第十四節

その日は静かだった。


「戻りましたっ」


依頼を済ませたファナリヤがドアを開けると、珍しい光景が広がっていた。

かたかたかた、とキーボードを打ち続ける人物に少し目を丸くする。

それは何故か。


「ああ、お帰りファナリヤちゃん。お疲れ様」


スピルが画面に目を向けたまま労いの言葉をかける。

その目を向けている画面がゲーム機ではなく、パソコンのモニターでキーボードを動かし続けているのが室内が静かかつ珍しいことの理由だ。

……要するに、スピルがちゃんと、仕事をしているのである。


「マリナ、これコピー取って」

「はいよ」

「トラベロ君はこれシュレッダーにかけてくれる?」

「わかりました」

「レヴィンはそこの資料片っ端から取って。アキアス、それそこ置いといて」

「ん」

「はいはい」

「レイン、この前のデータある?」

「残してますよ。いつも通りの量送っておきます」


メンバーに事細かに指示を出しながら次々と溜まりに溜まった仕事を消化しつつ、電話がくれば丁寧に応対するその姿。

こういうところを見ると一事務所の所長なんだなあ、と思わされる。

思わされるのだが普段の振る舞いが振る舞い故のギャップが凄かった。


「……スピルさん、わたしも、何かすることありますか?」

「ん、ありがとう。じゃあ紅茶を淹れてくれるかい?」

「はい!」


ファナリヤは軽い足取りで流し台へ向かい、ポットに入れるお湯を沸かし始める。

最初レインにコーヒーを入れた時とは違い、その手つきにはぎこちなさも手を触れることへの抵抗感も感じさせない。


「……ファナリヤさん、すっかり変わりましたね」


資料を机に起きながらトラベロが感慨深そうに呟いた。

あの日みんなで遊んでからというもの、ファナリヤは自身の宣言通り何でも積極的に取り組むようになり、

普段……否、少し前の彼女ならばトラベロと二人で行っていたであろう依頼も一人でやってみたいと申し出ることが増えた。

自信もついてきたのか、最初に出会った時とは大違いな程表情もぐっと明るくなった気がする。

トラベロは何だか、ファナリヤが自分より遠くに行ってしまったような気持ちになっていた。


「トラベロ君。寂しい?」

「うーん……そうなんでしょうかね。とってもいいことなんですけど」

「気持ちはわかるよ、出会った時は凄く周りにびくびくしてることが多かったもんね?」

「あたしも、嬉しいんだけどちょっと寂しく感じちゃうわ」


母さんも寂しそうにしてるのよ、とマリナが笑う。

一緒に暮らしている彼女はトラベロよりもファナリヤの成長ぶりを目にしていることだろう。


「いいことなんだけどな」

「ええ、とても喜ばしいことなんですけど同時にこう、どうしても複雑というか?」

「何か凄く子供の成長を実感した親みたいな気分だよねー」

「レヴィンとレインはともかくエイダはそんな歳じゃねえだろ……」


レヴィン、レイン、エウリューダと次々に現在の心境を口にし、アキアスが大きくため息をつく。

そんなアキアスも嬉しいが複雑、といった顔をしている。

エウリューダの言う通りの娘の成長を寂しがるような口ぶり、顔ぶりだ。


「僕も負けてられないなあ。もっと頑張らないと」

「トラベロ君普段から頑張ってるじゃない」

「そうなんですけど、こう、頑張ってる姿を見ると当てられちゃうじゃないですか。

 それに僕、神秘力者としてもまだまだですし。もっと成長して足手まといにならないようにしないとですから」


マリナからファナリヤの話を聞いて、トラベロは思い出したことがあった。

――それは、彼女の方が神秘力者として、実力が自分より格段に上であること。

一番最初にマグメールの手先に出くわした時も、先日の話も、性格が関係して実力を発揮しにくいだけで

実際は彼女の方が自分より随分と器用に立ち回れるのだ。

マグメールがいつ襲ってくるともわからない……自分が護らなければと強く想うはいいが、現状を改めて認識すると自分の方が足手まといになってしまうことの方が多い気がしてならない。


