第十六節
「ようこそ、マグメールへ」
淡々とした、少年とも少女ともとれる声がファナリヤを出迎える。
明らかな警戒心と僅かな怯えの色が一滴の冷や汗となって彼女の頬を滴り落ちた。
あの後、意識が戻った時にはそこは既に帰り道でもどこでもなく、どこかもわからぬ施設の部屋の一室。
その時点で自分は連れ去られてしまったのだと理解せざるを得なかった。
トゥルケと別れた後、知らない間に敵の罠に嵌まってしまっていたのだろうか。それとも……いや、それを考えたところで後の祭りだ。
それよりも今はどうすればいいのか。
「……」
そんな彼女を冷たい瞳が突き刺すかのように見つめる。
目の前にはこの前相対した青い髪の男が立っていた。何も告げることなく、言葉を発することなく、ただただこちらを見つめている。
その視線からはもちろん、男が何を考えているかなんてわかりはしない。
「考えが気になるなら、心を読めばいいじゃないですか」
「……っ!」
唐突に耳元で少年が囁き、ファナリヤは反射的に神秘力で髪の毛を鞭のようにしならせた。
顔面を捉えたかのように思えたが、すぐにその姿はゆらめき溶けて消える。
「おお、怖い怖い」
壁にもたれかかっている"狂人"の少年はくすくすと笑う。
ファナリヤの顔は先程以上に怯えの色を見せ、身構える。
この少年にされたことは嫌でも忘れられない。またあの時のような目に遭わされるかもしれないと思うとこうして身を護ろうと体が勝手に動く。
そんな彼女の前に一人の男が立った。フードで顔を隠した男だ。
諌めるかのように入ったこの男に舌打ちをしてエイヴァスは不機嫌そうに姿を消した。
「……うちの幹部が失礼をしました。お詫びします」
「あ……」
頭を下げる男にいえ、とファナリヤは首を振った。
この男……たしかジョン・ドゥだったか。彼の声がどうしても自身の知る人物と同じにしか聞こえず警戒心を抱ききれない。
帽子とフードの隙間から覗かせる瑠璃色の瞳も既視感がある。
もしかしたら本当に……そう思ったが敢えてその疑問から目を背けた。
やり取りが終わった後、黒衣の人物がファナリヤに向けて口を開く。
「……ファナリヤ・カナリヤ。早速ですが貴女に一つして頂きたいことがあります」
「……嫌です、って、言ったら……?」
「答えは既に貴女の中にあるのではないですか?」
その返しはつまり、拒否権はないということ。
わかりきっていたが、何をさせられるのかという不安を感じて額に脂汗が浮かぶ。
黒衣の人物が口を開く前に、首領たる男が踵を返し奥へと歩を進め始める。
「……こちらへ。然程時間のかかるものではありません。説明は着いてから致しましょう」
黒衣の人物はそう告げて男に続く。
ファナリヤはそれを訝しげに見つめ、足を踏み出そうとはしない。
何かの罠かもしれない。それこそまたあの狂人が潜んでなどいたら……
「大丈夫です。貴女に危害を加えるようなことではありません」
「……で、でも……」
「今は首領とノーウィッチ様に従ってください。貴女の身を護るためにも」
真っ直ぐこちらを見て告げる。
ジョン・ドゥのその言葉が嘘か否かは、ファナリヤでもわかる程にこちらを見つめる瞳の曇りなさが証明していた。
例え嘘だとしても彼の発言通り従うしか今のファナリヤには選択肢が存在しない。
ごくりと唾を呑み込み、先導を始めたジョン・ドゥに続いた。
「すみませんっ!ええっと、これぐらいの身長で長いピンクの髪の毛の女の子を見ませんでしたか!?」
「ううん、ごめんなさい。見かけてないわ」
「そう、ですか……ありがとうございました!」
頭を下げてトラベロは街道を急ぐ。
道行く人に片っ端から声をかけ、手がかりがないかひたすら探し続けた。
「(ファナリヤさん……どこにいっちゃったんですか……!)」
――ファナリヤが帰ってこない。
夕方頃散歩に出かけてくると言ってから帰ってきていないとマリナから連絡があり、全員で手分けして探すことにしてから早2時間近くになる。
路地裏、人気のない公園、心当たりの有無を問わずくまなく探すがファナリヤを見かけたという情報は未だ掴めないまま。
それどころかレインの《千里眼》やアキアスの《氣力昇華》にも引っ掛からない。
ただ道に迷っただけなら二人が見つけるのは容易いし、何よりファナリヤ自身から連絡が届く。
しかし、それでも見つからないということは。
「(もしかして、マグメールに……)」
最悪の事態が頭を過り、思考を振り払うかのように頭を勢いよく横に振る。
暗い考えを出している暇はないと言い聞かせ、再び足を動かして交差点へ。
会社帰りのサラリーマン、部活帰りの学生、飲んだくれの男共、様々な人が各々の帰路についていく夜の街を注意深く見回した。
が、彼女らしき人物は見えない。
あれだけ長い髪の毛だ、夜の街であろうと目立つハズだと目を凝らし続けてもそれは変わらない。
