第160話 武想郷

 ――この男、正気か? 隻眼で礼次郎と斬り合うだと? すぐにやられるぞ。


 仁井田にいだ統十郎とうじゅうろうは、政宗の頭がおかしいのではないかと疑った。

 礼次郎は幾多の修羅場を潜り抜けて成長し、今や一流の達人である。並の武士では到底かなわない。

 だが、政宗は隻眼と言う不利を抱えながらも、そんな礼次郎と一対一で斬り合うと言う。


 礼次郎と政宗、両者はまず互いの間合いを測りつつ、気で攻め合った。


 その後、政宗が夜気を切り裂く気合いを発して踏み込んだ。

 稲妻のような鋭い袈裟斬りが飛んだ。


 だが、礼次郎は軽く下がりながらそれを打ち払う。

 そして礼次郎から水平に斬りつけたが、政宗もまた容易たやすくこれを跳ね飛ばした。

 隻眼と言う不利を感じさせない、洗練された動きであった。


 意外なことに、政宗もまた一級の戦闘能力を持っていた。

 礼次郎とほぼ互角に打ち合った。

 

 その場にいた全員、固唾を飲んで斬り合いの行方を見守った。

 幻狼衆の男達はもちろん、その頭領の風魔玄介も、睨むようにして両者の決闘を見つめていた。

 騒ぎを聞きつけた浅田源太郎ら雲峰衆と菜々、そして食事を取っていた伊達家の侍たちも慌てて見に来た。


「殿、おやめくだされ!」


 伊達家の者達は色を失って叫んだが、政宗は無視し、鬼気迫る形相で剣を振るった。


 闇の中に音を響かせて乱れはしる二本の剣光。

 二人は激しく剣花を散らして打ち合うこと二十数号に及んだが、その間、互いに一度たりとも相手の身体をかすめることがなかった。


 だが、ふと、礼次郎の剣を躱した政宗が、はじかれたように後方に飛び退いた。

 そして、


「もういい。やめだ。剣を納めろ」


 と大声で言って、まず自らが先に手をおろして納刀した。

 それを聞いた礼次郎もまた、鞘を拾って納刀した。

 そして政宗は、伴の一人から、持たせていた天哮丸を受け取ると、礼次郎の前まで歩いて行き、


「これは返す。受け取れ」


 と言って、天哮丸を礼次郎の前に突き出した。

 礼次郎は天哮丸を掴むと、


「気まぐれにもほどがある。どういうつもりだ?」

「別に……勘違いするなよ。俺は天哮丸が欲しくてお前を捕えたわけじゃねえ」

「今更何を言ってるんだ。正気か?」


 礼次郎が呆れたように言うと、政宗は夜空に浮かぶ三日月に向けて笑い声を上げた。


「俺はな……片目を失ったせいだろうな。その分、人の心が見えるのよ。そして物の心もな。」

「心?」

「俺はさっき、幕舎で一人、天哮丸の声を聞いた。天哮丸と会話をした。その剣は……俺が持っていていいものじゃねえ。お前のもとに戻りたがっている」

「…………」

「そして今、お前と斬り合いながら、お前の心をのぞいた。城戸礼次郎と言う男の真実を見た。そうしたら、もう天哮丸を持つ気が失せた。これはやはりお前の手に返すべきものだ」


