第29話 ゆりの仙癒膏
その少女の可愛らしい美しさに礼次郎は一瞬目を奪われた。
だが、
「何見てるのよ!」
と、言う女の言葉で我に返り、文句を言った。
「あんた、さっきから大人しく聞いてりゃちょっと言い過ぎじゃないか?間違っただけなのに湯までかけてきて失礼だと思わないか」
「あんたが女湯に入って来るからでしょ!」
「知らなかったんだ」
「外に立札あるじゃない!」
「寝起きでぼーっとしてて見えなかったんだ!」
「どうだか・・・私が一人でいるから変なことしようとしたんでしょ!」
「そんなこと考えてない、あんたがいたことすら知らなかったんだ!」
「さっきだって私の胸見たでしょ!私を襲おうとしたんでしょ!」
そう言われると、礼次郎はますますムッとした。
礼次郎は先ほどちらっと目に入ったこの女の胸と、先日見た美濃島咲の胸を思わず比べてしまった。
美濃島咲はとても豊かな胸であったが、この女のはそれに比べるとだいぶ膨らみが小さい。
腹を立てた礼次郎は、つい意地悪に、
「あんたのあの小さい胸見たぐらいじゃ何かしようなんて思わねーよ!」
と、言ってしまった。
すると女は顔を赤くして大きな眼を吊り上げ、
「な・・・何よ・・・!酷い、最低!」
再びお湯を投げつけた。
「いいから早く出てってよ!」
「わかったよ、うるさい女だな!」
礼次郎は湯から身体を上げようとすると、女の背後上にある小さな岩がぐらりと傾いたのが目に入った。
「危ない!」
礼次郎は反射的に女の身体を抱き寄せた。
「えっ」
女がびっくりした瞬間、その岩がバシャンと音を立てて湯に落ちた。
「あ・・・」
女は声が出なかった。
「危ないところだった」
「あ・・・ありがとう」
女が戸惑いながら礼を言った。
「いや、別に」
と、礼次郎が言ったところで、二人ははっと状況に気付いた。
礼次郎の両腕が女の身体を抱き寄せている。
裸で。
「きゃあっ!!」
女は顔を真っ赤にし、慌てて離れた。
礼次郎も顔を赤らめてぱっと両手を放した。
「すまん!」
礼次郎が謝ると、女は背を向けたまま、
「・・・早く行きなさいよ」
と、ぽつりと言った。
「すまなかった・・・」
礼次郎は湯から身体を上げ、出て行こうと歩き出すと頭と身体がふらついた。
「う・・・」
疲労か、傷の痛みか、それとも思いがけず長時間湯に浸かっていたせいなのか、空間がぐらぐらと回った。
そして礼次郎は身体を支えきれずにドボンと湯に倒れ込んだ。
「え・・・!?」
その音に女は振り返り、礼次郎が湯の中に沈んだのを見ると驚いて駆け寄った。
「ちょっと・・・どうしたの?」
女は慌てて礼次郎の身体を湯の中から起こした。
「げほっ・・・ごほっ・・・」
礼次郎は口から水を吹き出した。
その時、女は初めて礼次郎の身体が傷だらけであることに気がついた。
「何この傷・・・しかもこんなに沢山・・・どうしたの?」
「う・・・」
礼次郎は頭が朦朧とし、うまく言葉が出ない。
「何か熱もあるみたい・・・のぼせただけじゃなさそうね。これは良くないわ」
女が呟くと、
「喜多!喜多!」
と、大声で叫んだ。
すると、すぐに喜多と呼ばれた女が外から飛んで来た。女であったが、男性のような色の服を着ていた。
喜多は状況を見ると驚き、
「ゆり様!その男は・・・?無礼者!」
と声を荒げて湯の中に入って駆け寄った。
ゆりと呼ばれたその少女は慌てて手を振り、
「大丈夫よ、喜多!別に何もされてないから!この人、どうも間違ってこっちに入って来ちゃったみたいなんだけど、見てほら、すごい傷だらけで何か熱もあるみたい」
と、言うと、喜多はふらついた身体を支えられている礼次郎を見て、
「確かに・・・これは尋常ではない様子」
「でしょ、ちょっと手伝って。あそこに寝かせよう」
「わかりました」
二人で湯から礼次郎を出し、脱衣所に連れて行って仰向けに寝かせた。
「喜多、手ぬぐいを・・・その・・・お願い」
ゆりは顔を赤らめて言った。
すると、喜多は笑って長い手ぬぐいを荷から取り出し、礼次郎の腰から股間の上にかけた。
その間、ゆりは急いで身体を拭き、服を着た。
礼次郎は少し頭がはっきりしてきたらしい。
「すまん・・・もう大丈夫だ」
半身を起こしかけると、
「ダメよ!ちょっと寝てて」
ゆりがしかりつけるような口調で言って礼次郎の身体を戻した。
その時、礼次郎の目に小さな木彫りの像が揺れるのが見えた。
それは小さく精巧にできた観音菩薩の木像で、ゆりはそれに革紐を通して首から提げていた。
「喜多、私の薬袋を取って」
「はい」
喜多が言われた通りに、荷からゆりの薬袋とやらを出してゆりに渡した。
受け取ると、ゆりはその中から紙に包んだ粉末状の薬を取り出した。
「はい、これを飲んで。熱が下がるから」
礼次郎に水と共に飲ませた。
「次は傷の薬ね」
ゆりは礼次郎の身体の傷を詳しく観察すると、
「こういう傷には・・・これが効くのよ」
半練り状の塗り薬を取り出して礼次郎の身体の傷に塗って行った。
その一連の手際の良さに礼次郎は内心驚愕した。まるで一流の医者のようである。
「これはね、仙癒膏って言って私が作った薬なの。試した限りではほぼどんな傷にもよく効くわ」
ゆりは礼次郎の身体の傷に次々と仙癒膏を塗って行く。
「自分で作った・・・ほ、本当か?」
礼次郎は驚いてゆりの顔を見た。
「本当よ」
と、ゆりが言うと、
「ゆり様は幼少の頃から医術に興味を持ち、学ばれ、薬の調合なども自分でされるのだ」
側に控える喜多が言った。
「そうか、見かけによらずすごいな・・・」
と、言って礼次郎はちらっと喜多を見た。
喜多は女性ながら眼光鋭く、凛としたその佇まいからは、隠そうとしているが武の匂いが漏れ漂う。
恐らくは相当に武芸の腕が立つであろう、と礼次郎は思った。
「はい、じゃあ今度は後ろ、背中ね」
礼次郎は少し恥ずかしげに手ぬぐいで前を隠しながらうつ伏せになった。
「わあ・・・こっちもすごい傷だらけね・・・・・・何でこうなったの?どこかの戦から逃げて来たの?」
「いや・・・まあちょっと・・・そんなところだ」
礼次郎は口を濁した。
「いや、違うわね、これは切り傷じゃないし。鞭や棒で叩かれたような傷・・・まるで拷問でもされたみたい。一体どうしたの?」
と、ゆりは仙癒膏を塗りながら言った。
――鋭いな・・・いや、医術の知識があるなら当然わかるか・・・それにしてもすごい女だ
礼次郎は感心した。
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