ひたすら走って、道行く人々に訪ね、横断歩道を全て渡りきったところで膝に手をつき息を切らす。
「……ファナリヤさん……いったいどこに……!」
途方に暮れざるを得ない現状に唇を噛みしめているとピリリとアラームが鳴る。
もしかして彼女か――一瞬そう期待したが、電話の主は彼女のものではなく仲間だった。
いや、きっと自分と違って何か情報を手に入れているかもしれないと別の期待を抱いて電話に出る。
『もしもし、トラベロさん?』
「レインさん!何か、何かわかりましたか!?」
『いえ……残念ながら』
「……そう、ですか……」
『すみません……ですが探し始めてから大分時間が経過しています、一度合流して各々の結果を共有しましょう。
丁度、全員ここの交差点近くにきているようですし何か掴めた人もいるハズです。トラベロさんはその場で待っていてください』
「わかりました」
電話を切り、訪れる仲間を待つ。
誰か、せめて誰か手がかりを掴めていますように……そう願うが、レインからの連絡で何も得られなかったということに再び最悪の予想が頭を過る。
何せ情報収集に特化した彼の神秘力を以てしてもファナリヤの行方は知れぬままという事態なのだ。
が、いくら不安になろうと歯痒く思おうと焦ろうとできることは何もなく、今はただ仲間たちを待つだけしかない。
トラベロは深く溜息をついて街行く人の群れを見つめる。
もちろんファナリヤの姿は見えないが、この近くに皆が集まっているのは本当なようで、先程の電話の主が一番にこちらへと向かってきていた。
彼には自分の姿が見えているだろうとは思うが、一応手を振った方がいいだろう。
「レインさ――」
刹那、トラベロの視界がぐらりと揺れる。
「え……?」
頭に強い衝撃が加えられたかのような痛みと気持ち悪さに襲われ、意識を保つのがままならない。
「ト――さ――――ト――ロさんッ!!」
レインの声が聞こえる。……ような気がする。
反応することもできず、そのまま視界が暗転すると共に意識を手放す。
手放す直前、何かが自分の身体を抱きとめたような気がした。
「(――いったい、何が……!?)」
レインは唖然とした顔で立ち尽くす。
トラベロが声をかけようとしているのを捉えた直後、急に彼が頭を殴打されたかのように頭から前のめりになったかと思いきや
その姿が急に跡形もなく消えた――というのがレインの目に映った光景である。
突然の出来事に流石に驚きと戸惑いを隠せないが、ただ一つだけ確かなことがあるのは理解できた。
……こんな現象は、神秘力なしに起きるようなものではない。
「(……間違いなく神秘力によるものだ。そしてトラベロさんに手を出す神秘力者なんて限られている……――まさか)」
レインの思考は最悪の事態を回答として導き出した。
もし自分の推測が正しければ、ファナリヤは……そして、今トラベロが消えたのは。
「レイン!!」
自分を呼ぶ声に現実に引き戻される。
……レヴィンだ。急いできたと言わんばかりに息を切らしてこちらへと駆けつける。
その数秒後焦ったような顔でアキアスが駆けつけ、その後ろからエウリューダ。スピルとマリナも三人に遅れてやってきて合流を果たす。
そして全員が全員何があった、というような表情を浮かべて辺りを見回す。
皆トラベロが先にこの場にきているというのはレインからの連絡で聞いていたが、そのトラベロ本人がどこに見当たらないのだ。
「ほ、ホントだ……トラベロ君がいないよ!」
「嫌な予感がしたが案の定かよ……くそっ!」
アキアスとエウリューダの発言は状況を説明するまでもなく事態が急変していることを全員に理解させ、
レインの中にある最悪の事態の可能性を裏付ける。
「どうしてトラベロが……まさか、マグメールの」
「そんな!じゃあもしかしてファナリヤちゃんは……!!」
レヴィンとマリナも最悪の可能性に目をつける。
アキアスとエウリューダは言うまでもなくだろう、アキアスの神秘力によりレインと時を同じくしてトラベロが消えたのを知っているハズだ。
全員が動揺と焦りの色に染まる中、スピルは状況を見つめて思考する。
「レイン。この状況、どう捉えた?」
「言わずとも」
「だろうね。……一旦事務所に戻って状況を整理しよう」
「ええ。急ぎ、作戦を立てなければなりません」
「……うう、ん……」
トラベロは意識を取り戻した。
重い瞼をゆっくりと開くと、日光が目に入り眩しさに目を細める。
頭がまだ少しくらくらする……
「ここ、は……?」
ゆっくりと起き上がり、辺りを見回すとそこは全く見知らぬ場所だった。
ぼうぼうに生えた草、蜘蛛の巣がそこかしこに張られているフェンス、
そして酸化ですっかり錆びてしまったコーヒーカップやジェットコースターの線路。
それらから恐らく廃園となり放置されている遊園地であろうということは理解できる。
しかし何故自分はこんなところにいるのだろうか。
