第217話 礼次郎対玄介…最後の戦い

 七天山本丸の天守は、五層五階の大天守を中心に、左右に二つの小天守も備えた大規模な連立式天守である。

 構造的には、後の姫路城の天守に近い感じである。


 そして、天守の周囲には、天守をぐるりと囲むようにして、石垣に挟まれた通路があり、その途中に二つの門がある。この二つの門を破って通路を進んで行って、ようやく天守の入り口に辿り着ける構造になっている。


 礼次郎は、ついて来た馬廻りの武者達、後から続いて来る兵士達と共に天守の狭間からの攻撃を果敢に防ぎつつ通路を進んで行った。

 そして多数の犠牲者を出しながらも、凄まじい激戦を経て二つの門を破り、天守の入り口にまで到達、また虎口でも激しい攻防を繰り広げた末についに天守の内部に突入することに成功した。

 しかしその時には、礼次郎の馬廻りは半数ほどに減ってしまっていると言う有様であった。


 大天守の一階は広大で、大きな板張りの広間を中心にして、武具倉庫や厠とみられる小部屋がいくつかあった。また、渡櫓があって左右の小天守に通じている。

 そのあちこちに風魔の兵士や忍びらが多数詰めていた。彼らは突入して来た城戸軍を見ると喚声を上げながら殺到し、ここでもまた敵味方入り乱れる激戦となった。


 礼次郎は率先して先頭に立って縦横に斬り回り、馬廻りの武者たち、兵士たちも激しく火花を散らして風魔兵と斬り合った。


 風魔の者らは、この期に及んでも士気を失って逃げ惑うようなことはなかった。ここが最後の意地の見せどころとばかり、見事な奮戦を見せるのは流石であった。


 礼次郎らは、後から城戸兵らが次々と駆けつけて来たのもあって、最終的には一階の風魔兵らを粗方斬り伏せることに成功した。だが、その時には城戸軍側もまた半数ほどが犠牲となっており、礼次郎の周囲には六十人ほどしか残っていなかった。


「流石だ。だがここで怯むわけには行かない。上には風魔玄介がいる。行くぞ」


 礼次郎の直感は、風魔玄介の強く巨大な気を感じ取っていた。

 返り血塗れの顔で、残った者らを鼓舞し、二階へ上がる階段に足をかけた。

 だがその時であった。


「殿、一大事です。火がかけられております!」


 まだ広間の外の廊下にいた兵士数人が、悲鳴を上げながら走って来た。


「何?」


 礼次郎は驚き、すぐに戻って行ってみれば、確かに火が燃える匂いと、物が焦げる音がする。

 広間を突っ切って廊下に出てみれば、その奥の壁や床に炎が這っているのが見えた。その更に奥は天守と外を繋ぐ入口があり、恐らくそこにもすでに火が回っているであろう。

 道理で、先程から味方の兵が続いて入って来ないはずであった。


「どういうことだ。誰が火を放った。火をかけることは禁じていたはずだ!」


 礼次郎が思わず怒って声を荒げると、馬廻り組の一人が答えた。


「敵の数人が、"火を放てっ、お頭の命令だ"と叫んでいたのを聞きました。恐らく風魔の連中自ら火を放ったようです」

「何だと……そうか、風魔玄介の奴、自らの命も天哮丸も、この天守ごと炎の中に焼くつもりか!」


 礼次郎は目を怒らせた。

 そこへ、馬廻りの一人が、煤と血に塗れた顔を青くして言った。


「殿、戻りましょう。入口にもすでに火が回っていると思われますが、今ならまだ出られるはずです。逆に、今ここから出なければ、敵将風魔玄介を討ち取ったとしても、我らはこの天守の中で焼かれてしまいます」


 何人かが、それに賛意を示した。他の者らは、緊迫した顔で礼次郎を見ている。

 礼次郎は無念そうな顔で唇を噛み、燃え始めている廊下の奥を見た。次に振り返って広間の奥の二階への階段を見た。そして再び廊下の奥を見ると、覚悟を決めた顔で周囲の武者たちに言った。


「二手に分ける。お前たちは何とかしてここから出て、外の味方にこの事を知らせて来い。そして千蔵や喜多らに、消火させるように言え。そして森川、高木……お前たちは俺と共に来い。ここまで来たら、何としても風魔玄介の首を挙げる。上にはまだ火は回っていない。風魔玄介を斬り、上の階の窓から外に出ると言う手もあるしな」


