第159話 政宗の器量
「何? 伊達政宗だと? あいつが?」
統十郎は驚いて振り返る。
「動くな。動けば撃つぞ」
伊達政宗は左眼で見回して言った。
引き連れていた武者たちが、一斉に銃口をこちらに向けた。
礼次郎らはもちろんのこと、幻狼衆も皆静まりかえった。
これだけの数の鉄砲を前にしては、いかに彼らが達人、猛者揃いでもどうすることもできない。
「全員剣を捨てろ」
政宗は冷笑した。
やっと風魔玄介を斬れる、と言うところで邪魔をされた統十郎、頭に血を上らせた。
「てめえ、いきなり出て来て何言ってやがる。どういうつもりだ……」
と目を剥いたが、再び銃声が轟き、統十郎の左脇を銃弾が
「次は当てるぞ」
政宗はにやりと笑った。
統十郎は
礼次郎は唇を引き結んで政宗を睨んでいたが、
「早く剣を捨てろ。さすれば命までは奪わん。だが捨てねば即刻全員この場で撃つ」
政宗がこう言うと、礼次郎は小さく溜息をついて皆に言い渡した。
「皆、武器を捨てよう。幻狼衆、お前らもだ」
礼次郎がまず
それを見て、壮之介が|
続けて、右近ら統十郎の部下達、幻狼衆の男どもも皆武器を手から放した。
最後に、統十郎が腹立たしげに撃燕兼光を地に叩きつけようとしたが、寸前で思い止まり、無造作に投げ捨てた。
「天哮丸はどこだ?」
政宗が目を光らせる。
「ここだ」
礼次郎が政宗を睨んだまま、左手を突き出した。
にやりとした政宗、数人を引き連れて礼次郎に歩き寄り、礼次郎の左手から天哮丸を奪った。
「これか……なるほどな。
政宗はしげしげと鞘を見つめた後、
「よし……では全員縛り上げよ」
政宗は部下たちに命令した。
多数の銃口が向けられる中、十数人ばかりの武者たちが出て来て、あっと言う間に礼次郎ら全員を縄で縛ってしまった。
その中には、浅田源太郎ら雲峰忍び衆、そして菜々も含まれていた。
「お待ちくだされ。何故突然このような事をなさる? 我らまで縛り上げて」
源太郎は冷静な顔で政宗に言った。
「うん? お前たちは城戸礼次郎らの仲間ではないようだな。何者だ?」
政宗は、源太郎たちの
「我々はこの山に修行し、この山を守護している
源太郎が答えると、政宗の背後にいた片倉小十郎景綱が、「おお、そなたたちが雲峰衆か」と声を上げた。
政宗は源太郎を冷ややかな目で見ると、
「その
「きっかけは偶然の成り行きでござるが、天哮丸が不埒者どもの手に渡ってしまうのは見過ごせませぬ故、力を貸しただけでござる。城戸殿は、その天哮丸を奪い返すべく戦っていただけ。何故このようなことをなさりますか」
「天哮丸は関係ない。城戸礼次郎は我が小姓である槇伊之助らを斬ったのだ。その罪で捕えねばならん」
「何と……城戸殿が?」
源太郎は驚いたが、すかさず菜々が叫んだ。
「違います。確かに礼次郎様は槇様を斬りましたが、それは私が槇様に
だが、当の礼次郎は縛られたまま皮肉そうな顔で言った。
「確かにそうだが、そんなことはこの男にとっては
だが、政宗はそれには答えず、礼次郎を一瞥して笑った。
「何を言うか。いかなる理由があるにせよ、我が小姓を斬ったのは罪である。相応の報いを受けさせねばならん。それだけだ」
「…………」
「城戸礼次郎、そしてその仲間たちは全てこの場で斬る」
政宗が言うと、武者たちがそれぞれ抜刀して礼次郎らや統十郎らを囲んだ。
「え? ちょっと本気?」
咲は苦笑いで見回した。
「幻狼衆もだ。だが風魔玄介、お前は斬らん。少々思うところがある」
政宗は、風魔玄介をじろりと見やった。
玄介はじっとその視線を受け止めていたが、すぐににやりと笑った。
そして政宗はまた、浅田源太郎ら雲峰衆に向かって、
「雲峰衆、お前たちには何の罪もない。こいつらを斬ったら解放する」
