エピローグ
マグメールとの戦いから二週間半。
「はー……」
スピルは大きく溜め息をついて自室のベッドに勢いよく寝転がる。
毎日の寝床、当たり前のように感じる柔らかさと匂いがいつもより自分を包み込んでくれているような気がして心が安らぐ気分だ。
「やっぱり自分の家の布団が一番だなあ」
しみじみと独りごちる。
当たり前のもの程大切なものはないということを、心底思い知らされたかのようにスピルはまた大きく溜め息をついた。
あの戦いの後、どうなったかというと。
全員で疲れに寝転んでいたところを警察や消防に見つかり、被災者と見なされ救急搬送されて
あれやこれや検査や治療、事情聴取云々と何がなんだかわからぬまま行われまる半日拘束。
やっとの思いで自由になった時間に病院で夕刊を買って確認したら、あの脱出のための一撃がかなり広い範囲に及んで地面を砕いたようで、
地震による地割れが起きたと勘違いされて報道沙汰にまで至っていたという。
そして自分たちは震源地にいた被災者扱い、あまり色々と騒がれたくないので二週間半入院という体で病室に引き籠るハメに。
とはいえレヴィンがいる以上怪我の治療は早く終わる。
スピルの貴族としての繋がり――早い話が悪い言い方をすればコネである――を使って個人情報の流出を防ぐのにかかったのが二週間半、
今日それが片付いてやっと帰ってこれたというワケなのだ。
正直あまり自分の権力に頼ることはしたくないのだが、マグメールとの因縁や戦いに関わる内容をあまり公に出したくないし、
何よりそれで職員らの身に何かが起きても困る。それぐらいなら周りからの印象が悪くなろうが自分ができることを真っ先にやった方がいい。
「ああ~……お布団やっぱ最高……」
ごろごろとその柔らかさを堪能するかのように寝返りを打っては枕に顔を埋める。
「……いけないいけない。危うく忘れるところだった」
数十分程して、思わず寝そうになったところで思い出したように携帯を取り出す。
電話をかけ、呼び出し音を耳にしながらゆっくり起き上がって、ぼんやりと窓の外を眺めながら相手先が出るのを待つこと一分して、
電話先の主は現れた。
『……スピル?珍しいわね、こんな時間に』
「やあアリア、久しぶりだね。まだ19時だよ?」
『貴方が電話してくるの大体深夜でしょう、こんな真っ当な時間にかけてくるなんて最近はなかったわよ』
「あはは、そうだったっけ?」
はあ、と溜息をつく電話先の友――アリア。
『で、そんな貴方が珍しく普通の時間に電話なんて、何かあった?』
「やっと帰ってこれて電話する余裕ができたからね。あの時はありがとう、助かったよ」
『……私、貴方に感謝されるようなことをしたかしら』
「何言ってるんだい、君だろう?後始末根回しその他諸々やってくれたの」
ああ、とアリアは思い出したように声を漏らす。
スピルにとっては長年の友人――否、親友の一人にして彼にとって最も心強い味方の一人とも言える。
今回の件、マスコミへの情報流出を防ぐに辺り一番協力してくれたのがアリアなのだ。
彼女もまたスピルと同じく貴族の血筋の者であり広範囲に渡りパイプがある。
本来なら二週間半かかっても防げたか危うい情報の流出をその期間で片付けられたのは彼女の手助けあってこそに他ならない。
「搬送先が君の家が経営してるところだったからすぐにわかったよ。しかも病室がVIP待遇者しか入れない特別な部屋だし」
『たまたまニュースを見て、たまたまうちの病院に貴方たちが運び込まれただけの話だけどね』
「それでここまでやってくれたんだからよくわかってる……いや、わかりすぎてるって言ってもいい程だよ。流石僕の親友」
『まあ、大方マグメール絡みでああなったとは思っていたし。
ファナリヤさん、だったかしら?可愛い期待の新人が連れ去られたという話は聞いていたもの。無事に連れ戻せたようで良かったじゃない』
「あれ、そこまで話してたっけ?……まあ、君はどこからでも情報を掴むし関係ないか。そっちについても何とかなったよ。
……それでその件について、君に報告しておきたいことや聞いておきたいこともあって。礼を言うのも兼ねてというワケさ」
『なる程、それは深夜に話していたら朝になるわね』
