第153話 怪鳥雷風
山中を進んで行きながら、統十郎は生き残った三人の部下を紹介した。
「俺の腹心たちであり、またガキの頃からの友だ。これが
細身で長身の忍びの芥川右近、
それを受けて、礼次郎も壮之介たちをそれぞれ紹介した。
統十郎は咲を見ると、改めて驚いた顔となった。
「美濃島殿、今は礼次郎のところにいるのか」
「まあ……ちょっと色々あってね」
「貴殿はいわゆる
「私もそう思ってたさ。でも意外と居心地は悪くないよ」
咲はふふっと妖艶に笑った。
統十郎はまた、ゆりを見て今度は意味深に、にやにや笑った。
「仲良くやってるようだな」
「え? ええっと……うん……」
ゆりは、先程までの礼次郎とのことを思い出して頬を赤らめた。
隣を歩いていた咲は、それを目ざとく見て言った。
「お姫様、さっきから何か変よ」
「そ、そうですか?」
「さっきから何か浮ついているように見えるわ……それでいて顔もちょっと赤いし……」
「え? だからちょっと風邪気味って言ったじゃないですか」
「それだけじゃなさそうだけど」
「それだけですよ。な、何もないです」
だが、ゆりの目は落ち着きなく泳いでいる。
「ふうん……」
その様を、咲は更にじっと見つめていたが、大人の女の勘が働いたらしい。やがてにやりと笑うと、ゆりの耳元でささやいた。
「もしかして
ゆりはどきっとして目を見開いた。
「な、何もないですよ。何も……」
ゆりはしどろもどろになりながら否定する。
「へえ……本当かしら」
咲はわざとらしくにやにやと笑った。
「ふふ……」
そんな二人の様を、前方の統十郎はちらりと振り返り見て小さく笑った。
それへ、壮之介が声をかけた。
「しかし仁井田殿。実際のところ、奴らは何人いるのでしょうな」
すると、統十郎は険しい顔で首を横に振った。
「さっきも言ったように、本当にわからん。斬っても斬っても、またすぐに湧いてきやがる。二十人かと思うと、次には三十人になっていたりする」
千蔵が横から言った。
「
同じ忍びの
「流石は笹川殿だ。私もそう思っていた」
だが礼次郎が驚いた顔で振り返った。
「待てよ。分身の術……噂では聞いたことがあるけど、そんなものが本当にあるのか?」
千蔵は
「ございます。ただ、人が分裂するなど、そんなことはいくら忍びでもできるはずはございませぬ。実際には、木々の間や岩陰などのあちこちを、複数人で忍び特有の高速移動をし、実数よりも多くいるように見せかけているだけでございます。まあ、子供
「この山の地形はその術を使うに最適。そして、風魔衆は我らのように一般の忍術は重視しておらず、戦時における奇襲
芥川右近が付け加えて言った。
「なるほどな」
「実際には二十人と言うところではないでしょうか」
右近が言った時であった。
最前方を進んでいた礼次郎と統十郎の足元が突如として崩れ、二人の身体が地中に沈んだ。
「ご主君!」
「罠だ!」
千蔵と壮之介、右近、小四郎、五郎兵衛は咄嗟にそこから飛び退こうとしたが、そこへ頭上より数人の男たちが抜き身を手に飛び降りざまに襲い掛かって来た。
「幻狼衆か」
壮之介が眼を怒らせ、
男たちは皆、柿渋色の上下を着ていた。
その数、ざっと見回して十人。
声も発さずに白刃を煌めかせて躍りかかって来た。
「お姫様、私の後ろに」
咲は咄嗟にゆりを後ろに隠し、鬼走り一文字を抜いた。
だがそれへ、千蔵が早口に叫んだ。
「美濃島殿、ご主君と仁井田殿を先に」
「ああ、そうね」
咲は頷き、剣で牽制しながらゆりと共に礼次郎と統十郎が落ちた穴へ走った。
そして礼次郎を引き上げ、続けて統十郎を引き上げた。
「卑怯な野郎どもめ、落とし穴まで使うとは」
穴から出るや、統十郎は怒りを
だが、男はひらりと宙に舞い上がってそれを
礼次郎も
――流石に幻狼衆、強い。
礼次郎は息を吐き、二の太刀を突いて行く。
だが、ふと違和感に気付く。
――うん、こいつら?
礼次郎は斬り合いながら、相手の顔を観察した。
そこには、これまで見て来た幻狼衆の人間たち特有の気が感じられない。
「霊山を荒らす
男たちの一人が発した叫び声が耳に入った。
――霊山を荒らす? もしや……?