確かあの時、自分は街道で仲間たちが合流するのを待っていたハズだったのだが……
「(そうだ、あの時急に頭に何かが当たって……)」
急な衝撃を受けたのまでは覚えているが、今目が覚めるまでの記憶は全くない。
恐らくあのまま気絶してここに放置された、という説が有力だろう。
つまり、自分は何者かによって連れ去られた。
そして、そんなことをする相手は限られている。
「(……間違いなくマグメールの仕業、だよね……でも、何で僕を……?)」
何故、ファナリヤではなく自分が連れ去られたのか。
何か別の意図があってなのか、それとも……考えたところで答えなど出るハズもなくどう動くかに思考をシフトさせる。
ともかくここを出て、皆の下に帰ってファナリヤを探さなければならない……まずは出口を目指すことにし、一歩一歩踏み出していく。
施設はどこもかしこも錆び朽ちており、花壇も全く整えられてない状態が何年も経過しているかのように見える。
廃園になったのは随分と前なのだろう、園の案内図を見つけたはいいが文字どころか図形すらロクに見れるものではなく、歩いて探すしかないようだ。
しかし非常に規模の大きな場所でもあるようで歩いても歩いてもキリがない。
かれこれ20分近く歩いても一向に出口がわからない程の規模の大きさにトラベロは大きく溜息をついた。
「……お腹すいたなあ……」
ぎゅるる、と腹の虫が大きく鳴る。
そう言えば昨日は夕食を取っていないのを思い出し、トラベロはぐったりとして顔を俯けた。
すると、自分の足下に何かが落ちているのが見える。
「……?何だろ――」
地に落ちているそれを手に取り、目を凝らす。そしてトラベロは思わず息を呑んだ。
「――これっ、ファナリヤさんの……!!」
拾った物は赤黒い薔薇の髪飾り。ファナリヤが常に身につけていたものと全く同じものだった。
別人の物であるという可能性はまずないと見て良かった。このような廃園に落ちているには不似合いな程に傷一つ汚れ一つない。
これがここにあるということは、つまり。ファナリヤは――
「(皆さんに知らせなきゃ……!!)」
急いでポケットから携帯を取り出し、電話帳を開きアクセスをかけようとしたところでぴたりと手を止める。
「(……あれ、何かおかしくない?)」
携帯は紛れもなく自分の物だ、特に弄られた痕跡もない。
しかしそれが凄く違和感だった。
自分がマグメールに連れ去られたなら、普通は外部への連絡手段を断たれるハズ。なのにこうして外部との連絡手段が残されている。
そして、ファナリヤの手がかりがこうしてこの場に存在して、それを自分は今手にした。
――もしかして、ここで連絡を取るのは悪手じゃないだろうか?
そんな予感がしてトラベロは一旦携帯と共に髪飾りをポケットにしまって再び出口を探し始める。
連絡をするならまずはここから脱出した方が良いだろうと急いで朽ち果てた遊園地の中を進んでいく。
「ねえ、おにいちゃん」
「!?」
ふと後ろから少年の声がして思わず振り返る。
……誰もいない。
こんな場所に人なんているワケがないだろう、気のせいかと呟いて再び前を向く。
どことなく気味の悪さを感じ、先程よりもより足早に進もうとした時、少年の声が再び響く。
「ボクはここだよ、おにいちゃん」
今度は背後からではなく真横から聞こえてくる。
目を向けると、丁度自分が通りがかった朽ちたメリーゴーランドに一人の少年が座っていた。
パーカーのフードを被り、不気味な人形を大事そうに抱いてくすくすと笑っている。
何故、子供がこんなところに……?
「ねえおにいちゃん。ボクと遊ぼうよ」
「遊ぶ……?」
「うん、鬼ごっこ。ボクたち・・が鬼をやるから、おにいちゃんは逃げてね?」
「……ボクたち・・・・……?」
「ボクたち、鬼ごっこは得意なんだあ……あははっ」
にやりと笑う少年を灰色のオーラが包み込む。
「(神秘力者……!?)」
トラベロは急いでその場から逃げ出した。
正直頭の理解が追いついてはいないが、今逃げなければ自分がやられるのだけは確かだった。
先日かけられた封印も解けてはいない。この期を逃せば間違いなく……!
出口など考えている暇はなく、とにかく少年の視界から入らないぐらい遠くへとひたすらに走る。が――
「いったっ!?」
何かに足を躓き、その場に転ぶ。
起き上がり目を向けると、そこには先程の少年が抱えていた人形と同じそれが地面に横たわっていた。
そしてそれはぐい、とこちらに顔を向け、ゆっくりと起き上がり始めるのだ。これがあの少年の神秘力なのだろう。
不気味な見た目故におぞましく見えて息を呑むが、腰を抜かしている暇などない。急いで立ち上がって再び走り出す。
それと同時に人形も起き上がり、トラベロ目掛けて一目散に走り出した。
それは物とは思えぬスピードでこちらへと勢い良くこちら側へ飛び込み、手に持った草刈り鎌を思い切り振り下ろす!
