第132話 藤と百合

 だが、清雲斎は続けて言った。


「と、言いてえところだが、俺は常日頃から腹を切ると言うのは逃げだと思っている。武士ならば生きて恥をそそげ。どんなに人に馬鹿にされようが蔑まれようが、地を這ってでも生き延び、必ず自分に恥をかかせた相手を殺せ。殺せなくとも、相手と戦った末に死ね。それが武士の作法だと思ってる」


 礼次郎は、食い入るように清雲斎の顔を見つめた。

 清雲斎は言葉を続ける。


「その仁井田ってのは、その後どこに行った?」

「……わかりません。ですが、自分たちが天哮丸を追う限り、いずれ会うだろう、と仁井田は言っておりました」

「そうか。じゃあ次に会う時に必ず奴を斬れ。いいな?」


 清雲斎が厳しい顔で言い渡すと、礼次郎は下を向いて口を結んだ後、再び顔を上げ、


「承知いたしました。刺し違える覚悟で向かいます」

「いいだろう。じゃあ早速稽古だ。てめえじゃ俺のように右腕一本でも戦えるようになるには相当の時間がかかるだろうからな」


 清雲斎が木剣を取るように促した。

 だが、ゆりはまたも慌てて進み出る。


「駄目です。右腕だけで稽古をしようとしても、自然と左腕にも力が入るものです。そんなことをすれば治りが遅くなります。今は極力安静にしていないといけないんです」


 しかし清雲斎は礼次郎から視線を離さぬまま、


「こいつは左腕を失ってしまったようなもんなんだ、そんな甘いことを言ってる場合じゃねえんだよ。今のこいつには……」


 と言いかけて、清雲斎ははっとしてゆりを見た。


「今、何て言った? こいつの左肩は治るのか?」

「はい。私の言う通りに治療すれば」


 清雲斎は驚愕する。おみつも驚いた。


「ゆりちゃん、あんた医者なのか?」

「医者って言うか……一通りの心得はありますけど」


 すると礼次郎が横から言った。


「あの曲直瀬道三殿に直接教えを受けたそうです。それだけあって、ゆりの腕は確かです。まだ治療を始めて日が浅いですが、順調に回復しているのがわかります」

「そうなのか。まだ乳も小さいガキに見えるが大したもんだな……」


 清雲斎は更に驚き、まじまじとゆりを見つめた。


「胸は関係ないでしょ」


 むっとしたゆりに、清雲斎は左袖を肩上までまくり上げて見せた。


「なあ、こいつの左肩が治るなら、俺のはどうだ? 治るか? 同じ技でやられたんだ。色んな医者に見せたが皆駄目だと言いやがる。」


 そこには、すでに身体に馴染んでしまった古傷があった。

 ゆりはそれをじっと見つめ、またその左肩を触ったり動かしたりした後、うーんと呻くと、溜息をついた。


「この傷を受けた後にすぐに治療をしていれば完治しただろうけど、今からじゃもう完治は無理です」

「そうか……」


 清雲斎は失望の色を現した。


「だけど、今よりは動かせるようにはできると思います。大体、元の七、八割ぐらいまでには」

「何、本当か! それぐらいでも十分だ、治療をしてくれねえか?」


 清雲斎は驚喜した。


「わかりました。じゃあまずは鍼から」


 ゆりは自室へ行き、治療道具を一式持って戻って来た。

 そして、早速その縁側に面した部屋で清雲斎の治療を始めた。


「正直なところ、この俺が剣を振るには右腕一本でも構わねえんだけどよ。日常生活が色々と不便でな」


 清雲斎は治療を受けながら、弟子の礼次郎がこれまで見たこともないような笑みを見せた。


「でも、ある程度時間がかかりますよ。毎日鍼をして刺激を与え続け、根気良く治療して行かなければいけません」

「ああ、大丈夫大丈夫。俺は礼次のようなせっかちじゃねえ。今より動くようになる為なら気長に行くぜ」


 清雲斎が大笑すると、礼次郎は口を曲げた。


「お師匠様までそんなことを……オレだって治療の為に気長にやってますよ」


 するとゆりが呆れたように言った。


「この前、一か月も待てるか、って怒ってたのは誰よ」

「あ……それを言うなよ……」


 礼次郎は困ったように言葉に詰まる。

 その様子を見て清雲斎はにやにやと笑った。


「おうおう、二人とも仲良さそうじゃねえか」

「え? いや……」


 礼次郎は思わず頬を赤らめた。

 ゆりも顔が赤くなる。


「礼次、いい許嫁じゃねえか。医術に通じてて色々作れる上に顔も可愛いと来たもんだ。ちょっと性格に癖があって乳も小さいけどよ」

「治療やめますよ……」


 ゆりは額に青筋を立てた。


「お前にはもったいねえいい女だ。で、いつ夫婦になるんだ?」


 清雲斎が聞くと、


「え?」


 礼次郎の動きが固まった。


「………」


 ゆりが横目で礼次郎を見る。


「いや、今はまだ色々と大変な時期なので……その……」

「大変な時期だからこそ妻を娶って支えてもらうのが必要なんじゃねえのか?」

「え? ああ、そうですが……でも今は……」


 礼次郎がしどろもどろになると、ゆりが横から言った。


「城戸領の復興に、借りて来た軍備の整え、幻狼衆との戦……今は本当にそれどころじゃないんですよ」

「そ、そうなんです」


 礼次郎がぎこちなく笑った。

 すると清雲斎は、にやにやと意地の悪い笑みを見せた。


「本当か? 礼次てめえ、本当はおふじちゃんのことがまだ忘れられないんじゃないのか? この前言ってたもんな。許嫁と言っても親父が勝手に決めただけで自分は了承してない、俺はまだふじが~とかよ」

「何言ってるんですか。あ、あれはあの時のことで……今は違います!」


 礼次郎は声を大きくした。

 明らかに動揺していた。


「じゃあ、今は何だって言うんだ? もういなくなっちまったおふじちゃんとゆりちゃん、どっちが好きなんだ?」


 礼次郎の動きが再び固まった。

 ゆりも動きが止まった。だが、礼次郎からは目を逸らしていた。


「それは……その……」


 礼次郎は言葉が出て来なかった。


 一時の沈黙――


 おみつが、耐えられなくなったように立ち上がって部屋を出て行った。


 その後、ゆりが口を開いた。


「これで今日は終りです。明日また、同じようにやりますので」


 そして立ち上がると、礼次郎を振り返ることなく部屋を出て行った。

 どことなく気まずくなった空気の後に残された師弟二人。

 だが、清雲斎はまるで意に介していない。


「師匠、何てことを言うんですか」


 礼次郎は怒って清雲斎に詰め寄った。


「何って、別にいいじゃねえか。どっちが好きなんだって聞いただけだろ」


 清雲斎はにやにやと笑っている。


「そんなことを聞くのが問題なんですよ」

「何が問題なんだよ? 正直に答えれば良かっただけだろ。まさかお前、あんないい女が許嫁だって言うのにまだ死んじまったおふじちゃんを想ってるのか?」


 礼次郎は俯いた。


「そんなことあるわけないじゃないですか……もうふじはいないんです」


 一段下がった声で呟くように言った。


「じゃあゆりちゃんはどうなんだ」

「それは……ゆりは大切な人だと思っていますが……」


 礼次郎は言葉に詰まって沈黙した。


「まあとりあえずだ。ゆりちゃん追わなくていいのか?」

「あ……」


 礼次郎は我に返ると、慌てて立ち上がり、廊下に飛び出した。

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