「安心しろ、お前のスペックはそこら辺の初心者より数倍上だから」

「えっ」


トラベロは驚き声を上げる。

アキアスはコーヒーをすすってどかりと椅子に座り、それ以上は言わなかった。

しかし、神秘力の使い方に長けている彼が言うということはそういうことである。


「よかったねトラベロ君、将来見込まれてるよ?」

「あ、ありがとうございます!そう思われてるなんて何というかびっくりですけど」

「俺は世辞は言わねえからな」

「表現が素直じゃないだけだもんね!」


ごん、とアキアスの拳骨がエウリューダの頭にお見舞いされる。


「余計なこと言うんじゃねえ」

「あぅ……で、でも!ファナリヤちゃんもアキアスと同じこと思ってるっぽいよトラベロ君」

「はっ、はい!?」


スピルに紅茶を出していたファナリヤが素っ頓狂な声を上げる。

何故か凄く顔が真っ赤である――何故かわからないのはトラベロだけだが――。


「は、はい!わたし、トラベロさんがいてくれるってだけで、凄く心強いです!」


裏声気味に力説。

直後、いつものハの字眉はさらに下がり、うつむきもじもじとした様子を見せる。

髪の毛も彼女の思考に呼応してか、先と先をつんつんつくつく突き合わせた。


「そ、その……だ、だから、わたし……わたしも、えっと、トラベロさんが「いてくれるだけで心強い」って……思えるぐらいに、なりたくって……」


かしゃーん……スピルの手からティーカップが滑り落ち机に紅茶が散乱する。

彼だけではなく、トラベロを除いた全員が目を丸くした。

今の聞いた?聞いた!?とスピルがメンバー一同を見ると全員が全員こくこくと頷いた。


「(今超大胆発言したわよ!?)」

「(じ……実質、告白じゃないか、これ……)」

「(凄い……ファナリヤちゃん凄い……)」


彼女の発言に驚きを隠せないコメントがひそひそと囁かれる中、言われた本人は最初ぽかんとした顔を浮かべていたのが照れくさそうに頬をかいた。


「……あ、ありがとうございます。そう思ってもらえてるなんて嬉しいなあ」

「(あれ、これもしかして……)」


溢れた紅茶をごしごしと拭っていたスピルの手が止まり、食い入るように二人を見る。

他のメンバーも同様に息を呑んで見守り始めた。

……まさか、鈍いトラベロがついに……!?そんな一縷の希望を抱いたが――


「僕も、ファナリヤさんにとってもっともっと心強く思えるような人になる為に頑張りますね!」


――結果はいつも通りのオチであった。

一縷の希望は砕かれぷしゅー、とファナリヤの顔から蒸気が上がる。


「……ファナリヤさん?顔真っ赤ですよ、大丈夫ですか……?」

「え、あ、あの、あの…………その……な、なんでもないです……」


そんだけの台詞言っておいて気づかないんかい。

口にはしなかったが全員が全員同じ感想を抱いた。

こんな台詞をさらりと口に出しておきながら、ファナリヤの気持ちには全く気づいていないというのがまた凄いというか、

ある意味たちが悪いというか……


「トラベロ君。……「天然タラシ」ってよく言われない?」

「えっ!?あ、う、うーん、そんなつもりないんですけど確かに団長にそうからかわれたことは何度か……」

「……ある意味、うちで最強だね。君は」


苦笑を浮かべるスピルに他のメンバーはうんうんと頷いたのだった。



「――さて、仕事の続きっと」


新しく淹れてもらった紅茶を一口含み、スピルは作業を再開する。

黙々と仕事をこなしていく姿を見て、ふとトラベロに一つの疑問が浮かぶ。


「……そういや、スピルさんは貴族の当主様なんですよね?そっちの方のお仕事は大丈夫なんですか?」


普段、良く言えばフランクすぎる故に忘れがちな事実だが、スピルはティルナノーグの所長だけではなく自身の生家である

プリンシパリティ家の当主も努めている。

となると、トラベロたちティルナノーグの職員よりも遙かに仕事量は多いハズ……

なのに普段のサボり様では家が回らないのではないかと若干心配にもなってしまう。

んー、と唸りスピルはこう答えた。


「家の方は僕より優秀な子がいるから、その子に主に任せてるんだ」

「へえ……」

「後々その子にあとを継がせる予定でね。まだ大学に通ってるからまだ正式な手続きは済ませてないけど、

 終わったら僕はその座を引いてティルナノーグに専念するつもり」

「もうそんなとこまで決めてるんですか!?スピルさんまだまだこれからな歳なのに……」


これもまた忘れがちな事実、スピルはまだ16歳……神秘力の都合で中身はそこそこ人生経験が豊富なようだが、実際の年齢は一番年下だ。

人間の個体寿命80年の四分の一すらたどり着いてない年端の行かぬ少年だというのに随分考えが早くないだろうか?


