聖なる谷~ウィルメリア廃教会[降魔暦 465年]

第34話 アンファルジュ=ガドフィー

――アルダライル暦116年、聖なる谷。


 ドミ・アルダライルの街が夜のあいだに蓄えた冷気は、ほのかな朝に暖められてもやへと変化していく。街全体がいまだ微睡まどろむこの時間に、ひとりの青年が街はずれへと向かっていた。

 この街を愛する彼にとっては視程していをさえぎる薄白いもやですら、石づくりと木づくりの入り混じる居住区を彩る装飾として好ましいものであった。


 透きとおった銀色の髪とエメラルドグリーンの瞳、早朝の谷の肌寒さを体現するかのような白い肌。神秘的なまでに整った美しく上品な顔だちは、異性のみならず同性からも憧れの念を抱かれるものであった。

 ルクネイア教団の法衣をまとい、アルダライル王国の紋章をガードにきざんだ長剣をたずさえる、その青年の名は――


「隠れてついてくるのであれば、足音は立てないほうがいいと思うよ?」

「ひゃわっ、わわわ……!?」

「おはよう、マキ」

「お、お、お、おはようございます! いいい、いつから気づいておられたのですかっ!? アンファルジュ兄さま……!」


 その青年の名は、アンファルジュ=ガドフィー。

 ルクネイア教団の騎士長を務める、若き剣士。


「家から、かな。それにしても今朝は早起きだね。ひとりで起きられて、えらいぞ」

「あー、また子供あつかいして! いつまでもお寝坊さんなマキではありませんっ!」


 アンファルジュとおなじく銀色の髪とエメラルドグリーンの瞳をもつ少女が、年の離れた兄の言葉に頬をふくらませる。

 兄はやさしく微笑むと、朝もやに湿る妹のミディアムヘアをわしわしと撫でた。


「もうっ、また子供あつかい!」

「あはは、ごめんよ。それで、がんばって早起きできたよい子のマキちゃんの目的は、王の鏡を見ることかな?」

「それもありますが……、今朝はその、お父さまがお出かけになってらっしゃるから、兄さまがひとりで心細いのではと……」


 顔を赤らめてもじもじと話す妹のあたまを、兄はもう一度つよく撫でた。


「やさしいなあ、マキは。ではお言葉に甘えて、護衛に任命しようかな?」

「わあ、はいっ! ご一緒いたします、アンファルジュ騎士長!」


 ぱあっと表情を明るくした少女は、満面の笑顔で朝もやの街をかけだした。


「えへへ、ありがとう兄さま!」


 うしろを歩くアンファルジュに向けて、うれしそうな声を上げる。

 そして聞き取れないほどの小さな声で、こうもつぶやいた。


(……だいすき!)


 マクィーユ=ガドフィー、十六歳。

 年齢よりも大人びて見られることの多い彼女は、兄・アンファルジュといるときだけは年相応か、あるいは幾分か年若く感じられた。



       ◆       ◆



「兄さま、さがっていてください。ここはわたしが!」

「うん、まかせるよ」


 王の鏡を設置してあるほこらの周囲には、鏡が発する微量な魔力に引かれて低位の魔族や魔獣が集まってくることがある。

 いまマクィーユたちのまえで敵意をあらわにしているのは、育ちかけの若木に低級魔族が憑依した怪植物だった。うねうねとムチのように二本の枝をしならせ、二人の騎士を威嚇している。


