第177話 一ノ倉城攻略戦

 城戸盆地を北から抜け、山と山の間の細い道を南西に進み、正午過ぎには一之倉城が遠くに見える位置にまで到達した。


 この時代、多くの小規模な城は、城と言うより砦に近い。

 小山の上に縄張りをし、周囲に空堀を巡らし、土塁を築き、その上に柵や塀を立てる。そして、中には櫓などの防衛施設があり、城主の居館などがある。


 街道沿いの小山に築かれている一之倉城も同様の構造であった。しかし、一之倉城は、二重に土塁を巡らせている上に、城の北側の背後には更に山があり、南側には角馬出しを備えていた。容易には攻め落とせそうにない。


 それを事前に調べていた龍之丞、一ノ倉城まであと一里ほどとなった時、千蔵と喜多、そして壮之介と咲を呼んで何事か囁いた。

 指示を受けると、千蔵と喜多は共に風となって消え、壮之介は五十人ほどの歩兵を連れ、咲は百の騎兵を連れて分かれ、それぞれ別の方向へ向かって行った。


 一之倉城には五百の兵がいた。守っている将は、幻狼衆の里中与一郎と言う風魔忍び出身の将であった。

 里中与一郎は、すでに城戸軍迫るの報を受け、油断無く城の防備を固めていたが、南方に姿を現した城戸軍を見て大声で笑った。


「何じゃ、たったあれだけの兵数か。二百人にも満たぬのではないか? まるで村と村の喧嘩じゃ。お頭は城戸礼次郎には一目置いているようじゃが、まるで大したことないではないか。城に籠るまでも無いわ。出撃して蹴散らしてくれん」


 里中与一郎は少数の兵を城内の守備に残し、残りの歩兵全軍を率いて馬出しから突出した。


「かかれ!」


 矢ごろに入ると、里中は兵士らに矢の射撃を命じた。


「こちらも放て」


 礼次郎も応戦命令を下した。

 両軍、矢の打ち合いが始まった。

 上空を互いの射かける矢が飛び交い、両軍の前線を襲い合う。

 だが、兵数の多い幻狼衆の方が、当然射かける矢は多い。

 城戸軍の前線、十数人がたちまち幻狼衆の矢によって負傷した。


「少し後退しましょうか」


 龍之丞が戦況を見て進言する。その通りに、城戸軍はじりじりと後退した。

 するとそれを目ざとく見て取った里中与一郎、城戸軍が怯んだと見て、突撃命令をかけた。


「敵は怖気づいたぞ、かかれっ!」


 里中勢は鬨の声を上げ、それぞれ槍を構えて駆け出した。

 それを見ると、龍之丞は更に軍配を振った。


「とてもかなわん。退けっ!」


 城戸軍百五十人は、背を見せて南へと駆け出した。


「逃げたぞ、何とも情けない連中よ、追えっ! 皆殺しじゃ!」


 里中与一郎は勢いづいて兵を煽り、追いかける。

 だが、退いたと言っても白兵戦をしておらず、特に疲労の無い城戸軍の背にはなかなか追いつけない。

 騎兵があればまた違ったであろうが、幻狼衆のこちらの方面は馬の数が十分ではなく、一之倉城には騎馬隊が無かった。

 それでも、敵の城戸軍が少数であるので、追いつけば総大将城戸礼次郎の首を取ると言う大殊勲を上げられる。その欲に駆られた里中与一郎は、遮二無二兵士らを叱咤して必死に追いかける。

 だが、二十町ほども追いかけたところで、兵士らの脚が鈍り、また口々に騒ぎ出した。


「どうした? 何をしておる!」


 里中与一郎が怒鳴ると、兵士らが狼狽えながら言った。


「里中様、城より火の手が上がっております」

「何?」


 里中与一郎は驚いて振り返った。

 その両眼に映ったのは、確かに後方に小さく見える一ノ倉城から立ち上る黒煙。


「どういうことじゃ?」

「火事とは思われません、何者かが火を放ったのかもしれませぬ」

「むう、城戸軍の仕業か? いかん、急いで戻るぞ!」


 里中は慌てて引き上げ命令を出し、先頭を切って一直線に城に戻った。

 だが、すぐに城より悲鳴混じりの喚声が上がり、それはやがて歓声へと変わった。


 土塁の上に大きな人影が立った。

 首から大数珠をかけた巨漢の武者。錬鉄の錫杖を土塁の上に突いた。

 軍司壮之介であった。


「この城は我ら城戸家がいただいた。かくなる上は降伏せよ!」


 壮之介は大音声で呼ばわった。

 それを聞いて里中与一郎は仰天した。


「何じゃと? どういうことだ?」


 逃げるふりを止め、軍を反転させた龍之丞が嘲笑した。


「何も考えずに追いかけてくるからだ」


 龍之丞は、礼次郎らの主力部隊が一之倉城に達する前に、千蔵と喜多を一之倉城に潜り込ませたのだった。

 幻狼衆が一之倉城を攻め落としてからまだ日が浅く、修築を始めていたとは言え、あちこちが未だ傷つき崩れており、一流の忍者である千蔵と喜多にとっては、忍び込むことは遊びのようなものであった。


