ドミ・アルダライル[降魔暦 467年]

第9話 破邪の結界

 夕闇に染まろうとしている空は高く、どこか清々しかった。

 あれほど眩しかった輝きは鳴りを潜め、穏やかな光をたたえた太陽はまもなく遥か西の大地へと吸い込まれていくだろう。

 風が緩やかに流れていた。山に囲まれた“谷”という独特の地形。標高のちがいによる温度差が風を生み、山間を流れる。生まれた風は“谷”という“空気の泉”に流れ込み、やがて麓へと、山へと循環していく。


 ドミ・アルダライルの人々があわただしく準備をしているころ。

 三人の旅人は山くだりに精を出していた。


 三人の男がひとり、ダラルード=ダレイル。

 逆立った真紅の髪は夕陽に照らされてなお、紅く際立っている。飾り気はないが傷のひとつひとつがそれまでの激戦を思わせるショルダーガード。背に据えられたるは圧倒的な存在感を放つ大剣。今にも地を引きずってしまいそうな長さのそれは、ただそこに在るだけで生半可な戦士などたちまち追い返してしまいそうだ。

 そしてなにより人目を引くのが、切れ長で深い金褐色の双眸そうぼう。その瞳からは何者にも侵されない意志の強さがにじみ出ている――はずだった。残念ながら今はうつろで、少し眠そうでもある。

 死の夢にうなされ、苦手な早起きをし、ひたすら山道を歩き山頂を抜け、下ってきた。鬱蒼うっそうとした木々にせばめられた視界のなか、緩やかに単調なアップダウンを繰りかえす道。

 ダラルードは退屈していた。


「なあルカ……」

「もう少し行けば街が見えてくるはずなんだが」


 ルカ・ハルメア。

 体のラインに合わせて仕立てた衣服と靴はとても山登りに適しているとはいえなかったが、それに関して彼が不満を漏らすことはない。ひとつに括ったブラウンの髪は、出発前よりも多少乱れているだろうか。


「それ、何回も聞いた……」


 とは言いつつも、木々の密度は徐々に薄くなってきており、やがて開けた風景があらわれてくる気配を感じさせる。今度こそは街に着くのだろう。おそらく、きっと。


「ルカ殿、聖なる谷に向かっているのはわかった。しかし目的の委細いさいをまだ聞いておらん」


 クラッサス=クレイスズ。

 ダラルードとルカにくらべると年齢を重ねた壮年の剣士ではあるが、三人のなかでもっともきびきびと歩いている。円筒状のハットと黒マント、左目に装着した片眼鏡とよく整えられた口髭が、森には異質だ。さらにいうならば腰に掛かった、祭典にでも使われそうなほど見事な装飾の曲刀も、ひときわ異彩をはなっている。


「ルカ殿?」

「――ああ……うん、そうだな。そろそろ……、話しておかないと」


 土と草しかなかった山の道はいつしか舗装された石畳へと変わり、とおくには石造りの民家が点在しているのが見える。街だ。

 目的地が近づいたことはそろそろ疲れも出てきた彼らにとってよろこばしいはずだったが、進みが遅れて二人のあとを力なく歩くルカを、ダラルードは気にしていた。

 歩みは止めず、軽く振りかえって聞いてみる。


「ルカ、なんか具合悪そうだな」

「そんなことは……。いや、嘘をついても仕方ないな。すまん、少し……気分が……」


 つづく言葉はなかった。いや、途切れてしまったというほうが正しい。ルカの倒れこむ音は、前を進む二人の足を止めた。

 ダラルードとクラッサスが振りかえるとそこには、片手で体をささえ膝をつき、もう片方の手で苦しそうに胸を押さえるルカがいた。


「どうされた、ルカ殿!」


 クラッサスが慌てて駆けよる。額にじっとりとした汗、多少だが呼吸もみだれている。

 ダラルードが顔を覗きこんだ。


「前に言っていた“結界”ってやつか……?」

「そう……みたいだ。まさか本当にあるとは……」


 体を起こそうとするルカにクラッサスが手を貸す。しかし首を横に振り、ルカは自力で立ち上がった。


「もう大丈夫だ。心配かけてすまない」

「ウソは顔色をよくしてから言えよ」

「いや、ホントに大丈夫だ。ちょっと油断していたというか」


 深呼吸をひとつ。


(まずいな、想定よりも効力が強い。しかし逆に考えると、これならも手出しできない……か)