 こう言って、礼次郎は、残っている兵士らを二手に分けた。

 武者たちはそれぞれ「承知仕りました」「お供いたします!」と力強く答えた。

 礼次郎は、二十人ほどを入口へと走らせ、残った四十人近くを引き連れて二階へと上がった。

 二階、三階にはまだ風魔の兵士らがおり、


「ここからは行かせんぞ!」


 と、次々とやって来て立ち塞ぎ、襲いかかって来る。


「怯むな、かかれっ!」


 礼次郎は、兵士らと共に応戦したが、敵はいずれも風魔軍の幹部と見られる上等な甲冑に身を包んだ男達で、手練れの猛者揃いであった。


 激しい斬り合いの末に何とかその全てを斬り伏せることはできたが、その時には礼次郎側もかなり犠牲者を出しており、最後に立っていたのはわずかに五人と言う凄まじさであった。


「五人か……皆、すまなかった」


 礼次郎は、無残に倒れている自軍の兵士らを見て、辛そうに目を閉じた。

 その後、乱れた呼吸を整えながら、残った五人を見回し、無言で頷いた後、


「よし、行くぞ。この上に風魔玄介がいるはずだ」


 と、更に階段を上がった。


 その四階は、武者走りや廊下などは無く、全面板張りの大広間であった。


 そして、その広間の上段中央に、床に突き刺した天哮丸を前にして、風魔玄介が目を閉じて座っていた。

 玄介は、乱入して来た礼次郎たちに気付き、目を開けた。


 風魔玄介は、礼次郎たちを見ても、特に驚くような顔はしなかった。

 礼次郎が迫って来ていることは感じ取っていたらしい。

 むしろ、礼次郎を見て薄笑いを浮かべた。


「もしかしたら自ら来るかも知れんとは思っていたが、本当に来やがったか。すでに火はかけられていると言うのに馬鹿な奴だ」


 酷薄な表情とは逆に、静かな口調で玄介が言うと、場の空気が急に冷たく張り詰めた。

 礼次郎は玄介を睨みながらゆっくりと中央へと歩いて行くと、無言で覇天の剣を正眼に構えた。


「この戦はすでに貴様ら城戸軍の勝ちだ。俺のことなど放っておけばよいものを……わざわざここへやって来るとはな。天哮丸このけんがそんなに大事か? それとも俺と一対一で決着をつけたいのか?」

「その両方かな」


 礼次郎は不敵に笑った。


 玄介は、薄笑いのままゆっくりと立ち上がった。

 目の前の床に突き刺している天哮丸を右手で引き抜くと、前に向かって鋭く切っ先を突き出した。


「いいだろう、返してやるよ。俺が天哮丸で貴様を殺した後にな」

「…………」

「じきに炎はここにまで回り、この天守は焼け落ちるだろう。いかに天哮丸が魔力を持った宝剣と言えど、炎には抗えまい。死んだ貴様の手に天哮丸を握らせてやるから、共にあの世へ行くんだな」