礼次郎は相手の剣を打ち払うと、数歩飛び退いて大声で叫んだ。
「仁井田、待て! こいつらは幻狼衆じゃないかも知れない!」
「何?」
統十郎は斬り合いながら相手の男の顔を凝視する。
礼次郎は続けて大声を張り上げる。
「待て、待ってくれ! あなた方は何者だ? 幻狼衆ではないのか?」
すると、男たちの中の頭目格と見られる屈強な壮年の男が答えた。
「幻狼衆? 何だそれは? 我々はこの山を修行場とする
男は礼次郎に鋭い目を向けた。
――
「待ってくれ、手を止めてくれ! 俺たちはあなた方に敵対するつもりはない」
礼次郎が必死の声を張り上げると、頭目格と見られる男が大声を上げた。
「者ども、やめい!」
すると、男たちの手がぴたりと止まり、それぞれ飛び退いて礼次郎らと間合いを取った。
男が進み出た。逞しく、それでいてしなやかな筋肉のついた
「お主たちこそ何をしにこの山に参った? 今朝よりずっとこの山の霊気が激しく乱されておる。このように乱れるのは、下界の
礼次郎は手を上げて制した。
「お待ちいただきたい。確かに我らはこの山で争いごとを起こしました。血も流しました。ですが、それには理由があってのこと」
「如何なる理由があろうと、この霊山を血で汚すことは許されんのだ。この山で血を流していい時は、この山を汚す不埒者どもを成敗する時のみ、と
すると、仁井田統十郎が苛立たしげに食って掛かった。
「待てよ。霊気だ不浄だ聖なる山だ、なんて言う割りにはてめえらが一番血の気が多いんじゃねえか? 他人がここで血を流すのは許せねえがてめえらがそいつらを斬るのは許されるってのはどこかおかしくねえか? まずは理由ぐらい聞いたどうなんだ?」
「何?」
男が鋭い眼光を統十郎に向ける。
「言うではないか。お主ら、名を何と申す? わしはこの
その男、浅田源太郎が名乗ると、
「俺は仁井田統十郎政盛」
統十郎は上から見下ろすように名乗った。
「私は城戸礼次郎
礼次郎が丁寧に軽く頭を下げて名乗ると、源太郎の眉が動いた。
「城戸? その名はもしや上州源氏の城戸家の者か?」
「おっしゃる通りです。私は上州城戸家の次期当主」
「ほう。この山には武想郷があるだけに、我らも天哮丸とそれを守護する城戸家の存在は知っておる。だが、お主が城戸家の人間だと簡単に信じるわけにもいかぬ。城戸家の人間がここに来たならば、天哮丸を持っているはずであろう。それを見せよ」
それを聞くと、礼次郎は唇を結んだ。
「天哮丸は持っておりません」
「持っておらぬと? ならば城戸家の人間と信じることはできんぞ」
「実は、天哮丸は幻狼衆と言う連中に盗まれてしまい、私は奪い返すべくその幻狼衆を追って来たのです」
そして、礼次郎はここに来るまでの大体のあらましを話した。
聞き終えると、浅田源太郎は表情こそまだ緩めなかったものの、大きく頷いた。
「ほう、なるほどのう」
「争いごとで血を流したのは事実です。ですが、今言った通りの事情があるのです。勝手な話ですが、ここはどうかお見逃し願いたい」
源太郎は、礼次郎の瞳をじっと見つめた。
その瞳を通して心の中までも見透かすかのような眼光であった。
沈黙の後、源太郎は言った。
「天哮丸を持っていないのならば、お主が城戸家の人間だと簡単に信じるわけにはいかぬ。だが、お主が嘘をついていないのは目を見ればわかる。そしてお主の目からはお主の人間性がわかる。お主は清く真っ直ぐで……世に光を与える人間であろう。世に光を与えることのできる人間はそうそうおらぬ。もしかすると、それは大きな光ではないかもしれん。だが、どんなに小さな光であったとしても、世間にはその小さな光ですら渇望する、暗闇に苦しむ人間が大勢おる」
「世に光……?」
「うむ。そしてそう言う人間は信用できるものだ」
すると、美濃島咲が冷めた目でぼそっと呟いた。
「何が言いたいのかさっぱりわからないわね。結局信じるのか信じないのかどっちなのよ」
源太郎は、
「良かろう、お主らが今日この山で血を流したことは特別に大目に見よう。そして、その幻狼衆とやらを追うことも許す。天哮丸を悪用されれば天下に多大な悪影響を及ぼす。それはこの山の霊気の乱れよりも遥かに重大事であるからな」
源太郎は初めて表情を緩めた。
礼次郎は頭を下げた。
「かたじけのうございます」
「道はわかるか?」
「いいえ。初めて来ましたし、この山は複雑すぎてさっぱりです。ああ、そうだ。実は武想郷の菜々殿と言う
すると源太郎は表情を変えた。
「何、武想郷の菜々だと?」
他の雲峰忍び衆の者たちもざわついた。
「ええ。そうか、菜々殿はあなた方に忍びの術を教わっていたと聞いた。菜々殿はご存知なのですね」
「もちろんだ。我々は妹や娘のように可愛がっておる。そうか、菜々が捕えられたのか」
源太郎が難しそうな顔で呻いた。
「はい」
「それは一大事。よし、我々が道案内をしよう。そしてお主らに力を貸す」
源太郎の決断は速かった。
「誠ですか? それはありがたい」
礼次郎が顔を輝かせた。
「うむ。
源太郎は言うと、指を口にくわえて大きく口笛を吹いた。
すると、どこからか大きく立派な鷹が飛び降りて来て、源太郎が真っ直ぐに伸ばした腕の上に止まった。礼次郎、統十郎らはその鷹を見て仰天した。
翼を閉じた状態でのその大きさが、三尺をゆうに超えるものであったからだ。
源太郎は、その大鷹に
「
すると、怪鳥雷風は唸り声を上げて空へと飛び立った。
雷風は大空高くへと舞い上がると、時折吼えながら大きく旋回した。
やがて、何かを見つけたようで、真っ直ぐに飛んで行くと、ある一点で羽ばたきながら停止した。
「あそこか」
源太郎には、そこがどこかすぐにわかったようである。
だが、厳しい顔で礼次郎に言った。
「まずい。あの
「何と……」
「急がねばならんが、脚は平気か?」
「ここで駄目だなんて言っていられません」
「よし。近道がある。ついて来るがよい」
源太郎は言うと、山道を奥へと進んで行った。
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