第二章 ~『結婚式』~


「それにしても豪華なもんだ」


 イリスとの結婚式はエスティア王国城で行われた。赤絨毯が敷かれた披露宴会場には、国内外の重要なポストに就いている紳士淑女たちで溢れていた。会場の至る所にテーブルが並べられ、その上には豪華な料理と酒が置かれている。美味しそうな匂いが山田の鼻腔をくすぐった。


「うまい飯を食いながらの結婚式か」


 エスティア王国では教会で式を挙げるという文化はなく、所謂披露宴に近いことをするのが一般的であった。


「こんな豪華なパーティに参加していると、入社式を思い出すな」


 山田が務めていた外資系投資銀行では、ニューヨークにある高級ホテルのパーティ会場を貸し切って盛大に行われた。


 旨い料理に旨い酒。新卒として入社した山田は、贅の限りを尽くしたもてなしを精一杯楽しんだ。だが後に彼は知ることになる。この時、もてなしを楽しんでいたのが彼だけだったということに。


 同期の同僚たちは皆不安で一杯だった。いつ首を切られるか分からない恐怖。先輩から聞いたリストラ話。一匹狼、もとい友人のいなかった山田は、先輩や同期から悲観的な話を聞くことなく、入社式を迎えたため、能天気なままでいられたのだ。


「あれが人生のピークだったな」


 入社式が終わると、そのままニューヨークで一か月の研修がある。そこで社会人としてのマナーや会社のことを学ぶのだ。


 ここまではまだ楽だ。学生の延長のような感覚である。


 だが研修が終わった後が地獄だった。実際に職場へ放り込まれ、始発終電で会社を行き来する社畜生活のスタートである。


 入社当初、六本木にある日本法人で働いていた山田は、あまりの激務に何度も体調を崩した。だが休みなんてものはない。


 何人もの同期が退社していき、新人たちのキラキラと輝いていた瞳が死んだ魚のように変わっていく。山田の眼は生まれつき死んだ魚のようだったけれども、それでも荒んだ性格に磨きがかかった気がした。


 それでも山田は会社を辞めなかった。若いうちに辛い思いを我慢して金を稼ぎ、その金で遊んで暮らす。夢の早期退職実現のために、外資系投資銀行はうってつけだったからだ。


 初年度の年収一五〇〇万円。とても新人に払うような金額ではないが、外資系投資銀行の世界ではおかしな数字ではない。


 一般的な企業なら部長職でないと稼げない額を会社が与えている理由はいくつかある。


 まず一つ目は激務だからだ。激務で給料が安ければ人はすぐに辞める。だが高給であれば残る者も多い。


 他には金を使う機会が多いこともあげられる。


 ニュース番組などで投資銀行に努めるエリートサラリーマンが六本木の高級マンションに住んでいて羨ましいとの情報が流れることがある。だが待ってほしい。彼らは六本木に住みたくて住んでいるのではないのだ。


 入社直後なら始発終電で帰れるが、仕事に慣れてくると、仕事量が増え、家に帰る時間はより少なくなる。


 そんな彼らが一秒でも早く家に帰るために、会社のある六本木に住むのだ。ちなみに外資系投資銀行の日本法人はなぜか六本木に密集している。


 高額な家賃は高給がなければ払えない。山田は金を貯めるためにできる限り安いマンションを探したが、それでも月の家賃が二〇万円を超えていた。六本木価格、恐るべしである。


