第216話 風魔玄介の覚悟

 礼次郎の計算通り、総大将である礼次郎自身が一隊を率いて加勢に駆けつけて来た、と言うことが知らされると、城戸軍全体の士気は大いに奮った。


「ここが踏ん張りどころぞ! 皆の働きは俺自身でよく見ておく、働きの良い者には倍の褒美を出すぞ、励め!」


 礼次郎が自ら駆け回り、大声で兵士らを鼓舞して回ると、城戸軍の兵士らの士気は天を衝くばかりとなった。

 再び勢いを取り戻し、風魔軍を押し返し始めた。


 その時、風魔玄介は本丸まで退いて、小天守の付櫓から戦況を俯瞰しながら指揮を執っていたのだが、礼次郎自身の加勢によって城戸軍が盛り返し始めたのを見て声を荒げた。


「おのれ、城戸礼次郎、忌々しい奴め! こうなったら俺自身で奴の首を取ってやる!」


 と、再び前線に飛び込むべく天守から出た。

 しかしその時、ついに二の丸の一角の門が城戸軍によって破られた。

 城戸軍の兵士らがそこからどっと突入する。城戸兵らは、二の丸内の風魔兵らに襲いかかり、追い回しながら二の丸の各所に雪崩れ込んで行った。

 続いて他の門も破られ始めると、二の丸はあっと言う間に城戸兵で満ち、あちこちで激しい白兵戦が展開された。


「怯むな、かかれっ!」


 風魔玄介は、本丸の塁壁の上から二の丸内に降り立つと、先程と同様、兵士らを鼓舞しながら、自ら天哮丸を握って城戸軍の中へ斬り込んで行った。

 しかし、二の丸内に突入したことで城戸軍は更に勢いづいており、風魔玄介が天哮丸をもって斬り回っても、先程のように城戸軍の士気を挫くことはできなかった。


 風魔方の二の丸、本丸に詰めている兵士らは、風魔軍の中でも最強の精鋭たちである。

 流石に精強無比で、二の丸内に城戸軍の突入を許しても士気が崩れるようなことはなく、よく防いでいた。

 この状況においても城戸軍と互角の戦いを演じ、一時は押し返すほどの動きを見せた。

 しかし、二の丸に突入したことで更に勢いづいている城戸軍が、数の上での優位もあって、徐々に風魔側を圧して行った。


 玄介は自ら斬り回りながら、その光景を見ていた。

 雄叫びを上げながら突進して来る城戸軍の兵士らに、風魔の兵士らが胸を槍で貫かれ、矢で背を射抜かれ、喉首を太刀で斬られる。

 自ら選りすぐった自慢の精鋭たちが、一人また一人と倒れて行く。


 玄介は、おもむろに天哮丸を振る手を止めた。

 珍しく息を乱しながら、その光景を呆然と見つめた。

 何者が放ったのであろう。一本の矢が飛んで来た。いかによそ見をしていようとも、玄介ならばその気を感じ、難なく躱すであろう流れ矢である。

 しかし、どういうわけか、玄介はその矢を左肩に掠ってしまった。甲冑の上からで、しかも掠っただけであるので傷を受けたわけではない。だが、玄介にしては珍しい負傷と言える。

 玄介が顔をしかめて矢を受けた肩を触った時、三上周蔵が飛んで来た。


「お頭、ここはすでに危険です。本丸へお戻りを! いや……本丸も危ういかも知れませぬ。申し上げにくいことですが、我らはもはやこれまでかも知れませぬ……急ぎ、この七天山から脱出いたしましょう!」


 周蔵は切迫した青い顔で進言した。

 だが、玄介は首を縦に振らなかった。

 無言で周囲の惨劇を見回した後、静かに周蔵に言った。


「無用だ。もうここから逃げることは不可能だろう」

「そのようなことはございませぬ。我らが風魔忍術の全てを尽くして血路を開きます。さすれば必ずや脱出はできます」

「無駄だ。城戸軍には千蔵がいるのだぞ。俺の甥で、同じ風魔頭領家の血を引く男だ。俺達がいかに風魔忍法の秘術を尽くしても、千蔵も同じく秘術の限りを尽くしてそれを阻止しようとするだろう。ここから脱出することはできん」