茶化さないでよ、とスピルは困ったように笑う。
その後少しだけ間を置いて――空気をがらりと変えたかのような真剣さで口を開いた。
「君には、ファナリヤちゃんのことをどこまで話していたかな?」
『貴方の言っていた神秘力を覚醒させる力がある、という点については相談をもらっていたわね』
「ああ。あの後トラベロ君……彼女が恐らく最初に覚醒させた事例以外は一つもなかったんだけど……――ねえ、アリア。
君は人為的に女性の神秘力者を覚醒させられると言ったら、信じる?」
受話器からは何も返ってこない。信じられないと主張しているのか、あるいは……
そういった反応も無理はないだろうとスピルは思った。
今自分が持ちかけている話は誰に言おうが到底信じられぬものだという自覚はある。
神秘力者になるには"アルカナ因子"と呼ばれる因子が遺伝子と先天的であれ後天的であれ適合を果たすことが最前提条件であり、
そのアルカナ因子は女性へに対しての適合率が非常に低い。
故に因子適合を果たした女性は同じ神秘力者の中でも異色、異端の存在と言っても過言ではない確率であることは研究により証明された現時点覆しようのないデータである。それを覆す事象など世界中の学者たちから笑われ鼻つまみ者にされてもおかしくはない。
しかし、それをスピルは確かにこの耳で聞いたのだ――しかも、その力を持つファナリヤ本人から。
"皆さんに、話しておかなきゃいけないことがあるんです。
わたし……思い出したんです。神秘力を覚醒させる力の使い方"
――という言葉から始まった、彼女の話の内容が次の通りだ。
「今までトラベロ君以外に事象がなかったのは、彼女が力の使い方を覚えていなかった・・・・・・・・かららしい。
マグメールに連れ去られ、強制的に思い出させられたそうでね」
『それで力を行使、その相手が女性だったと』
「ああ。僕も正直驚いたし信じられなかったけど、こんなことで嘘を吐くような子じゃないし洗脳されているようにも見えない。
真実だと思っていいだろうね」
『仮に真実なら、世に彼女の力が知れ渡ってしまえばとんでもないことになるわよ?』
「もちろん、僕たちが護るさ。彼女も好き好んで使いたいとは思っていないし、普通の女の子として普通に暮らすのを望んでいるから」
発祥当時から研究は続いていれど、まだ未解明な部分が多すぎると言う程に存在する神秘力。
現時点での結果をもひっくり返してしまうファナリヤの力が知れ渡ったら大事どころの話ではない。
下手をすれば彼女や彼女の周りの身すら危うくなる可能性を鑑みて、スピルはファナリヤに力の使用を固く禁じた。
もちろん本人も快く承諾し、何があっても使わないと宣言している。
そしてアリアにそれを話したのはスピルにとって彼女が心より信頼できる友であり、同時に一つの共通点を持っている故にだ。
『それならその話はそこまででいいでしょう。貴方が見えない範囲のところに目を配っておけばいいわね?』
「流石、よくわかってるなあ」
『貴方が生まれ変わる前からの付き合いだもの。それより、マグメールに潜入したのでしょう?彼に――ユピテルには会ったのかしら?』
彼女にとっても、ユピテルは親しい友である――それが二人の共通点。
マグメールが設立されてから、スピルが再びこの世に生を受けるまでの間も彼女はずっと戦い続けていた。
彼に対する思いは恐らくスピルのそれと同じか、あるいはそれ以上だろうか。
"私は願う。お前たちが強くなることを。そして、いつか、私を止めてくれる日がくることを"
その言葉が今もスピルの脳裏に焼き付いて離れない。
何故、彼はあんなことを言ったのだろう。
あの時交わした言動の多くが、彼の心の奥底に封じ込めている本音を語っているような、そんな風に受け取れたのだ。
まるで、"これは自分が望んでやったことではない”と。
そう訴えているようにスピルには見えて、彼の中で一つの高くはないが決して低くもない可能性が浮上した。
「……何も、変わっていなかったよ。彼の本質はあの頃のままだ。僕たちと過ごしていた、ユピテルそのものだった」
『……そう』
「けれど、あの時と同じ冷たさも持っていて……何というか、スイッチが切り替わる?
