1.想いに残る歌声 Singing voice that remembered.

 

 僕は、七季 雫。ここ、日本にある国務研究庁の研究員だ。

 コードネーム・ユリカ。この研究所で行われている最も重要な研究テーマ。僕は、そのプロジェクトの一員だった。だが、僕は今アメリカにいる。

 僕がアメリカに渡る一か月前ユリカは、ただのデータの塊から、一人の女性として目覚めた。ただ、我々人類とは違うゲノムを持った人体となって。

 ゲノムにはその生物の基本情報としての役割あるもの、しかし人類と同じゲノムを持つことは、この時空世界のみにしか適応できない生物となる。

 ユリカの目的は、この時空世界とは違う世界にリープさせること。この世界では適応しない物理の法則を立証させることだった。

 アメリカの研究所で行われていた研究。それはこの世界すべての研究のコアとなる。ユリカの体を別の時空間に飛ばす装置を開発する。そしてその為に必要な重力装置をオーストラリアの研究所で開発が進められていた。

 しかし、運命はオーストラリアで起きた悲劇によって書き換えられた。

 僕らの向かう未来は歪み始めたのだ。

 その歪みはすでに決められた法則によって着実に僕らの世界を蝕む。

 そう、全てはこの世界の筋書き通りに進んでいた。

 僕らはその筋書きを知らぬまま、運命という流れにこの身を寄せているに過ぎなかった。

 日本でのユリカプロジェクトは、最終局面を迎えていた。

 ボディ生成率九十六パーセント完了。生成完了まであと「八千二百八十秒」研究員たちは各自のモニターを食いいるように見つめている。今まさにユリカの体が完成しようとしている。

 ただ単にアンドロイドを作成するのであれば、この研究所の科学力であれば造作もない事だ。だがゲノムのない、いわば設計図のない人体を作るのは、コンパスなしで、大海原を回遊することに等しいことだった。


 ゼプト・テクノロジー。

 人体をゼプトの単位まで切り刻み、その位置パターンを電子情報としてプログラムする技術。この技術を利用することで、人体の全てを思い通りにカスタマイズすることが可能になる。遺伝子を操作してその成長過程を見守りながら変化を遂げるのではなく、遺伝子そのものまでもパージさせアッセンブリをすることが出来る。

 例をいうならば、三十歳の成人男性を完璧な女性に作り替えることが可能な技術。しかも年齢の設定や、今までの脳の記録も現実構成が可能な技術。もしくは全く別な体と人格をも得られる事が可能になる。

 最も、まったく別な人格の人間を創りあげても、ゲノム情報はこの世界の人類のものだ。だから…… 他の世界への転移は出来ない。この世界で生まれそしてこの世界でのみ生き耐えるしかないのだ。

 もし、固有の人体を保存するのであれば、パージした人体そのものを原子レベルにまとめられ、更に圧縮をして薬のカプセル程度の大きさまでにし、電子情報と共に保存される。保存される人体の細胞は、活動を停止している状態にあるため、老化は進行しない。つまり、時間と言う流れの影響を受けないということになる。それは一方通行な未来という時間への旅をも意味を成す。


「ユリカボディ生成完了しました。これより、全項目スキャンを実施します。スキャン終了時刻、日本時間で午前一時十八分」

 ユリカのボディは問題なく生成された。彼女が目覚めるまであと三時間四十分。この研究が成功に終わるかのせとぎわだ。それは彼女が目覚めなければ分からないことだ。 

 この研究の最高の瞬間を僕は全ての研究員たちと共に喜びをかみしめる事は無い。今の僕には…… 僕は一人、研究所の外にいた。

 そこは研究所が所有する滑走路。もう、暑さも感じられなくなった、秋の海なりは、一人になった僕の心をさらに締め上げていた。

 僕は、海に面する滑走路の端で一人海を眺めていた。

「雫。ここにいたの」

 ふと声をかけてきたのはドリーだった。僕はその声に応える事もなく、ただ海を眺めていた。ドリーは、何も言わず、僕の隣りに腰かけた。

「ユリカ、順調よ。安心して」

 僕は何も答えない。

 ドリーもそれを察していたように、静かに波打つ海を見つめた。

「雫、あなたのフェイスデザイン。あれ桜ちゃんよね」

 彼女は、静かに語りかけてきた。


「逝けなかったですか。サーバー、イーリスは認可しましたが……」

「ううん、そんなことないわ。あなたの思いがたくさん詰まったデザインだもの。それにとっても美人よ」

 僕の担当していたフェイスデザインは、ユリカプロジェクトの一番最後に完成した。実際僕がデザインしたフェイスは数千いや、数万の件数に及ぶ。だがサーバーイーリスはことごとく却下した。その中に、桜の面影を映したデザインはかなりの数があった。だが、そのデザイン自体無効として処理をされていた。

 ある日、消衰しきった僕は、ダメもとで純粋に桜の面影を八十パーセント、僕の面影を二十パーセントだけでアッセンブリをした。

 今まで少しでも桜のデータがあれば却下されていたものを、イーリスは認可した。

 それはどうしてかは分からない。

「あなた本当に頑張ったわ。ものすごく辛かったでしょう。私にもわかるわ、あなたの気持ち」

 僕はその言葉に少しいらだちを覚えた。

「わかるって。誰でも言えますよ」

 僕はドリーにきつく言い放った。

「そうね。他人事よね。でも私もあなたと同じ思いをしたわ。オーストラリアで……」

 ドリーは膝を抱え、静かに話し始めた。

「私ねここに来る前、オーストラリアのラボにいたの。そう、今から十七年も前になるかしら」

 滑走路のコンクリートに波がぶつかる音が静かになる。

「あのラボで私は家族と暮らしていた。父はそこの所長を務めていて、母親も科学者として従事していたの。ある日あのラボで事故が起きた、それは突然の出来事だった。一瞬にして、施設の三分の一が消滅したわ。そして多くの科学者も失った。その中に私の両親もいた」

 僕はドリーの横顔を見つめた。

「そう私もあなたと一緒。最愛の人を一瞬で亡くしたわ……」

 ドリーはうっすらと涙を浮かべていた。


 僕の最愛の人。倉塚桜くらつかさくらはもうこの世にはいない。


 桜も一瞬にして僕の前からその存在を消し去った。

 そう、僕が桜に指輪を贈る日。彼女はその運命がぷっつりと切れたかのように逝ってしまった。たくさんの思い出だけを僕に残して……


 カランカラン。カウベルの音が高らかになる。

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