 すると、周蔵は言葉を失ったが、すぐに名案が浮かんだとばかりに口元を緩ませた。


「では、ここはその千蔵の情に訴えては如何でしょう。お頭は千蔵の叔父に当たります。千蔵が邪魔をして来たら、そのことを強調して見逃してもらうのです」


 玄介は、じろりと周蔵を睨み、


「そのような恥知らずなことができるか。それに……」


 と、言いかけて、玄介は口をつぐんだ。

 その時、左右両方向から、城戸軍の兵士たちが襲いかかって来た。


「あれは風魔軍の頭領、風魔玄介ではないか?」

「おお、そうに違いない、かかれっ、かかれっ!」


 目の色を変えた兵士らが、猛り狂いながら突進して来た。

 玄介は、右から飛び掛かって来る城戸兵二人を一刀の下に斬り捨て、返す刀で左から躍りかかって来る敵を叩き斬ると、


「周蔵、俺は本丸に退いて全体の指揮を執る。最後まで戦い抜き、風魔玄介の力と誇りを奴らに見せつけてやる。ここの守りはお前に任せた」


 と言って、青黒い空へと跳躍した。


 時はすでに払暁、寅の下刻(午前5時)過ぎで、闇は薄くなり、東の空が白み始めていた。


 だが、本丸に戻った玄介は、特に指揮らしい指揮も執らなかった。自ら天哮丸を持って戦おうともしなかった。

 配下の忍び、兵士達に死守せよ、と簡潔に命じたのみで、その後は怒号と喚声、悲鳴が交錯する本丸内を歩いて五層五階の大天守へと入った。

 大天守の中も、慌ただしく駆け回る兵士、忍びの者らで騒然としている。玄介はその中を悠然と歩きながら階段を上って行き、最上階に上がった。

 そして、そこの小窓から、眼下に広がる攻防戦の様子を眺めた。


 その時、すでに二の丸は城戸軍によって制圧されかかっていた。

 城戸軍もかなりの数の犠牲者を出していたのだが、それでも兵士らの士気は衰えるどころかますます上がり、逆に押される一方の風魔軍の悲鳴があちこちで上がっては途絶えて行った。


 その光景を、玄介は無表情に見下ろしていた。

 だが、やがてふふっと笑みを漏らすと、一人で笑い声を上げ始めた。


 その様を、二の丸の後方にいる礼次郎が偶然遠目から目撃していた。


 ――あれは、風魔玄介か?


 まだ薄暗く、遠いのではっきりとは見えないが、窓辺に立つ人影の背格好は風魔玄介のように見える。

 礼次郎は、更にじっと目を凝らした。


 ――間違いない、風魔玄介だろう。


 礼次郎の人並み外れた直感が、そう感じ取った。

 その時、その風魔玄介が、窓から離れて姿を消した。


 ――まだ戦っていると言うのに一人で何をしている?


