第65話 勝利はどちらに

 合図の陣太鼓が轟いた。


 すると、牛追平の左右の林に隠れていた騎馬隊二組がドド……ドド、ドドドドドッと地響きを鳴らして飛び出して来た。


 統十郎が撃燕兼光を振るいながらその方を見る。



 ――始まったか!



 流石に天下に名高い美濃島騎兵であった。

 赤い軍装で統一しており、風のような速さ且つ夜の湖の如き静けさで隊列を乱さずに疾走した。

 そして一隊は瞬く間に幻狼衆の背後に、もう一隊はその右側面に回り込んだ。 

 そしてその動きに合わせ、

「三番隊!奴らの左側に回れ!」

 と組頭の命令が下り、美濃島軍の三番隊が幻狼衆の左側へ回り込んだ。



(これで奴らを包囲した。騎馬による背後突撃からの包囲殲滅……私たちの勝ちだ!)



 咲が左拳を強く握りしめた。


「やれっ!」

 咲が声を張り上げた。


 背後と側面に回り込んだ騎馬隊が恐ろしい速さで走り始めた。

 そして赤い炎の塊となった二隊は、それぞれ手槍と刀を構えて楔を打ち込むが如く幻狼衆の背後と側面に突撃した。


 まともに背後と側面からの突撃を受けた幻狼衆の兵たちが悲鳴を上げて倒れて行く。


「完全に囲んだぞ、一気に殲滅せよ!」


 普段は気怠そうにしゃべる咲が、声を枯らさんがばかりの大声で叫ぶ。



 ――これで私たちの勝ちだ。父上、大雲山の裏切りによる無念、晴らしましたぞ!



 咲の両目に力強い光が灯った。


 幻狼衆を包囲した美濃島軍は四方より襲い掛かった。


 その中にいる統十郎も直刀を振るって眼前の敵を斬り伏せて行きながら、



(これで美濃島の勝ちだな。幻狼衆とやらも所詮大したことはなかったか。こう包囲されれば大混乱に陥る)



 と、少々物足りなさげな顔をした。

 だが、



 ――うん? 何かがおかしい。



 幻狼衆の者たちの動きをよく見た。

 それは咲も気がついた。



 ――何だ? 奴らの動きは?



 咲の握りしめた左拳が自然と開いた。

 大混乱に陥ったと思われた幻狼衆だが、皆意外にも落ち着いており、その上いつの間にか外に向いた方円の陣形となっていた。

 外を向いた方円の陣なので、互いに背後を守っており背後から攻撃を受ける心配が無い。



 ――おのれ……奴らこれを読んでいたか!



 咲が歯ぎしりした。



(だが、私らが包囲していることは変わりはない。包囲している方が有利だ!)



「気を抜くな、かかれっ、かかれっ!!」


 咲が檄を飛ばす。

 だが、またすぐに咲は気付いた。


「これはもしや……」


 統十郎も気付いた。



 ――騎馬隊をもって包囲することを読んでいたならば、必ず向こうにも何か策があるはず!