「それもそうなんだけどまあ、僕の方も色々と事情があってね」


苦笑するスピルの答えはどことなく歯切れ悪さを感じさせる。

サボり以外でそんな答えをするのは初めて見た気がして、仕事をしている彼と同じぐらい珍しいなとトラベロは思った。


「まあ家は問題ないのはホントさ。……溜めてないから」

「その発言で全部台無しですよ!?」

「ほ、ホントに溜めてないって!こっちの仕事も今消化したし!!」

「それ溜めてないって言わねえわよ」


スパン――マリナのファイルブックによる一撃がスピルの頭に命中。

きゃん、と子犬のような悲鳴を上げて机に突っ伏す。


「うう……終わらせたんだからもう溜まってないじゃん……!」

「それは「溜めていたのを消化した」であって「溜めてない」ではありません」

「ノリ悪い!ノリ悪いよ!もうちょっとこう芸を凝らしたツッコミしてよアキアスみたいに!!」

「私彼と違ってそんなんできる程器用じゃないですから」


俺を巻き込むな、とアキアスが文句を言っているのをよそ目にレインはスピルに言葉の刃をぐさりと突き刺した。

うう、とうなだれるスピルはアホ毛がしょぼんと垂れ下がりまるでしょぼくれた子犬である。

流石レインさん、容赦ない……トラベロだけでなくファナリヤも苦笑した。

歳こそ下だが仮にも所長――組織のトップ、つまりお偉いさんである彼に対して何とも言えない扱いをする先輩職員一同。

とてもではないが自分にはできない。

かといって、フォローを入れると「甘やかすことになるから」と普段から厳しいレインやマリナどころかエウリューダも言う程

スピルの振る舞いは随分自由すぎるのもあるのだが。

しかし仲の悪さは全く感じず、「喧嘩するほど仲が良い」という言葉に近いような気がしてある種、彼らの信頼の表れでもあるのだろうと思った。



「ま、まあとにかく今ので全部終わったよ!他は!?」

「今ので最後よ」

「よっしゃー我慢してたストーリークエの続きやるぞー!!」


ふふん、と鼻歌を歌いながら携帯を取り出してソーシャルゲームを起動するスピル。


「あ゛っ今日スペシャルレア確定チケットあんの!?うへー行く途中コンビニ寄っときゃよかった……」

「帰りに寄ればいいだろう……」

「ていうか帰りにしてくださいそういうのは」


呆れ気味にレヴィンとレインが一言申すとえー、と頬をふくらませる。

こういう姿は年相応の少年らしいなあ、とトラベロは微笑ましくその光景を眺めた。

今日はそんな平穏な時間が過ぎるだけだと思ったが……


「失礼」


ノックもなしにドアが開き、男が一人入ってくる。

体格の良い黒スーツにいかつい顔、サングラスといった外見のSPのような風貌だ。

その見た目に緊張しながらも、それを出さまいとぎこちない様子でファナリヤが最初に声をかける。


「……うちに、何かご用、ですか?」

「プリンシパリティ卿はおられるか」

「え、えっと……所長のこと、でいいです、か……?」


合っているか不安で首を傾げる。

プリンシパリティ家はスピルの生家……つまり、スピルのことを指しているハズだ。

ファナリヤが振り向くと、スピルは携帯を仕舞い険しい顔で男を見ていた。先程の少年らしさとは打って変わり厳格な大人の雰囲気を漂わせる。

他のメンバーの表情も決して良いとは言えない。

マリナやアキアスは明らかに警戒しているし、エウリューダもいつもの笑顔とは程遠い心配そうな顔。

何より一番印象的なのは、いつも穏やかなレインが普段とは想像もできない程の嫌悪感をむき出しにした目で睨みつけていることだった。

レヴィンが諌めているからかろうじて飛びかからずにいる……ぐらいの怒りに満ちてもいて、ファナリヤは困惑を隠せなかった。


「……用件は」

「主が直接お話になります」


淡々とした口調のスピルの問いの後、男の後ろから一人、のしのしと歩いてやってきた。

白髪交じりの禿げ頭とビール腹、肥満体型の顔つきの悪い中年男性だ。

嫌そうな顔でふん、と鼻を鳴らして室内を見回し、ファナリヤの姿が視界に入ると一変。ニヤけた表情で嬉々として近寄った。


「おお!おお!なんと可愛い子じゃ……お嬢ちゃん、名は何と言う?」

「あ、あの……えっと……」

「恥ずかしがり屋さんか?照れなくて良いぞ~♪ほほ、ほんに可愛い娘じゃのう」


ファナリヤは完全に引いており一歩後ずさるがそれも気にかけず男はにじり寄る。

明らかに下心丸出しで鼻の下を伸ばしているその姿は同性から見ても気分の良いものではなく、見かねたトラベロが間に入る。


「あ、あの!ご用件は何でしょうか!」


そう声をかけると、男の顔が途端にもの凄く嫌そうなものになり舌打ちする。


「近寄るでない化物が。汚らわしい」

「な……っ!?」


突然の暴言にトラベロは思わず固まった。

トラベロだけではない、他のメンバーも聞き逃すことができず不快な表情を浮かべる。


「貴様なんぞに用はない、とっとと去ね」

「随分な仰り用ですね。仮にもクライアントとは言え必要最低限の礼儀はお踏まえになるべきではと存じますが?」


真っ先に反論したのはレインだった。

明らかに怒りを露わにしているが、男は全く悪びれずにこう返す。


「ふん、人ならざる力を使うのだ、化物と言って何か指し支えでもあるのか?」

「その化物に依頼するというのですか?」

「手段を選べんから恥を忍んで訪れたのだ。"リベリシオン家"の"次期当主"殿は思ったより頭が回らぬのだな?」

「っ、誰があの家なんか継ぐものか……!」

「レイン!」


飛びかかろうと立ち上がるレインの肩をレヴィンが掴んで止める。

気持ちはわかるがとその目は語りかけていて、レインが顔を俯けて謝罪するとレヴィンは黙って首を振った。

一方男は不機嫌そうに鼻を鳴らしている……


「リベリシオン家?次期当主……?」

「……知らなくても、大丈夫なことだ」


レヴィンはそう告げる。

どうか触れないでやってくれ、と頼み込むような言い方でファナリヤはごめんなさいと頭を下げ、気にするなとレヴィンは返す。

だが、レインのあの怒りよう……以前ロッシュの依頼を受けた時の悲しげな笑顔と感情を消したかのような冷たい顔の中にあった

とてつもなく重い何かを感じずにはいられない。


「……部下の非礼はお詫びするよ」


一部始終を見ていただけのスピルが口を開く。至って淡々と形だけの謝罪を告げて静かに立ち上がる。


「貴方ともあろうお方がうちに依頼してきたんだ、内容は僕が直接お聞きしよう。マリナ、お茶の準備をして」


マリナは黙って頭を下げて用意に取り掛かり始め、その間にスピルが応接室へと男を連れて行く。

二人が部屋を出ると先程からの空気が少し和らいで、ファナリヤは脂汗を浮かべて一息ついた。


「……何なんですかあの人は!」


トラベロが不機嫌さを露わにする。

ファナリヤが嫌がっているのにしつこく迫り寄る姿といい、神秘力を侮蔑する発言といい、あまりにもの傲慢さには不快感しかなかった。


「アジルターカ卿――大手IT企業の経営者でプリンシパリティ家とは別のコミュニティに所属する貴族ですよ」


レヴィンに諌められてからずっと無言だったレインが口を開く。


「……貴族って、たくさんコミュニティが、あるんですか?」

