第220話 城戸家のその後

「ゆり……?」


 礼次郎は、半身を起こした。瞬間、割れるような頭痛に襲われて呻き声を上げた。


「ここは陣小屋か?」


 礼次郎は痛みに耐えながら、周囲を見回した。そこは、一軒の陣小屋の中であった。

 時刻は明け方であるらしい。薄暗い中に、布が陽光を透かし入れている。


「ええ、そうよ。冷えると行けないから、ここに運び込んだのよ」


 ゆりの目の下には、隈ができていた。だが、礼次郎が意識を回復したことで、瞳は輝いている。


「そうか」


 礼次郎は、ぼんやりとした表情で答え、


「で、何でゆりがここに?」

「銃弾や薬の補給を指示したじゃない。人がいなかったから、私も来たのよ」

「え? おい、危ないぞ。ここは戦場なんだ……」


 と言ったところで、礼次郎は思い出したように気付き、大声を上げた。


「あ、戦はどうなった? 確か七天山城を攻めていたはずだが」


 その時、この話し声に気付いて、外から順五郎が飛び込んで来た。


「目を覚ましたか!」


 続いて、壮之介や、千蔵など、皆も入って来た。

 礼次郎は彼らの顔を見回し、


「どうしたんだ皆。おい、戦はどうした? いや、それより俺は何でここに?」


 礼次郎の頭は、もやがかかったように曖昧で、記憶が途切れがちな上に混乱していた。

 壮之介はそれを察し、穏やかに言った。


「戦は我らの勝ちですぞ。七天山は落ちました」

「何……勝った?」

「まるで覚えておられぬのですか?」

「何だか変な感じだ。色々と思い出せないんだ」


 礼次郎が困ったように小首を傾げると、壮之介はそうですか、と頷いて、


「我らは昨日七天山を総攻撃し、風魔軍を壊滅させて落城させました。そして、殿は自ら七天山城の天守に飛び込み、風魔玄介と斬り合いに及んだ末、見事風魔玄介を討ち取りました。しかし、その後にご自身も倒れてしまったようなのです。そこを、千蔵どのが決死の覚悟で救い出して来られたのです」


 そう言う壮之介の顔を、礼次郎は呆然と見つめた。

 そして、必死に頭を働かせて思い出してみると、途切れていた記憶が徐々に戻って来た。


「あ、ああ……そうだ。そうだった……俺は風魔玄介を斬ったんだ……」


 礼次郎の脳裏に、龍ノ牙を放って玄介に致命傷を与えた瞬間、玄介の首を落とした時の場面などが、克明によみがえって来た。


「そうか。玄介を斬った。そして、俺達が勝ったか……」


 礼次郎は呟くように言った。まだ、何か実感が無かった。記憶は断片的に戻って来ているが、どこか夢の中のことのように感じられていた。


「そうだ、天哮丸はどうした?」


 ふと気付き、慌てて周囲を見回した。

 すると、千蔵が進み出て、天哮丸を両手で持って差し出した。


「こちらに」

 

 礼次郎は千蔵に向き直ると、両手でそれを受け取った。

 そして、じっと眺めた。

 その顔に、感慨深そうな色が浮かぶ。

 胸のうちには、様々な想いが去来していた。

 徳川軍によって城戸を滅ぼされたあの日。信州から越後、奥州まで駆け回って繰り広げた幾多の激闘、上州での三つ巴の戦から七天山での決戦……ここに至るまでの苦闘の日々が、脳裏を次々と走り抜けて行った。


