第96話 ゆりとの再会
礼次郎らは七天山での戦いの後、笠懸村付近に何日か滞在していたので、ゆりの方が先に越後に入ってしまっていた。
「良かった、まだいた」
ゆりは、礼次郎の姿を見つけると、嬉しそうな顔で小走りで寄って来た。
その後を男装姿の喜多がつく。
「礼次郎」
それ程久しぶりと言うわけではないが、ゆりは礼次郎の顔を見て自然と笑顔になった。
だが礼次郎は戸惑っている。
「ゆり殿……何故ここに?」
ゆりは上田城にいるものとばかり思っていたので、まさかの再会に驚いた口が塞がらない。
順五郎、壮之介、千蔵もまた同様、呆気に取られている。
だがそんな彼らの様子は気にもせず、ゆりは、
「ああ、良かった。もうどこか別の土地に行っちゃったかと思って焦って探し回ったわ」
「探す? いや、ゆり殿、何でここに?」
「何でって、城戸礼次郎と名乗る人間がお城に来たけど、入れてもらえなかったって聞いたから慌てて探しに来たのよ」
礼次郎は戸惑いどころではない、少し混乱していた。
すると、そのやり取りを見ていた龍之丞が、
「ほ~、もしかして、あんたが噂の武田百合殿かい?」
「え?」
そこで初めて、ゆりは礼次郎の隣に見たことの無い異様な男がいるのに気付き、
「はい、おっしゃる通りですが。あなたは?」
「おお~、そうか! いや~驚いた、噂に聞いた武田の姫様がこんなに可愛い娘さんだったとはねえ!」
龍之丞は愉快げな声を出すと、またも馴れ馴れしくゆりの肩を触り、
「こりゃあいい!姫様も一緒に一杯どうだい?」
と、徳利を差し向けた。
「いや、貴方誰ですか?」
ゆりが困惑すると、
「おっと、すまねえ。俺は龍之丞って言うんだ。たった今、この城戸礼次郎殿と知り合って飲んでるんだ。この上武田の姫様も一緒なら尚愉快。さあさあ遠慮せずに」
龍之丞がゆりを座らせようとすると、礼次郎が見咎めて、
「龍之丞殿、少し無礼でしょう」
「まあまあ、固いこと言うなよ。何事も柔軟に行かなきゃ。そんな固いこと言ってるから天哮丸を取られちゃうんだぜ?」
「何?」
礼次郎は眦を吊り上げたが、龍之丞は意に介さず、
「それにしても」
じろじろとゆりの顔を見て、
「俺は一度だけあんたの親父の勝頼殿を見たことがあるんだが、全然似てないねえ」
と軽々しく言った。
「え? ええ……よく言われます」
一瞬、ゆりの眉が曇ったのを、礼次郎は見逃さなかった。
「ふうん。やはり、武田勝頼が数ある子供のうちで最も可愛がったと言う百合姫は、実は本当の娘ではないと言う噂は本当かねえ」
龍之丞はさらりと言ったが、ゆりの顔は強張った。
だが龍之丞はそれに気づいているのかいないのか、
「でも俺にはわかる。血筋の匂いはごまかせねえ。あんたはもしかすると京の方の……」
ぺらぺらと喋り続けると、喜多が眼を怒らせ、
「貴様っ」
と前に出かけたが、それよりも早く、
「てめえっ!」
礼次郎が怒鳴ると同時に立ち上がった。
その怒声に店内の客たちは皆驚き、一瞬で静まり返った。
龍之丞は突然の事に驚き、ぽかーんと礼次郎を見上げていた。
「礼次……」
ゆりもまたびっくりして礼次郎の顔を見つめた。
一瞬で激怒した礼次郎は、すでに刀の柄に右手をかけていた。
「それ以上喋るな」
その瞳の色が一変していた。
抜いてもいないのに剣気がほとばしる。
「どうしたんだい、礼次郎殿?」
「黙れ」
「黙れって、突然何だよ?」
龍之丞はわけもわからず困惑しながら、
「あ? ああ、そうか。今の俺の言葉? だったら別にいいだろ? 養子なんて珍しい事じゃないし」
「人が皆自分と同じだと思うな。世間では普通の事でも人によっては触れられたくない事もある」
礼次郎がそう言うと、龍之丞ははっと何かを察した顔になった。
そしてゆりをちらっと見ると、
「ああ、すまん。でも俺はそんなつもりでは……」
と何か弁明しようとしたが、
「いいからここから消え失せろ! それ以上喋ると刀を抜くぞ!」
凄まじい剣幕の礼次郎の怒声だった。
そしてあろうことか、礼次郎は左手で鯉口を切った。
場が凍りついた。店内の他の客たちも息を飲んで見つめていた。
礼次郎の瞳に微かな狂気めいたものが走っている。
それを見た壮之介、
――戦でもないのにここまで怒るとは珍しい。しかしまずい、礼次様は本気だ。
止めるべく動こうとしたが、
「悪かったよ……」
龍之丞はふーっと息を吐いて謝ると、頭を掻きながら立ち上がり、元いた卓に戻って行った。
その場の張り詰めていた空気が緩んだ。
見ていた他の客たちも落ち着きを取り戻し、また元の喧騒に包まれた。
礼次郎は息をつくと、ゆりの方を向き、
「驚かせてごめん」
気まずそうに刀の柄にかけていた右手を降ろした。
「…………」
ゆりは、軽い熱病にでもかかったかのように、ぼーっと潤んだ眼差しで礼次郎の顔を見つめていた。
「どうかした? ごめん、恐かった?」
礼次郎が慌てると、
「え? あ? うん、別に……ありがとう」
ゆりは我に返り、笑顔を見せた。
「と、とりあえず座ったら?」
礼次郎は気まずくなった空気を取り繕おうと、席を空けた。
「ありがとう」
ゆりは促されるままに座ろうとしたが、
「いや、お酒なんて飲んでる場合じゃないわ、お城に行かなきゃ。その為に探しに来たんだし」
と礼次郎の腕を引っ張った。
「え? でもオレはすでに上杉様への面会を断られてるんだよ」
「私がいるから大丈夫! さあ早く! 日が暮れたら入れて貰えなくなっちゃう!」
何故ゆりがいるから大丈夫なのか? その言葉の意味がよくわからなかったが、礼次郎らは急き立てるゆりに半ば強引に店から連れ出された。
早歩きで春日山城への道を急ぐゆり。
「何でゆりがいるから大丈夫なんだ? そもそも何でここにいる?」
途上、礼次郎が聞くが、
「えーっと、後で説明するわ。今は急ぎましょう」
ゆりは急ぐ事しか頭にない。
そして、先程まともに取り合ってもらえずに追い返された番所に行くと、
「これはゆり様、お戻りですか。後ろの方々は?」
門番の兵らがニコニコと笑顔で言う。
「私の大事な人達よ」
「そうですか、ではどうぞ」
疑いもせずに門を通した。
――え? こんなにあっさりと?