 玄介はにやりと笑い、


「まあ、俺もその後に地獄に行くことになるんだが……ちょうどいい、閻魔と斬り合う前の稽古と行くか」


 と言うと、表情が恐ろしく一変した。瞬間――玄介の身体が大きくなり、天哮丸の斬撃が銀光を弾いて礼次郎の眼前に迫った。

 金属音が鳴り響いた。

 礼次郎は玄介が袈裟に放って来た斬撃を下から跳ね飛ばしていた。そして、すぐに数歩飛び下がって正眼に構え直した。


「殿をお守りせよ!」


 ここまで礼次郎と共に来た五人は、勇敢な猛者たちである。

 すぐに声を掛け合い、二人が礼次郎の前に飛び出し、三人が風魔玄介の背後に回り込んだ。


 だが、玄介の絶技はその上を遥かに行く。玄介は背後を振り返ると同時に飛び、一瞬でその間合いを詰めるや、一人の喉首を剣で貫いた。


 驚いた残りの二人が慌てて玄介に斬りかかる。

 しかし、玄介は左右から飛び交う斬撃を紙一重で躱すや、その振り下ろされた剣の峰を両足で踏み落とした。

 驚いた二人がすぐに玄介を跳ね飛ばそうと剣を上げたが、玄介はその勢いに乗って高く舞った。

 そして二人の頭上を一回転しながら飛び越え、更に剣を振って一人の肩口を斬った。

 斬られた一人は前方によろめいた。その瞬間を逃さず、背後に着地した玄介は身をひねりざまに天哮丸を一閃、鮮やかに斬り伏せてしまった。

 更に返す刀でもう一人をも斬り倒し、あっと言う間に三人が斬り倒れされた。


 それを見て、礼次郎の前に立っていた二人の顔に、明らかな驚愕と恐怖の色が浮かんだ。

 礼次郎はそれに気付き、


「無茶はしなくていい、俺を援護してくれ」


 と言って更に二人の前に出るや、天哮丸を構え直した玄介に向かって走った。

 素早く間合いを詰め、右から水平に覇天の剣を振る。

 玄介もまた水平に剣を走らせてそれを防いだ。


「敵ながら流石だ。これほど鋭い太刀筋にはなかなかお目にかかれない」


 玄介は笑いながら飛び退くと、八相に剣を上げた。

 その時、残りの二人の兵が、果敢に玄介の左右両脇に回り込んだ。

 だが、


「存分に楽しみたいから邪魔をしないでくれるかな」


 と、玄介が笑いながら床板を蹴った。


 礼次郎は、そうはさせまいと、すぐに玄介に向かって行ったが、玄介はそれよりも速く一人を斬り伏せていた。

 そして振り向いて跳躍するや礼次郎の頭上を大きく越え、飛び降りざまに残りの一人に向かって剣を振り下ろした。

 落下の勢いと自重を載せた強烈極まる一撃が肩に炸裂し、袖ごと叩き斬って腕が鮮血と共に飛んだ。悲鳴を上げてのたうち回るその首へ、玄介は天哮丸を突き刺してとどめを刺した。


 電光石火の早業であった。

 あっと言う間に広間が静寂に包まれ、礼次郎と玄介の二人だけとなった。


 玄介は振り返り、顔に付着した返り血を指で拭いながら、礼次郎に向き直った。



「さて、これで邪魔はいなくなったな。閻魔の前じゃ斬り合えない。共に地獄に行く前に、この世で一対一の決着をつけておこうぜ」


 玄介は、笑いながら剣を八相に構えた。


「死ぬつもりはない。お前を斬り、天哮丸を取り戻してここから出る」


 礼次郎は正眼に構える。


「はは……馬鹿を言うなよ。聞こえるか? おい」


 玄介がこう言った意味を、礼次郎はすぐにわかった。

 下層の方から、炎が燃え盛る音がはっきりと聞こえて来ていた。しかもそれは徐々に大きくなって来ている。

 空気も熱かった。立っているだけで、背中や頭が汗ばむぐらいである。礼次郎は、左手で冑の緒を解き、冑を脱ぎ捨てた。


「お前も本当に馬鹿な奴だな。たかだかこんな剣一本の為に、わざわざ火の回ったここに乗り込んで来るなんてよ。仮に俺を斬ったとしても、その時にはもう炎の中さ」


 玄介は高い声でせせら笑うと、床を蹴って飛び掛かって来た。

 礼次郎は攻撃を防ごうと剣を振りかけたが、その瞬間、玄介の姿が消えている。


 ――後ろか!


 礼次郎は振り返りながら剣を水平に振った。読み通り、そこに玄介の姿があった。

 だが玄介は礼次郎の一閃をのけぞって紙一重で躱すと、下から摺り上げの剣を放った。

 礼次郎は短い気合いと共に剣を振り下ろす。二本の剣光が音を立てて噛み合い、青白い火花が弾けた。


 すぐに玄介は一段下がり、小さく構えた上段から唐竹割りに振り下ろそうとした――その瞬間を、礼次郎は完璧に読み切っていた。

 剣を振り上げたそのほんの一瞬だけ、玄介の胴ががら空きになる。礼次郎はその瞬間の隙をつき、玄介の胴に稲妻の如き突きを放った。真円流の秘剣影牙である。

 だが、突き刺した感触は無かった。切っ先は虚空を突き、玄介の身体はその先にあった。


「俺に影牙は通用せんぞ」


 玄介はにやりと笑った。天哮丸はまだ上段に構えていたままであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る