と言うと、礼次郎の前まで来て、
「お前を斬れば、天哮丸は持ち主がいなくなってしまうな。だが安心しろ。天哮丸は俺が責任を持って預かろう」
「てめえ……」
礼次郎が声を荒げようとしたが、その前に統十郎が怒鳴っていた。
「このクソガキが、何を言ってやがる! あれは我が平家の物だ。百歩譲って城戸家の物であることを許しても、決しててめえら関係のねえ人間が持っていいもんじゃねえ!」
「はは……」
政宗は統十郎を見てせせら笑った。
「何を甘いことを。この乱世、物は奪った瞬間からその者の所有となる。違うか?」
「この野郎……」
統十郎は凄まじい
政宗は薄笑いを浮かべると、礼次郎に言った。
「最後に何か言いたいことはあるか?」
「……俺は槇とか言う下衆の非道な行いを許せずに斬った。だが、お前からすれば、大事な家臣を斬られたと言うのは事実。天哮丸欲しさ故にそれを理由にして斬りたいと言うならば斬れ。このような深い山中で秘密裏に俺を斬ってしまえば、世間にはお前のしたことは知られないだろう」
最初は静かであったが、礼次郎の声は段々と熱を帯び、その目の光は爛々と強くなって行った。
「だが、天が見ている。それを忘れるな。天は、俺とお前のどちらが正しいかを必ず見ている。そして、天が見た真実と言うのは、いずれ板の隙間から水が漏れ出て行くように世間に知れ渡る。そして、天哮丸と言うのは、
礼次郎の眼光は、狂気めいた色を帯びて政宗の顔を突き刺した。
だが政宗は何も答えなかった。
表情は変えず、しばし無言で礼次郎を見下ろしていた。
そこへ、横から浅田源太郎が言った。
「殿様。城戸殿の罪はわかり申した。しかしここは霊山、この山を荒らす者を成敗する以外に血を流すことは、天哮丸が作られた頃より許されておりませぬ。斬るならば下山してからにしていただけませぬか?」
政宗は源太郎の顔を一瞥すると、しばらく無言で何か思案した後に言った。
「いいだろう。城戸礼次郎を斬るのは下山してからにしよう」
それを聞いて、武者たちが礼次郎らから離れた。
「先に
政宗は引き連れていた配下たちにそう言い渡したが、菜々が言った。
「もう日が落ちて暗くなっています。武想郷へは入れません」
「何?」
「防備の為、武想郷は日が落ちると武想郷の人間すら入れぬ掟になっているのです」
雲峰山を赤く染めていた西陽はすでに落ち、辺りはすっかり薄闇になっていた。
「適当な嘘をつくな」
「本当でござります。行こうとしても入り口である鉄の大門が閉じられ、入ることはできませぬ」
浅田源太郎も横から言った。
政宗は頭の回転が速い。二人の口ぶりから嘘ではないと理解した。しかし、
「俺はここの領主だぞ。入らせろ」
「いえ。武想郷は古来より帝にも認められた聖地。いかに殿様のご命令とは言え、掟を破って入らせるわけには行きません」
菜々が言うと、政宗は隻眼で菜々を鋭く睨んだが、
「仕方ない。ではここで夜営しよう。明日の早朝、武想郷へ行く」
と、渋々納得した。
政宗は、こういうこともあろうかと、戦に行く時と同じような野営の用意をして来ていた。
幕舎が張られ、夜営の支度が整うと、炊事が始まった。
兵士達は携帯していた兵糧袋を解き、芋がら縄などと一緒に
その間、礼次郎らや統十郎たち、そして玄介を始めとする幻狼衆らは
浅田源太郎ら雲峰忍び衆と、菜々は解放されていた。
解放された源太郎と菜々は、礼次郎らの罪を赦してくれるよう、政宗に掛け合っていた。
だが、いくら道理の正しいことを言っても、政宗は首を縦に振らなかった。
しまいには、
「しつこい。それ以上言うならば斬るぞ」
と、刀の柄を握って怒り出した。
ここまで言われては仕方ない。源太郎と菜々たちは肩を落として引き下がり、政宗の幕舎を出た。