「ええ、いくつかに分かれて縄張りを作っているような感じですよ」

「あれ?でもスピルさん……貴族同士が関わるのも少ないって」

「同コミュニティ内でも少ないのは確かです。ましてや別コミュニティなら尚の事。

 特にあのアジルターカ卿は性格の悪さと女癖の悪さから敬遠されています」


女癖……その言葉を聞いた瞬間ファナリヤの背筋を寒気が走る。

トラベロが割って入ってくれなければ押し負けて個人情報を教えていたかもしれないと思っていた故に尚更ある種の恐怖を感じた。


「で、ドがつく神秘力嫌いと」


アキアスの発言を肯定するようにレインは頷きため息をつく。


「そんな!神秘力があるだけでなんて」

「悲しいけど、人間って自分がわからない、自分にできる範囲を越えたモノを持ってる人を怖がるようにできてるからねー……

 神秘力自体が見つかったの結構最近な方だし……」


エウリューダの発言にトラベロは否定しようとしてできずに口をつぐんだ。

そういう人々が存在していなければ、ファナリヤはあんなところで行き倒れたりはしなかった……残酷な現実を改めて突きつけられる。

ティルナノーグで生活している故にすっかり抜けてしまっていたが、そういった差別・偏見がそう簡単になくなるワケがない。


「……レインさんのこと、知ってるみたいでしたね」

「まあ、色々とありましてね……」


視線を逸らすレイン。レヴィンも複雑そうな顔で俯いている。

先程耳に入った単語から何やら因縁のようなものがあるのは確かだが、それに触れるのは彼らの心に土足で踏み入る行為にも等しいと

トラベロもファナリヤもそれ以上の言及はしなかった。




「――で、アジルターカ卿。神秘力者を嫌いプライドに定評のある貴方がうちに依頼なんて、一体どんな事案なんだい?」


一方応接室では、依頼の話が始まったばかりだった。

スピルの言動に不満があるのかアジルターカ卿はふん、と機嫌悪そうに鼻を鳴らす。


「年功序列を弁えない小僧だ」

「僕に礼儀正しく接してもらっても嬉しくない癖に。それにそちらのコミュニティには"リベリシオン家"がいる。仕事とは言え警戒してしまうものさ」

「そこについてだけは安心せい。別に協力を頼まれたからではない、"次期当主"殿には手を出さぬ」

「レインはあの家を継ぐつもりはないしあっちが勝手に言っているだけだ、その呼び方は訂正してくれ。……話を戻そうか」


スピルがそう言うと、アジルターカ卿は一枚の紙を取り出した。

新聞の見出しの記事をくり抜いたかのような文章の内容は至って単純明快。

……卿の殺害予告である。しかも差出人は「マグメール」と書いてあった。


「――なる程。こちらに助けを求めるワケだ」

「察しの良さは褒めてやろう。予告日は3日後、我が家で行われる立食パーティの日だ。貴様らには護衛をしてもらうぞ」


まだOKの返事は返していないんだけど――そう反論したくなる気持ちを抑えてスピルはふうん、と呟いた。

こちらの意向を考慮しないような人物であることは嫌でもわかっていた。卿はさらに煽り立てるようにふんぞり返って続きを話す。


「非常に気に食わんが、化物に対抗するには化物をぶつけるしかないからなァ。それに貴様は小僧の癖に実力は確かだ、

 それを評価してやったからこその依頼であることをゆめゆめ忘れぬようにな」

「それはどうも、お褒めに預かり光栄だ」


上辺だけの礼を返す。あちらが皮肉を混ぜればこちらも皮肉を混ぜる、口と口の応酬は互いに一歩譲らない。

しかし話は着実に進んでいた。……ほぼあちらの一方的な提示をうまく受け流しているだけとも言う。


「で、護衛なんだ、報酬はそれなりに保証してくれるよね?命と生活がかかってるんだから」

「化物相手とは言え儂も承認、踏み倒すような真似をする程落ちぶれとらん。――ただし、男だけはむさくるしいのでな。あの娘もつけてもらおう」


スピルの表情が変化する。眉間にさらに皺を寄せ、不満の意を示す。

マグメール相手の依頼に彼女を連れて行けなど……ファナリヤの素性を知らないのは当然だが、それ故に余計にたちが悪かった。

それを読んでか読まずか、いやらしそうにアジルターカ卿は言葉を付け足した。


「それを呑めんのならば、踏み倒して良いと見なすが?」


――この男、調子に乗って。

流石にスピルも胸倉を掴み上げたくなるような怒りを覚えるが、それに蓋をする。こちら側の事情を知らない以上は何を言っても無駄だ……

それにこの様子では相手は知っていようと譲らないどころか、知っていてわざと持ちかけるだろう。

この男はそういう人物なのだとスピルは痛い程に理解していた。


条件を、呑むしかない。

呑んでも酷く指し支えがあるどころか、ファナリヤを連れて行かれるという心配はない。それだけの確信が彼にはあった。


「(マグメール……もし、首領の本質がそれならば。きっと――)」


そんな期待をしながら、スピルは了承の意を示した。



話を終え部下たちに説明すると、予想通り反対の声が上がる。

真っ先に反発したのはアキアスとトラベロの二人だった。


「冗談じゃねえ!何でそんな条件呑んだんだよ!!」

「そうですよ!マグメールの計画なんでしょう!?ファナリヤさんが連れて行かれるかもしれないじゃないですか!!」


スピルにとっては想定内の反論。

二人が意見を代弁してくれたからか、レヴィンとマリナは納得のいかない顔をするだけに留まっている。

ただ、引き受けただけの理由は説明してくれるだろうなと視線でこちらに語りかけていた。


「理由は2つ。一つはアジルターカ卿が暗殺されることによる経済界のデメリットが大きすぎること。

 そして何よりももう一つ。……今回、マグメールはファナリヤちゃんを狙って動こうとはしないと考えたからだ」

「……どういう、ことですか?」


当の指名された本人は意味がわからず首を傾げる。

しばらくして、その言葉の意図を解釈したレインが自身の見解を口にした。


「今回の目的は経済界の重鎮であり、反神秘力者であるアジルターカ卿の殺害。

 そんな大物を殺すのだから我々以外にも護衛を大勢雇い厳戒態勢を取るのは間違いない……」

「つまり、ファナリヤちゃんを狙ってる余裕があるワケじゃないってこと?」


エウリューダが要約すると、その通りだとスピルは頷いた。


「マグメール首領ユピテル・ヴァリウスは冷静沈着で頭も回る。

 その人物像が変わってないなら暗殺とファナリヤちゃんの誘拐を両方するような無謀な真似はしないだろう」

「……よく知ってますね、スピルさん」


まあね、と返すスピルの顔はどこか複雑そうだ。

敵の親玉である男のことを知っているような口ぶりが引っかかるが、これ以上問うていい内容ではないだろうとトラベロは言及を止めた。


「その通り、今回はその子にゃ手出さないよ」


そこへ一人の"侵入者"がスピルの言葉を肯定するように口を挟んでくる。

ドアの前に、以前出会った暗い緑髪の青年が同じく以前出会った不思議な子を連れて立っていた。


「カンパネラ・フェリチータ、ナギト・スメラギ……!」


レインが真っ先に警戒の意を示し懐の銃に手をかける。

レヴィンとアキアス、エウリューダの三人はファナリヤを護る為彼女の前に立つ。

カンパネラは嫌われたなあと苦笑するが、堪えているような素振りはない。