「うわああっ!?」
再び何かに躓き転び、同時にポケットから携帯が転がる。
幸いにもそのおかげで回避できたが地面がひび割れるような音がして恐る恐る振り向く。
人形が鎌を叩きつけた地に小さなクレーターのようなものができており、その中心に深く鎌が突き刺さっていた。
あんなもの、喰らえば絶対にタダでは済まない。
人形は幸いにも鎌を引き抜くのに躍起になっている、携帯を拾う余裕もあるハズだ。
今のうちに携帯を拾って逃げ出そうとするが何者かに足を掴まれ再び転ぶ。
鎌を持っているのと全く同じ容姿の人形が逃がさまいとこちらの足にしがみついていた。
そしてさらに背後から羽交い締めにされ動きを封じられてしまう。
しかしてそれで諦めるかと言われるとそんなワケもなく、何とかして振りほどこうとひたすらもがく。
「(神秘力さえあれば何とかなるのに……っ!)」
念じても封印されている神秘力は発動されない。
今が一番この力が必要だという時に限って使えないという現実がトラベロの前に大きく立ちはだかる。
「つーかまーえたあ」
少年が鎌を持った人形の後ろから人形を抱いてやってくる。
その後ろにはまた同じ人形がずらりと並び、少年の合図を待っているかのように佇んでいた。
斧にナイフ、くわ、鉈……様々な凶器を構えて皆一様にトラベロへとその不気味な顔を向けるその光景は軽く狂気的だ。
「おにいちゃん鬼ごっこ下手だねー。早く終わっちゃってつまんないよ」
くすくすとこちらを小馬鹿にするように笑うその顔は正気というものが感じられない。
「思ってたより早く終わっちゃったから……解体ショーやっちゃおうっと」
瞬間、人形たちが一斉にこちらに向かって構えを取る。
トラベロはますます顔が青ざめ、拘束を振り解こうと躍起になるも人形との力関係がそう簡単に覆りはしなかった。
それどころかじたばたと動くなというかのように人形のこちらを締め付ける力が強くなり、激痛を感じて小さく呻く。
何でこんな時に限って力が封印されたままなのかと自分を嘆いても状況が変わるワケもない。
人形はこちらの反応を楽しむかのようにゆっくりとにじり寄ってくる。
このまま人形の行動を許したら待っているのは間違いなく、死。その一文字である。
――ああ、僕死ぬかもしれない。
そう思った瞬間、いつぞやかのように自身の置かれた状況には相応しくない程頭が冴えてきた。
慌てすぎた果てに一転回って冷静になるというのはまさにこのことか。
いや、そんなことはどうでもいい。今はとにかく、この状況を打破する何かを考えなければ。
……力も使えない状態で打破も何もあったものではないが、今のトラベロの思考はただ一つ。
「(ここでやられるワケにはいかないんだ……!!)」
早く皆の下へ帰らなければ。早くファナリヤを探し出さなければ。
今、自分の手には彼女の手がかりとなるものがある。ここでやられてしまったらそれを渡すことすらできなくなるのだ。
手がかりが渡せなかったら、ファナリヤはこのままマグメールに連れ去られたままかもしれない。
望まぬことをさせられ続ける日々を送るかもしれないし、初めて会った時のように怯え続けなければいけなくなるかもしれない。
そんなことは絶対に嫌だった。
あの時と同じような死ぬわけにはいかないという使命感が諦めないという意志を形作る。
「おにいちゃん、そんなにじたばたしたらもっと痛いよ?」
そうして足掻き続けるトラベロを嘲笑うかのように少年が笑うと、人形がますます力を込めて身体を縛り付ける。
みし、と骨の軋む音がしたがお構いなしにトラベロはなんとしてでも抜け出そうと暴れ出す。
するとまたさらに人形が力を入れて骨の軋む音が響くが、それでもトラベロはまだまだ暴れ続けた。
正直締め付けられすぎて感覚がなくなってきている気がするが、そんな状態とは思えない程に力が溢れてくる。
段々と骨が潰されようとしているにも関わらず藻掻く姿が少年には異様に見えたのか青ざめた顔で口を開く。
「何この人。気持ち悪い……もうショーはいいからさっさと殺しちゃおうっと」
少年がかるく手を挙げると、武器を構えた人形がゆっくりと近づくのをやめ武器を構えて一斉に突撃を始める。
「僕は……っ、僕は、皆の下に帰らなきゃ……!!!」
陽の光を受け煌めく鈍色の刃が視界に入るが、それでもトラベロは最後まで諦めるつもりはない。
何でもいい、突破口を開ければそれで構わない。
刃がこちらに突き立てられるまでに、何か――!