「山田様♪」


 不意にイリスに声をかけられ、山田は意識を現実に戻される。声がした方向を振り返ると、純白のドレスに身を包んだイリスの姿があった。


 山田はゴクリと息を飲む。白磁の肌を着飾るような純白のドレス、陽光が反射して輝く銀髪、そして吸い込まれるような赤い瞳。さらには口元に浮かんだ愛情溢れる柔和な笑み。


「この娘が俺の嫁になるんだよなぁ」


 山田は人生のピークが更新されたと、喜びで胸を熱くした。


「どうでしょうか? お気に召しましたか?」

「いいね、すごく綺麗だ」


 山田が褒めると、イリスは白い頬を赤く染める。煽り抜きで、百年に一人の美少女だと彼は確信した。


「お主、相変わらず目が腐っておるのぉ」


 国王が葡萄酒片手に現れる。すでに出来上がっているのか、身体から酒の匂いが漂っていた。


「実の娘にこんなこと言うのもなんじゃが、ウェディングドレスを着てもブスな女を初めて見たぞい」

「俺も娘の晴れ舞台に、こんな酷いことを口にする親父は初めて見たよ」

「嬉しさのあまりの軽口じゃよ。イリスが落ち込んでいるときには口にせん」


 国王は娘の幸せを祝うようにガハハッと笑う。聞いているこちらまで幸せになりそうな笑い声だった。


「時間も勿体ないしのぉ。そろそろ結婚式を始めるかの」

「俺はなにをすればいいんだ?」

「イリスと共に、台座の上に立ち、二人で愛の宣誓をするだけじゃ。誓いのキスも忘れんようにな」


 国王に言われるがまま、山田はイリスと腕を組んで、台座の上に立つ。一生を添い遂げるとか、愛を誓うとか、そんな恥ずかしい台詞を台本通りに読み上げると、二人の頬が徐々に赤くなっていった。


「では誓いのキスを」


 国王が宣言すると、パーティ会場の招待客たちの視線が二人に集まる。


(なんだか恥ずかしいな)


 イリスは目を閉じて、色素の薄い唇を突き出す。彼はその求めるように、その唇にそっと触れる。生暖かい感覚が唇に広がった。そしてパーティ会場から響き渡る拍手の音。そして嘔吐する声。何人かの招待客が口から吐瀉物を吐き出していた。その中には父親の姿もある。