 そして里中勢が城を出て、逃げる城戸軍を追いかける間に、千蔵と喜多は示し合わせて城のあちこちに火を放った。城内の守備兵たちは慌てて鎮火しようとして皆そちらへ向かったが、その隙に、千蔵と喜多は城の北側の門を開け、北の山に潜んでいた壮之介の一隊を導き入れたのであった。

 そして城戸兵らが雪崩れ込み、壮之介が先頭に立って暴風のような豪勇を振るうと、あっと言う間に一之倉城は占拠されたのであった。


「おのれ、伏兵があったか。我らが城戸軍を追撃しているうちに城を乗っ取るとは卑怯な! 戻るぞ、城を奪い返すのじゃ!」


 里中は怒り、兵を追い立てて、少し前まで自分たちのものであった城へと攻め寄せた。


「愚かな奴」


 壮之介は土塁の上の武者走りに兵士らを立たせ、弓矢の一斉射撃をさせた。

 怒りのあまり、考え無しに真っ直ぐに殺到して来た里中勢は正面から矢を食らい、次々に倒れて行った。

 そこへ、東方の林の向こうに待機していた美濃島咲の騎馬隊が現われ、砂塵を巻き上げながら里中隊に殺到した。


「何、ここにも伏兵か」


 里中与一郎は顔色を変えたが、すでに遅い。

 美濃島隊の騎馬突撃をまともに側面に食らい、舞い上がる砂塵と血煙の中に隊列が脆く崩れて行った。

 更に、反転して返して来た礼次郎らの部隊も後方から襲った。

 自分たちの城であったはずの一之倉城の前で、二方向から攻撃され、里中与一郎の部隊はあっさりと壊滅した。


「敵将、そこか! 城戸頼龍が家臣、大鳥順五郎が相手だ」


 順五郎が乱戦の中に里中与一郎を見つけた。順五郎は猛風の如く迫るや、豪槍のたった一突きで甲冑の小札ごと里中の胸を貫いた。里中は呻き声と共に血を噴き上げ、馬から転げ落ちた。


 こうして、一之倉城は城戸家のものとなった。

 礼次郎らは一ノ倉城に入城すると、城の中をくまなく見て回った。礼次郎は龍之丞と相談し、城の防備に関して諸々の手配をした後、暫時壮之介にこの城を任せることにした。

 そして二日後、礼次郎らは城戸へ帰った。



 一ノ倉城を奪取されたと聞いた風魔玄介は、苦々しい顔で舌打ちした。


「そうか。城戸礼次郎が流石と言うべきか、それとも与一郎如きに任せるのが愚かだったと言うべきか……とにかく、このまま捨て置くわけには行かない。すぐに一ノ倉城へ向かおう」


 玄介は、目を氷のように冷たく光らせた。

 このところ、彼の顔からは元来の柔和な優男の表情が消えていた。戦の時に見せる悪鬼の如き表情と、どこか粗暴な響きを持つ口調が平常となっていた。

 側近の三上周蔵は、玄介が今もそのような様子であるのを気にかけながら、


「兵数はいかほどに?」


 玄介は顎を撫でて一瞬考えると、


「一千、いや、一千五百だ」

「一千五百も? ちと多いのでは?」


 周蔵は眉をしかめた。今の幻狼衆軍は、総兵力およそ二千八百人である。各支城にも防備の兵を割いておかねばならぬ中、一千五百もの兵を動かすのは危険が多い。


「いや、先日も城戸軍は四百の兵をもって三倍の北条軍を打ち破った。これぐらいの数は必要だろう。しかも俺自ら率いて行く。早い方がいい。すぐに向かうぞ」


 玄介はそう言うと立ち上がり、周蔵に準備を整えるように言いつけた。


 そして一月十九日、風魔玄介は兵を引き連れ、碓氷郡へと向かった。

 総勢一千五百人からなる軍勢である。


 その知らせはすぐに城戸に届き、館は騒然となった。


「風魔玄介、もう来たか。幻狼衆と衝突するのはもう少し先だと思っていたが」


 礼次郎が唸れば、この日は癖毛を束ねずに垂らしていた龍之丞も腕を組み、


「まだ芽が小さいうちに全力で摘み取ってしまおうと言うのでしょう。先日の北条軍に勝った戦を手始めに、次々と甘楽郡の諸城を落として行く手腕と言い、風魔玄介の将器は私の予想以上。ふふ、奴は忍びよりも武将の方が向いているかも知れませんな」


 咲は眉をひそめて、


「笑っている場合? 風魔玄介自ら一千五百を率いて来るなんて一大事よ」

「その通りだ。どうする」


 礼次郎が同調して言うと、龍之丞は真剣な顔で、


「確かに……一千五百と言えば我らの三倍。先日、同じ三倍の北条軍相手に勝ちましたが、風魔玄介が相手となれば話は別です。そう簡単には行かないでしょう」


 こう言ったが、次の瞬間には笑って見せた。


「しかしご心配なく。恐らく戦うことはないでしょう。」

「何?」

「風魔玄介は、こちらに攻め寄せてくることなく引き揚げて行くはずです」

「どういうことだ?」

「まあ、一応策は立てますが、恐らく数日のうちに私の言う通りになるはずです。知らせを待ちましょう」


 龍之丞は頭髪を揺らして笑った。

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