「……マグメールの、人だったんですね」

「ごめんな、騙すつもりはなかったんだよ」


ファナリヤの一言に申し訳なく笑う。

正直、未だ警戒心を抱き切れずにいる。それはナギトを助けたトラベロ、レヴィン、マリナの三人も同じだった。

マグメールの一員であることすら疑いたくなってしまうような敵意のなさ……

そもそもこちらを敵と思っているのかすら怪しく思えるような雰囲気を感じてならなかったのだ。


「目的は何だい」

「うちのボスからの伝言を届けに」

「――宣戦布告、ということかい」

「よくおわかりで。"少女には手を出さない、暗殺を止めてみせろ"とさ」

「……その言葉を信じろと?」

「それは所長さんが一番わかってるんじゃないか?ユピテルさんがそういう人だって」


否定も肯定もせず、スピルはただ鋭い視線をカンパネラに向ける。


「どういう事ですか?」

「所長さんとうちのボスは因縁があるのさ」


トラベロの疑問にカンパネラは笑って答える。

因縁があるからこそ相手の人物像を知っているのかと納得が行った。もちろん、詳細な内容など聞くつもりはないが。


「わざわざその為だけに敵陣に乗り込んだのですか?」

「そうさ、あんたが信じるかどうかは置いといて」

「……いえ、そうでなければこのタイミングでやってきたりしないのは確かですから」


レインも今回は疑ってかかるのをやめた。

直接乗り込むことのメリットなどマグメールには存在しない、正確に言うならカンパネラがすることには何も利益がない。

彼は恐らく以前の宣言通り、命令がなければこちらに仕掛けることはないだろう……また人物が変わると話は別になるのだが。

それを察したのかカンパネラは次にこう告げた。


「ま、それを伝えるのが今回の命令さ。お遣い終わったし俺は失礼するよ」

「待って」


カンパネラが踵を返そうとしたタイミングでスピルが声をかける。


「……何故ユピテルは、それを僕たちに伝えるように命令を?」


その言葉に敵意はない。ただ純粋に、それが知りたい。

それだけが、その想いだけが詰まった瞳でカンパネラを見据える。


「さあ。ボスもあのおっさんが好きじゃないから、そいつ絡みに乗じたくなかったんじゃないか?ある種のプライド的に」


それだけかと、スピルの目はまた語りかける。


「ああ、でもこう言ってたぜ。"スピリトゥス・フォン=プリンシパリティという男はただでそんな奴に従う人物じゃない"――ってな」


ふっと微笑み、カンパネラはそう残してナギトを連れて立ち去った。



……それから三日後、殺害予告当日の夕方。


「へ、変じゃ……ない、ですか……?」

「全ッッ然変じゃないよー!ファナリヤちゃんすっごく可愛いよ!!」


エウリューダの絶賛にファナリヤは恥ずかしそうに笑う。

今彼女が身にまとっているのは、アジルターカ家の使用人が着用するメイド服。至ってシンプルなよく見るタイプのものだ。

女癖が悪いと評判の貴族の家の使用人ということでどんなとんでも服かと思ったが、流石に節度を弁えているようで正直安心した。


「……何でエイダも着てんだよ」


呆れた顔でアキアスが大きくため息。

……普段へそ出しの彼がスーツを着ているのに違和感など、流石に口が裂けても言えないとファナリヤはぐっと呑み込んだ。

しかし彼と同じ疑問を抱いてもいた。

――何故。何故、わざわざエウリューダまでメイド服を着ているのか。普通ここはスーツを着るのではなかろうか……


「だってファナリヤちゃん一人じゃ心細いでしょ?」

「だからってお前が着るんかい」

「しょうがないじゃんか、マリナさんは元々今日予定があったんだからー。大丈夫、バレないようにボイチェンも用意してるよ!」

「用意周到だなオイ……」

「あはは……わたしとしては、心強いです。ありがとうございます」


えへへ、と笑うエウリューダの姿はメイド服が馴染んでいて見ただけではすぐに男とは気づかない出来上がり。

元々中性的な顔立ちがここで幸いしたということか。

しかしそれを置いてもノリノリな様子に我が親友ながら――周りにはそう思われてないことはさておき――とアキアスはまた大きくため息をついた。


「まあまあ、いいんじゃないですか?似合ってますし、ファナリヤさんもこう言ってますし」

「そうだな、今のお前よりは違和感ねえな」

「ええっ!?」


トラベロは半ばショックを受けたような顔を浮かべるが、エウリューダもファナリヤもアキアスの意見に同意しておりうんうんと頷いている。

というのも、仮にもフォーマルな場だからということでトラベロの普段の癖っ毛を寝かせたのだが、ぺたりとした髪型の彼に違和感しかないからだ。


「……トラベロ君、どんだけ普段の髪型がインパクトあるんだい?」


様子を見に来たスピルも驚いたような表情でこちらを見ている。

出かける前にレヴィンとレインも驚いた様子を見せていたし、どんなに普段の髪型は強烈なのだろうか。トラベロは思わず苦笑いした。

スピルがこほん、と咳払いしてその話はここで切り上がる。


「ま、まあとりあえず。今日の各自の動き方についておさらい!

 僕は名目上パーティに招待された側としての参加になるから、客を装って場内を警戒。

 トラベロ君とアキアスは会場周辺の警備に入って、ファナリヤちゃんとエウリューダは給仕として動きつつ場内警備。

 何か質問があるなら今のうちに聞くよ、大丈夫?」


全員無言。特にこれといった質問はないようだ。


「トラベロ君もファナリヤちゃんもこの手の依頼は初めてだし、本当ならレヴィンも連れてきた方がやりやすいとは思うけど……」

「事情があるんですから仕方ないですよ、レヴィンさんの分もお役に立てるよう頑張ります!」

「そう言ってもらえると助かるよ」


トラベロが笑って答えてくれるおかげで気が楽になるが、スピルはこういった依頼に彼を出すのは心苦しくてならなかった。

それはこの場にいないレヴィンもそうで、いつもの心配性により一層火が点いたのか露骨に気遣ってはマリナやレインがたしなめていた程。

先程も電話をかけてきて途中でレインが取り上げるようなやり取りが聞こえてきた辺り相当だ。

ここまでくると心配しすぎの領域すら超越しているが、その気持ちはわからないでもなかった。


「トラの言う通りしゃあねえよ。申し訳ねえのもわかるがな……何かあったらすぐカバーする」

「頼むよ、アキアス。ファナリヤちゃんも気をつけてね、アジルターカ卿はもちろん他にもたくさん鼻の下伸ばすオヤジ共がいるから」

「は、はい!わたしも精一杯、頑張ります!」

「大丈夫、何かあったら俺が言霊でぱぱっと流しちゃうから!」


今日程エウリューダの前向きな発言に頼もしさを覚えたことはない。

言霊を用いていないのに不安をかき消すその笑顔にスピルはふっと微笑んだ。


「エウリューダも頼りにしてるよ……この依頼が終わったら絶対にあっちが悲鳴上げるぐらい報酬せびってやるからね!!」

「そ、それはやりすぎじゃ……」

「あんな嫌味なエロオヤジにただ黙って頭下げる僕じゃないからね」


ふふん、といつものように得意げに笑ってみせる。


"スピリトゥス・フォン=プリンシパリティという男はただでそんな奴に従うような人物じゃない"