「ひでぇ、父親だな」

「すまん、あまりにキス顔がブザイクだったもんでのぉ」

「いや、笑いごとじゃないだろ」

「めでたい場じゃ。そう気にするな」


 引き攣った笑みしか返すことができない。ただ隣に立つイリスだけは、幸せそうに小さく笑っていた。


「山田様、いえ旦那様」

「旦那様⁉」

「御嫌でしたか?」

「そんなことはないが……呼ばれ慣れていないから、気恥ずかしくてな」

「ふふ、改めて、あなたの妻となったイリスです。末永くお願いしますね♪」

「ああ。よろしくな」


 結婚したのだと実感し、心中に変化が生じる。養ってもらうつもりなのは変わらないが、彼女を幸せにしてやりたいと矛盾した想いまで湧き上がってきた。


「アリアにも俺たちの幸せを自慢してやらないとな」

「先ほどまで会場にいたんじゃがな……おっ、戻ってきおった」


 姿を見せたアリアだが、見て取れるほどに目が腫れていた。


「イリス姉様、おめでとうございます。心から祝福します」

「アリア……」


 今にも泣きそうな顔と、台詞が一致していなかった。大好きな姉が嫁に行く悲しさか、それとも別の感情か。イリスだけがアリアの心中を察していた。


「改めて、旦那様にお伝えしたいことがあります!」

「俺に?」

「ご存知ないかもしれませんが、この国は一夫多妻制です」

「そうか……だがイリスがいれば他に嫁なんていらないからな。他の女に手を出したりはしないから安心してくれ」

「いいえ、逆です。旦那様にはもう一人、妻を娶っていただきたいのです」

「はぁ⁉」


 会場がざわめきに包まれる。男性側からならいざ知らず、女性側から一夫多妻を求めるなど前代未聞だからである。


「そして旦那様さえよければ、第二婦人にはアリアを選んで頂きたい……姉妹だから分かるのです。姉の私に遠慮していますが、アリアは旦那様のことが好きです」

「お姉様! いったい何を……」


 アリアは困惑するが、先ほどまでの暗い表情は消えている。何かを期待するように笑みさえ浮かんでいた。


「アリアは俺の事が好きなのか?」

「わ、私は別に山田君のことなんか……」

「ちなみに俺はイリスと同じくらい好きだぞ。もし許されるなら第二婦人にしたい」

「――ッ……急に男らしくなるのはズルいわ……」


 顔を耳まで真っ赤に染めて、視線を逸らす。これは了承を貰えるに違いない。そう期待するが、彼女の返答は予想外のものだった。


「私も山田君のことを……きっと好きだと思う。でも私は男性を好きになったことがないから、自分の心に確信が持てないの。だから……婚約者でどうかしら?」


 曖昧な答えだが、結婚は人生を左右する重要な判断だ。すぐに結論を下せないのも仕方がない。


 特にアリアはイリスと違い、相手に困ることはない。婚期が遅れても、いつでも挽回可能だからこそ、後悔のない結婚をして欲しいと山田はその提案を受け入れた。


「決まりじゃな……めでたい事ついでじゃ。戴冠式も執り行うとしようかの」

「はぁ⁉」

「今日から次の国王はお主になるのじゃよ」


 国王の地位を譲ろうというのに、近所にお裾分けでもするような気軽さだ。


「待て待て。本当に俺が国王でいいのか?」

「イリスの旦那で、アリアの婚約者じゃからな。お主以外に候補はおらん」

「だが俺は国王ではなく、専業主夫希望なんだが……」

「働きたくないのなら、仕事は全部家臣に押し付ければよかろう」

「最低だが、素晴らしい考えだ」


 場の空気から断ることはできそうにないし、結果的に働かなくて済むのなら国王でも構わない。山田は王座に座ることを了承する。


「皆、聞いての通りじゃ。ワシ、ユリウス三世は、娘婿の山田一郎に王位を譲る。どうか、新しい王を盛り立ててくれ」


 国王が宣言すると、招待客たちが盛大な拍手を浴びせる。新しい国王である山田はいきなりやってきた部外者だというのに、観客たちから拒否反応は含まれていない。誰もが「俺は嫌だがイリスを幸せにしてやってくれ」と祝福の気持ちを拍手に込めていた。


「忘れるところじゃった。これも渡しとかんとのぉ」

「何かくれるのか?」

「ワシの称号をお主に譲ろう」


 ユリウスが山田に触れて何かを呟くと、彼の体が小さく発光した。


「なにをしたんだ?」

「コンソールのステータスを見てみるのじゃ」


 山田は言われるがままにコンソールを開いてステータスを確認すると、称号の項目が『ゴミ』から『エスティア王国の国王』に変わっていることに気づく。


「きちんと変わっているようじゃの。これで称号の授与は完了じゃ」

「称号は確かに変わったが、これは何かの役に立つのか?」

「コンソールに称号の特別項目があるじゃろ」

「本当だ。増えているな……」

「称号はステータスの取得に影響を及ぼすだけでなく、称号に関連した情報を得ることができるのじゃよ」

「情報?」

「つまりじゃ。称号が医者であれば医療に関する情報が。大工であれば建築に関する情報を得ることができる。国王の称号は国を運営する必要があるからのぉ。国の財務状態などが一目で分かるようになっておる。王族しか知らん情報もそこに詰まっておるから、今後の国家運営の役に立つじゃろ」

「それは便利そうだな」


 情報は武器になる。投資銀行に勤めていた山田が学んだ人生の教訓だった。


「国民のステータスなんかも分かるのか」


 さっそく称号の項目を確認していた山田は、気になる情報を閲覧していく。得意な産業や他国との関係も記載されており、情報量は膨大であった。


「あれ、これって……」


 山田は国の歳入を見ていて、気になる項目を見つける。他の情報と照らし合わせ、その項目に関する詳細な情報を調べていくと、不安が確信に変わっていく。背中に冷たい汗が流れ始めた。


「どうしたんじゃ?」

「残念な知らせが二つもある。一つは俺がこれからも働かないといけなくなったことだ」

「もう一つの残念な知らせとはなんじゃ?」

「十年だ」

「なんじゃそれは?」

「この国が亡ぶまでの時間だよ」

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