そんな感じに言動や雰囲気が急に変わるような素振りというか……」
『どういうこと?ちゃんと説明なさい』
「ええと……スイッチを入れると変わるんだけど、こう……自分で入れたようでもないんだ、つまりね」
『つまり、貴方はユピテルが"何者かによって操られている"のではないかと思っていると』
「可能性はあると思っているよ。ただし確証もないし、その確率も高いワケじゃないけどね。そもそも操るにしても誰がやるんだっていう話だし……
でも、彼は止めて欲しいと思っている――それだけは確実だ、この耳で、確かに聞いたんだ」
でなければあんなことを言うものか。
そうでなければトラベロにファナリヤを助けさせるために道を開けたりだってしないし、自分自身だってまた殺されていたに違いない。
彼はあれが今の自分にできる精一杯だと言っていた。同時にそれは、今の彼に出せる最大限のSOSなのではないか?
あの言葉を聞いてから、スピルはそう思えてならない。
「――まあ、これが全部的外れで、彼が僕にそう思わせる為の演技をしているんだとしたら、ただ騙されただけの愚か者なんだけどね」
可能性の域を出ないというのに早くも断定している自分を茶化すように笑うと、アリアは呆れて溜息を吐くように笑いをこぼす。
『バカね。彼がそんな器用な真似できるワケないでしょう』
「ええ?ユピテルはそんなに不器用だったかなあ?」
『器用なのは手先だけだったじゃない。あのド天然』
「……確かに天然なところはあるよね。あと物凄い方向音痴。僕かアリアが一緒にいなきゃロクに目的地に着かないんだもん」
懐かしき思い出話に花が咲き、先程までの雰囲気を忘れて笑い合う。
「……また、三人でこう語らいたいものだね」
『そうね……その為にもまだ情報が必要だし、また何かあったら互いに提供しましょう』
「ああ。そうだ、情報と言えば君の方でも調べておいてもらいたいことがあるんだけどいいかい?」
『……リベリシオンの坊やに頼めばいいんじゃなくて?』
「レインはもう調べてくれているよ。けど人脈からの情報量に関しては君の方がたくさん掘り出せるだろう?
手に入れられる情報はいくらでも欲しいんだ」
『まあ、確かにそうね……何についてかしら?』
「――ノーウィッチと呼ばれる人物について」
ノーウィッチ……マグメール首領であるユピテルの参謀を努めているという、全てが謎に包まれた人物。
男なのか、女なのか。それ以前に彼、あるいは彼女は本当に神秘力者なのかすらも判明していない。
ただ言えることは冷酷とも言える程に冷静で合理主義者であり、顔色一つ変えずあらゆる策を使うという。
ファナリヤの話によると彼女とトラベロの記憶を失う以前の姿を知っている存在であるらしく、それを裏付けるかのように二人してノーウィッチに対する既知感を抱いているそうだ。
それが危険信号として二人に伝えているのだろうか、こんなことを言っていた。
"ノーウィッチ……あの人だけは、絶対に敵です。絶対に気を許してはいけないって、わたしの中の何かが告げているんです"
"僕も彼女と同じ意見です、あの人は人じゃない……人の形をした何かです。僕たちの思考とは一線を画しすぎている。
マグメールの中で一番警戒しなきゃいけない相手だって……何があっても絶対に相容れることはないって、断言できます"
実際に会話を交わしたのもあの二人だけだが、口を揃えて敵だと豪語するような人物。
そしてファナリヤの力の使い方を思い出させたのもそのノーウィッチで、さらに彼女の神秘力を暴走させたとも聞いた。
その際に《接触感知》でファナリヤが得た情報によると、同じように彼もしくは彼女によって神秘力を暴走させたマグメールの傘下が
何人も存在していると言うではないか。