 そして政宗は、急に神妙な声色になった。


「すまんな。槇伊之助の件は、お前は悪くねえよ。非は完全に伊之助にあり、そしてそれを招いたのは俺の責任だ」


 と、頭は下げないながらも謝ると、伴の者らに命じて、幻狼衆以外の礼次郎ら、統十郎らの縄を解かせた。


「今夜は俺達の幕舎でゆっくり寝て、明日武想郷に行ってくれ。だが折角ここまで来たんだ。俺も一緒に行くからな」


 政宗はそう言うと、背を返して立ち去って行こうとしたが、その際にちらっと振り返り、


「天哮丸など使わなくとも天下を取って見せるわ」


 と、不敵に笑った。そしてまた歩き去って行った。


「おかしな野郎だ」


 統十郎は、闇に消えて行く政宗の背中を見ながら呟いた。


「いや、なかなかに面白き御仁ごじん


 壮之介は、何かに感じ入ったようにうなずいた。


「そうかしら。人の心が見えるとか、天哮丸の声を聞いたとか、頭のやばい狂ったガキにしか思えないけど」


 美濃島咲は、やれやれ、と言った風に背を伸ばした。


「まあ、わけのわからない男ではあるが……本当の心根は真っ直ぐなんだと思う。生い立ちは複雑らしいから、そのせいで少しひねくれてるんだろう」


 礼次郎は、苦笑して政宗の消えて行った方を見た。



 その晩、礼次郎ら、統十郎らは、政宗が用意した幕舎、陣小屋の中で眠った。


 そして翌朝、礼次郎らは、政宗らと共に、菜々を先頭に武想郷に向かった。

 久々に武想郷の者たちに挨拶をしたいと言うので、浅田源太郎たち雲峰衆も同行した。


 中空に揺れる吊り橋を越えた先、大きな鉄門があった。

 その門の先が武想郷である。

 門の前には見張りの者が二人いた。


 二人は菜々を見た途端、安堵した顔を見せた。


「良かった、戻って来たか。皆で心配したぞ。一体何をしていたのだ」

「ごめんなさい。ちょっと色々あって……でも見て。城戸家の城戸礼次郎様をお連れしたわ」


 菜々は、後ろの礼次郎を振り返った。


「何? 城戸家のだと?」


 二人は驚いた様子で、目を見開いて礼次郎を見る。

 礼次郎は軽く頭を下げた。


「ふむ、では、天哮丸を持っておられますか?」


 礼次郎は持っていた天哮丸を見せた。


「ここに」

「ふむ……確かに天哮丸。城戸礼次郎様、よくぞお越しくださいました。さあ、お通りくだされ」


 二人はうやうやしく頭を下げた。

 そこへ、政宗がわざとらしく咳払いをした。


「うん? 後ろの甲冑姿の者たちは何者か?」


 政宗に気付いた見張りの二人は、怪しむような目を向けた。


「ご領主様よ。伊達のお殿様」


 菜々が答えると、


「ああ、これは国主様でござりましたか。失礼をいたしました」


 二人はまた頭を下げたが、先程の礼次郎に対するものと比べると、大して驚いた様子もなく、口ぶりもどこか雑であった。


「俺はここの領主だぞ。それなのに城戸礼次郎と態度が違いすぎやしないか?」


 政宗は額に青筋を立てたが、片倉景綱が「まあまあ、ここは特別な地ですから」と、苦笑しながらそれをなだめた。


 大門を抜ける時、見張りの二人が菜々に言った。


「早く長老様のところに行け。昨晩から容体が急変したのだ」

「え?」


 菜々の顔色が青くなった。


「医者の甚助じんすけどのは、いつどうなるかわからないと言っていた。皆、心配している」

「わかった。ありがとう」


 菜々は泣きそうな顔で礼を言うと、


「急ぎましょう」


 と、先頭を急いで歩いた。


「菜々殿、長老とは? 容体って……」


 礼次郎が聞いた。


「長老はその名の通りよ。この武想郷のおさで、唯一天哮丸をきたえる技を受け継いでいる人。そして私のお爺様」

「え? お爺様? お爺様って、武想郷のおさだったのか」


 礼次郎は驚いて菜々の背を見る。

 菜々は、礼次郎を振り返らずに言った。


一月ひとつきほど前から体調を崩していて、ずっとせってるの。でも、折角礼次郎様が天哮丸を持ってここに来たと言うのに容体が急変したって……とにかく急ぎましょう」