「帰るんだ……そしてっ、ファナリヤさんを……助けにいくんだ!!!!」
最後の力を振り絞るかのように叫んだ瞬間。
――ぱきん。
と、何かが自分の中で砕けるような音がした。
まるで扉にかけられていた錠前が壊れたかのような鉄の砕けるような音。
その音が脳内に反響したその時、目の前に刃を突き立てようとしていた人形が突然激しく燃え上がった。
「な、何っ……!?」
少年が驚いた顔で一歩後ずさる。
トラベロも目を見開いてその光景を見やる。
人形は激しく燃え上がり続け、やがては持っていた凶器と共にドロドロに溶けた蝋と化した。
「き、聞いてないよこんなの!今日が封印が解ける日だなんてノーウィッチ様言ってなかったのに!!」
「!」
少年の言葉にもしや、と思いトラベロは横目で自身の手を見る。
鮮やかなオレンジ色のオーラがはっきりと見える……それも、以前の自分のそれよりは遙かに色濃く、強いオーラだ。
つまり今の人形の発火現象は自身が引き起こしたもの――神秘力の封印が解けたのだ。
こんな土壇場で、こんなタイミングで封印が解けるとはと思わずトラベロは顔を引きつらせて笑う。
「は、はは…………僕、悪運強いんだな」
あまりにもできすぎたタイミングにそう呟き、使えるようになったばかりの神秘力を発動させて自身を締め付ける人形の腕を焼き切る。
やはり人形なだけに火には弱く、ものの数秒程で人形の手はどろりと蝋を溢れさせて地に落ちた。
力の拘束が解け、急に身体が軽くなったおかげでトラベロはまたその場に転ぶが、すぐに立ち上がりその場に落ちた携帯を拾う。
そこで呆然としていた少年もやっと我に返ったのか、焦りを浮かべてまだ残る人形たちを動かし向かわせる。
これ以上は近づかせまいと、トラベロは神秘力で炎の壁を眼前に作り上げた。
すると目の前の人形たちは少年の合図に従いぴたりと動きを止める。
数秒ほど様子を見て炎の壁を前に為す術もないと判断し、再び逃げ出さんと走り出す。
それと同時に、足から激しい痛みが走り苦痛に顔を歪める。
先程の骨の軋む音は気のせいではなかったようだが、そんなことに構う暇はなく少しでも距離を引き離そうと前へ進む。
しかし痛みは確実に弊害をもたらし、最初の時よりスピードが出せないどころか一歩一歩踏みしめる度に激しく痛み、
走るどころか歩くことすらままならなくなってきた。
「っ、はぁ……はぁ…………っ」
再び逃げ出してから二分とかからずその場に膝をつく。
息を切らしながら振り向くと、未だに自分の作り出した炎の壁は目の届く距離に存在している。
まだ消える気配はなさそうだ。今のうちに少しでも進まなければ……
と、思った矢先に炎の壁に突然大量の水が降り注がれあっという間に消え去ってしまう。
「な……!?」
呆然とその光景を見ていると、炎の跡から人形たちが次々とこちらに向けて走ってきた。
――ヤバい、早く逃げなきゃ!立ち上がろうとするが激痛がそれを阻む。
立てないなら這いずってでも逃げるまでだとそのまま身体を引きずって進もうとすると同時に人形が一人こちらへ向かって思い切り跳躍。
その手に持つ斧を思い切り振り下ろす!
「《燃え盛る煉獄》!」
声高に自身の力の名を叫び、トラベロは炎を盾のように展開。
斧が炎に触れると同時に人形はドロドロの蝋と化し、斧だった残骸と共に目の前に落ちる。
そのまま盾のように炎を展開していると、また大量の水流が突然真上から襲いかかった。
「わ……ぷっ……うあっ!!」
そのまま水流に押し流されるように吹き飛ばされ、地面に強く身体を打ち付け激しく咳き込む。
「よくもボクの大事なお友達をやってくれたね……許さないよ……!!」
人形の群れの中から少年が怒りを露わにして現れる。
翳された手の周りを踊るように水がうねっている……どうやらもう一つの神秘力を行使したらしい。
トラベロの頬を冷や汗が伝う。彼にとっての唯一の抵抗手段が封じられたも同然だった。
――炎は決して、水には敵わない。抗えぬ自然の摂理という壁がここで目の前に立ちはだかる。
頭はまだ回るが、これ以上考えても突破口は開けない。
身体は先程の攻撃が決め手になったのか起き上がるのすら辛い程に痛い。万事休すという四文字が脳裏に浮かぶ。
身動きもままならず、敵の攻撃を防ぐ術もなくなったトラベロに、少年の合図で一斉に人形が飛びかかる。
「(ああ、ここまでなのか……)」
目を瞑る彼に、数々の凶器が振り下ろされた。
「…………??」
トラベロは妙な違和感を覚えた。
身を斬られた、抉られたという感覚がない。一切感じられない。
もしかして感じる間もなく天国に逝ったのかとも思いながら恐る恐る目を開ける。
そこには武器を振り下ろそうとして固まっている人形たちの姿。
奥側で人形を操っていた少年も何が起きたんだというような顔で同じように動きを止められており、まるで彼らだけ時間が停まっているかのような光景が広がっている。
いったい、何が起きたのか?呆然として思考が追いつかない状況に割って入るかのように背後からエンジン音が聞こえてくる。
こちらに向かってきているようだ、音楽記号のクレッシェンドを表現するかのようにボリュームが上がり、思わず耳を塞ぐ。