カンパネラが残した伝言を思い浮かべながら、決意の顔で空を見上げた。


「(――そうだろう?ユピテル)」


心の中で、伝言を残した人物に語りかけながら。




そして本番。

豪勢な音楽が場内に流れ、給仕たちが次々と食事を運んでいく。

ファナリヤも緊張した面持ちで同じように食事を運びながら、パーティに参加する人々に視線を向ける。

いかにも高そうなスーツ、派手な色や装飾のドレス……これらに身を包んでいる人たちはみな貴族なのだろうか。



「……おお、プリンシパリティ卿!」


持ち場を離れずに様子を見ていると、一つの光景がファナリヤの目に映る。

スピルに何人か大人の男性が集まって気さくに声をかけていた。


「ご無沙汰しています」

「当コミュニティの食事会に参加なされるとは珍しいですな」

「今回はご縁を頂きましたもので」

「お噂はかねがね伺っておりますよ。お若いというのに先代、先々代に劣らぬそのご手腕、流石ですな」

「いえ、先代たちに比べたら僕などまだまだ……皆さんのご指導ご鞭撻を賜りたいですよ」


――スピルさん、本当に当主様なんだ。

ティルナノーグでは滅多に見れない彼の振る舞いに、わかっていはいても忘れがちである事実とスピルという人物がどれほど周りから

信頼・評価されているのかをファナリヤは認識させられた。

何歳も離れた大人である貴族の当主たちがあんな親しげに声をかけるのは、年相応の少年にはとてもできないだろう。

それと同時に、スピルから発せられる人を寄せ付けるものも強く感じた。


「メイド!ワインを注いでくれい」

「あ、はい!」


物思いに耽ってしまった、と自分を叱りつつファナリヤはワインボトルを片手にグラスの待つ先へ。


「お待たせしました……」

「すまんのう」


声の主は今回の依頼人だった。こちらを舐め回すような目でニヤリと笑う姿は正直気持ち悪い。

ファナリヤは表情をぐっと堪え、自分なりの何気なさを装ってワインを注ぐ。


「おやアジルターカ卿、新しく使用人を雇ったのですかな?」

「可愛らしい娘っ子ですなあ、食べたくなる程ですわい」


さらに何人か老人の男性たちが集まってくる。皆一様にいやらしい視線を向けてくる……吐き気がしそうになってファナリヤはそっと目を逸らした。


「初めて見るのう。今日からかえ?」

「……はい、臨時の、バイトで……」

「恥ずかしがらんでも良いぞ、楽にせい」


男性の息がかかる。

……酒臭い。酔っ払っているようだ。

変態共はじりじりと歩み寄りこちらに手を伸ばしてくる――と、そこで救いは訪れた。


「あー!いたいた!何してるの、次のお食事運ぶんでしょー?」


不自然なく声を上げてエウリューダが割って入ってくる。

ボイスチェンジャーを仕込んでいるからか一瞬誰かと思ってしまった。それにしても違和感がない。


「すみませーんこの子お仕事があるんで!"代わりに私がお酌しますよ"ー♪」


言霊を乗せてワインボトル片手ににこりと愛想笑いを浮かべれば、変態共は途端に心を奪われエウリューダを囲い始める。

うまく対応しながら、エウリューダはちらりとファナリヤを見た。

――今のうちに、とその目は語っている。

感謝を込めて深くお辞儀をし、そそくさとその場を離れた。


「(流石エウリューダ。ナイス)」


一連の光景を遠くから見守っていたスピルがこっそりとサムズアップすると、それに気づいたエウリューダは同じようにこっそりとサムズアップで返す。

このあと、言霊であっさりと変態共がいなされたのは言うまでもない。



一方、会場周辺警備の担当になった二人は。


「うう……ファナリヤさん大丈夫かなあ……」


厳重な態勢を取っている中、トラベロは心底心配そうに呟いた。

先程からその呟きは何度目か。

相当ファナリヤが気になって仕方ないのかそわそわと落ち着きもなくアキアスは何度目になるかわからない大きな溜息をついた。


「お前、それ何回目だよ……」

「うう……心配なんですもん……」

「エイダがいるから大丈夫だっつーの。あいつとレインのアドリブ力はティルナノーグ一だ、信じろ」

「そ、そうですね……これじゃまるで信じてないみたいですよね……すみません」

「お前はそれよか自分の心配しろっつーの」


ぐさり。

心に言葉の重みが突き刺さる。

今回の依頼は暗殺者からの護衛、新米が他人の心配をする余裕などどこにもないのが事実だ、そんなことをしていれば自分の身が危うくなる。

トラベロのそういう良く言えば献身的、悪く言えば自己犠牲的な性分は彼の長所ではあるが、見ているアキアスからしたらヒヤヒヤさせられる部分でも

あった。


「新米なんだから、まだまだ他人の心配してる余裕は作れねえのを自覚しろよな」

「ごもっともです……」

「経験ついてもレヴィンみたいな無茶ばかりの奴にもなって欲しかねえがな!」

「……それもごもっともです」


もし自分ではなくレヴィンが出ていたら……彼の行動が手に取るように想像できてトラベロは何とも言えなかった。

アキアスの顔が冗談抜きに切実な空気を放っている辺り、あちらにとっては尚の事なのだろう。


「……それにしても、マグメールっぽい人は見かけない、ですね」

「暗殺だ、目立つ動きはしねえし俺もこんなに人数多いと氣を読み取れねえから特定は難しいからな……だが、狙うとしたらパーティが終わる頃か」

「そうですねえ……」

「混乱を与える目的なら、そろそろ動いてもおかしかねえが……」


と、そこでアキアスは言葉を止めた。何かに気づいた顔で空を見上げる。

何か見えたのかと、トラベロも見上げて同じ視線の先を見る。

大きな屋敷、その広い屋根の上……月をバックに一つの人影。


「――ヤベエ」


ぼやいてアキアスは駆け出した。

その表情には焦りの色……嫌な予感がしてトラベロも彼に続き、屋敷内へと走り出した。




「(……未だ敵の動きはなし、か)」


かれこれ二時間が経過するが、未だマグメールと思しき者の動きは見えない。


「(まだ、襲ってこない……みたいですね)」


ジュースを注ぐメイドを装いつつ、ファナリヤがこそりと声をかける。


「(仕掛けてくるなら、パーティの終わり際か今頃だろうね)」

「(……でも何か、嫌な感じがします)」

「(嫌な感じ……?)」


スピルが聞き返すと同時に、ファナリヤを呼ぶ声がして会話は中断される。

ファナリヤは一言断りを淹れ、スピルの傍を離れるが……


「あ」


途中で人とぶつかる尻餅をつく。

ジュースを零さずに済んだのは幸いか、急いで立ち上がり頭を下げる。


「す、すみません!」

「……いや、こちらも失礼した」


ぶつかり先の人物はそう返す。

ただその一言だけというのにひどく冷たい――いや、無機質な印象を受けた。

ファナリヤが見上げると、光のない瞳が彼女の瞳と交差する。

とても深く、暗い暗い、闇のような瞳………機械のような冷たさを感じさせる青髪の男。

その引き込まれそうな目を見てファナリヤが立ち止まっていると、気づいたスピルが震えた声で男の名を呼んだ。


「……ユピテル!!」


え、とファナリヤは目を見開く。その名は、確か、マグメールの……


「……20年ぶりか。久しいな、スピル」


男は淡々と挨拶を返す。

スピルの声に反応した人々がざわざわと騒ぎ始めていることから、この男の存在は異様であるようだ。

信じられない、というような声ばかりが上がる……しかし、動揺を誘うものはこれだけではない。

バン、と勢い良くドアを開け、駆けつけたアキアスが息を切らし気味にこう叫んだのだ。


「エイダ!窓の方だッ!!」


気づいたエウリューダが窓の側に立ち、《絶対障壁》で不可視の壁を作る。

刹那、パリン――とガラスの割れる音に一発の銃弾が飛び込んできた。

障壁に阻まれ地に落ちたが、その場を混乱に陥れるには十分な結果をもたらし貴族が、使用人たちが悲鳴を上げて我先にと逃げていく。


「"落ち着いて"!"慌てないで"!」


エウリューダは混乱を収めようと言霊を用い、同時に避難を促す。

大部分が沈静化しさほど混雑はしないまま次々に逃げていくが、騒乱のせいで言霊が全員に届いたワケではなかった。


「大丈夫です落ち着いて!僕についてきてください!」


トラベロが先導し、逃げ遅れた人々を連れて扉へ向かう。


「トラベロ君!伏せて!!」


エウリューダが叫ぶ。

はっとして振り向くと、先程と同じように銃弾が一発飛んできていた。

回避は間に合わない……身構えたトラベロの間にスピルが割って入り、神秘力で具源させた盾で弾く。

しかし銃弾は地に落ちるどころか、なんと再びこちらへ向けて走り出す!

スピルは舌打ちをしつつ再び神秘力を発動、瞬く間に右手にモノトーンの剣が形作られそれを勢い良く振った。

金属が切れる音と共に今度こそ銃弾は地に落ちる。

助かった、と安堵したくなる気持ちを抑えてトラベロは今のうちにと人々を避難させるのだった。


「ひぃいっ!」


その一方、彼らの手が届かないところにも逃げ遅れた人物が一人。

――今回の依頼人だ。先程からの銃声に完全に腰を抜かし、四つん這いでうろちょろしている。


「誰か!誰か助けてくれえ!!」

「!」


その叫び声を最初に聞き取ったのはファナリヤ。

声のする方へ走り、一番に駆けつけるが……


「ぎええええ!!!!」


アジルターカ卿が大きく情けない悲鳴を上げた。

彼に向かい一直線に、先程の青髪の男が剣を構えて突進してきていたのだ。


「危ないっ!!」


ファナリヤは神秘力を使い、髪の毛をロープ代わりに卿の胴に巻きつけこちら側へ全力で引っ張る。

男の剣は虚しく空を切り、地面を抉る。

それに見向きもせずファナリヤは卿を抱えたままドアへと一目散に走るが、卿は嫌がるような声を延々と上げ続けている……

……命よりプライドの方が大事なんだろうか。そんな呆れの感情を抱く自分を少し意外に思った。

しかしそんな物思いに耽るのはタイムロスだった、嫌な予感がして上を向くと敵の伏兵が姿を現したのだ。

白髪の"狂人"はにたりと笑い、構えたサバイバルナイフを大きく振り上げる――!