 そして一行は、武想郷の中に入った。


 入ってみて、礼次郎らはまず驚いた。

 まるで春のように暖かいのである。

 季節は十一月の晩秋だ。だが、その暖かさ故に、行き交う人々が皆、春の時分と同じような薄着であった。


「何だこの陽気は」


 礼次郎は黒貂くろてんの毛皮の羽織を着ている。

 寒い時には最高の防寒具であるが、この暖かさでは暑くてたまらない。すぐに脱いだ。


「不思議な場所だな」


 仁井田統十郎は四方を見回した。


 一見、どこにでもある集落である。

 あちらこちらに家が立ち並び、鍛治村らしく、時折金属を鍛錬しているような小気味こきみ良い音が聞こえて来る。


 だが、この暖かさ故か、晩秋であると言うのに緑は瑞々みずみずしく、あちこちに色取り取りの花が咲き乱れ、蝶が軽やかに舞い、小鳥が楽しげにさえずっている。

 この集落の中央をうねりながら流れている小川があるが、それがまた美しく澄み切った穏やかな清流であり、女どもはそこで洗濯をし、子供らは浸かって水遊びをしていた。

 そんな彼らを、美しい白い陽光が暖かく包み込んでいた。


「武想郷と言うよりは桃源郷ね」


 ゆりが微笑んで言うと、咲も頷いた。


「こんな山奥にこんな場所があるなんて思いもしなかったわ」

「ここが武想郷か……うん?」


 礼次郎は不思議なことに気が付いた。


 集落のところどころ、地面より蒸気が噴き上がり、煙のように高く立ち上っていた。


「あの煙のようなものは何?」

「うん、地下の熱がああやって噴き上がっているんです。熱いんですよ。この武想郷はあちこちからああいう蒸気が上っているんです」

「へえ……」


 不思議なこともあるものだと、礼次郎らは感心して頷いた。

 同時に、この暖かさはあれらの噴気ふんきの為かと合点がてんが行った。


 すれ違う村民たちは、皆礼次郎らを見ると、少し驚いた様子で菜々に尋ねた。


「菜々、どうしたのじゃ? そのお方らは?」

「城戸家の城戸礼次郎頼龍様よ」

「ほう、このお方が城戸礼次郎様か」


 村民たちは目をみはって礼次郎を見る。

 皆、礼次郎のことを知っているようであった。

 その視線が、何となく面映おもはゆかった。


 やがて、菜々の屋敷に辿り着いた。

 流石に長老の屋敷らしく、一際大きく、立派な造りであった。他の家と違い、塀と門まで備えている。


 門を潜り抜けると、玄関の前に一人の壮年の男が立っていた。

 男は菜々を見るなり、いきなり怒鳴りつけた。


「菜々! また三日も帰らずに何をしておったのだ」

「申し訳ございません、父上。ちょっと色々あって」

「また下界か? それとも浅田殿のところか? まったく、お前はいつもそうだ。そんなに下界に行きたいならこの武想郷から追い出すぞ」


 男は目尻を吊り上げて怒鳴った。

 この男は名を小六と言い、菜々の父親であった。


「申し訳ございません。でも父上、見てください。上州城戸家の城戸礼次郎様をお連れしました」


 菜々がきまり悪そうに、しかしどこか得意気に言うと、小六は「何?」と目を丸くした。


「ま、誠に城戸礼次郎様か?」

「はい」


 礼次郎は進み出た。


「城戸礼次郎頼龍です」

「おお、これはこれは……ようこそいらっしゃいました。ふむ、そうか。父上が言っていた大切な客人が来ると言うのは城戸家のお方のことであったか?」


 菜々は声を高くして、


「え? 御爺様が? そうだ、御爺さまは? 容体が急変したって聞いたけど」

「うむ。昨晩また突然倒れ、昏睡しておった。だが今朝方、急にむくりと起き出したかと思うと、今日はこれから大切な客人が訪ねて来るであろう、と言い、着替えて天舞てんぶ堂に向かわれたのだ」

「じゃあ、今は天舞てんぶ堂に?」

「そうだ。恐らく礼次郎殿を待っているのであろう。急ぎ行くがよい。わしも後から行こう」


 そして、一行は、その天舞堂と言う場所に向かった。

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