第三部 雷雲の章

第一話 長閑ブルース

File-1 中央省庁区

 ユリンからほど近い位置にあるカナンの町で、怪我の治療をしていたレイヴン・クロウと合流し、公用車から列車に乗り換えることになった。

 カナンは小さな町だった。結界もユリンほど大規模なものではなく、ぎりぎり町を覆えるくらいで、もちろん空の色も灰色のままだ。まったく同じ真四角の倉庫のようなコンクリートの建物が並んだ一角を抜け、デザインは同じで大きさだけが数倍の駅舎に辿り着く。

 視察団を送る車を運転していたユリンの僧兵たちが帰って行くのを見送ってから、聖騎士たちに囲まれて駅の中へ入った。

 そのまま長距離列車のコンパートメントに乗せられ、半日ほど進んだ先のクスファムという村で一泊し、大陸横断鉄道に乗り換える。列車の中で一泊して、翌日の夕方には中央省庁区に辿り着く予定だ。

 車窓の外の風景は旅の間ずっと灰色の雲と不毛の荒野が続くだけで、否が応でもこの世界の現状を実感せずにはいられなかった。人が住んでいる場所は数時間に一度ある駅の周辺だけで、どこも堅固な結界と武装した砦に守られている。ユリンの花と陽光にあふれた街並みとは、まるで別世界だった。


 中央省庁区に着く予定の日、コンパートメントで昼食を食べていると、ランティスと見張りを交代したリサが戻ってきた。光の巫女の周囲を無防備にしておくわけにはいかないし、そうでなくともいつ天魔に襲われるかわからないから、聖騎士が三人も護衛についてきた、ということらしい。ジュリアンは一度も見張りに立っていないが、それは要するに彼が最後の砦ということだ。まだ怪我が癒えていないレイヴン・クロウは視察団の治癒術士と一緒のコンパートメントにいるので、列車に乗ってからは顔を見ていない。

「やー、もうすぐだね。着いたらどうすんの?」

 リサはジュリアンとフィラの向かいに座り、さっき全員に配られたアルミパック入りの戦闘糧食レーションを開封しながら軽く問いかけてくる。

「フィラはすぐにレイ家に預ける。我々はその後光王庁で第三特殊任務部隊レイリスの報告を受け、明日の早朝にはユリンへ戻る」

「え、いきなり一人で置いてっちゃうわけ?」

「ユリンもまだ完全に落ち着いたわけじゃない。カイとフェイルがいるとは言え、私があまり長く空けるわけにもいかないだろう。それに、お前とランティスにも戦力になってもらう必要がある。襲われこそしなかったが、ユリンの周囲にいつもより多くの天魔が集まっていることがここに来るまでに確認できた。念のため結界外の掃討もしておくべきだ」

「そういうことならしょうがないけど……」

 付属していたトレイに数個あるパックの中身を次々に出しながら、リサは不満そうな顔をした。

「フィラちゃん、大丈夫? 私がレイ家にお邪魔するわけにもいかんから、アレだったら団長置いていけないか根回ししたげるけど」

「いえ、大丈夫です。ティナもいますし、私のことよりユリンの安全を優先してもらう方が」

 主菜のトルテリーニをぼたぼたとトレイの上に落としながら、リサは呆然と口を開ける。

「いやー……良く出来た嫁だねー」

 感動しているらしいリサに、何だか申し訳ない気持ちになった。聖騎士たちが危険に身をさらすとわかっていて、ユリンにいるエルマーやエディスたちを先に心配してしまっただけなのに。

「怖くなかったの? こいつのお父さん」

「大丈夫、だと思います」

 前に出たらものすごく緊張はしそうだけれど、怖い、とは違う気がする。少し前に話したときの印象から、その点に関しては余り不安は感じていなかった。リサは半分納得していないような表情で、今度はジュリアンに向き直る。

「せっかく実家に行くんならさー、ついててあげれば良いのに。その方が両親も喜ぶんじゃないの?」

「そんなわけあるか」

 ターゲットを切り替えたリサに返されたのは、にべもない返事だった。

「フィラを連れて行く許可はもらっているが、いきなり宿泊客が増えても迷惑にしかならないだろう」

「二年ぶりに帰った子どもを歓迎しない親っているのかね?」

 トレイに食料を出し終えたリサは、フォークを手にとって食べ始める。

「家庭によりけりだろう」

「そんなもん? 私、親いないからわかんないんだよね。つーか回りも親いないのばっかだし」

 その言葉を最後にリサが食事に集中し始めてしまったので、その話はそこで終わりになった。フィラは落ち着かない気分で、また窓の外に視線を向ける。

 実家と疎遠だという話は聞いていたけれど、何だか思った以上によそよそしいみたいだ。ランベールとの会話も結局ほとんど聞けなかったけれど、あの雰囲気の後で親子らしい会話をしたともあまり考えられない。フィラもリサと同じように本当の両親のことは知らないから、家庭によりけりと言われてしまえばそれまでだった。


