第6話 始められた戦

「何だと?」

「若殿が……家康殿の命を狙った? まさか?」


 宗龍と順八は唖然とした。だがすぐに思い直し、


「何を根拠に! 我が息子礼次郎がそのようなことをするはずがない!!


 宗龍が叫ぶと、倉本は待っていたとばかりに礼次郎の濃紺の小袖を高々と掲げた。


「これを見ろ! 今日その曲者を追い詰めたが、曲者は川に飛び込んで逃げた。しかしそやつは着物を脱いで行ったのだ。この曲者の着物には家紋がある……これは城戸家の三つ葉竜胆りんどう紋!!」


 宗龍は言葉が出なかった。そして倉本の掲げる小袖を凝視した。


「城戸家の家紋がついた着物を着られる者は二人しかおらぬ! 現当主のその方と、子息礼次郎! これこそ証拠だ!!」


 実際には好奇心から少し陣を覗きに来た程度だろうと言う事は倉本もわかっている。

 しかし証拠があればいくらでも話は捏造できる。家康と計り、城戸礼次郎が家康の命を狙ったと言うことにしたのだった。


 宗龍は小袖に視線を集中した。

 少々遠く、その小袖に本当に城戸家の家紋がついているかどうかまでは正確にわからなかった。

 しかしその色、大きさなどから見るに、


「あれは間違いなく礼次郎の物であろう」


 と判断できた。


「本当ですか? まさか若殿がそんなことを」

「そう言えば礼次郎は今朝からどこかへ行っていた……。そして茂吉が言っておった、礼次郎が上半身裸で帰って来たと」


 宗龍の背筋に冷たい汗が流れた。

 一呼吸つき、心身を落ち着かせると、大声を張り上げた。


「倉本殿、言い分はわかった! しかし我が城戸家は徳川殿と争うつもりなど毛頭無く、ましてや徳川殿のお命を狙うなどありえん。何かの間違いかもしれん、一度礼次郎に確認させていただきたい」

「では早急に礼次郎をこれへ連れて参れ!」


「今はおらぬ! 使いに出ておる。早急に呼び戻すゆえ、一両日お待ちいただけぬか?」

「見え透いた嘘をつくでない」

「嘘ではない、本当じゃ!」


 宗龍の言葉に、倉本はしばし考え、背後の徳川家康に、


「殿、如何いたしましょう?嘘をついているようには思えませぬが」


 と、聞くと、家康は笑って


「それならばなおのこと良い。嘘をつき、礼次郎を隠していると言うことにせよ」


 老獪な笑みを見せると、倉本虎之進は家康の意図を察した。


「宗龍殿。その方、嘘をつき、我が殿のお命を狙った礼次郎を匿うつもりと見る」


 倉本の大声が響く。


「違う、本当にいないのだ」


 宗龍は必死に訴えたが、倉本ははなから聞く耳を持たない。


「かくなる上は力ずくでも下手人城戸礼次郎を引き渡していただこう」


 倉本虎之進が、刀の鯉口を切った。


 その時、ちょうど寛介が手配した防備の兵たちが、塁壁の内側の狭間の前や付櫓の中など、持ち場につき終わった。


 宗龍は悟った。

 礼次郎の小袖の件が真実であるかないかはさておき、これは城戸を攻める大義名分が欲しい家康の策略。天哮丸がどうしても欲しい家康には、何を言っても兵を引かないであろう。

 ならば取る道は一つしかない。


「いたしかたなし、順八、応戦じゃ」


 宗龍の覚悟は速かった。

 全意識は防戦に向いた。


 同時に、


「かかれっ」


 と、倉本が抜いた刀を振り下ろした。


 こうして、否応なく戦が始まった。

 暗くなり始めた秋の空に、徳川軍が打ち鳴らす戦鼓の音が不気味に響き渡る。


「かかれ、かかれ!」


 倉本の号令一下、それまで静寂を保っていた徳川軍の兵達が、目覚めた猛獣の如く鬨の声を上げて城戸家の館に突進した。


「来たぞ、迎え撃ていっ!」


 城戸の館を囲む塁壁は、一段高くなっている。その塁壁の内側に張り付いた城戸軍の兵士たちが、寛介の命令によって一斉に狭間から弓矢と鉄砲を放った。

 高所から斜め下に向けて射撃される為、命中率は高かった。狭間から銃声が轟き、矢が銀線を描いて飛ぶと、たちまちに突進してくる徳川軍前線の兵士たちがばたばたと倒れた。


「怯むな!」


 それでも徳川軍の兵士らは、果敢にも水堀に飛び込み、塀にしがみついて登ろうとするが、城戸軍の攻撃はそれを許さず、次々と矢や銃弾を受けて水堀の中に沈んで行く。


 城戸の館にはここの正門の他、東門と西門があり、それらの門の前でも同様の光景が繰り広げられた。

 他に、後背に山を背負っている北側に小さな門があるのだが、そこは城戸家では緊急時に使う秘密の門とされており、また山に接している為にそこへ行くのも困難であり、徳川軍もその存在を知らないので防備は手薄であった。


 一方、城戸の町の民は突然始まった戦に混乱に陥り、逃げ惑った。

 徳川軍は民には手を出さなかったが、それでも武装して領主の館を攻める徳川軍は、民を怯えさせるには十分だった。



 その頃、礼次郎と順五郎は馬上のんびりと山道を登っていた。


「館も見えそうだ」


 順五郎が振り返った。

 眼下、少し遠くに小さく城戸の館が見える。


「もう暗くなりかけてるからはっきりとは見えないだろう」


 礼次郎が言う。


 実はこの時、すでに徳川軍が城戸の館を囲んでいたのだが、夕暮れの薄墨で彼らにはそこまで見えていなかった。


「この先にもう少し行くとうちの番小屋がある、もう暗いので今日はそこに泊まろう」


 と、礼次郎が言うと、


「少し気をつけた方がいいかも知れない、最近この辺を美濃島衆がうろうろしてるって噂だ」


 順五郎が言った。


 美濃島衆はこの近隣、大雲山麓に割拠する騎馬を得意とする武士集団である。かつては甲斐武田家の傘下にあってその騎馬軍団の一翼を成したが、武田家滅亡後、天正壬午の乱の折には、情勢に応じてあちこちの勢力にその精強な騎馬軍団を貸し出し、関東に名声を高めていた。


 しかし、


「美濃島衆って西の大雲山辺りの美濃島家か? 最近半盗賊化してるらしいな」

「そう、民衆を襲っては金品を奪ってるって話だ」

「あの美濃島衆が……落ちたもんだな」


 と、礼次郎が言った時、遠くの方で太鼓の音が聞こえた。


「何だ?」


 礼次郎が振り返った。


「太鼓の音か? しかも多い」


 順五郎も振り返る。


 音は止まらず鳴り続けている。

 遠く見える城戸の中心地からだ。

 このような音がこの辺りでここまで響いたことはかつて無かった。


 礼次郎の勘がざわついた。

 自然と馬を返していた。


「徳川だ……戻るぞ順五郎」

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