第185話 上州風雲

 西国から関東へ入る場合の入り口は二つある。


 信濃と上野こうずけの境の碓氷うすい峠と、駿河と相模の境の足柄あしがら峠である。

 徳川は北条と同盟関係にあるので、比較的行軍の容易な足柄峠を越えて関東平野を北上する進路を取った。


 そして二月十八日、徳川軍は武蔵の北部、比企ひき郡に到達するや、幻狼衆が北条家から奪った諸領地に攻撃を開始した。


 風魔玄介率いる幻狼衆風魔軍は、猛者揃いの上によく統制されていて剛強であったが、徳川軍はそれを上回った。


 長年天下の大雄たちと渡り合って来た、千軍万馬の名将徳川家康が勇猛で鳴る三河武士を率いると、それはまさに精強無比せいきょうむひ。恐るべき戦闘力を発揮して、野戦で真っ向から幻狼衆軍を撃破、更に余勢を駆って比企ひき郡の諸城に攻めかかり、最初の城をわずか二日で落とした。

 その猛威は凄まじく、徳川軍はすぐに比企郡を制圧し、秩父ちちぶ郡をも蹂躙じゅうりんして、すぐに上野甘楽かんら郡に達して七天山に迫ろうかと言う勢いであった。


 しかし、風魔玄介も手をこまねいてそれを見ているわけではない。

 むしろ、行動は早かった。彼は、徳川軍が秩父郡にまで来襲して来た時、武州東部の埼玉郡で北条軍と交戦していた。しかし、徳川軍来襲の報を受けるや決戦を急ぎ、北条軍を埼玉郡の野において打ち破ると、標的としていた城の攻略を中止して取って返し、風の速さで西進した。


 だが、風魔玄介が引き返して来た時、徳川軍はすでに秩父郡の諸城を落とし、上州甘楽郡に向かっていた。

 どうやら、真っ直ぐに風魔軍の本城である七天山に向かっているらしかった。


「一気に我が七天山を急襲するつもりか。だがそうはさせんぞ」


 風魔玄介も、途中で諸城の兵を合流させて行きながら、その総勢約三千五百人で甘楽かんら郡に向かった。


 そして、徳川軍と風魔軍、共に七天山の南方十里ほどの、大尊寺平だいそんじだいらと言う野に到達した。


 徳川軍は大尊寺平だいそんじだいらの南方に陣を張り、風魔軍はその北西にある石川山に上った。

 徳川軍五千三百人、風魔軍三千五百人、真っ向から対峙した。

 数だけでなく、両軍の戦歴などを見れば、風魔軍が圧倒的に不利である。


 しかし、風魔玄介には自信があった。戦歴や名声、軍兵の数など関係ない。

 こういう事態に備えた策がある。そして、自ら直接率いる兵士達の強さを信じ、天哮丸を信じていた。如何なる危機が訪れても、自分が天哮丸を手に敵中に斬り込めば、必ず敵陣を切り崩せると信じていた。


 しかし、である。


 三月二日未明、徳川軍と風魔軍は大尊寺平の中程で、緒戦となる小競こぜり合いに及んだ。

 その緒戦は互いに手探りのようなもので、両軍大した被害もないうちに、互いに自陣に引き上げた。

 だがその翌日、徳川軍が大尊寺平の陣を引き払った。そして、そのまま風魔軍が籠る石川山を左手に見ながら北上して行ったのである。


「何か策があるのか?」


 無防備に側面を晒しながら北上する徳川軍を訝しみ、風魔玄介は手を出さなかった。


 徳川軍がこのまま北上し、そこから西に向かえばすぐに七天山である。

 だがもし、徳川軍がこのまま七天山に向かうのだとしても、七天山にはおよそ二千人の兵力がいる上に、防御対策も固めてある。そこへ徳川軍が攻めかかったとしても、ここから自分たちも北上して徳川軍の背後を襲い、七天山からも突出して挟撃してしまえばよい。

 玄介はそう考え、いつでも出動できる準備をしながら、徳川軍の動きを注視した。


 ところが、何と徳川軍はそのまま七天山の東方を通過し、北に向かってしまった。

 そして、更に北上して行き、今は城戸家が支配下に収めている諸山もろやま城近くまで迫った。


「城戸礼次郎を攻めるつもりか? あるいは……」


 玄介は考えを巡らせた。


 徳川軍は、攻め取った武州北西部の幾つかの城に、合計三千ほどの兵を残している。

 もし、玄介が北上する徳川軍の背後を襲うべく動いたら、徳川軍はその隙に武蔵北西部の軍勢を一気に七天山に攻め寄せさせるか、あるいは徳川軍の背後を襲おうとする玄介らの背後を更に襲い、前後から挟撃することが可能である。


 ではそれをさせまいとして、玄介が武蔵北西部の諸城に攻め込んで行ったらどうか?