もしそういった力を持っているとするなら、ファナリヤ以外の他のメンバーが歯牙にかけられても悲劇を引き起こしかねない。
だからこそその前に叩きたいのだが、あらゆる素性が謎に包まれていて、レインの神秘力を用いてあらゆる情報をかき集めても一向に収穫はない……
故に彼以外にも情報に精通した存在が必要だとスピルは判断したのだ。
「……これは決して他人事の話にはならない。だから君に頼みたい」
『確かに……迂闊に暴走させられては堪ったものではないわね。了解よ、何か掴めたら連絡するわ』
「ありがとう、本当にアリアには助かってるよ。ツヴィリやフランちゃんにもまたよろしく言っておいておくれ」
『ええ、埋め合わせはいつものアレを持ってきて頂戴。……じゃ、そろそろ私は研究に戻るから』
「ああ、時間を取らせて悪かったね。それじゃ」
ぷつ、と電話が切れる。
いつもの待ち受け画面に戻った携帯に刻まれた時刻が21時を過ぎていて、我ながらこれまた長いこと話をしたなと笑って今度はゲームを起動する。
真剣な雰囲気ばかり続いては体も心も固くなるし何よりやっと開放されてからやっとできる自分の最高の娯楽だ、帰ってきた日から楽しまなくて何をするというのだろうか。
明日からティルナノーグの営業は再開され、いつも通りの日常に戻るのに心体が固まったままではよろしくない。
「…………あ、そうだ」
皆もこの二週間半疲れていることだろう、所長として何か労ってあげなければいけないだろう。
そう思ったスピルは一旦ゲームの画面を閉じ、SNSの画面を開いた。
それから何日か立ち、同週土曜日の正午前。
「う、うっわあ…………!!」
トラベロはぽかんと口を開け、車の窓に映る光景を見やる。
まるで城の城壁のようにそびえる壁、その真中にどどんと配置された巨大な扉。
鉄格子のそれから奥に広がる噴水つきのだだっ広い中庭と、その奥に構える豪邸……一気にファンタジーの世界へとやってきたかのような錯覚さえ覚えてしまう。
「す、凄い……これが、お貴族様のお家なんですね……!」
「あいつんちはコミュニティの中でも特にでかいとは聞いてたけど予想以上だわ……こりゃ家を軽々立てるのも納得ねえ……」
マリナとファナリヤもそれぞれ運転席と助手席からその光景にただただ圧倒されるしかない様子。
……事の発端は数日前、やっと家に帰ってこれたその日の夜に遡る。
「今週土曜日僕んちでバーベキューやろうぜ!各自好きな食材持ってきて!」
と、スピルからメールがきたのが始まり。
曰く、ファナリヤが帰ってきたお祝いと先のマグメールとの戦いでの各自の健闘の労いも兼ねてぱーっと騒ごうじゃないかとのことだそうで。
機材や食器はスピルが用意してくれるので、各自好きな食材と飲み物を相談。
レインとマリナの車でそれらとメンバーを運ぶ、といった流れで現在に至る。
何故スピルの家かというと、一応まだ色々と細かい騒ぎがあるかもしれないから彼の家でやる方が色々安全だろうということらしい。
ニュースにもなったし確かにそうだと、全員が同意の上でここに集合して現在その圧倒的な大きさに息を呑んでいるというワケである。
「ふふ、皆さん揃って驚かれて……まあ無理もありませんか」
レインが車から降り、玄関の呼び鈴を鳴らす。
彼とレヴィンは過去スピルの家に一時的に滞在していた時期があるとかどうとかで平然としているようだが、
彼の車に同席しているアキアスとエウリューダはぽかんと口を開けて固まっている。
「ぷっ、ドチビが珍しく固まってやんの」
「うっせえなてめえにゃ言われたかねえわ!何だよ俺が全く驚かねえみたいな言い方!」
「アキアスいっつもむすっとした感じの顔してるもんnいったっ!」
茶々を入れるエウリューダの額にアキアスがデコピンを見舞う姿に窓腰からトラベロたちはくすりと笑う。