 そんな礼次郎を見守る順五郎らの顔も、それぞれ一様に感極まったような表情をしていた。

 壮之介などは、目を潤ませていた。


 やがて礼次郎は、天哮丸を持ったまま、皆の顔を見回した。


「皆、よくやってくれた。礼を言いたい。本当に……」


 と、言いかけた時、陣小屋の外が騒がしくなり始めた。


「おう、また始まったか」


 順五郎が苦笑した。


「何だ?」


 礼次郎が怪訝そうに訊くと、


「外に出て、見てみたら?」


 美濃島咲が悪戯っぽく笑った。


「外? 何でだ?」

「いいから、出てみてよ」


 と、ゆりや壮之介らも口々に言うので、礼次郎は陣小屋の外に出てみた。


 すると、そこに沢山の城戸軍の兵士らが集まっていた。

 兵士らは、出て来た礼次郎の姿を見た途端、


「殿のお目覚めじゃ!」

「無事じゃった!」


 と、口々に歓喜の声を上げた。


「兵士らも皆、心配していたのですぞ」


 後から出て来た龍之丞が、礼次郎の背後で囁いた。

 礼次郎の顔が綻び、笑みとなった。だがすぐに、胸の底から熱いものが込み上げて来て、目が潤んでしまった。


「考えてみれば、俺と城戸家の勝手な戦いなんだ。それなのに皆、よく戦ってくれて……」


 礼次郎は、涙が零れ落ちるのを堪えようと、空を見上げた。


「殿、折角ですから、何かお言葉を」


 壮之介が背後から言った。


「おう、そうだな」


 礼次郎は指で目頭を押さえると、一歩進んで表情を正し、兵士らを見回した。

 兵士達の歓声が自然と止み、視線が礼次郎に集まった。

 礼次郎は大きく深呼吸をすると、口を開いた。


「皆、此度の戦、いや、これまでの戦、よくやってくれた。城戸家当主城戸頼龍として、礼を言いたい……」


 と、礼次郎は話し始めたのだが、そこで詰まってしまった。

 まだ頭痛も残っており、ぼーっとした感覚が抜けないせいで言葉が続かないのと、それ以上皆の顔を見ていると、万感の想いに涙が溢れてしまいそうだからである。


「…………」


 礼次郎は、少し考えた後、言葉を続けるのを止めた。

 兵士らの顔をゆっくりと見回す。

 そして突然、握っていた天哮丸を鞘から抜き放った。

 皆が何をするのかと見守る中、礼次郎は天哮丸を天に向かって突き上げた。

 声にならぬ雄叫びを上げた。


 すると、それに応えるように、兵士らも雄叫びを上げた。

 雄叫びはやがて歓声に変わった。

 そしてまた、「城戸家万歳! 礼次郎様万歳!」と言う声に変わると、その響きはいつまでも天地を揺るがし続けたのであった。



 その後、礼次郎と城戸家は、領内の守りを固めながら、力を蓄えていた。

 徳川家康は駿府へと撤退して行ったが、それでも敵であることには変わりなく、まだ天哮丸のことを諦めていないとも限らない。いつ何時再び襲来して来るかわからないのである。徳川だけではない、北条家にしてもそうである。現在城戸家が領有している何郷かは元々北条家の領土である。いつそれを取り返しに来るかはわからないのだ。


 だが、徳川にしても北条にしても、その本来の国力は城戸家の何十倍にもなる。

 先日までの徳川と風魔との戦は、最終的には徳川風魔連合軍との戦になったが、それまでは三つ巴の戦いであり、徳川軍は遥か遠くの国許から来ている遠征軍であることと、風魔幻狼衆の勢力は徳川や北条ほど巨大ではなかったことから、うまく戦略を進めて勝ち抜くことができた。


 しかし、徳川や北条がその巨大戦力で正面から当たって来たら、いかに手元に天哮丸があり、家臣団も粒揃いの精鋭たちであると言っても、まず城戸家に勝ち目はないであろう。

 緒戦やその次など、序盤は奇策秘策の限りを尽くして優勢に勝ち進めても、圧倒的な国力差は徐々に戦略に現れ、いずれ城戸家は息が切れて滅ぼされてしまうであろう。


 それ故、龍之丞は礼次郎に一つの進言をした。


「すでに天哮丸は取り戻しました。そして殿に領土を広げたいと言う欲が無いのであれば、もう徳川や北条とは戦わぬ方がよろしい。ここは和睦してはいかがでございましょうか」

「それは俺も考えている。だが、こちらからそれを申し出て奴らが聞くとは思えない」


 礼次郎は顔を曇らせた。


「策があります。越後の御屋形様や真田様を通じて、関白豊臣秀吉公に臣従を申し出ましょう。徳川家康は、すでに豊臣家に臣従しております。我らも同様に豊臣家に臣従し、関白様に和睦を仲立ちしてもらうのです」

