第52話 喜多と千蔵
その者は黒い頭巾をかぶり、顔の目から下半分を黒い布で隠していた。
「しっ、お静かに!」
その者が小声で言った。
それは女の声。
その声を聞いたゆりは、その者の目をじっと見ると、パッと顔を明るくして、
「喜多!」
と小躍りして喜んだ。
それはゆりの側に仕える女忍者の喜多であった。
喜多は縄を取り出して穴の中に投げ入れると、
「さあ、急いで!」
縄を伝って登って来るように促した。
「助かった!」
礼次郎は喜び、
「まずはゆりから」
と、ゆりに縄を登らせ、その後、礼次郎もその縄を伝って地上に出た。
「ありがとう、恩に着る」
礼次郎が礼を言った。
「喜多、どうしてここに?」
「ずっと蔵や小屋の上から見守っておりました、お二人に何かあれば助けようと。しかし今こんなことを話してる場合ではございませぬ。今、我ら草の者どもにもまた命が下り、更に約二十人が礼次郎様を捕らえるべく動き出しました。私もその中の一人でございます」
喜多が早口で答えた。
「じゃあ何で?」
「迷ったのですが……ゆり様が礼次郎様を助けたと聞き、密かにお二人を助けるべく、一人で行う策があると嘘をつき彼らから離れました」
「そうだったのか、すまない」
礼次郎は頭を下げた。
「いえ、当然のことでございます。しかしこれがばれると立場上まずい。だから急いで。私は彼らを欺き、別の方向に誘導いたします。お二人はこの道を行ってください。突きあたりで二つに分かれてる道のうち、左側の道にはまた落とし穴がしかけてあります。右側の道から行けばもう落とし穴はありません、さあ急いで!」
と喜多が急かすと、
「わかったわ、喜多ありがとう、気をつけてね!」
「かたじけない」
礼次郎とゆりは薄闇の中へ駆け出して行った。
喜多はその後ろ姿を見送ると、逆の方向へ走って行った。
すぐに六、七人の草の者たちにぶつかった。
「おう、喜多、こっちには来なかったのか?」
一人が声をかけると、
「ええ、どうやら南側の道を行ったようです」
喜多が嘘を答える。
「そうか、じゃあ南へ向かうぞ!」
「私は井戸の通りを探します」
「そうか、頼んだぜ」
と言うと、彼らは南の方へ風を巻いて走って行った。
喜多は彼らの姿が消えたのを確認するとくるっと背を返した。
すると、
「うっ!?」
喜多の目の前に何者かがすっと頭上より飛び降りて来て立ち塞いだ。
喜多は一歩飛び退くと刀の柄に手をかけて、その顔を見た。
「千蔵?」
その者は同じ真田の忍者、千蔵であった。
「喜多殿」
千蔵は静かに話しかけ、
「何故だ?」
と聞いた。
その意味がわからず、喜多は、
「何故とは何だ? お前の話はいつも言葉が短くてよくわからぬ」
「俺はずっと見ていた。お主、落とし穴に落ちた城戸礼次郎とゆり様を助け出したな?」
「何?」
――こいつ一体どこで見ていた?あれほど周囲に注意して他の者がいないことを確認したのに……。
喜多の目に狼狽の色が走る。
千蔵はその目を観察するかの如く見つめ、
「しかも今走って行った連中に嘘をつき、城戸礼次郎と逆の方向へ走らせたな?」
「………」
喜多は返答に詰まった。
「何故だ?」
千蔵の更なる問い詰めに、
「仕方ない」
そう言って喜多は鯉口を切った。
「ばれてしまった以上は仕方ない。千蔵、悪いが死んでもらうぞ」
抜いた忍び刀が薄闇に光る。
しかし千蔵は構えることなく、じっと喜多の目を見つめた。
礼次郎とゆりは喜多に教えられた通りの道を走った。
道幅がかなり広くなった。大手門が近い証拠である。
しかし、
「いたぞっ!」
「こっちから来てやがったか!」
と、五、六人の侍が向こうより姿を現した。
どれも礼次郎の姿を見つけると一斉に刀を抜いて身構えた。
礼次郎は舌打ちすると、
「回り込まれてたか」
再び抜刀する。
「ゆり、後ろに」
と、ゆりを自分の後ろに退かせたが、後方に何者かの気配を感じたゆりが振り返ると、
「追いついたぞ!」
「挟み撃ちにしろ!」
と、そこにもこちらに向かって走って来た真田家の者達。
「礼次郎、後ろからも!」
ゆりが礼次郎の背へ叫ぶと、
「何!?」
礼次郎が驚き、振り返って確認するとそこには確かに真田家の侍達がそれぞれ手に手に得物を持って構えていた。
しかもその人数は十数人。
「参ったな……あっ?」
礼次郎はまた別の気配を感じて右上方を見上げた。
そこには、蔵の屋根の上、月明かりを背に忍び刀を煌めかせた四人の真田忍者。
「うっ!?」
礼次郎は更に別の者の殺気を感じた。
まさかと左上方を見上げると、そこにも屋敷の屋根の上にじっと息を潜めて忍び刀を構える三人の忍び。
「畜生、こうも早く追いつかれるとはな……完全に囲まれちまった」
礼次郎は憎々しげに呟くと、刀を構えたまま四方を見回した。
道幅は先程まで通って来た道と比べるとかなり広くなっている。
狭さを活かして極力一対一で斬り合うような戦い方はできず、多人数が圧倒的に有利である。
――最早これまでか。
礼次郎は無念に刀を持つ手を震わせたが、
「ただじゃ死なねえぞ……こうなったら上州源氏城戸家最後の男の意地と誇りを見せてやる!」
潔く観念すると、その双眸に身中燃えている闘志を漲らせた。
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