この二人のやりとりはいつになっても変わらないなと微笑ましい気分だ。
そんな会話をしていると玄関のドアが開き、中へと自分たちを招いてくれる。車を動かし、指定の場所まで移動して各々荷物を持って降りると家主である我らがティルナノーグ所長が出迎えにやってきた。
「やっほういらっしゃい!よくきたね!」
「は、はい!お邪魔します!」
「はははは、びっくりしすぎだし緊張しすぎ!もっと肩の力を抜きたまえよー♪」
「あはは、こういうお家に入るのはあんまり慣れてなくって……」
スピルに軽く背中を叩かれながらトラベロは笑う。
こんな豪邸の主がまだ10代半ばの少年――中身は長生きだが――というのもやはり改めて見ると驚きだが、
気兼ねなく招いてくれるフランクもは他の貴族には早々ないものだろう思う。
アジルターカ卿の一件を経ている故に尚更だ。
本人も自分を「貴族の中では物好きの部類」と称している辺り、彼は色々な意味で型にはまらない人物だとつくづく思わされる。
「さ、準備はできてるよ。みんなもお腹すいただろう?」
と、スピルに連れられて各自持ち寄った食材・飲料を持ち寄って屋敷の中を通り中庭へと向かうのだった。
「こほん。さて、まだ肉は焼けてないけど先に乾杯しとこうかね!」
スピルはジュースの注がれたコップを高々と掲げる。
「それでは、全員の無事の帰還を祝して――……かんぱーい!!!」
掛け声に続くように、全員のコップが顔を見合わせ音を奏でた。
各々注いだ好みの飲み物を口にし、肉が焼ける音と香ばしい匂いに思いを馳せる。
「…………じゅる」
「トラベロ、よだれが凄いぞ」
「えっ!?すみません!!」
慌てて口元をごしごしと拭うトラベロだが、一度肉に視線を向ければまた唾液が大量に分泌されていく。
大食漢たる彼が肉が焼けていく姿にそそられないワケがない。
ぴこぴことその犬耳のような跳ねっ毛を動かして焼きあがるのをただただじーっと待つその姿はさながら飼い主の合図が出るまで餌を口にするのを待つ
大型犬のよう。
「……あたし、トラベロ君の耳が動いてるように見えるんだけど気のせいかしら」
「いや、気のせいじゃないんじゃないかって私は思い始めたな」
「僕も僕も。やっぱアレ動いてるよね……?」
「……皆さんどうしたんですか?あれ、また僕よだれ垂れてます!?」
「いやいやいやいや違うよなんでもないよ!?」
髪の毛は確かに人体の一部が神経が通っているワケではない。なのに動くとはどういう容量で動いているのだろうか……
どうしても疑問でならないが、こうして食事を楽しそうに待つトラベロの姿はとても可愛らしいし微笑ましい。
「はっ……もしかしてあの耳が動くのがトラベロ君のもう一つの神秘力……!?」
「えっ……と、トラベロさんもう、もう一つに覚醒してたんですか……?」
「おいエイダ、ファナが信じ込むような冗談言うなよ」
「もしかしたらファナリヤさんと同じ《髪繰り》かもしれませんねえ」
「なっ!本当か……?」
「ノるんじゃねえ!レヴィンは信じてんじゃねえ!!」
ツッコミに追われながらも焼き加減の確認を怠らないアキアスの何と器用なことか、視線を向けずとも焼け具合がわかっているのか絶妙なタイミングで
ひっくり返している。金網特有の網目の形をした焦げ目がまたなんとも見るだけで食欲をそそられてたまらない。
「てかレヴィン手伝えよ、俺だけに8人分管理させる気か」
「あ、ああすまん。……端っこに空きがあるが何か追加するか?」
「その辺りなら軽く火通しただけで焼ける奴なら何でもいんじゃね?」
「んー。キャベツでも焼くか」
レヴィンも手慣れた手つきで具材を載せ、肉やその他の具材をひっくり返して焼いていく。
彼もアキアスに負けず劣らず料理が上手だとレインやマリナから聞き及んでいるが、実際に料理をしている姿を見るのは初めてだ。