 灰色の空が微かに赤く染まり始めた頃、地平線の彼方に白い山のような何かが見え始めた。線路は真っ直ぐにそこへ向かっている。

 目をこらすと、その山がいくつもの尖塔を持った巨大な建造物であることがわかった。遙か遠方から見ているだけでも、その巨大で優美な姿はものすごい存在感でこちらを圧迫してくるようだ。

 近付くにつれて、白い山のような巨大建造物の麓に、無数の黒いビルが建ち並んでいることがわかる。その周囲を取り巻く城壁もかなりの高さだ。スケール感がわからなくなる風景だった。他の地域とは規模も雰囲気も全然違う。

 さらに列車が近付くと、見上げるほどの高さの城壁に邪魔されて巨大な建物の全体像は見えなくなってしまった。遠くからは真っ黒に見えた城壁には、細かい虹色の回路がびっしりと描かれていて、その上から中央省庁区全体をドーム状に覆う結界が、灰色の空へと伸びている。

 列車は城壁の数キロ手前で地下へ伸びるトンネルに入った。複雑な横道や剥き出しの鉄骨や用途のよくわからないケーブルを横目に、いくつかの駅を通過する。そしてトンネルに入ってから約三十分後、最後に止まったのは白くなめらかな材質で覆われた無人の駅だった。

「着いたよ~。光王庁地下駅でございまーす」

 リサがコンパートメントの扉を勢いよく開け放ちながら言う。

「俺たちが動くのは視察団が解散した後だ」

 ジュリアンが両腕を組んだまま言い放って、リサはため息をつきながらまた扉を閉じた。

「迎えは来てるんだっけ?」

「ああ。エリックが来ているはずだ」

 座席に逆戻りしたリサがにやりと笑みを浮かべる。

「フィラちゃんきっと驚くよ~」

「ああ。フェイルにそっくりだからな」

「あっ、先に答え言っちゃだめじゃん」

「エリックはフェイルの二つ上の兄でレイ家の執事だ」

 何で言っちゃうかなあと不満を漏らすリサを綺麗に無視して、ジュリアンは説明を続けた。

「レイ家でのお前の面倒は、基本的にエリックと母の二人で見ることになったと聞いている。実際に魔術を行使するところを見たことがあるわけではないが、母も優秀な魔術師だ。魔力の制御については、母に教えてもらうと良い」

「は、はい」

 初対面の人とこれから暮らしていくのだと考えると、何だか緊張する。

「大丈夫大丈夫、エリックさんて見た目も中身もほぼフェイルだし。セレスティーヌ様は優しそうだし」

 たぶん表情が強張ってしまったのだろう。リサが励ますように声をかけてくれた。

「ありがとうございます。大丈夫、だと思います」

 少なくとも、二年前に全ての記憶を失ってユリンにやって来たときよりは良い状況なのだ。これからお世話になる人たちは、皆今までお世話になってきた人たちの家族なのだから。ユリンに来た時のように、たまたま良い人たちに引き取られるという偶然の幸運を期待する必要もない。

 窓越しに視察団が解散するのを確認していたランティスがコンパートメントの外から「そろそろ行けるぜ」と声をかけてくる。その言葉を合図に三人は立ち上がり、列車の外に出た。

 視察団のいなくなった駅は人影一つ見えず、しんと静まりかえった中で音がやけに響く。白一色でだだっ広い構内には、所々にフィラにはよく意味のわからない情報を表示したモニターが浮かんでいた。

「こっちだ」

 ランティスに先導されて、やはり妙に白い材質で出来たエスカレーターに乗り、上の階に上がる。上がった場所からは三メートル四方くらいの空中に浮かんだリフトに乗り、長い廊下を運ばれた。

 廊下の途中、エレベーターホールでいったんリフトは停止する。

「じゃあ、俺らは先に聖騎士団本部で報告受けとくわ。お前の判断が必要な案件があったらまとめておく」

「ああ、よろしく頼む」

「じゃあフィラちゃん、またいつかねー」

 リフトから降りるランティスとリサを見送って、また移動を開始する。ジュリアンはリフトの手すりに寄りかかったまま、何か難しい表情で考え込んでいた。どうも話しかけられる雰囲気ではなかったので、フィラはティナと一緒に周囲をきょろきょろと見回す。と言っても、見るべき物はほとんどなかった。凹凸のない白い廊下が、どこまでも続いているだけだ。

