第145話 武想郷の菜々

「何でわかった?」


 礼次郎は更に驚いて目を丸くした。

 少女は手拭いを取り出した。それは、昨日礼次郎が少女に渡したものであった。


「この手拭いに染められてる三つ葉竜胆の家紋、これは城戸家の家紋でしょう? 聞いていた歳の頃、背格好の様子から言っても間違いないと思って」

「ああ、そうか……それにしても、三つ葉竜胆紋を使っている家は他にもある。その中で俺と同じような年頃の男なんて沢山いるだろうに」


「それだけじゃないんです。私の御爺おじじ様が、『きっと近々、城戸家の嫡男の礼次郎と言う若者が天哮丸を修繕するべくここへ来るだろう、もし下界で会ったならばお連れせよ』ってずっと言っておりましたので」

「御爺様? 君は一体何者なんだ? さっき武想郷むそうきょうへ案内すると言ってたけど、武想郷の人なのか?」

「はい。私は菜々と言います。おっしゃる通り、武想郷の人間です」


 菜々はニコリと笑った。


「本当に武想郷の?」

「はい。運が良かったです。ちょうど私がお使いで下界に来ていたところに出会えるなんて。武想郷への道はとても複雑で、下界の人ではまず辿り着くことができませんから」




 米沢城本丸の中庭――


 凜乃と永谷時房は、伊達政宗の凝然と見下ろす視線を浴びたまま動かなかった。

 時房は、血の気の引いた青白い顔で、震えながら平伏していた。

 しかし、凜乃は豪胆にも政宗の視線を睨み返している。


「時房」


 政宗は口を開いた。重々しい響きを持っていた。

 時房はもう生きた心地がしなかった。

 だが、政宗はこう続けた。


「良い妻を持ったな。大事にしろ」

「はっ……?」


 時房は恐る恐る顔を上げた。


「凜乃とやら」

「………」

「あの弟にしてこの姉あり。いや、その逆と言うべきか? とにかく流石は源氏の名門の血筋だけある。だが……俺は面目を潰されたようなものだ。これでどうしても礼次郎を捕えねばならなくなった」

「礼次は馬鹿ではございますが、私にとってはあの通りの自慢の弟。そうやすやすとは捕まりませんぞ。むしろ殿の命が危うくなるかも知れませぬ」

「では覚悟しておこうか」


 政宗はふふっと笑うと、背を返して廊下を歩いて行った。




 それよりおよそ半刻後――


 礼次郎らは、菜々の先導の下に、武想郷を目指して雲峰山を登っていた。

 これはかなりの助けであった。

 千蔵が写した風魔玄介が持っていた地図は、武想郷が雲峰山の中にあると言うことのみが記してあるだけで、雲峰山の中をどう行けば武想郷に辿り着くのかまでは記されていなかったからである。

 しかも、菜々が言うには、雲峰山の中の道はとても複雑で、外の人間はまず武想郷へはたどり着けないと言う。


 道すがら、礼次郎はこれまでの事を菜々に話していた。

 聞き終えると、菜々は険しい顔をした。


「そうですか……それは困りましたね。礼次郎様が来たのでてっきり天哮丸を持って来たと思ったのですが……天哮丸は奪われてしまい、しかもその風魔玄介も武想郷へ向かっているなんて」

「先に武想郷へ入られたらまずいことになる」


 礼次郎が顔を曇らせたが、そこで壮之介が言った。


「しかし、玄介が武想郷に行って天哮丸を元に戻すように言っても、武想郷側でそれを拒否してしまい、皆で玄介から天哮丸を取り上げてしまえばいいのでは?」


 だが、菜々は一層難しい顔となった。


「その幻狼衆って人達がどれぐらいの人数を連れて来ているかによりますね。お話しを聞くとかなり強い人達らしいし。何せ、私達武想郷の人口は百五十人ぐらいしかいない上、武具を作る上で必要な霊気が損なわれると言う理由で、無益な殺生が禁じられております。なので武芸の心得がある男の数はせいぜい十人前後ぐらい。武力を盾に脅されたら抵抗できません」


「そうか。と、なると、やっぱり玄介らが武想郷へ辿り着く前に天哮丸を奪い返さないと行けないな」


 礼次郎が天を睨むと、咲も静かで力強い声色で言った。


「いずれにせよ、風魔玄介は私達の手で斬るんだから、どこでも同じことよ」

「ああ。しかし……そうなると急に不安になって来たな。もう奴らは武想郷へ着いているかもしれない」


 礼次郎は自然と足早になった。

 だが千蔵が背後から言う。


「それは恐らく大丈夫かと。私の計算では、奴らは早くても昨日この雲峰山に着いたあたりでしょう」


 すると菜々も頷いて横から言った。


「うん、昨日着いたなら、きっとまだこの山の中にいると思う。さっきも言ったように、武想郷への道はとても複雑で、下界の人ではまず辿り着けないですから」

「そうか……それならいいけど……しかし菜々殿、色々聞きたいことがあるんだが」

「はい、私に答えられることなら」


「まず基本的なことだ。武想郷とは何だ? そして天哮丸はやっぱり武想郷で作られたものなのか?」

「私達武想郷は、下界では聖地だなんだと言われているようですが、簡単に言ってしまえばただの鍛冶村です。ですが、私たちの祖先は天より下りて来たと言われており、古代より様々な高度で不思議な技術が受け継がれております。その技術で、下界の人達にはとても作り出せないような物が作れるんです。”天之咆哮”、天哮丸もその一つなのですが、天哮丸は特に武想郷始まって以来の最高傑作と言われております」