 すると今度は、北上して行った徳川軍が急いで返して来て、玄介の背後を襲い、また武蔵北西部の徳川軍も襲って来て、やはり挟撃してしまうであろう。


 敵よりも大きく上回る大軍であるからこそ可能な戦略であるが、


「よく考えてやがる」


 玄介は苦々しげに舌打ちした。

 傍らにある天哮丸をちらりと見て、


「これがあれば負ける気はしないが、ここは動かずに徳川軍がどう動くのかを見ておく方がいいな」


 と、守りを固めて座視することを決めた。


 その徳川家康としては、まさに玄介が考えた通りの戦略を持っていた。


 玄介がこちらに来れば、武州からも兵を出して前後から挟撃、あるいは七天山を攻める。玄介が武州に攻めかかれば、こちらはその背後を襲うか、やはり七天山を攻める。


 どちらでも良かった。そして、そのどちらでなくとも良かった。

 玄介が動かないのであれば、家康はそのまま城戸軍に襲いかかるつもりであった。

 むしろ、それが最上であるかも知れない。


 家康からすれば、城戸礼次郎はその存在自体が落ち着かない上に、向こうもこちらを仇敵きゅうてきと狙っているので、いつ自分達に攻めかかって来るかわからない。


 ならば、先に城戸軍を叩き、あわよくば礼次郎も討ち取ってしまえば、後顧の憂いなく七天山を攻めることができるのだ。

 その際に、玄介が色々と考えて動かないのであれば、それもまた最上であった。家康は、そこまで戦略を練っていた。


 そして、その家康が狙った通りとなった。

 風魔玄介は家康の動きを見守ったまま動かなかった。

 その間に、徳川軍は、城戸家の諸山もろやま城まであと八里と言う近さにまで迫った。


 一方、その報告を受けた城戸家は騒然となった。


「ついに徳川家康が来たか。思ったよりも機会は早く訪れたな」


 法衣姿の壮之介が腕を組むと、順五郎が力強く言った。


「ふじや父上、他の皆の仇討ち遂げる機会が来た。腕が鳴るぜ」

「待ちなさいよ。今の私たちの戦力じゃまだまだ勝負にならないわ」


 桔梗の絵を染めた薄紫の小袖に紺の袴をはいた咲が待ったをかけると、礼次郎が口を開いた。


「順五郎の言う通り、ついに不倶戴天ふぐたいてんの敵である徳川家康と戦う機が訪れた。だが、咲の言う通りでもある。俺達の兵力は増大したとは言え、それでもまだまだ勝負にはならない」


 美濃島一帯を攻め取り、またその南方のいくつかの領土を切り取った城戸家は、今や最大動員可能兵数二千に達していた。


 しかしそれでも、徳川軍およそ五千強とは大きな差がある。加えて、歴戦の名将徳川家康が直々に統率しているのである。実数以上に戦力の差があると言えるかも知れない。

 だが、礼次郎は冷静かつ強く言った。


「しかし、いずれは必ず戦う相手だ。今、向こうから来たならば、ここで戦わなければならないだろう。そして戦うからには何としても勝たねばならない。龍之丞!」


 龍之丞は、はっと答えて頭を下げたが、その後、弱ったような表情でその頭を掻いた。


「正直なところ、こんなに早く徳川家康とぶつかるとは私も思っておりませんでしたので、策は未だ固まっていないのです」

「おいおい、大丈夫かよ」


 順五郎が苦笑いする。


「はは……面目ない」

「徳川軍は連日の戦で疲れているんじゃない? 夜襲をかけてみたらどう?」


 咲が提案したが、


「並の将を相手であれば良策でしょうが、家康は野戦の名将です。恐らく、夜襲などの類は通じないかと思われます。十分に備えているはずです。」


 龍之丞はやんわりと言って否定した。

 皆、しばし無言で地図を睨み、それぞれ思考を巡らせた。

 しばらしくして口を開いたのは、やはり龍之丞であった。


「家康が今いるここから諸山もろやま城まで進むには、東の丸蔵まるくら山、西の荒舟あらふね山の間の細い諸山もろやま道を進むのが最短です。しかし、家康は用心深い。奇襲をしやすい山と山の間の隘路のような道は避け、きっと別の道を取るでしょう。そこで、我らは一旦、この諸山城を捨て、北東一里の国生こくしょう城に退きましょう」

「諸山城を捨てると?」


 顔をしかめたのは壮之介。


「ええ。しかし、それは"ふり"です。徳川の大軍に恐れをなしたふりをし、この諸山城より大きい国生こくしょう城まで退しりぞくのです。さすれば、家康は安堵あんどして諸山道を進むでしょう」