「……今日は」

 ぼそりとジュリアンが口を開いて、フィラは退屈な風景から目を逸らし、改めてジュリアンを見つめる。

「父も家にいるそうだ」

「そうなんですか?」

「ああ」

 それきりまた黙り込んでしまったジュリアンに、フィラはふと疑問を抱く。

「あの、もしかして」

 まさかそんなはずはないだろうと思いながら、確かめずにはいられなくて口を開いていた。

「……緊張、してます?」

 ジュリアンの表情が一瞬、注意して見なくてはわからないほどかすかに強張って、またすぐ無表情に戻る。

「まあ……二年ぶりだからな」

 無表情のまま、ものすごく気まずそうに視線を逸らされた。

 そうは言っても実家に帰るだけなのに、カルマを前にしてさえ平静を保っていたジュリアンが態度に出してしまうほど緊張するってどうなんだろう。何でそんなに、と聞きたい気もしたが、家庭の事情にどこまで踏み込んで良いものか迷ってしまって、結局それ以上は質問を重ねられなかった。


 微妙な沈黙の中でリフトが辿り着いたのは、天井の高いロータリーだ。リフトから降りてすぐは車寄せになっていて、高級そうな黒くて長い車の前で、フェイルにそっくりなスーツ姿の男がかしこまっている。

「お帰りなさいませ、お坊ちゃま。お久しぶりでございます」

「ああ、わざわざすまないな、エリック」

 慇懃に頭を下げる男性にジュリアンが頷くと、エリックと呼ばれた男は嬉しそうに破顔しながら後部座席のドアを開けた。

「お嬢様がお坊ちゃまのご婚約者様でいらっしゃいますね?」

「は、はい」

 何度言われてもぬぐえない違和感に引きつりながら、フィラはゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなく頷く。

「エリックと申します。どうぞお乗りください、お嬢様」

「あ、ありがとうございます」

 緊張の余りドアの上に頭をぶつけそうになりながら、どうにか車の中へ潜り込んだ。ティナが肩から飛び降りて膝の上でもぞもぞと丸くなっている間に、ジュリアンも隣に乗り込んでくる。

「レイ家の邸までは車で十分ほどでございます」

 後部座席のドアを閉め、運転席に着いたエリックが落ち着いた声でそう告げて、車は走り出した。


 白く長い地下道を抜けて地上部に出る。楡の木が等間隔に並んだ人工的な森を通り、高く白い城壁を抜けると、そこは色も様式も様々な邸宅が建ち並ぶ高級住宅街だった。その向こうには、黒いビルが建ち並ぶ市街地も見える。

 振り返ると、今出てきた建物の偉容がそびえ立っていた。あまりにも巨大すぎて、白い壁が広がっているようにしか見えないけれど。

「今通り抜けてきたのが光王庁だ。聖騎士団の本部も僧兵の訓練所も各省庁の庁舎も裁判所も、全てあの中にある」

 だからあれだけ巨大なのか、と、フィラはジュリアンの説明に耳を傾けながら窓の外を見つめていた。

 光王庁の地下は装飾もほとんどないただ白いだけの空間だったけれど、外側はゴシック様式を基調とした豪華で優美な姿だ。この姿だけで、リラ教会がどれほどの力を持っているのかがわかる。

 視線を移して光王庁の周囲に広がる高級住宅街を見やると、こちらはまだ常識的な大きさの建物が並んでいた。それでも一軒一軒がユリンで一番大きな教会並の面積で、庭も庭園と言って差し支えないほどの規模だ。

「私、前は中央省庁区に住んでたんだよね?」

 余りにも見覚えがないので、ティナに向かって首を傾げた。以前住んでいたところに行けば、少なくとも既視感くらいはあると思っていたのに。

「住んでたっていうか、拠点の一つだったね。基本的にあっちこっちふらふらしてたからさ。でもこの辺には来たことないよ。僕らがいたのは、もっと外周に近い方か、裏側の公園として解放されてる辺りだから。ここらは庶民には縁のない場所なんだよ」

 だったら見覚えがなくても仕方ない。納得しながら窓の外を眺めているうちに、車は一軒の邸宅の門扉をくぐっていた。

 庭は立体ホログラムの白樺の森になっている。柔らかな白樺の新緑に囲まれたその邸は、その大きさに比してずいぶんと軽やかな印象だ。白い石材で作られた外壁は重さを感じさせない優美な曲線を基調にデザインされ、玄関ポーチもどこか植物の蔓を思わせる細い柱で支えられている。

 エリックは玄関の前に車を横付けにし、後部座席の扉を開いて深く腰を折った。

「ようこそおいでくださいました、お嬢様。奥様がお待ちです」

 まるで貴賓のような扱いをされたフィラは戸惑う。いや、光の巫女なら貴賓には違いないのだが、未だに自覚も実感もないフィラは、優雅に車を降りるジュリアンのように堂々とは振る舞えそうになかった。一つため息をつき、ティナを肩にすくい上げてからトートバッグを胸に抱えて車を降りる。

 目の前に迫る優美な邸宅は威圧的ではなかったけれど、人が住むには美しすぎて観光に来たような気分にしかなれない。

「ご案内いたします」

 エリックとジュリアンに続いて邸の中へ入りながら、フィラはこれからここでお世話になるなんて信じられないと、半信半疑な気持ちを持て余していた。

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