新鮮な気持ちでファナリヤがその姿をじっと見つめていると、本人が視線を感じて心配そうにどうしたと聞いてくるので慌てて何でもないですと訂正、
焼けていく具材の姿に視線を逸らす。
それにしても、こういった形で皆による食事というのは初めてで心が躍る。コップに注いだ烏龍茶を飲み、
楽しそうに鼻歌を歌って焼きあがるのを待っていると、
「ファナ、ほら」
アキアスが皿を差し出してきた。
ぽかんとした顔でそれを見たらくいっとさらに突き出すように渡してくるのでとりあえず受け取ると、焼けたてほやほやの肉がどどん、
と他の野菜と共に載せられる。
香ばしい匂いと肉の表面から滲み出る脂が空腹を刺激し、口の中に唾液が次々分泌され溢れてしまいそうだ。
「今日はお前が主役だからな。最初に焼けた奴を食うのは当然の権利だろ」
「え、え……わ、わたしが食べていいんです、か?」
きょろきょろと皆を見回して不安げに問う。
特にトラベロは空腹で仕方ないだろう、自分は我慢できるし彼に譲ってあげた方がいいんじゃないだろうか?
という視線を向けると、トラベロはにこりと笑ってファナリヤに食べるように促してくる。
主役なんですからと、そう言って。
「じゃ、じゃあ……いただきます」
恐る恐る箸を手に取り、一口。
一噛みすれば肉汁がぶわ……と口の中いっぱいに広がり、肉の柔らかさと脂と共に奏でるハーモニーがたまらない。
「…………おいしい……っ!」
その一言を漏らさずにいられる者が果たしているだろうか。幸せそうに頬張るファナリヤの顔は満面の笑みを浮かべていた。
それは恐らく今までで一番の笑顔ではないかと錯覚してしまう程。百点どころか二百点満点の笑顔である。
「あああああああおいしそううううう……」
「トラベロ、トラベロ」
「はいっ!!!」
レヴィンがどうぞ、と目で語りかけてくる。
彼の手によって差し出された肉の載った皿を、トラベロは目を輝かせて丁寧に丁寧に受け取った。
「……ありがとうございます…………ありがとう、ございます…………ッッ!!!」
「あ、ああ……どう、いたしまして?」
その姿はさながら王から直接褒美を賜る一兵卒の如く、かなり大げさな動作でレヴィンはどう反応すればいいか困った顔。
しかしそんなこと、今のトラベロには見えるハズもなく頂いた肉を早速一口頬張る。
「…………」
感動に口を抑え、皿を机に置いて黙って親指を立てるトラベロ。
どうやら言葉に言い表せないぐらいおいしいと言いたい模様。
跳ねっ毛が先程以上にスピードを上げて動いている……彼もまた今までにない程幸せそうだ。
見ているこっちにまでおいしさが伝わってきて早く食べたくなってくる……と、いうタイミングで全員分焼き上がったようでレヴィンが静かに
肉の載った皿を各自に配った。
全員がメインディッシュにありついてますますバーベキューは賑わいを見せ、頬が落ちそうな程の美味に舌鼓を打ちながら積もった話が
次々に消化されていく。
レインの無茶ぶりをマリナが暴露したことによりレヴィンがかつてない笑顔でかつてない黒いオーラを放って全員で戦慄したり、
あの二週間の間にレヴィンが自分のせいだと延々落ち込んで布団に篭って全員で励まして、それがうるさすぎて怪我で寝ているアキアスが怒って
氣で作った針を投げつけた話だったり、スピルが予約していたゲームの発売日なのを思い出してそれだけは購入したいと抜け出そうとするので
全員で止めた話だったり。
……よくよく話をして見れば、引きこもっていた二週間もなんだかんだでやっていることはいつもと変わらない気がする。
だからこそ思う。
「みんな無事で、本当によかったですね……」
トラベロのその一言に皆が頷く。
下手すれば誰かがいなくなってもおかしくなかったと、余計に実感させられた。
