誤りもなく、暁の先ほどの言葉を完璧にそらんじてみせた。
「『あの日……相川くんはあんなに傷ついて、夕平は馬鹿やって……いのりちゃんや細波さんにも助けられたよね』の後こう仰っていたはずです――――『校門を開けて逃がしてくれた男の子』、と」
「え? う、うん。そうだけど……」
「…………」
困惑する暁に、祈は、告げた。
「……いませんよ、そんな男の子なんて」
自分の中にある違和感、その核心を突く決定的なその一言を。
「え……?」
「というより……あり得ないんです。何故ならあの時はまだ、千夜川桜季と拓二さんが争っていました。他にあの学校にいたのは、間違いなく桧作先輩と立花先輩だけ。つまり先輩方四人に干渉出来る人間は、あの時誰一人として存在しなかったのですよ」
あの学校は、大きな力によって作られた舞台だ。
ショーが興ざめしないように、第三者の介入を極力排除した純然な殺し合いの場だった。
警察といった公的機関や、用意した『裏方』達でさえも上がることの許されなかったお立ち台に、どうしてそのような誰とも知れぬ少年などが立ち入れようか。
「そ、そんな……でも私、嘘は言ってないよ。私達が逃げられるように、ちゃんと校門だって開いてたし――――」
「ええ、嘘とは思っていません。桧作先輩を担いだ立花先輩が校門の鉄柵をよじ登るのは相当困難だったことでしょうが、立花先輩は桧作先輩を抱えて難なく外に出てこられた。ということは、校門はあの時本当に開いていたのでしょう。――――ですが、それがそもそもおかしいんです」
他者からの干渉を防ぐためだけに学園付近ごと封鎖するという大掛かりな工作までして、完全な閉鎖空間と化したはずの清上学園の、卑近な穴。
『暁達を外に逃がすため』に空けていたとあればそれは、それまで避けていた『
暁の言うことは間違ってはいない。
だが、その暁の言う『男の子』が、ベッキー達のような『裏方役』ではないこともまた事実だ。
「どうして……どうして、こんなことにずっと気付かなかったんでしょうか、私は……」
そう、そして――――それらの矛盾を氷解させることが出来る一つの結論に、祈は達していた。
祈だからこそ、達することが出来た。
「まさかあの時……清上学園の中に、拓二さん達四人の他に、あの場の誰とも関与しない『五人目』が存在していた――――?」
◆◆◆
『……誰だ、お前は』
マクシミリアンがいなくなってすぐ、入れ替わるようにしてその男は現れた。
明らかにカタギではない、白髪白衣の死神のような男。顔はこけ、枯れ木のように痩せ細った長身の身体が骨を浮きぼらせている。ギリギリまで脂肪を削いだその様子は、人間味まで欠如しているかのように見えた。
そして、この男に連れられて来た者の中で見知った顔は〝少なくとも〟二つ。どちらも何故その男と行動を共にしていたのか、拓二には知ることが出来ない。
一人は、この数日俺が世話になった少女、ベッキー。
そしてもう一人は――――これこそ何よりも驚いたのだが――――拓二の姿を見るや否や、涙ながらに名前を呼びながら駆け寄ってきた琴羽であった。
そしてもう一人、大きめの外套を深く被り、顔を隠している人物。以上が、この不気味な出で立ちの男の連れてきた面子である。
ベッキーがいることで、どうやら男はネブリナの関係者であるということを察することが出来た。しかしなおさら、琴羽がいる理由が分からないが。
『私の名前は、グーバ=ウェルシュ。そして知っての通り、娘のベローナだ。ネブリナではベッキーで通っているかな。ついでにそこの娘子は、貴様の名前を挙げたら勝手について来た』
『グーバ……』
その名前には、聞き覚えがあった。
以前、前代ネブリナ家ボスであるボルドマンが話した、マクシミリアンの血の掟を結んだ者の名の中に確かに聞いた。
こいつが、マクシミリアンと血の掟を交わした最後の四人目か。
『さて、率直に告げよう。私の元に来い、タクジ・アイカワ。是非とも貴様の力を貸して欲しい』
『……随分唐突だな。いきなり「はい分かりました」なんて言うと思っているのか?』
『…………』
鋭い眼光が、横になったままの拓二を見下ろす。
『その通りだ。貴様は必ず、私の言葉に頷く。そう決まっているのだ。そうだろう――――?』
そして、グーバと名乗った男は、静かにこう囁いた。
『――――我々と同じ、このトチ狂った輪廻の世界を生きる
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