 不審に訝しんだその時、礼次郎の背筋に何かがぞくっと走った。

 何か悪い予感を感じ取った。


 ――あの男、すでに勝ち目がないことを悟って自害するつもりか。いや、それだけじゃない……。


 礼次郎は、馬廻りの侍たちを連れて、前方へと走っていた。


 風魔玄介は、最上階から下りて一階まで行った。

 そして、廊下ですれ違った幹部の一人を呼び止めた。


「命令だ。この天守に火をかけろ。小天守二つにもだ」

「な、何ですと?」


 幹部は、驚いて目を丸くした。


「ここに火をかけろと言っているんだ」


 玄介は平然とした顔でもう一度言った。


「火をかけると……正気でございますか? そんなことをすれば……」

「わからないか? もう落城を免れることはできん。ならば、我はこの城を焼き、天哮丸もろとも果ててくれよう。我が首も天哮丸も、城戸軍には渡さん」

「…………」


 幹部の男は、呆然とした顔で言葉を失っていた。

 そこへ、玄介は天哮丸を抜いて切っ先を突きつけた。


「早くしろ」

「はっ……承知仕りました。では早速火を放ちまする。そしてお頭……某もお供いたします」


 幹部は涙ぐんで言った。

 玄介は皮肉そうに笑った。


「好きにしろ」


 幹部の男は、すぐに命令を実行するべく飛んで行った。

 その背を見送ると、玄介は四階に向かった。四階は、板張りの広間になっている。

 四方の壁には狭間があり、格子窓や排煙用の小窓もある。そこから早暁の青い光が入り込み、床に影を作っていた。


 玄介は、広間を上段の方へと歩いて行った。

 上段には、畳が一枚敷かれてあり、その上に虎皮の敷物がある。玄介はそこに腰を下ろすと、目を閉じて瞑想を始めた。

 だがやがて目を開けて立ち上がると、突然天哮丸を鞘から抜いた。

 そして何か言葉にならぬ叫びを発して、天哮丸を床に突き刺した。

 その白銀の刀身を見つめて、玄介は高笑いを上げた。


「ははははは、結局俺も同じか! 天哮丸の魔力に呑み込まれてしまうのだ!」


 玄介の乾いた笑いが、広間に響いた。


「だがな、天哮丸よ。俺は貴様には負けん。貴様が俺を滅ぼそうとするのなら、俺は貴様と共に滅んでやる。貴様も道連れだ」



 二の丸内では、まだ残った風魔兵らが奮戦していた。

 城戸軍は二の丸の制圧を目前にしていたが、彼らが土壇場で見せる底力に、なかなか押しきれないでいた。

 風魔兵らは、本丸へ通じる大門の前で隊列を組んで固まり、押し寄せる城戸軍を押し返す。それを、本丸の塁壁の狭間から絶え間なく放たれる弓矢鉄砲が援護する。

 城戸軍は、あと少しで本丸の大門を攻撃できると言うところまで来たのだが、風魔兵らの激しい抵抗に、そこまで辿り着けないでいた。


 礼次郎は、千蔵を呼んだ。


「千蔵、何とかして本丸に侵入し、中から門の一つを開けることはできないか?」


 怒声、喚声、銃声が凄まじく響き合う中、礼次郎は千蔵の耳元で大声で言った。

 千蔵は顔をしかめた。


「しかし、ご覧の通り、敵の抵抗は激しく、また本丸内にいるのも風魔軍の手練れの忍びたち、それがしも何とかして中へ侵入できないかと試みているのですが、なかなかうまく行きませぬ」

「そうか……」


 礼次郎は唇を結び、眉間に皺を寄せた。


「しかし、この戦況では、多少時間はかかるでしょうが、いずれ本丸にも突入できるでしょう。焦ることはないかと存じます」

「それはもちろん俺にもわかる。だが違うんだ。風魔玄介は、すでに勝ち目がないことを悟り、自害しようとしている。しかもそれだけじゃない」


 と言って、礼次郎は大天守の上層を睨み上げた。


「玄介は、天哮丸を道連れにするつもりだ」

「え?」

「恐らく、何らかの形で天哮丸を木端微塵に砕き、この世から葬り去るつもりだ。あの男、自らの野心を遂げられず滅んでしまうならば、いっそのこと天哮丸をも滅ぼしてやろうと考えているのでは」

「なんと……」

「正直なところ、天哮丸が滅んでしまうならば、それはそれで構わない。絶大な力を持つ剣であるが、災いを呼ぶ魔剣でもある。無い方が世の為かも知れない、と俺は最近では思う。だが、俺自身が天哮丸を葬り去るならばともかく、ここで敵の手によってそれをされるわけには行かない。そんなことをされてしまっては、城戸家の祖先たちに顔向けができない。だから、何としても奴が天哮丸に害を加える前に、奴の手から天哮丸を取り返さなければ」

「なるほど、承知いたしました。では、できるかどうかはわかりませぬが、もう一度やってみまする」

「頼んだぞ」


 千蔵は、配下の忍びたちを連れ、乱戦の向こうに飛んで行った。


 そして、闇が霧消して夜が去り、空の蒼さが濃くなり始めた頃、千蔵はついにやった。

 千蔵とその配下たちが、秘術の限りを尽くして本丸内に侵入することに成功し、更に大門の一つを内側から開いたのである。


 それを見た城戸軍の一角の、


「突入じゃあっ」


 と言う喚声と、


「防げっ、防げっ!」


 と言う、本丸側の風魔軍兵士らの怒号が交錯した。


 開かれた門の前後で、激しい攻防戦が繰り広げられた。

 だが、やがて城戸軍側が風魔軍を押し返し、どっと本丸内に突入した。

 それと共に、礼次郎も馬廻りの武者達三十数人を引き連れて本丸内に突入した。


 兵士達は、本丸内の各所に雪崩れ込んで行く。

 礼次郎は、真っ直ぐに天守に向かって走った。


 ――ここに風魔玄介がいる。天哮丸と共に。


 礼次郎の直感は確信していた。

 彼は、すでに心の皮を剥いている。常人の域を遥かに超えた感覚が、風魔玄介の気を確かに捉えていた。

 そして、瞬間的に決意を固めた。


 ――ここまで来たら、俺の手で奴を斬り、天哮丸を取り戻してやる。


 そして礼次郎は、背後の馬廻りの武者達に向かって、


「名を上げたい者は俺と共に来い! 褒美は思いのままぞ!」


 と叫ぶや、覇天の剣を握りながら天守の大門へと走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る