「おお、なるほどな」


 と、礼次郎は膝を打ったが、一つ懸念が浮かんだ。


「だが、家康がそれを邪魔しようとするんじゃないか? 逆に、俺達城戸家を攻め滅ぼす許可をもらってしまうかも知れない」

「それ故に、越後の御屋形様と真田様に頼むのです。越後上杉家は早々に豊臣家に臣従し、御屋形様は関白様の信頼が篤うございます。また、直江の旦那も関白様に気にいられているだけでなく、その側近中の側近である石田治部少輔殿と非常に親しくしております。そして真田源次郎様も、関白様の馬廻りを務めておられます」

「あっ、そうか」

「それと、もう一つ話を通せる筋がございます」

「何だ?」

「伊川瑤子様です」

「え……母上?」


 礼次郎の側にいたゆりが口に手を当てた。


「あ、そうか。瑤子様は……」


 礼次郎は気付いた。

 ゆりの実母である伊川瑤子。彼女の夫である伊川経秀は、旧足利将軍家に連なる名族で、今は関白豊臣秀吉の近臣となっている。


「そうです。瑤子様と、伊川経秀様にも話をしてもらうのです。また、瑤子様の御実家である二条家は五摂家の一つであり、その御父君である晴良様はかつて関白を務めておられました。公家に実力はないとは言え、権威は未だございます」

「なるほど、わかった。じゃあ早速上杉様や真田様、瑤子様に相談しよう」

「実は、すでに話はしてあります」

「何?」

「いずれこうなる日が来るものと思い、直江の旦那には、先日こちらに兵を連れて来た時にすでにこの事を相談し、承諾を得ております。真田源次郎様も同じです、その時には必ず関白様の了承を取り付けて見せるとお約束くださいました。そして瑤子様。実は、瑤子様が城戸を出立される前、私は密かに瑤子様と話し、このことを相談いたしました。瑤子様も、ご快諾くださいました」


 すると、興味なさげな顔で聞いていた美濃島咲が、「ああっ」と声を上げた。


「あんた、あの宴の時に瑤子様をじっと見つめていたのって、そういうことを考えていたからなのね。私はてっきり瑤子様に夜這いをかけようとしているのかと思ったら……」

「はは、まあそういうことです」


 龍之丞はにやりと笑った。


「大したもんだ」


 礼次郎は、龍之丞のここまで見通して事前に根回しをしていた周到さに舌を巻いた。


 そして早速、越後春日山や信州上田、京の伊川瑤子の下へ使者が飛んだ。

 その結果、龍之丞が目論んだ通り、三方からの働きかけで、城戸家は豊臣家への臣従が叶い、同時に豊臣秀吉の仲立ちで徳川家康との和睦することとなった。


 徳川家康は、ちょうど城戸再攻撃の計画を練っていたところであり、その和睦命令には納得できないものがあったが、秀吉の命令に従わないわけには行かず、渋々和議に応じた。


 八月中旬、礼次郎は順五郎、龍之丞、ゆり、喜多を連れて上洛し、関白豊臣秀吉に謁見した。

 どう言うわけか礼次郎は秀吉に非常に気に入られた。その結果、城戸家は上野国碓氷郡城戸一帯の本領のみならず、美濃島一帯から七天山に至るまでの領有を認められ、名実共に大名となった。


 そして、大坂城内において、礼次郎は徳川家康と面会し、和睦調印をした。

 その時、家康は終始苦虫を噛み潰したような仏頂面であったが、何気ない時に、礼次郎が左手を腰帯にかけて刀の鯉口を切るような仕草をして家康に鋭い目を向けると、そこに当然刀など無いにも関わらず、家康は顔を青ざめさせた。

 その様が実におかしかったと、礼次郎は後年に回想して周囲に聞かせたことがある。


 その後、礼次郎は堺の町や京などを見物して回り、伊川瑤子とその夫伊川経秀にも挨拶をしてから、城戸へと帰った。

 北条家とは、その一ヵ月後に、徳川家康を通じて和睦が成立した。


 こうして、礼次郎と城戸家には、平和が訪れることとなった。

 その全てが終わったのは九月の中旬を過ぎた頃で、奇しくも徳川軍による城戸壊滅からほぼちょうど一年のことであった。

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