それと同時に音の主が姿を現し、トラベロの真上を飛び上がった。
……一台のバイクだ。どうやら二人程人が乗っており後部座席に座っている人物がバイクを踏み台として思い切り身を乗り出す。
そして群がる人形たちに向けて真っ直ぐに、何トンもの錘が落ちてくるかという程の驚異的なスピードで降下と同時に蹴りを見舞った。
固まった蝋が砕ける音と共に人形が次々に崩れ落ちていく。
蹴りの主が着地した時にはその周囲に底の浅いクレーターが生まれており、トラベロの目の前ギリギリまでそれは広がっていた。
こんな光景を見れば通常、顔が青ざめてもおかしくないが彼は違った。
天の思し召しがきたかと言わんばかりに驚きと安堵が混ざった笑みを浮かべ、目の前に降りてきた人物の名を叫んだ。
「れっ……レヴィンさんっ!!」
「……間に合ってよかった」
そう告げてレヴィンは彼なりの柔らかい微笑みを向ける。
どことなくぎこちなさを残すその笑顔にトラベロはより安堵の息をつく。
今この時程、彼のこの顔が頼もしく、心強いと思ったことはない――普段から頼りになるのだが――。
「なっ、何!?何だよ!こんなことになるなんて聞いてない!!!」
少年はその場に縛り付けられたまま叫び、神秘力を行使する。
手に抱いた人形から蝋が大量に吐き出され、同じ姿の人形が次々に生み出され一斉にレヴィンへ突撃していく。
十数体もの相手が飛びかかるこのような状況は客観的に考えれば不利に見えるが、これに対しレヴィンは神秘力を使うことなく反撃に出た。
まずは最初に飛びかかった一体の拳を左手で安々と受け止め、腹部に蹴りで風穴を開ける。
いとも簡単に蝋が砕けるその様に少年どころかトラベロも驚愕しているが、お構いなしに次に飛びかかった三体のうち一体の腕を掴み、
武器のように思い切り振り回す。
至近距離にいた二体は武器にされた人形によって砕かれ、かろうじて上下が繋がっているかというような状態で崩れ落ち、
武器であったそれは地面に叩きつけられ動かなくなった。
「ひっ……!!」
呼吸一つ乱さず、自身の戦線を崩すことなく襲いかかる人形を一体また一体と仕留めていくその姿に少年は息を呑み、もう一つの神秘力を発動させる。
目の前の水素と酸素を繋ぎ合わせたかのように水が生み出され、洪水のような勢いでレヴィン目掛けて放つ。
「(……避けられないか)」
後ろにはトラベロがいる、今避けたら彼に直撃は免れないだろう。
レヴィンは神秘力を使い、自身にかかっている重力を強めた状態で水の放射を受け止める。トラベロを護らんと自身を盾にしたのだ。
重力補正をかけたことによりいくら水流をその身に浴びてもその場から動くことはないが、ダメージは確実に受ける。
「れ、レヴィンさん!」
「大丈夫だ、これぐらいすぐに治る……!」
心配そうに自身を呼ぶトラベロに振り向かぬまま返答。
《治癒円域》――レヴィンのもう一つの神秘力は耐えず発動している。ダメージを受け続けるとしてもある程度のリカバリーは可能だ。
だが少年がこの攻撃を止めぬ以上は一切身動きが取れない。そして、攻撃がこれだけで終わるハズもないと踏んでもいた。
そしてその予想通りに事態は進む。レヴィン目掛けて人形が水流の上を飛ぶように鉈を構えて襲いかかってきたのだ。
このままでは間違いなく直撃だが、避ける素振りは全く見えない。
……僕を庇ってくれてるせいだ!
トラベロは焦った顔で叫ぶ。
「レヴィンさん!!逃げてください!僕に構わず早く――」
「逃げるワケねえだろバーカッ!!」
「!!」
刹那、声が響いたと同時に人形に向かって真っ直ぐに人影が飛ぶ。
淡い光を纏った拳が胴体を貫くかのように打ち据え、真っ二つに割かれて地に落ちる。
長いアッシュブロンドの髪をなびかせ、その人物は着地と同時に拳に纏った淡い光をそのままエネルギー弾として発射。
水を放ち続ける少年に命中し、少年は数メートル程吹き飛ばされその場に転がり蹲る。
同時に攻撃も止み、重力を解除してレヴィンはその場に膝をついて後ろに立つ青年に振り向き口を開く。
「すまんなアキアス。助かった」
「今回はレインには大目に見てやるよう言っといてやるよ。まずは……」
アキアスの色の違う瞳が少年を見据える。
げほごほと咽せて起き上がる彼の手にある人形は先程の攻撃で粉々になっていた。
それに気づいた少年は絶望したかのような表情で人形だった残骸を拾う。
「あ…………ああ……お友達が……クライスがくれたお友達が……あ、あああ……」
フードが脱げて露わになった真っ白な瞳から大粒の涙を溢れさせ、少年はすすり泣く。
……完全に戦意を喪失したようだ。
その光景にトラベロは思わず罪悪感を抱きそうになるが、アキアスが声をかけてきたので考えるのをやめる。
「トラ、大丈夫か?立てるか?」
「……ちょっと、動けないですね。すみません」
「謝んなっつの。場所を変えっからおぶされ、それぐらいなら大丈夫だろ?」
「おぶるなら私がやった方が」
「今無傷な奴がやるのが妥当だろうが。レインにチクるぞ」
う゛、と声を上げてレヴィンが苦い表情を浮かべる。
――普段が普段だからこういう時でもレインさんに怒られるんだろうなあ。
そう思い苦笑しながら、トラベロはアキアスの背に身体を預けた。