「ファナリヤさんっ!!」


トラベロの声と共にファナリヤの眼前に炎が上がり、盾となってそれを阻む。

舌打ちをし、エイヴァスはそこで止まりバックステップを取る。


「早く、今のうちに!!」


トラベロが叫ぶ。逃げ遅れた人がもういないのを確認してファナリヤは足を再び動かし、無事に扉の向こうへ駆け込んだ。


「逃がすか……!」


エイヴァスから白いオーラが放たれる。蜃気楼のようにゆらりと分身が生み出され同じくサバイバルナイフを構えて突撃するが、

再びトラベロが炎で阻みすぐにそれは掻き消えた。


「ファナリヤさんに手出しはさせません……!!」

「ひよっこ神秘力者が。随分とやってくれるね?またあの時と同じ目に――」


構え直し、トラベロにターゲットを変えて踏み出す。

それと同時にアキアスがエイヴァスの間合いに飛び込み、真っ直ぐに右拳を突き出した。


「てめえの相手は俺だ!よそ見すんじゃねえ!!」

「あはっ!いいだろう、この前の借りを返してあげるよッ!!」


余程傷をつけられたことは屈辱なのか、エイヴァスはアキアスに狙いを定める。

もっともアキアスとしてもそれが目的であり、彼の注意をこちらに惹き付ける為にわざと間合いに飛び込んだ。

……こんなにうまく行くとは思わなかったのだが。

しかし結果オーライである。実際エイヴァスはもう既に周りが見えなくなっていて、ひたすらこちらにしか攻撃を仕掛けようとしない。


「もう避難できてない人はいないね……!」


その間にトラべロと合流しようと、エウリューダが彼の下へ走ってくる。


「トラベロ君、今のうちに――」

「エウリューダさん!危ないっ!!」


そう叫ぶが時既に遅し、エウリューダの背後から男が剣を振り上げていた。

背後は《絶対障壁》の死角、間合いも詰められすぎて今更展開しても間に合わない……!


「ヤバ……っ」

「させない、よッ!!」


寸でのところでスピルが割って入り、男の攻撃は再び未遂に終わった。

剣と剣が交わり、派手に金属音が響く。刃の向こう側の冷たい瞳をスピルは鋭く睨みつける。


「全く衰えていないな」

「当然だ、君を止めなきゃいけないんだから……!!」

「……そうだな」


ガキンという音と共にスピルの握っている剣が宙を舞う。

男が力任せに振り切ったのだ。

相手との体格差から必然的に生み出される力の差には流石に早々覆せない。スピルの懐はたちまち無防備と化す。

しまった――そう声をあげたその時、突如男の動きが止まった。

上から何トンもの重りが落ちてきたかのようにその場に崩折れる。


「……でやァッ!!」


掛け声と共に飛び込む紅い影。渾身の力を込めて蹴りを繰り出し、男の顔に命中。

一気に部屋の向こう側、一番端の壁に身体を打ち付けた。


「……レヴィンっ!?」


その攻撃を繰り出した影へ向けてスピルが素っ頓狂な声を上げる。


「うっそレヴィンさんっ!?」

「あれ!?な、何でここにいるんですか!?」


トラベロとエウリューダも思わず目を丸くせずにはいられなかった。

おかしい、レヴィンは諸々の事情により連れていけない、というか連れていくワケにはいかないという話ではなかっただろうか……

しかしティルナノーグの仲間であのように動きを封じられる神秘力者は彼しかいないのもまた事実。


「バッカ、お前何できたんだよ!?」


思わず交戦中のアキアスも合間を縫って叫ぶ。各々の反応に対し、レヴィンは至って真剣な顔でこう言った。


「……何かどうしても、嫌な予感がしたから!」

「はぁ!?!?」


アキアスが他の誰よりも素っ頓狂な声を上げる。

――心配性、ここに極まれり。つまりは心配で心配で溜まらずに駆けつけたようだ。レインが止めたであろうにも関わらず……

流石にスピルも溜息をつき、トラベロとエウリューダもええ……と声を上げて呆れ気味な顔になる。


「……まあおかげで助かったから、大目に見るよ。ね」

「後で説教も覚悟の上だ。それよりもこいつを」


レヴィンは手袋をはめ直して構える。

男は既に立ち上がり、剣の切っ先をこちらに向けていた。

強い……今まで戦ってきた故に先程の一撃だけでその強さは尋常ではないと嫌でも理解した。

特にスピルは以前より覚えがあるようで、神妙な面持ちで冷や汗を浮かべている……


「……神秘力は使っていないのか」

使だけさ。レヴィン、彼の手には触れないように立ち回って」

「触れると発動するんだな」


スピルが念を押す程の力、どんなものかわからなくとも警戒するに越したことはない。

間合いを詰められぬようにするのが最良だろう――男が再び踏み出すと同時にレヴィンは右手を前に出し神秘力を発動した。

のしかかる重力に男と言えど逆らえず、簡単に動きを封じることができたが直後、銃弾が変則的な軌道を描いて飛んでくる。

レヴィンは左手をかざして自身の前に重力の壁を生み出し、強引に弾を叩き落とす。

が、背後は依然無防備で、そこを狙って冷静さを取り戻したエイヴァスの分身が姿を現し、スピルが間に入って切り払う。

血一つ流さず、分身はゆらりと消える……と、同時に重力で動きを封じていたハズの男の姿がぐしゃぐしゃに潰れた机と化した。


「な……!」


してやられた。

エイヴァスの神秘力により錯覚させられていたようだ。本物の男は二人の横から迫り剣を振るう!


「やらせないよ!!」


二人を庇うようにエウリューダが《絶対障壁》で剣を弾く。


「隙だらけだよ!」


しかしその反対側、エウリューダの死角を突いてエイヴァスの分身がまた一人襲いかかり、それをアキアスが氣弾を飛ばして防ぐ。


「よそ見すんじゃねえっつってんだろ!!」


アキアスは再び氣弾を練り上げエイヴァスの本体めがけて放つ。

エイヴァスはそれをサイドステップで回避、しかしアキアスが間髪入れず放ったもう一発は避けきれず腕を掠める。

再び冷静さを損なわせるには充分で、エイヴァスはまた我を忘れてアキアスへと飛びかかりその間にスピルとレヴィンが二人がかりで男と対峙する。

振り下ろされる剣をスピルがガードし、その隙を狙いレヴィンが拳を、脚を繰り出すがかわされ、彼の隙を埋めるようにスピルが剣を振るうの応酬が

続く。 途中銃弾が何度も襲いかかるが全てトラベロの炎が壁を作り焼き落とした。

焦げて灰になってしまえば好き勝手に動きはしないが、不規則にかつ高速で飛ぶ弾を仕留めるのは至難の業……

一歩間違えば取り返しが付かないプレッシャーがトラベロを襲う。


「(それでも、やらなきゃ……!)」


自分だって役に立てる、足手まといにはなりたくない。そう言い聞かせまた一発弾を焼き落とす。

その光景が目に映り、男は視線をトラベロに向けた。

攻撃の手を止めて、必死に炎を放つ彼の姿を暗闇のような瞳は捉えて離さない。


「よそ見をしている……」

「場合かいッ!!」


そこを狙い、スピルとレヴィンが二人一斉に飛びかかる。しかし、男は一向に動く様子を見せない。

――いけるか!?