「最高傑作か……」


 その時であった。千蔵が抑えた声で言った。


「お静かに。この下に何者かがおります」


 今進んでいるところは、左手脇が崖になっている山道であった。


「伏せよう」


 礼次郎の言葉で、皆全員地に伏せて口を閉じた。


 千蔵が伏せて地を這って崖縁まで行き、下を覗き見た。

 崖下の光景を見た千蔵は、思わず細い目を見開いた。そして振り返り、手招きで礼次郎を呼んだ。

 礼次郎も腰を屈めて崖縁まで行き、静かに下を覗き込む。

 そこに見たのは、三十人ばかりの柿渋色や黒い服装をした集団。そしてその中程にいたのは風魔玄介であった。



 風魔玄介は、合図をして部下達の進行を止めた。


「どうもおかしい。この道はさっきも通らなかったか?」


 玄介は前後左右を見回す。

 部下の一人が言った。


「いえ、通っていないと思いますが」


 すると、別の一人が言う。


「いや、俺は通ったと思う」


 意見が割れた。


「全く……この山はどうなっているんだ? 複雑すぎるぞ。我らが半日かけても未だに迷っているとはな」


 いつもは涼しい顔で余裕の薄笑いを浮かべている玄介も、流石に苛立った表情となっていた。




「玄介だ」


 崖上の礼次郎は唇を結んだ。


「まずい、かなりいるな。何人いる?」


 小声で千蔵に聞く。


「ざっと三十と言うところでしょうか。」

「そんなにか……。幻狼衆三十人、俺達だけではかなわないだろうな」


 礼次郎は一時思案を巡らせた。

 しかし、先を進んで行く玄介らをそのまま見送った。

 そして千蔵と共に再び元の場所に戻り、壮之介たちに今見たものを報告した。


「三十人か。それは流石に分が悪すぎますな」


 壮之介は難しい顔で考え込んだ。


「礼次郎も左肩を怪我してるからねえ」


 咲が小さな溜息をつく。


「せめて俺の左肩がもう少しまともならな……ゆり、何とかならないか?」


 礼次郎がゆりを見ると、ゆりはまた呆れた顔となった。


「だから無理だってば。怪我は一朝一夕に治るものじゃないのよ」


 千蔵が冷静に言う。


「いや、ご主君の左肩が治っていたとしても、我ら五人だけでは幻狼衆三十人にはかなわないでしょう。足軽雑兵とはわけが違います」

「そうだよなぁ。しかし、このまま奴らを見逃すわけにもいかない」


 すると、菜々が言った。


「あ、そうだ。同じこの山の中に、武想郷とはまた方向が少し違うんですけど、もっとずっと行った先に、雲峰忍び衆と言う小さな忍びの人達の集落があります。そこに加勢を求めてみましょうか? 人数は少ないけど、きっとかなりの助けになるはずです。」

「本当か? 頼めるのか?」

「ええ。私は小さな頃からこっそりそこへ行って忍びの術を教えてもらっていたので仲がいいんです。だから頼めばきっと力を貸してくれると思います」


 だから、忍びのような動きができるわけか――と千蔵は納得した。


「それはいい。幻狼衆の連中も忍びだ。同じ忍びの者の力が借りられるならこれほど頼もしいことはないな」

「はい。じゃあ急ぎましょう。その村も結構遠いので」


 そうして、礼次郎らは風魔玄介ら幻狼衆をやり過ごし、その雲峰忍び衆の集落へと急いだ。


 雲峰山は、菜々が言うだけあって、本当にとても複雑であった。

 同じような山中の風景と道が続き、その道も上下左右に分かれており、さながら迷路の如くとなっている。

 これは確かに、外の人間ではとても武想郷まで辿り着くことはできないであろう。

 むしろ、一度足を踏み入れれば、迷いに迷って抜け出せなくなるのでは、とすら思えた。


「それにしても……」


 菜々はちらっと礼次郎の顔を見上げて頬を少し赤らめた。


「礼次郎様は物語に出て来そうですね。御爺おじじ様の言った通りだ」


 つまり、美男だと言っているのである。


「え? ああ……ありがとう、はは……」


 礼次郎は思わず照れて視線を泳がせた。


 そのやり取りを見て、ゆりは思わず口を開けた。

 彼らの背後で、何か言いたそうに、両手指を弄ぶ。

 それを横目に見て、咲がぷっと吹き出した。


 礼次郎は、ふと気づいて菜々に言った。


「あのさ、さっきから言っているその御爺様ってのは誰なんだ?」

「私の父上の父上ですよ」

「いや、そう言うことじゃなくて」


 と言った時、礼次郎は、はっと何物かの気配に気付いて脚を止めた。


「お待ちを」


 千蔵もそれを察知した。

 二人が感じ取ったその気配は、決していいものではなかった。暗黒の気であった。


 突如として冷たい猛風が吹いた。


 そして、前方の三つ又に分かれている道の一番右から、数人の男どもが出て来たかと思うと、やがて茶色い髪に白い肌の優男やさおとこが現れた。

 すなわち幻狼衆頭領、風魔玄介。引き連れている者たちは幻狼衆の者たち。


 ――しまった。


 礼次郎の顔色が変わる。

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