だからこそ今日のような日を全員で迎えられたことはとても喜ばしく、幸せなこと。
故にこの楽しく賑やかな雰囲気に割って入ることになろうとも、ファナリヤは言わねばならぬことがあった。
少しだけ息を呑んで、意を決して口を開く。
「……ごめんなさい」
「へ!?どうしたんですかファナリヤさん、急に」
「ファナリヤちゃんは何も悪いことしてないでしょ?謝らなくていいのよ?」
心配そうにトラベロとマリナが返す。
自分のこととなると一番、真っ先に心配してくれるのはやはりいつもこの二人だ。
それはとても嬉しく、ありがたい。
でも、だからこそ謝りたいということを口にして伝えなければならないとより決意は硬くなる。
「ううん、わたし……たくさん心配と迷惑をかけちゃいましたから。
自分の気持ちばかりで、皆さんがどう思うかなんて全く頭になかった。わたしの考えが甘かったんです。
勝手に思い込んで、勝手に思い悩んで……その結果連れて行かれてしまった。
あの時の皆さんの言ってることや考えを理解できなかったわたしの責任でもあるんです。本当に、本当にごめんなさい」
深々と皆に頭を下げる。
そう、全てはあの時の自分の行動が浅はかだった故に招いてしまったこと。
第三者に噛み砕いてもらわなければ疑ってかかっていた程の自分の浅慮さが何よりもの原因なのだ。
それを痛い程に思い知らされたからこそ、今度は皆に迷惑をかけない自分になりたい――その自分へ変わる為のけじめ。
皆が彼女の決意を汲み取ったのか、あるいは上手い返しを思いつけないのか黙し、人によっては少しだけ戸惑いを見せるがあの時一番強烈な言葉を吐いた張本人は。
「……別に謝んなくていいぜ、お前がそこまでわかると思って言ってねえし」
……と、ストレートな言葉を投げつけた。
「え?」
「ちょっ、アキアス!」
「あ、アキアスさん流石に言い方が……!」
ファナリヤは思わず頭を上げる。
余りにものはっきりしすぎる言葉にレヴィンとトラベロが思わず間に割って入るが、ファナリヤは二人の服の裾を掴んで首を振った。
自分は全く気にしてませんと訴える。
今ならアキアスの言葉の裏に隠れた本当の気持ちがわかる。
正直に言うとファナリヤは彼が苦手だった。いい人であるということはわかっていたが、言動にどうしても苦手意識を覚えてしまう。
そのはっきりしていて、かつ人に突き刺さる程の言葉からどうしても近寄り難かった。
そしてそれをアキアスも察していたのだ、でなければ今こんな言葉が返ってこないだろう。
ファナリヤがエウリューダの方を見ると、くすくすと困ったように笑っている。
彼の笑顔はそれを裏付ける有力な証拠に等しい……そして。
「……悪かったな、あんな言い方しちまって」
「……え……?」
「――無事でよかったよ」
それは思わぬ言葉の返し。
告げる顔は今までに見たことがない穏やかな微笑。
本心からの言葉、捻くれたフィルタも何もないありのままの彼の想い。
「はい。ありがとうございます」
「……ん」
ファナリヤがにこりと笑って礼を言うと、アキアスは恥ずかしそうに顔を背ける。
あ、照れてるとエウリューダが笑うと途端に顔を赤くして違うと狼狽え始め、マリナとスピルがそれに便乗してアキアスをからかう。
そうしてまた先程までの騒がしい空気に戻り、パーティの賑わいはより一層に。
時間の経過も忘れて食べて、飲んで、歌って、遊んで、それが終われば片付けて……
気づけばすっかり夜になっていた。
ふと携帯を見れば時間は午後23時、日付が変わる一時間前。
「…………みんなせっかくだし、泊まってく?」
スピルがぴ、と指を立てて提案してくる。
「え、でも僕、宿泊用の準備してないですけどいいんですか……?」
「もちろん――あ、マリナ。泊まるならちゃんと親御さんに連絡しなよ?」