一縷の希望を胸に剣が、脚が、全く視線を動かさない男へと繰り出される。

あと少しで届くというその時、男は再び動き出した。

急な風圧が二人を襲い、攻撃が阻まれると同時に先程の男と同じように部屋の壁に身体を叩きつけられ勢い良く倒れる。

スピルがぐぐ、と弱々しく顔を動かすと、男が剣を手前に出している。つまり、素の力による一振りだけであの風圧を起こしたということ。


「……冗談、だろ……!?」


レヴィンも同じように力ない動きで男を見る。

神秘力も何もないすの身体能力でこの力、只者ではないという表現すら彼の中では超越しかねなかった。

次の一撃がくるまでに態勢を整えなければ……《治癒円域》で体力の回復を試みる。

しかし、敵は待ってくれるワケがなく男は次の一手に出ていた。

視線を向けていたトラベロに対し、突進する!


「トラベロく――……っ!!」


エウリューダが庇うべく走り出そうとするが、突如彼の首に強い衝撃が走りその場に倒れ伏す。


「悪いね、今回は命令下ったんだ」


そう言ってエウリューダが倒れると同時に姿を現したのはカンパネラ。

構えている手刀が意識を昏倒させた張本人だと語る。

スピルとレヴィンの回復も間に合わず、トラベロの首に青いオーラをまとった男が手を伸ばす!


「っ、が……!」


気管を圧迫される感覚にトラベロは二の句を紡げずそのまま押し倒される。

同時に、急激な脱力感が彼を襲った。窒息がもたらすのとはまた別のものが。

男はそのまま馬乗りになり、首を絞める力を強めていく……


「トラ!!」


唯一動けるアキアスが助けようと氣弾を飛ばすが、カンパネラが神秘力を行使。不可視の壁がそれを阻む。

そこを突いてエイヴァスが飛び込み、かろうじて回避するが服の襟をナイフがかすめる。


「よそ見をするなと言ったのはお前だ!!」

「くっそ邪魔すんな!!どきやがれッ!!」


トラベロを助けようと動くが、エイヴァスが次々と分身を生み出し立ちはだかる。

その間にもトラベロの意識は徐々に遠のきつつあった。

苦しみに声なく呻きながら、やられるものかと神秘力で抵抗を試みるが……


「なん……で……っ!?」


念じても念じても、一向に炎が生まれない。

覚醒してから使わずにいたことはあっても、こんなことは一度もなかったのに……!

動揺がさらにトラベロから抵抗力を奪い、男の腕を掴む力すら抜けてくる。


「ダメっ!!」


そこでアジルターカ卿の避難を済ませたファナリヤが駆けつけ、髪の毛を繰り出した。

その一撃を回避すると同時に、男が離れトラベロはその場でげほごほと咽ぶ。


「はああっ!!」


そこに回復したスピルも加わり、ファナリヤの髪と共に剣が飛ぶ。

しかしまたカンパネラが神秘力による不可視の壁を作り、二人してはじき出されてしまう。

男は剣を下ろし、彼の方を振り向いた。


「……カンパネラ。時間か?」

「ああ、ジョン・ドゥは先に帰らせたよ」


カンパネラがそう答えると男は剣を鞘に収める。

これ以上戦うつもりがないのだろうか。カンパネラもエウリューダを壁にもたれかかせるように寝かせてから男に歩み寄った。


「待て、僕はまだ報復が済んでない!」

「時間きたんだから我慢しなよ、帰りが遅いと"姉さん"が心配するぜ?」

「ちっ……」


エイヴァスは不満げに渋々と合流しながらアキアスの方を睨みつける。


「命拾いしたね。次は必ず殺す」

「逃げるのかよ……!」


アキアスがそう言って前に出ようとしてスピルに諌められ、そのまま見送る姿勢を取る。

スピルの判断は正しい。依頼は達成したと見ていい上、こちら側はそれなりに手傷を負った。悔しいが、このまま見逃すのが最善手だ。


「判断力も変わらず、だな」

「君こそますます腕を上げたね……ユピテル」

「――!スピル、それは……」

「こいつがマグメールの親玉だってのか……!?」


レヴィンとアキアスの問いにスピルは答えない。否、その無言こそ肯定の意思と言うべきか。

彼のアメジストの瞳はただ真っ直ぐにユピテルという名の男を見つめている……


「今回は俺たちの負け。そっちがきっちりと護ったからな。でも……次はこうはいかないかもな」


ユピテルの意思を代弁するかのようにカンパネラが口を開く。

その言葉を残し、エイヴァスの神秘力による三人は姿を消した。



「……大丈夫ですか?」


戦いが終わった後、ファナリヤは心配そうにトラベロの隣にしゃがみ込む。


「僕は一応……大丈夫です。それよりもエウリューダさんが……」

「気絶してるだけだ、心配すんな」


エウリューダを抱きかかえ、アキアスが一言。

そう言いながらも彼の表情は不安が拭えず暗く、心底心配しているのが見て取れる。


「トラベロ君」

「スピルさん……すみません、心配かけて」


謝罪すると、スピルは気にしないでと優しく笑ってから真剣な顔で質問を一つ提示した。


「正直に教えてくれ。――神秘力、使よね?」


トラベロは俯き、黙って首を縦に振る。


「さっき……首を絞められた時から。あの時、その苦しさとは全く関係ない別の何かを感じました。

 何か、力が急に出なくなったというか……」

「……手に触れるなって、こういうことだったのか?」


怪我をしてないか確認しつつ、レヴィンが問う。

トラベロに表立った傷は見えないが、一つだけ異変があるのは確認できた。

……オーラが、見えない。

神秘力者の象徴たるオーラが、一つも発せられていないのだ。

これがスピルが警戒していた理由だったようで、こくりと頷き説明した。


「《神秘力封印アルカナ・ズィーゲル》。触れた相手の神秘力を封じる……文字通り使えなくする力さ」

「じゃあ、僕は……」

「大丈夫、時限式だ。一定の期間がすぎれば解ける」

「そう、なんですね。よかった……」

「――で、その神秘力を封じられるあいつが親玉だと」


割って入るようにアキアスが尋ねる。


「あまり踏み入ったことは聞かねえが……お前、何か関係あるみたいだな?」

「…………ああ」


間を置いて答えるスピルの表情は複雑だった。

過去を振り返り懐かしむのと、強い後悔の念、そして一種の使命感……それらが一気に感じ取れる。

そんな面持ちのまま、一呼吸置いてスピルはこう告げた。


「ユピテル・ヴァリウス。かつての僕の友であり、不死の肉体を持つ最強の神秘力者――彼が、僕を殺した張本人だ」


スピルはそれ以上の詳細を決して語ろうとはせず、ティルナノーグの長い半日はその沈黙と共に終わりを告げた。

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