礼次郎は驚いてゆりの横顔を振り返った。
真田信幸の紹介状でも駄目だったのに、何故真田家に匿われていただけの旧武田家の姫があっさり通れるのか。
礼次郎はますますわけがわからない。
そして門を抜け、足軽長屋、下級将兵等の屋敷の立ち並ぶ区域を通り、中城に入った。
そのまま中城を通過し、更に山道を登る。
一体どこまで行くのか? と疑問に思っていたら、あっと言う間に本丸に入った。
そしてゆりの案内で、広大な屋敷に通された。
「え? おい、ここってまさか・・・」
礼次郎は仰天した。
何と、本丸内の館、つまり城主上杉景勝及びその家族が住む居館に入ってしまったのである。
そして館内の廊下をどんどんと進み、奥深い一室の前まで行くと、
「ゆりです。戻りました」
中に声をかける。
「お入りなさい」
しとやかな女性の声が返って来た
中に入ると、陽光の良く射し込む部屋に、二十代後半と見える、高貴な空気を纏う女性が座っていた。
彼女はゆりと、その後ろの礼次郎を見ると、
「まあ、見つけられたのね、良かったわ」
ニコッと微笑んだ。
「礼次郎、座って」
ゆりが振り返って言う。
「あ? ああ。失礼いたします」
困惑しながらも礼次郎は従う。
女性と向かい合って、ゆりと礼次郎が並んで座り、その後ろに順五郎、壮之介、千蔵、喜多が座った。
「まあ、これだけ若い人達がいると賑やかね」
女性は楽しそうに笑う。
洗練された雰囲気の美人である。
「嫌だ、叔母上だってまだお若いでしょう」
ゆりが微笑んだ。
「お、叔母?」
礼次郎は驚いて女性の顔を見た。
「そう、私の叔母よ。つまり、父勝頼の妹」
ゆりは悪戯っぽく笑う。
「ああ、そうか。そう言えば……」
壮之介はわかったらしい。と言うよりも思い出したようであった。
女性も笑い、手をついて、
「上杉景勝の妻、菊と申します」
と挨拶を述べた。
礼次郎は慌てて手をついて頭を下げた。
「これは大変ご無礼つかまつりました。城戸礼次郎頼龍と申します」
冷汗しきりに挨拶を返した。
「叔母上はね、上杉右少将(景勝)様の正室なのよ。だから私もその縁でこの城に入れたの。で、礼次郎の事を話したら右少将様に話を通すから是非連れていらっしゃいって。でも門前払いに遭ったって聞いたから慌てて探しに行ったのよ」
「なるほど、そうだったのか」
ゆりの叔母、菊は、武田勝頼の妹、即ち武田信玄の娘である。
武田信玄と言えば、上杉景勝の先代、かの有名な越後の龍、上杉謙信の宿敵とも言える不倶戴天の間柄。
だが、その先代上杉謙信の没後に勃発した上杉景勝と上杉景虎の後継者争い、通称「御館の乱」で、形勢逆転を計った景勝が武田家に接近し、同盟を結んだ際に、菊姫が景勝に嫁いだのであった。
菊は楽しそうな笑顔を見せた。
「姪のゆりが大層世話になっているようで。ご迷惑をおかけしてませんか? 蔵の壁を爆破したりとか」
「いえ、そんな。世話になっているのは私でございます。ゆり殿の妙薬には何度も助けられております。蔵は爆破しておりましたが」
すると菊はホホホと笑い、
「まあ、やっぱり。ゆりは甲府にいた子供の頃からしょっちゅう変な物を作っては館を大騒ぎさせてねえ。でも兄の四郎勝頼はゆりを一番可愛がっていたものだから全く怒らなくて……それでゆりはますます調子に乗ってやりたい放題」
「嫌だ、叔母上、私そんなに酷くないですよ」
ゆりは軽く頬を膨らませた。
礼次郎は苦笑したが、
――愛されて育ったんだな……だから明るいんだ。
何となくほっとした気持ちになった。
その時、部屋の外で侍女の声がした。
「お方様、御屋形様のご準備がそろそろ整うそうです」
菊はその声を聞くと、礼次郎らを見回して言った。
「殿にはもうすでに話は伝えてあります。では参りましょうか」
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