「え、してるけど?あたし泊まる気できたわよ、酒の一杯も飲めずに帰れるワケないでしょうが。トラベロ君も飲むわよね?ねー?」
「あ、はい!あんまり強いのは無理ですけどよかったらお付き合いしま……レヴィンさん、レインさん……?」
朗らかに受け答えしてるトラベロとは正反対に、顔を真っ青にしてこっそり逃げようとしている成人男性約二名。
逃がすかとその肩をがし!と力を込めて掴み、マリナはにっこりと笑う。
「おい二人共。逃げられると思ってんのか?ああ?」
「思いた…………お、思ってない…………です」
「ですよね……はは……」
この二人の反応、明らかに尋常ではない。
いったいマリナが酒を飲むと何が起こるというのか、少し背筋に寒気が走るトラベロにアキアスが静かに合掌する。
「あのアキアスさん、どうしたんですか」
「安らかに眠れ、骨は拾ってやる」
「ちょっと待ってくださいどういうことですか!?」
「だ、大丈夫だよトラベロ君は、マリナさんの可愛い子リストに入ってるし……まあでも、頑張れ?」
「エウリューダさんまで!?」
皆して何も語らない。
スピルに説明を求めると我関せずと言うかのように部屋に案内し始めている。
レヴィンとレインは青ざめた顔ですぐわかる、とトラベロに語り、アキアスとエウリューダはそそくさとファナリヤを連れて
スピルについていくではないか。
「さっトラベロ君、いきましょ!二人が場所知ってるから案内してくれるって♪」
満面の笑顔でトラベロの肩を優しく掴むマリナ、しかしそれがとても怖い。
「(ちょ、ちょっと!!どういうことか教えてくださいよぉ――――――――っっっ!?!?!?)」
流石に声には出せず心の中で叫びながら、青ざめた双子と共にトラベロは引きずられていったのであった。
「……失礼致します」
深夜、一人の侍従が部屋を訪れる。
ノックをすると待っていたというかのようにすぐさまドアが開き、スピルが顔を出して中へと促すと、会釈をして中へ。
月明かりだけが彼らを照らす闇の空間で、静かに静かに会話が始まる。
「……どうだった?」
「やはり二週間ほど前から"リベリシオン家"の者がまた事務所付近を調べて回っているようです」
「やっぱりね……全くしつこいな、彼らはもうあっちの人間じゃないって何度も……」
「このままではレヴィンゼード様とレイディエンズ様……お二方とその周囲がまた被害に見舞われるのは時間の問題かと。如何なさいますか」
「……もう少し様子見がいるかもしれない。一応護衛は手配しておいて。
彼らの身の回りの安全の確保を最優先、ただし二人には感づかれない動きを心がけて」
「畏まりました」
要件を終えた侍従は再び会釈をして部屋を去る。
足音が聞こえなくなってからスピルは大きく溜息をついた。
「……全く。しばらくは平和だろうと思ったらコレか」
苛立ちを隠さず吐き捨てる。深夜の自室だ、いくら汚い感情を垂れ流そうとバレることはない。
少々乱暴に殴りつけるかのようにベッドに寝転がり思案して、苛立ちからロクに頭が回らないので諦めて寝ることにした。
――今、二人は何をしているだろう?
幼なじみに付き合わされて未だ眠れない?それとも何とか抜け出して寝ているかな?
もしくは酒を飲みすぎて潰れているか……
ああ、彼らにはそんな小さなハプニングだけが見舞われるべきだ。
何気ない日常の中で少しだけ運が悪いことが続いて、今日は厄日だな、と嘆くぐらいで良い。
大人になる為の準備を何もさせてもらえなかった二人の子供に、何故天は試練ばかり与えるのだろう。
「……やっぱり僕は不甲斐ないなあ」
またも防げなかった事態と自らの手の行き届かなさを嘆いて、訪れる睡魔に身を委ねた。
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