 龍之丞は地図を指で指し示しながら説明する。


「しかし、その後に我らは密かに軍を四隊に分けて国生城を出るのです。一隊は迂回して荒舟あらふね山の山中に潜み、もう一隊は丸蔵まるくら山に潜みます。もう一隊は主力で、これは諸山道の先で待ち伏せします。そして最後の一隊は丸蔵山を東から迂回し、諸山道を進んでいる徳川軍の背後に出て後方から奇襲をかけます。国生城に退いたと思っていた我らが突然後方に現れて襲って来たら、徳川軍は驚き、混乱するでしょう。そこへ更に、荒舟山と丸蔵山に潜んでいる二隊が打って出てその側面を襲います。すでに後方を襲われている徳川軍は後ろには退けず、前進せざるを得なくなる。しかしそこに、待ち伏せしている主力の我々の最後の一隊が襲いかかる。」


 龍之丞は、まるで未来の出来事を見て来たかのように、すらすらと述べた。


「なるほど、悪くねえな」

「現状では最良ではないか」


 皆頷き、龍之丞の作戦に賛意した。


「殿、如何でございましょうか」


 龍之丞は恭しく礼次郎に向き直った。

 この頃では、龍之丞も礼次郎に対して「殿」と呼ぶようになっていた。


「良い策だ。それで行こう。これで家康の首を取るぞ」


 礼次郎が覇気を漲らせながら言った。


 その後、礼次郎らは細部を詰めた。


 丸蔵山を迂回して徳川軍の後方から奇襲をするのは笹川千蔵と決まった。

 左右の荒舟山と丸蔵山に潜むのはそれぞれ大鳥順五郎、美濃島咲、そして諸山道もろやまどうの先で待ち伏せする主力は城戸礼次郎、宇佐美龍之丞、軍司壮之介。

 早見喜多は諜者の下忍たちを率いて物見をし、各隊の連絡や遊撃を行う。


 そして二日後、徳川軍は更に進軍して来た。


 その軍勢の中の主だった武将は、旗本先手さきて役の井伊直政を始め、奥平信昌、牧野康成、伊賀衆頭領の服部半蔵、そして倉本虎之進もいた。


 龍之丞が予想した通り、慎重な家康は、山と山の間の狭い諸山道を避け、西方から荒舟山を迂回する道を取ろうとした。

 しかし、徳川軍迫るの報を受けた城戸軍が、手筈通りに諸山城を捨てて国生城に退いたことを聞くと、家康は高笑いを空に響かせた。


「ふふ、あの小僧め、我らの大軍に恐れをなしたか。では、迂回はやめて最短の諸山道を進むとしようか。からの諸山城を奪い、そのまま一気に国生城も攻め落としてくれん」


 家康は、諸山道進軍を命じた。


 喜多からその報を受けた礼次郎は頷き、命令した。


「よし、俺達も出るぞ。静かに動くんだ」


 夜半、城戸軍は、手筈通りに四隊に分かれて国生城を出た。


 千蔵は四百の兵を率いて丸蔵山を東から迂回して行った。順五郎と咲はそれぞれ三百ずつの兵を率いて荒舟山と丸蔵山の山中に潜み、礼次郎、龍之丞、壮之介は一千の兵で諸山道の先に潜んだ。


 翌朝、徳川軍は悠々と諸山道を進んでいた。


 諸山道は、道と言っても、左右の荒舟山と丸蔵山に挟まれた長い谷のことであり、諸山城まで道のように続いていることから、諸山道と言われる。

 その幅は、最も広い箇所で約四町ほどにもなり、途中には幾つかの集落もある。


 三月上旬、空が曇りがちな季節であるが、今日は青々と晴れ渡り、風には暖かいものさえ混じっていた。

 家康は、左右に本多正信、倉本虎之進らを従えて鞍上あんじょうに揺られている。


「ほう。上州は春の訪れが遅いはずじゃが、もう春の匂いを感じるわ」


 家康は上機嫌であった。


「左様ですな。もうそろそろ桜も見られましょう」


 答えたのは倉本虎之進。


「うむ。今年の桜は天哮丸を手にしながら見てみたいものよ」

「それは無理でございましょう。流石に一、二週間ほどではあの七天山は落とせませぬ」

「わかっておるわ。ただ言ってみたまでよ」

「まずはこの一戦に勝ってからです。殿、城戸礼次郎を追い詰める機会があれば、奴の首を取る役目は是非この私に」

「おう、万千代(井伊直政)も望むであろう故、二人で奴の首を争うが良い」


 家康は笑いながら言った。

 その時、馬上にありながら周囲に隙の無い視線を配っていた本多正信が言った。


「殿、やはり少し用心した方がようございますな」

「何?」

「この細い諸山道、敵から奇襲を受ければ逃げ場がなく、ひとたまりもありませぬ」

「だが、城戸軍は恐れをなして諸山城を捨て、国生城にまで退いたのだぞ」

「戦においてはあらゆることを疑わねばなりませぬ。そもそも、その諸山城を捨てたことが怪しいとは思いませぬか?」


 正信が隙の無い目を光らせると、家康は笑みを消して真顔となった。

 東の丸蔵山を見、西の荒舟山を見て、更に前後を見回して地形を再確認した。


「半蔵!」


 次の瞬間、家康は眉間に皺を寄せて伊賀衆頭領を呼んでいた。

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