「この程度の魔族、わたしひとりでっ!」


 マクィーユが抜き身の長剣をかまえ、若木の魔族に向かって走る。

 直進してくる敵対者に対し怪植物が枝のムチをするどく振りおろすと、予測していたマクィーユは横方向に回避。振り返る勢いを利用して枝を斬り落とした。


 切り口から緑の樹液をほとばしらせて低いうなり声をあげる怪植物。

 そこへマクィーユが一気に肉薄し、もう一本の枝を素早く斬り上げる。

 つぎにこの異形が不快な声をあげようとしたときには、真横に一閃された長剣の輝きがすでに戦いを終わらせていた。


「お見事、いい動きだ。相変わらずマキの剣技は美しいな。まるで教則本が剣を振っているかのようだ」


 アンファルジュが真っ二つになって倒れた異形にエルシャフィエを突き刺す。聖剣はあかく輝き、若木の魔族は灰となって土に流れた。


「いいえ、兄さまの剣にはまだまだ……。わたしもはやく、エルに認められるほどの剣士になりたいのです」

「そうだね。マキがエルを使えるようになれば、私も安心して騎士長を引退できるかな。ああ、でも……」


 言いよどむアンファルジュの顔を、マクィーユがのぞきこむ。


「でも……、なんでしょう?」

「もしエルシャフィエを振るうときがきたら、そのときはマクィーユ。気をしっかり持っておかなければならないよ」

「……どういうことでしょうか?」

「私はときどきエルの底知れない力に、おそろしくなるときがある」

「兄さまほどの使い手がですか? まさか……。エルは神の加護を受けた聖なる剣です。畏怖することはあれど、恐怖するなんて」


 アンファルジュはすこし考えて、言った。


「……そうだな、いつかマキが私を追い抜いて、聖剣エルシャフィエを受け継ぐ日がきたら。すべて教えてあげるよ。お母様が私にそうしたようにね」

「えーっ! 追い抜くなんて、きっと無理です! わたしがお母さまや兄さまのようになるには、もっともっと時間が必要だと思うの。そしてそのころには、兄さまはもっともっと、もっともぉーっと、強くなっているもの」

「マキ、そうじゃない。時間というものは、ただ流れているわけではないんだ。誰しもに平等に与えられているように見えるけれど、実際はそうじゃない。求めたものだけに与えられるんだよ。人それぞれに時間をつかみ取って、人生をつくっていかなければならないんだ」

「うー、でもでも、兄さまに追いつくのは難しいです……。だって兄さまは、誰よりも時間を愛してらっしゃるもの」

「愛にもかぎりはないよ。私以上に、マキが時間を愛せばいい」

「もうっ、兄さまったら!」


 山むこうから太陽が顔を出し、谷全体を照らしはじめていた。


「つとめの時間だ。マキ、こっちへ来てごらん」

「はいっ!」



 根が露出した大樹のわきに、石づくりの小さなほこらがあった。祠の中には装飾のほどこされた一枚の丸鏡が備えてある。


「これが王の鏡なんですね……」

「そう。導師ガイト様から授けられた、ダラルード王の帰還を知らせる鏡だよ」


 アンファルジュはエルシャフィエを鞘ごとはずし、ひざまずく。そして剣に刻まれた鳳凰フェニックスの紋章を鏡面へうつし、祈りをささげた。


「神よ、太陽の神ファールーンよ。聖剣とともにアンファルジュ=ガドフィーが参りました。日々の御加護に感謝いたします。我が王の帰還の時をおしらせください……」


 やわらかく紅い光が鏡からはなたれ、数秒のあいだ祠の内部を染め、そしてゆっくりと消えていった。


「す、すごい! エルと王の鏡が反応したのですか?」

「はは、驚くのはそこじゃないよ。見てごらん、鏡枠を」


 マクィーユが、装飾のほどこされた鏡の枠を確認する。燃えさかる太陽をイメージさせる装飾は、しかし凍える氷の結晶のようでもあった。


「お父様によると、昔はもっと濃い青だったそうだ。まだ全体的に青みがかってはいるが、よく見ると内側に向けて紅くなっているのがわかるだろう?」

「……あ、たしかに。なんとなくですけど」

「これはね、ダラルード王の魂と反応しているんだよ。王が谷に近づけば近づくほど、枠の太陽が紅く染まっていくそうだ。それが導師ガイト様から託された、この鏡の秘密だよ」


 アンファルジュの言葉に、マクィーユが声をあげて飛びあがる。


「ではやはり、ダラルード王が復活なされたというお噂は本当なのですね!?」

「ああ、導師ガイト様の予言どおりだ。ダラルード王は万難を排し、ドミ・アルダライルへと帰還なされるだろう。それも、近いうちに!」

「すごい、すごいすごい! ではきっと兄さまが、新生アルダライル騎士団を率いることになるのですね! わあ、兄さまがダラルード王に仕える日が待ち遠しいです!」

「あはは、マキががんばって私を追い抜けば、マキの役目になるかもしれないよ?」


 マクィーユにエルシャフィエを見せながら、アンファルジュは笑う。


「わ、わたしが!? おおお、おそれおおいです!」

「どちらにしろ、騎士団をもっと強くしておかないとね。私たちも、英雄王とよばれるダラルード様の足手まといにならないよう、さらに鍛錬にはげむことにしよう」

「はいっ、兄さま!」


 英雄王の帰還まで、あと二年。

 このときのマクィーユ=ガドフィーには、自分がエルシャフィエの使い手になる想像なんて、まだできなかった。

 ただ兄のあとをついていけばいいと、そう思っていた――

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