「ルカ殿、“結界”というのは? 不勉強で申しわけないが教示いただけないか」

「よし、歩きながら説明する」


 石畳の道を街へ向かいながら、ルカは“結界”について二人へ簡単な説明をした。


 太陽の神ファールーンを信仰するファールー教。その最大教派であるルクネイア派の総本山であるここ聖なる谷には、邪悪な力を祓い民を護る結界が張られている。それは魔族や魔界生物だけでなく、降魔師の力も著しく減退、抑制させる効果がある――と、降魔師のあいだでは噂されていた。

 もっとも実際に入った者の記録はなく、真偽のほどはさだかではなかったのだが。


「どんな形でその結界が張られているのか、どんな効果があるのか。そういった具体的なことは何もわかっていないんだ。結界の降魔術を得意とする降魔師が交替で張りつづけているとか、強力な魔道具が存在していてその恩恵によってつくられているだとか、推察だけはいくらでもできるが……。ただ、噂だけが大きくなった単なるデマ、ってコトはどうやらないらしい」


 聖なる谷の現状を知る材料は少ない。

 北ユゴーと南ユゴー、二つの山群という天然の要塞に囲まれた閉鎖的な地形が外界との関係を希薄にしており、行き交いする人の流れも巡礼者を除けばほとんどない。

 しかもその信徒たちは各国に散らばっており、まとまった情報を一度に得ることは難しい。百年前の伝承や記述ばかりがきわだって、信憑性のない噂話が多いのも事実だ。


「そんでここからは、いままさにオレが体感した話。降魔師の体には魔力を循環させる仕組み……詳しくは省くが、そういうもんがあるってことだけわかってもらえればいい。それを押さえこまれた。いや、締めつけられたって感覚だったな。……だったというか、今もそうだ。単純に魔力の行使を妨害するタイプの結界ではないらしい」


「よくわかんねえが、つまりここではルカは降魔術を使えねえってことか」

「死ぬほど痛いのを我慢すればあるいは……。まあ、生きてるかぎりは無理だ」

「なるほど。だから我輩を連れてきた、ということだな?」

「そうだ。いざというとき、この状態のオレでは陛下を守れない」


 クラッサスは理解が早くて助かる、ルカはこの日、何度もそう思えた。


 いつのまにか夕陽はすっかり身を隠し、空を支配する役目は月にとってかわられていた。だが風、音、温度……それら雰囲気が、もうすぐ街に着くことを知らせてくれる。この緩やかな登り坂を越えれば、じきに入口が見えてくるだろう。


「それで、そんな谷にわざわざオレたちが行く目的なんだが……おっさん、歴史は詳しいか?」

「貴族として恥ずかしくない程度にならな。アルダライル王国の興亡こうぼうについてや、聖なる谷――ドミ・アルダライルへの脱出記などの書物はひととおり読んでおる」


 不意に、視界が広がる。山道は終わり、すっかり開けた場所に出てきたようだ。

 三人の目に飛び込んできたのはまさに天然の城壁である山々と、その麓に身を寄せ合うようにして連なる建造物郡。気付けば夜のとばりもすっかり下りており、街の灯と自然のコントラストが幻想的な風景を作り出していた。


「さすがだな。じゃあ……知ってるなら、この光景は説明不要だな……」


 ドミ・アルダライルの街、その入口には純白の法衣を着た集団、三十人以上。

 たいまつを持ち、三人を待ちかまえていた――。

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