第131話 師弟の道

 城戸の町は半壊しているので、礼次郎一党の者皆が個々に居住できるような屋敷は無い。

 そもそも、皆独り者であってせいぜい部屋が一つでもあれば良いことから、とりあえず皆城戸の館内に住まうことになった。

 到着したその日は、すでに空が赤くなり始めていた。

 各人、あてがわれた部屋に行き、荷の整理などをした後、皆で簡単に食事を取ってそれぞれ早めに休んだ。


 そして翌朝――

 庭に面した縁側に、師弟が座っている。


「え? 北条軍に襲われたのですか? 二百人の?」


 二日前にあったことを聞くと、礼次郎は大いに驚いた。


「ああ、てめえがのんびり帰って来てる間にな。」


 清雲斎は、茶を飲み終えると、立ち上がって庭に出た。


「それで……どうされたのですか?」

「やられてたら今ここには北条の連中がいるだろ。撃退したに決まってんだろうが」

「二百人もの数を相手に? ……どうやって?」


 礼次郎が驚くと、ちょうど茶のお代わりを持って来たおみつが横から言った。


「葛西様は凄かったんですよ」


 おみつは、未だ興奮の残る口ぶりで、あの日の戦いの様子を話した。

 聞き終えると、礼次郎もまた興奮したように驚愕した。


「それは凄い。流石はお師匠様」

「大したことじゃねえ。武の道の頂を目指す者ならこれぐらいできなければ話にならん」


 そう言って、清雲斎は右手一本で木刀を振った。


「それでも、そんな戦いができる者がこの日ノ本にどれぐらいいることか」

「まあな……でも俺は少し特別だからな。何せ剣神だからな」


 清雲斎は豪快に笑った。


「そんなお師匠様がいてくれるので、この先も心強いです」


 礼次郎が喜んで言うと、清雲斎は木刀を振る手を止めてギロリと礼次郎を見た。


「誰がこの先もいると言った?」

「え……?」

「勘違いするな。これまでは、お前が越後に行っている間、ここを守る者が誰もいなくなってしまうから一時的にいてやっただけだ。お前が新しい仲間たちと家臣たち、兵たちを連れて来た今、もはや俺がここにいる理由は無い。落ち着いたら、来週早々にでもここを発つ」

「そんな……お師匠様一人だけでかなりの力になります。助けてはもらえませんか?」

「礼次、てめえ……」


 清雲斎は、斬り合いの時のような殺気ほとばしる目で礼次郎を睨んだ。

 礼次郎は思わず戦慄する。


「例えば、子供の喧嘩にしゃしゃり出て行く親がいるか?」

「………」

「それと同じで、弟子の戦いに師匠が加わるもんじゃねえ。そんなことをすれば、弟子の成長にならん。師は、黙って弟子の戦いを見守るだけだ」


 清雲斎は身体の向きを変え、真っ直ぐに礼次郎を見据えた。


「これはお前の戦いだ。お前の力で勝って見せろ」


 礼次郎は、言葉を奪われたように清雲斎の顔を見返していた。

 だが、やがて地面に降りると両手をついた。


「私が未熟でございました。お師匠様の力には頼らず、必ず私の力でこの戦いに勝って見せます」


 その礼次郎の言葉を聞くと、清雲斎は高く笑った。


「よし、いいだろう。てめえはこの俺が唯一取った弟子だ。師匠の俺の名を汚すんじゃねえぞ」

「はっ」

「じゃあかかってこい。真剣でいいからよ。てめえが越後に行っている間にどれぐらい成長したか見てやる」


 清雲斎は、挑発するように木刀の切っ先を礼次郎に向けた。


 礼次郎は、その押し潰してくるかのような殺気に思わず唾を飲み込んだ。

 だがゆっくりと立ち上がると、縁側に置いていた桜霞長光を手に取った。

 しかしそこへ、たまたま背後の部屋の奥の廊下を通りかかったゆりが見つけ、すっ飛んできた。


「駄目よ、何してるの!」


 ゆりは庭に飛び降り、慌てて礼次郎を制した。

 だが清雲斎は、礼次郎から視線を動かさぬままに言う。


「ゆりちゃん、悪いけど引っ込んでてくれるか? 俺は一応こいつの師匠なんだ。弟子がどれだけ腕を上げたか見るのは師匠の義務だ」


 しかしゆりは引かない。


「やめてください! 礼次郎の左肩はまだまだ動かせるような状態じゃないんですよ!」

「左肩? どうかしたのか?」


 清雲斎は眉を動かした。

 ゆりは、礼次郎の左腕を掴むと、「お、おい!」と戸惑う礼次郎に構わず、その裾を肩上までまくり上げ、更に肩に巻いてある晒しの布をほどいた。

 未だ血の色が滲む、大きく生々しい傷跡が露わになった。


 おみつが言葉を失った。

 清雲斎もさぅと顔色を一変させた。


「それは……剣で貫かれたか?」


 礼次郎は気まずそうに目を伏せ、頷いた。


「はい」

「何故それをもっと早く言わねえ」

「俺が不覚を取ったことを知れば、きっとお怒りになるかと思い……」

「馬鹿野郎。勝敗は兵家の常と言う。それは剣士も同じだ。怒るわけねえだろ」

「申し訳ございません」


 礼次郎はうなだれた。


「で、誰にやられた? 俺から見ればてめえはまだまだ未熟だが、それでも今のてめえを見れば、世間で普通に強いと言われている奴にはまず負けるようには見えねえんだがな」


 清雲斎が更に聞くと、


「仁井田統十郎と言う男です」

「仁井田……? お前、確かこの前ここを出て行く時にもそんな名前を言ってなかったか? どこかで聞き覚えがあるんだよな」

「あるはずです。その仁井田統十郎と言う男、お師匠様の左肩をそのようにしたのは自分だと言っておりました」

「何だと?」

「数年前にお師匠様と試合をした、と」


 それを聞くと清雲斎は驚いた。しかしすぐに、過去のある記憶が稲妻のように追って来た。


「そうか、思い出したぞ! そいつは髪を垂らした、朱色の着物を着た背の高い派手な男か?」

「はい。そうです」

「やっぱりそうか。確かそんな名前だった」


 清雲斎は忌々しげに頷いた。

 そして礼次郎は、統十郎との決闘のあらましを話した。

 すると、清雲斎は難しい顔で呻いた後、


「礼次てめえ、何でその統十郎とか言う奴に負けやがった!」


 と目を吊り上げて怒り出した。


「お、お師匠様、先程勝敗は兵家の常、怒らないと言われましたが……」

「うるせえ! てめえが負けた相手があの男と聞いたらそれは話が別だ!」

「そんな……」

「いいか? 俺は同じようにあいつの突きを食らったあの時、どうせ大した傷ではないだろうと思ったので、木剣で半殺しにしただけでやめておいた。だが、ここまで左腕が不自由になるのだと知っていたら、決して生かしてはおかなかっただろう。叩き殺していたはずだ」

「………」

「それが、てめえは師匠の俺がそいつに肩を壊されたのを知っていながら、同じように肩を壊された挙句に逃がしてしまった。師弟揃ってこんなザマにされたのに、そいつはのうのうと生きている。こんな情けねえことがあるか? 真円流の名折れだ」

「も、申し訳ございません」


 礼次郎は顔色を青くして平伏した。


「情けねえ。礼次、腹を切れ」


 清雲斎は鬼のように怒った形相で言い放った。

 礼次郎はもちろん、ゆり、おみつらも凍りつく。

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