そして政宗は、幕舎の中に一人となった。
政宗は、隅の卓の上に置いていた天哮丸を手に取り、
黙然と天哮丸を見つめる。
その表情が少し憂鬱に染まっていた。
しばらくして、外から片倉小十郎景綱の声が聞こえた。
「殿、入ってもよろしゅうござるか?」
政宗は睫毛深い目を上げて、
「入れ」
「はっ」
景綱は入って来て開いていた床几に腰かけるなり、政宗が持っていた天哮丸に目をやった。
「天哮丸を手に入れられましたな」
「ああ」
「今のご気分は
「…………」
政宗は、景綱をちらっと見ただけで何も答えなかった。
「実は、
「最初に俺に天哮丸の存在を言ったのはお前だぞ」
「はい。ですが、その剣の
「…………」
「天哮丸は天下の覇権を取れる力がある反面、持つ者をも滅ぼしてしまう魔力があると言います。その剣を見ているうちに、そう言う魔性のようなものを確かに実感いたしました。そして何より、先程の城戸礼次郎たちの態度を見ていたら、天哮丸はやはり城戸家に返すべきで、城戸家が世に出さぬように守護していくべき物だと感じました。殿も薄々そう感じておられるのではありますまいか?」
一時の沈黙の後、政宗は呟くように言った。
「乱世だ。物は奪った瞬間からそいつの物となる」
「そうですな……では殿は天哮丸の力で天下の覇権を狙いますか?」
「…………」
「殿はご幼少の頃、あの織田信長に憧れておりましたな。信長のようになってみたい、と。その織田信長ならば、天哮丸のことを知ったらどう動くでしょうな。そして、殿が最後の敵と定めている今の関白豊臣秀吉も」
景綱は、政宗の手にある天哮丸を見つめたまま言った。
政宗は、そんな景綱にじろりと視線をやった。
そして、再び憂鬱そうな顔で天哮丸に視線を落としていたが、しばらくの後、政宗はふらりと立ち上がって幕舎を出た。
礼次郎たちがまとめて座らされている場所の近くには、捕虜とは言え彼らを気遣い、冷えぬようにいくつかの
その炎の揺らめきと、舞い上がる火の粉を見つめながら、
「折角ここまで来たのに……悔しい」
ゆりが呟いた。
「この山を下りたら斬られるのかしら。嫌だわ、私にはまだまだやりたいことがあるのよ」
咲が溜息をつく。
「千蔵殿、どうにかならんか?」
壮之介は千蔵を見やったが、
「申し訳ござらんが、
今朝、千蔵が関節を外して縄目を抜け出したことから、千蔵だけきつく何重にも縛られていた。
千蔵は何度かもがいたが、どうにもならないようであった。
「…………」
礼次郎は無言で篝火を見つめていた。
そこへ、伊達政宗が数人の伴の者を連れてやって来た。
政宗は礼次郎の前まで来ると、伴の者らに命じて、礼次郎の縄を解かせた。
「どういうことつもりだ?」
礼次郎は
「立て」
政宗が礼次郎を見下ろしながら言う。
礼次郎は言われるままに立ち上がった。
「渡してやれ」
政宗は数歩後方に下がりながら、伴の者に命じた。
伴の者は、礼次郎に、取り上げていた桜霞長光を手渡した。
「抜け」
政宗は短く言うと、自らも腰の愛刀を抜いた。
「勝負だ」
政宗は剣を正眼に構えた。
「どういうつもりだ?」
「いいからかかって来いよ」
政宗の左眼が燃えるような殺気を放っていた。
礼次郎はじっと政宗を見つめていたが、やがて桜霞長光を抜き、鞘を捨てた。
政宗と同様、正眼に構える。
どういうつもりなのかと、その場の全員が息を飲んで成り行きを見守った。政宗の部下達も、幻狼衆の男どもも、無言で驚きながら二人を見つめた。
夜闇の中に奇妙な
篝火の火の粉の音だけが、小さくぱちぱちと音を立てていた。
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