 咲の額に冷や汗が流れた。

 統十郎は撃燕兼光を振るうのを止め、鋭い目で周りを見回した。


 その時だった。

 幻狼衆を取り囲む美濃島軍の騎馬隊の背後、彼方より聞こえて来るドドドドドッと言う地響き。


 その姿を目で確認した咲の顔が色を失った。


「まさか……こんなことが……」


 咲は絶句した。


「なんて奴らだ!」


 統十郎が切れ長の眦を吊り上げ、唇を噛んだ。


 それは幻狼衆が伏せていた騎馬隊だった。

 幻狼衆を取り囲んだ美濃島軍の背後を更に襲うべく、今その隠していた姿を現したのであった。

 黒い軍装で統一された幻狼衆騎馬隊、その数およそ150。真っ直ぐに此方へ駆けて来ながら自然と四手に分かれた。

 そしてその四手はそれぞれ美濃島軍の四方の背後に回り込んで包囲するや、雄叫びを上げて突撃を開始した。


 見る間に幻狼衆の騎馬隊が美濃島軍の背後を襲った。

 馬のいななきと兵らの悲鳴が入り交じり、背後を襲われた美濃島軍の兵らが次々と倒れて行く。

 美濃島軍は瞬く間に大混乱に陥った。


 咲にとっては悪夢であった。

 美濃島衆が得意とする戦術をこちらが仕掛けた後、それをそっくりそのまま逆にやられてしまったのである。


「どういうことだ!!」


 咲が悔しげに唇を噛む。

 半之助始め側近達、本隊の者たちは皆青ざめた顔をしていた。


「私たちの作戦が漏れていたのか?」


 半之助は早口に言った。


「昨日も申し上げましたが我らの中に間者は絶対におりませぬ。それに陣中の見回りは徹底しておりましたが怪しい者は犬一匹おりませんでした」

「では奴らはこの作戦を読んでいたと言うのか……? 信じられないよ……そもそも何故奴らも騎兵を持っている? とにかく……囲んだつもりが逆に囲まれてしまった」


 咲の握りしめた左拳から血が滴った。

 悔しげな目は一層吊り上り、悲劇の起こった戦場を睨む。


「咲様、これではもうどうしようもありませぬ。退きましょう!」


 加藤半之助が額に汗を浮かべ進言した。


「退く……?」

「はい、残念ですがこの戦はもうどうしようもありませぬ。領地の大半を失ったとは言え、まだ我らには小雲山が残っております。残った者たちだけでも退き、また策を立て直すのです!」



 咲は天を仰いだ。

 地獄絵図のような眼前の戦場とは違い、晴れ渡った中天には太陽が眩しく輝いている。



 ――父上……!


 

 咲は半之助に鋭い眼光を向けた。


「半之助、貴様美濃島武士の魂を失ったか?」

「魂?」

「領地の大半を失い、領有するのは小雲山とその付近のみでまるで山賊まがいにまで落ちぶれてしまった我らだが、お前は魂まで山賊になってしまったのか?」

「……」


「私は女だが、父上より武芸と共に美濃島武士の魂と誇りも受け継いだと思っている」


 そう言うと、咲は再び目を悲劇の戦場に注ぎ、


「今あそこで必死に戦い、命を散らして行っている者たちは、こんな山賊まがいにまでなってしまった美濃島衆でも、そこを自分たちの家だと慕ってくれ、父上亡き後でも私を信じてついて来てくれた者たちなのだ。どうしてあの者たちを見捨てて私たちだけで退くことができる? それで美濃島の武士と言えるか!?」

「咲様……しかし……」

「私はたとえ領地の全てを失おうともこの美濃島の魂までは失うつもりはない」

「しかし……もはや彼らを救う手だては……」


 半之助の言葉に、咲は唇を噛んで前方の惨状を見渡した。

 にわかに風が強くなり始め、時折強い突風が吹いた。

 そして咲は、風に髪をなびかせながら強い口調で言った。


「まだだ……まだ私たち本隊の精鋭が残っている!」


 だが、本隊とは言ってもわずか三十人程度である。


「何を言いますか! 我らだけではどうしようもありませぬ!」


 半之助が慌てて諌める。


「私たち本隊が再び奴らの背後を襲い、あの囲みをこじ開けて一人でも多く逃がすのだ」

「それでは咲様の命とて……」

「構わん! 皆の者、私に続け!」


 そう叫ぶと、咲は抜刀し、単騎で阿鼻叫喚の戦場へ向かって駆けた。

 咲の顔は覚悟を固めた悲壮感に満ちていた。

 討死にを覚悟していた。



 ――父上……美濃島騎馬隊は天下無敵……! そうでしょう!



 咲の目つきが尋常ならざるものに変わっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る