「アキアスーっ!!レヴィンさーんっ!!」
それから場所は変わり、メリーゴーランド付近から離れた噴水広場跡。
トラベロをベンチに寝かせて治療しているレヴィンとアキアスの下へ一台のバイクがやってきた。
その後部座席からエウリューダがこちらへ向かって手を振っている。運転をしているのはスピルのようだ。
「!!トラベロ君っ!無事だったんだね!よかったぁ……!!」
バイクが停車し、トラベロの姿が見えるとエウリューダが一目散に駆け寄り、しゃがみ込んで安堵の息を漏らす。
スピルも心底安心したような顔を浮かべてこちらに歩いてくる。
「無事でよかった……間に合うかひやひやしてたところだったんだ」
「……すみません、心配かけちゃいましたね」
「そんなの気にしないでよー!ホントによかったよー……怪我してるの?大丈夫?」
「はい、レヴィンさんのおかげで大分楽になりましたから……あいたたっ」
起き上がり立とうとするが、足に痛みが走りベンチにぐったりと座り込む。
「多分骨までやられてる。しばらく無理に動かない方がいい」
「う、やっぱりですか……いたたたた……」
やはり人形に捕まった時無理して動いたのが祟ったようだ。
起き上がれるようになったはいいが、歩くのはしばらくできないのはどうしたものか。
レヴィンの神秘力はあくまで自然治癒を加速させるものだ、骨に影響があるとなるとすぐには治せないだろう。
「……スピル、どうする?」
「んー……あー、その前にトラベロ君。携帯持ってる?」
「え?あ、はい」
「ちょっと貸してもらっていい?」
「あ、はい。あっちょっと待って動くかな……あっ電源ついたよかった。はい、どうぞ」
ちょっとごめんね、と言ってロックの解除された携帯をスピルは慣れた手つきで操作する。
数十秒程するとうわ、と声を上げて顔を引きつらせ、それを見たトラベロは何があったのかと少し慄く。
「……あったあった。アンインストールアンインストール……」
「え、あの、僕の携帯に何か……?」
「いや、そのね?君が消えた後、レインが神秘力で君の携帯にハッキングかけて追跡アプリ入れたんだよ……」
「え゛」
2つ程とんでもない用語が聞こえたのを気のせいにしたかったが、スピルの表情から現実だとつきつけられてトラベロの顔が青ざめる。
レインの神秘力はそんなことまでできるのか。
「あの後残ってる全員で集まって色々と状況整理して作戦を立ててね。レインの推測通りなら携帯持ったままだからってことで、
僕たちがかけつけられたのもこれのおかげなんだ。もちろん見つけたらすぐに消してって言ってたし本人も謝る気満々だったからその、
大目に見てやってくれないかい……」
「あ、は、はい!大丈夫です!僕を助けるためにしてくれたことですから怒れませんし!……ん?あれ、じゃあファナリヤさんのにも」
「いや、彼女のにも同じことをしようとして弾かれたみたいだ。携帯そのものが壊れてるのか、充電が切れてるのか、はたまた……」
「そ、そうですか……あ、でも手がかり見つけたんです!これが落ちてて……」
トラベロがポケットから髪飾りを取り出すと、その場にいる全員が目を見開く。
「これは……!トラ、ちょっち貸してくれ!」
「ええ、僕もアキアスさんに見てもらおうと思ってたんです」
「……間違いねえ、ファナのだ。氣が残ってる。これなら――」
アキアスは神秘力を用い、氣の残り香からファナリヤの痕跡を辿る。
目を閉じて神経を研ぎ澄まし、彼女の氣を追いかけて、追いかけて……一分程して目を開く。
「……とうとうレインの推測通りになってきやがったぜ。ファナはこの下にいる」
「やっぱり、か……」
「え、ま、待ってください!下って、つまり地下ってことですか!?ていうかレインさんの推測って」
「ここまで全てマグメールの仕組んだ罠、かもしれないってことさ。端的に言えばね」
スピルの話によると、レインの推測の内容はこうである。
――まず、ファナリヤはマグメールに連れ去られたと見て間違いない。トラベロが連れ去られたのも同様。
二人を連れ去るとなるとそれ以外に可能性が見当たらない。
しかし、ただあちらの目的を果たすためなら因子を繋げる力を持つファナリヤだけを連れ去ればいい話でありトラベロを連れ去る理由がない。
なのにトラベロは連れ去られた……となるとこちらを誘っている、つまり罠である可能性が浮上する。
だが、二人を助け出すためにはその罠にこちらから乗るしか現時点手段はない。
この推測が当たっている場合、トラベロが連れ去られた場所を特定できるような仕組みを何かしら設けており、ファナリヤに関する手がかりか何が
彼の近くにあるハズだ……
「……で、きっと行こうと思えばこちらがすぐに乗り込める場所でもあるだろうというワケなんだ」
「……なる程、携帯を奪われなかったのはそういうことなら納得がいきます」
「で、明らかに罠だろうってことで本来なら一旦撤退したいところなんだけど」
「だけど……?」
「俺らがここにきたのと同じタイミングで、事務所にマグメールが突撃してるかもな」
「えっ……!?」
マグメールはこちらを分断させ、戦力を削いだ状態で叩き潰そうとしているのだろうか?
