第30話 Mors Principium Est(死は始まりにすぎない)

 強まる雨に勢いを削がれ、森にあがった火の手は黒煙とともにすっかり消え去っていた。

 ドミ・アルダライル北西の山中にある騎士団の修練場では、いまだ苛烈な戦いが繰り広げられている。


 降りしきる雨音を上書きするように聞こえてくる戦闘音。とくに、翼もつ石像が剣に弾かれる衝撃は一定のリズムをもって響きわたっていた。

王の剣を綾なす破壊の衝動エッジ・オブ・サニティ〉を纏ったダラルードの大剣は、たしかにこの石像にダメージを与えつづけている。石の肌にはいくつものヒビが見え、剥げ落ちた箇所も確認できる。さらにいうなら、翼までも欠けてきている。

 ダラルードがこのまま攻撃をつづければ、やがて完全な破壊にいたるまでそう時間はかからないだろう。


 この石像が出現したときと同じ、人間大のサイズであれば。


 石像の魔族――〈空の王者を模る石塊の戯具モルス・プリンシピアム・エスト〉の体躯は膨らむように徐々に巨大化しており、すでにダラルードよりふたまわりも大きく成長していた。


「こいつ、どんどんでかくなってやがるぜ!」

「おそらく、そこらじゅうから魔力をかき集めているのだ!」


 この魔族は取り込む――


 魂を。


 死体を。


 生体を。


「クラッサス様! 魔獣が土人形によって地中に引きずられて……!」

「とにかく、詠唱中のルカ殿をまもるのだ!」


 魔族はまず、魂を取り込んだ。


 生物を構成する三つの要素――体、心、そして魂。体と心の整合性をとり、結びつなぎ合わせ、ひとつの個体として成立させているもの、それこそが魂である。生物の命が終わったとき、魂は世界へと融合し、ひとつになる。


 本来はそうなるはずだった。

 だが、魔神器まじんきはその流れを妨害する。魔神器が活性化するとき、近くで死を迎えた生物の魂は魔神器へと集まるのだ。

 さらに降魔師センテンストの術式によってこの魔神器はいま、魂を集める用途ではなく、自身を経由した魂を石像の魔族へとおくる役割をはたしていた。


「この土人形、倒しても倒してもきりがない!」

「マキちゃん、あっちからも!」


 魔族はつぎに、死体を取り込んだ。


 ダラルードたちが気づいたときには、降魔師ソイルワークの操る低級魔族の憑依した土人形が、修練場のそこかしこにあらわれていた。

 土人形たちは、散らばった“うつわ”や合成魔獣キメラの死体を、ひとつひとつ地中へと引きずり込んでいった。大地に取り込まれた死体は急速に分解され、疑似的な魔力へと変換される。その魔力すべてが、石像の魔族へと送られているのだ。

 巨大化の兆候は、このころにあらわれた。


「おじさま、この石像ってもう……術者にあやつられているというより……」

「うむ、まちがいなくしておる……!」


 魔族はそして、生体を取り込んだ。


 石像の魔族は生きている合成魔獣キメラを捕獲すると、荒々しくみずからの身体に押しつけた。痛覚を持たないはずの合成魔獣が恐怖からき声をあげ、抜け出さんと暴れるほどに。しかし石の身体からにじみでる禍々しい灰色の霧は魔獣をつつみ、あとかたもなく吸収した。

 石像の魔族はダラルードの攻撃を受けつづけながら、ひたすらに魔獣を吸収していったのだ。


 これをもって、身体的な変化があらわれはじめた。


 剥げ落ちた石の肌の奥からは合成魔獣キメラと同じ硬質な鱗が見えており、胸にはしるヒビからは新たな頭部が生まれようとしている。二枚だった翼は四枚に増えていた。五枚目、六枚目の兆候も見てとれる。


空の王者を模る石塊の戯具モルス・プリンシピアム・エスト〉はもはや石像とはいいがたい、巨大な怪物へと変容していた。



 ルカが魔力の流れの変化に気づき、新たな召喚の詠唱を開始してから二分強。

 この場にいるだれもが、怪物の存在を認識していた。

 そして、この異形に恐怖をいだいていた。


 ――否。


 ただ一人、異形の怪物と対峙する男をのぞいて。


 英雄ダラルード=ダレイルはいまだ、笑っていた。

 よろこびすら感じていたかもしれない。


 暴風を纏った大剣がうなる。

 巨大な怪物に傷がつき、そしてその傷から新たな腕や脚、頭や翼が生えてくる。


「すっげえな! おいルカ、どうするよ!」

「詠唱中だ、ダル殿!」

「知ってるぜ、あと何分だ?」

「二分ほど。いけますかな?」

「ハッ、やるしかねえだろ!」

「ですな。こっちは……!」


 剣と爪が鋭い音を立て、交錯する。

 クラッサスとマクィーユは獣化した降魔師スカー・シンメトリーの猛攻に耐えていた。

 力に溺れ、狂気に満ちた形相で繰り出される連続攻撃。その矛先は、剣をかまえるクラッサスとマクィーユだけでなく、無防備なルカとヤココットにまで向けられている。

 クラッサスはスカーの筋肉の動きを限界まで読み、雨と風の流れまでをも肌で感じ取りながら戦っていた。そこまでしてようやく、後衛二人への攻撃を防ぐことができるのだ。

 黒き紳士が攻撃を止めた直後、マクィーユの剣がスカーを後退させる。エルシャフィエに斬られては無事でいられないという経験が、獣人となったスカーにの踏み込みをためらわせている。


 修練場全体にあれだけいた合成魔獣キメラからの攻撃はほとんどなくなっていた。かなりの数を倒したというのもあるが、それ以上に、異形の怪物に次々と取り込まれているのだ。生きている合成魔獣の数は、すでに十体を下回っている。


「どうなっておる!? 石像を制御しろ、ソイルワーク!」


 クラッサスやマクィーユと同様、スカーも焦っているようだった。


(こんな、こんなはずでは……!)


 今夜、老齢の降魔師はこれまでにないほど多くの実験データを持ち帰ることができるはずだった。

 聖なる谷ドミ・アルダライルを混乱に陥れること、邪魔をするものがあらわれるならばすみやかに排除すること。それだけが与えられた任務のはずだった。

 だが、現実はちがった。

 みずからのあやつる合成魔獣が、味方であったはずの石像に取り込まれていく。その光景は、数々の死線をくぐり抜けてきた彼にとっても理解できない状況だった。


 なにを考えているのかわからない二人の降魔師との合同任務――

 スカーは「この二人の行動には気をつけねばならない」と、認識していた。

 認識はしていたが、甘かった。


(まさかこんな……。わしを捨て駒にするとは……!)


 スカーはもう、みずからの命運を悟っていた。

 そして、絶望を怒りへと変換する選択肢しか残されていないこともまた、理解していた。


「センテンストぉぉぉぉぉッッッ! 許さぬぞォォォォォォッッ!!」


 森へ向けた叫び声が、雨に消える。



 白銀がスカーの眼前をかすめた。

 残像すらも切り裂くエルシャフィエでの斬撃、後退の隙を与えず。

 マクィーユは斬りかえし、硬質な鱗でおおわれた肌ごと、スカーのわき腹を裂いた。


「ギィアアアアアアァァァッッッ!!!」


 鮮血淋漓せんけつりんりして灰となり、雨とまじわり大地を黒に染める。


「……ま、まだ……」


 スカー・シンメトリーがなにか言いかけた、そのとき。


 獣化した降魔師の身体を、巨大な怪物の腕がつらぬいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます