第6話 侵入者

留置所のベッドで目を覚まして最初に思ったのは、子供がいるな、ということだ。

 目線の高さに腰のあたりがある。ベルトにはヒロトの見たことのない道具がいくつも括りつけられている。顔はよく見えない。天井に埋め込まれた常夜灯が逆光になっているからだ。

 こんなに暗いのは何故だろう。まだ夜が明けていないのか? 目をこらすと、子供の背後には煙草密売人の男が寝息をたてている。ああそうか、今おれは横浜駅の中にいるんだった。思い出すと、とたんに口の中に残っている昼間のカレーの感触が気になり始めた。

 再び目の前の子供を見た。なぜここに子供がいるんだろう? 警察員の仲間には見えない。

 急に視界が真っ赤に照らされて、ヒロトの思考は中断した。それがその子供の持つ細長い電光掲示板のものだと気づくまで数秒かかった。

『◆起こしてしまって申し訳ありません』

電光板には横一列に文字が流れていく。

『ここは単に通過するだけなので、できれば騒がないでいただけると助かります。◆』

「待て。お前は何者だ? どこから入ってきたんだ」

ヒロトは布団から這い出て、煙草売を起こさないように、声を抑えて喋った。ベッドに腰掛けている自分と、立っている子供の背丈が大体同じくらいだった。

『◆ただの通りすがりです。部屋に穴をあけたことは謝りますが、しばらくすれば塞がるのでご安心ください。ですが、ここはあなたの家というわけではなさそうですね◆』

電光板はそう言い、彼(たぶん男だ)は天井を指した。見るとそこには、下水路のマンホールよりも一回り小さい穴がある。人ひとりが辛うじて通れそうな大きさだ。

「お前がこれを開けたのか?」

『◆そうです。この上の通路を通っていたのですが、出口がなかったので仕方なく。◆』

掲示板にはそう表示された。妙なことに、彼はその掲示板に文字を打ち出すのに指一本動かしていないようだった。操作盤らしいものも見当たらない。

『◆ところで、先ほどあなたが眠っている間に、勝手ながら特性脳周波を確認させていただいたのですが、あなたはSUICAをインストールしていませんね。どうやってここに来たのですか。◆』

ヒロトは少し躊躇ったが、この子供の持つ技術力を鑑みて嘘をつくのは得策でないと判断した。布団の中に入れておいたかばんから、小さな箱状の端末を取り出した。

「これを使った。これがあれば、期間限定でエキナカに出入りできるんだ」

『◆これは18きっぷですね。存在はユキエさんから聞いていたのですが、実物ははじめて見ました。◆』

「そうだ。おれはこいつを諸事情で手に入れて、興味本位でエキナカに来たただの観光客なんだ。こっちの慣習を知らないもんで警察に捕まっちまって、このまま期限が切れたら自動改札が来て喫煙所とやらに放り出されてしまう」

煙草密売人の男が「うーん」と唸ってごろりと寝返りを打った。ヒロトはまた声を抑えて言った。

「ここから出たい。手を貸してくれないだろうか」

彼は少し考えてから言った。

『◆いいですよ。ただし交換条件として、その18きっぷを期限が終わったあとに僕に譲ってください。弊社で構造を調べようと思います。◆』

「使用後でいいのなら別に構わない」

『◆では交渉成立ですね。今からここを出ますので、ちょっとその布団でこれを覆っていただけますか? はい。そんな感じで。では行きます。◆』

そういうと彼は、ベルトから懐中電灯のような筒を取り出し、床に向けてスイッチを入れた。思ったよりも強烈な光が出て、煙草売の男がまた「うーん」と唸った。ヒロトは慌てて、隣の空いているベッドの布団も剥いで重ねた。それでようやく光を封じ込めた。


半時間ほど床を掘り続けて、二人は留置所の下にある通路に出た。常夜灯だけの留置所に比べればだいぶ明るいが、カビ臭さから判断するにもう使われていない旧道のようだった。横浜駅でも横須賀のような都市は人通りに合わせていくつもの通路が生成するが、新しい通路は上に積み重なるため、下に行くほど使われていない旧道が多い。

「わりと近いところに通路があって良かったですね。ひとまず横須賀からは離れたほうがいいでしょう。よその都市に行けば警察も別系統なので、捕まる心配はないですよ」

そこではじめて彼は自分の声で喋った。子供とも大人ともつかない中性的な声だ。ガラスの曇りきった案内板からどうにか「大船方面 徒歩125分」の文字を読み取ると、二人はその方向に歩き出した。

「いろいろと聞きたいことがあるんだが、…まず、何だ? その、懐中電灯みたいなのは」

「これは構造遺伝界のキャンセラーです。弊社が開発しました」

「構造いで…?」

そんな言葉を教授が使っていたような記憶があったが、あまり真剣に聞いていなかったので思い出せない。

「簡単に言えば、これを照射するとその部分が横浜駅ではなくなるんです。そうすれば簡単に崩せますし、自動改札も反応しません。まあ、数日もすれば周辺のコンクリートが寄ってきて穴が塞がるんですけどね」

彼の説明はヒロトには「このボタンを押すと太陽が西からのぼります」と言っているように聞こえた。いったん生成された横浜駅が人の手で崩せないというのは、それくらい確かなことだったのだ。

「…もしかしたら、あんたは『キセル同盟』のメンバーなのか?」

「キセル同盟?」

「おれに18きっぷを託した連中だ。おれはその『リーダー』の救出を頼まれて来たんだ。人類を横浜駅から解放するとか言っている」

「ふむ」

彼は数秒ほど黙って、

「そういう組織の存在は弊社も把握していますね。ただ、彼らはこういう道具を作る技術力は持っていないはずです」

確かにそうだ、とヒロトは思った。自動改札に追放されて九十九段下に逃げてきたあの男の印象と、いま目の前にある高度な技術力のイメージはどうにも合わない。

「ええと、それに、その組織の主な活動はスイカネットの支配だそうです。自動改札を制御しているスイカネットを乗っ取ることでの横浜駅からの解放を目標としているそうですね。物理的な防衛力は、彼らには本来必要のないものです」

そういう話は初耳だった。あの東山という男は解放の理念ばかりを熱く語っていたが、具体的な組織の活動内容についてはほとんど触れた記憶がない。

「物理的な防衛力」。ヒロトはそこでようやく、目の前の少年の正体に気づいた。

「そうか、あんたはこの本州の外から来たのか」

「そうです。自己紹介が遅れましたね。僕はネップシャマイ。JR北海道から派遣されてきた者です」



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