しかし、そうなると事務所に残っているのは戦闘能力のないレインと、神秘力者ではないマリナの二人だけ。
いくらマリナが並の神秘力者相手に渡り合える程の力を持っているとは言え……トラベロの脳裏に不安が過る。
「そ、そんな!じゃあ戻らなきゃ」
「いや、戻らずに私たちはそのまま敵の本拠に乗り込む。むしろ乗り込めとレインが」
「レインさんがそう言ったんですかっ!?」
「敵はトラベロを助けてから戻ったところを狙って一気に叩いてくる可能性もある。
それで一網打尽にされるぐらいなら戦力分断してでも直接乗り込んで叩いてしまえ、だと」
「え、ええ……!?」
「私たちが出る前にスピルに道具を用意してもらってたから、考えがあるんだろうが……
あいつ変なところで攻勢しか取らないんだよな……」
レヴィンが呆れたように溜息をつき、他の3人も思うとこがあるような表情。
ここでそのまま突撃しろ、なんて発想をレインがするとは思わなかった。
もしかして彼は自分の思っている以上に攻撃的な人物なのだろうか……トラベロは何とも言えず苦笑いを浮かべた。
「だから俺とレヴィンに加えて、スピルとエイダもついてきたワケだ。
トラも連れて行かざるを得ないっつーか、ファナ絡みでお前が引き下がるとは思えねえし。
敵のアジトに乗り込むから護りも固めた状態で行きたかったんだよ」
「レインのことだ、それでも回る案を立ててるだろう。僕も色々と貸したし、マリナもいるから大丈夫さ。
……ということでトラベロ君、これ飲んで」
スピルはスクラップブックから神秘力を持ち出して一つの薬を取り出す。
「……これは?」
「治癒の霊薬アムリタ。「神様専属薬剤師」に出てくる薬さ。神様相手にはポーション程度の効果しかないけど人間相手にはエリクサー効果の代物。
こういうチートじみた物は僕のポリシーに反するからあまり使いたくないんだけど、状況が状況だからね」
ぐぐっと一気に、とスピルはジェスチャー。
トラベロはごくりと唾を飲み込むと、鼻をつまんで一気に薬を飲み干す。
……気だるさが一気に吹き飛んだ気がする。試しに立ってみると足に走る痛みがすっかり消えていた。
軽く足踏みをして再度確認するが、全く問題ない。
「……本当だ。エリクサーですね」
「でしょ。さて、これで準備はOK、かな。早速行こうか?入り口の目星は大体立ててるし案内よろしく、アキアス」
「ああ。こっちだ」
アキアスの先導にスピル、レヴィン、トラベロ、エウリューダと続き、廃墟と化した遊園地の中を再び奥へと進んでいく。
太陽が正午を示す位置に昇った空の下、観覧車を背景にサーカス場の名残のような巨大なボロボロのテントが道の先から5人を見下ろすかのように
佇んでいた。
――時を同じくして、マゴニア首都イリオス郊外、ティルナノーグ事務所。
一人の青年と、一人の少年が入り口の前に立っていた。
パーカーを目深に被り、不気味な人形を抱いた少年が青年の隣でぽつりと呟く。
「……バディスがやられちゃった」
「そっか……まあ、仲間が間に合えばそうなっちまうかなあ。でもあの人らは絶対に殺さないからまた会えるぜ、大丈夫だ」
「……カンパネラ様はそう思うの?」
「おう。俺たちの敵は生粋のお人好しの集まり、殺しなんて絶対にやんない人たちだし?」
カンパネラがそう言ってにかっと笑うと、少年は不機嫌そうな表情を浮かべて人形を強く抱きしめる。
「……僕、そういう奴嫌い。バディスをやられた分ここの人たちを思う存分殺していい?」
「ん~、それはもうノーウィッチさんが伝えてるだろ。俺は従うしかできないからノーコメント」
「……わかった」
「さ、何はともあれ敵陣に乗り込むんだ、十分に注意するんだぞークライス」
カンパネラが先陣を切り、意を決してドアを開け屋内へ。
入り口には人の気配は感じられずとても静かな空間が広がっている。
時が停まっているかのように音すらしない通路を進み、奥にある事務室のドアへ。
「さて……いるとしたらここか。どんな罠を仕掛けているやら……俺から離れるなよ?」
クライスと呼んだ少年の手を握り、カンパネラはゆっくりとドアノブを回し――思い切り開ける。
しかしそこに広がるのは一般的な事務室とは程遠いものだった。
グリッド線が天井と床に広がる空間。
異様な光景に思わず目を奪われていると、背後からバタンと扉の閉じる音。
振り向いた時にはドアの姿はなく、床と天井の平行線はあれど地平線が見えぬ白が続く。
いわゆる仮想空間、といったものだろう。へえ、とカンパネラは興味深そうに笑う。
「ようこそ、おいでくださいました」
低い男の声が空間中に響く。
聞き覚えのある声にカンパネラはまた笑い、問いかけるように口を開く。
「随分と用意周到だなあ。ここまで想定してたなんて流石だな?」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。……せっかくここまできて頂いたのですし、せっかくですから――」
二人の目の前には青い髪の男がいつしか立っていた。
金色の瞳が、獲物を狙うような鋭さでこちらを見据え、にたりとその口元を緩ませる。
その表情に嫌な空気と寒気を感じ、カンパネラは笑みを引きつらせて一歩後ずさる。
「一つ……私たちと、遊んでいってくれませんかねえッ!!」
そして男の手に持つマシンガンが、二人目掛けて勢い良く火を噴いた。
ティルナノーグVSマグメール。最初の全面衝突の火蓋が、こうして切って落とされたのである。
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