都市4 ―禁忌―

「いやだよ――」

 ユウキはつぶやいていた。いやだよ。繰り返しながら、ゆるゆると首を横に振る。

「こんな……こんなことに協力なんかできるかよ! 楽しい記憶だって? ニセモノの記憶が? 人の人格も記憶も変えるなんて、いいはずないだろ、こんなこと!」


 言い切ったユウキを、ハシバは相変わらず目を細めて微笑みすら浮かべて聞き流す。まるで滑稽な一人芝居でも見ているかのような、哀れむような蔑むような瞳に、ユウキは憤りを抑えることができず、言葉を留める術も失っていた。


「おれは、そりゃ大した人間じゃないし、自分のこと別に好きでもないけどさ……だけど、他人に勝手に書き換えられるなんて、絶対にいやだよ! そんなもんに協力しろ? 冗談じゃない!」


 声が震えた。

 家族や友人との思い出を、大切そうに語っていたエリ。過去の栄光ばかり自慢するトオルは、そりゃ大嫌いだったけれど、楽しげに語ったあの記憶も、自分自身さえも紛い物なのだと知ったら――?

 そんな風に自分がなることも、他人をそんな風にすることも、ユウキには考えられない。


「なんで、そんなに……楽しそうなんだよ、狂ってるよ! あんた、狂ってる」


 止めなくては。

 思う間もなく、ユウキは体ごとパネルに突進していた。どうすればいいかなど、考えていられない。ともかく、動かなくては――。この映像。この洗脳プログラムを、とにかくどうにか。

 ハシバが軽く目を見開き身構えた瞬間。


 突然、頭上から低く地を揺るがすかのような音が聞こえ、空間が震えた。

 ユウキがたたらを踏んで近くの壁に寄りかかった傍らで、ハシバの反応は早かった。


「まさか……」


 余裕に満ちた楽しげな表情は、瞬時に消え失せていた。天井のほうへと鋭く目をやり低く呟くと、素早い動きで手近な液晶パネルを操作する。

 轟音はすぐに止み。静かになった空間に、せわしなくパネルを操作しながら頭上のモニターに目をやるハシバの、小さな舌打ちが聞こえた。ユウキの位置からでははっきり確認できないそれは、建物の見取り図か何かを表示しているように見える。

 覗き込もうと踵をずらした瞬間、ハシバは殴りつけるようにボタンを押してユウキを振り返る。


「こちらへ」

 問い返す間もなく、ユウキは乱暴に肩を掴まれ、先ほどエリが入っていったドアへと押し込まれた。

「そこで、少し待っていなさい」


 突き飛ばすくらいの勢いでユウキを中に放り込むや、ハシバは素早くやって来た通路を戻っていく。


「ちょっ……なんだよ、待てよ」

 突き飛ばされてつんのめりながら、ユウキはどうにか壁に肩をついて踏みとどまり、鼻先で締められたドアにへばりつき。

 

「なんなんだよ、おい……!」


 大声を上げるが、ドアの外からはなんの反応もなかった。

 ちきしょう、一体なんなんだよ! 苛立ちに地だんだを踏みそうになった瞬間、先ほどと同じような轟音が再びあたりを震わす。

 廊下の明かりが照度を落とし、代わりに黄色っぽい非常灯が点滅し出した。頭上で、かすかに警報の鳴るような音が聞こえる。

 室内の物という物が、カタカタと音を立てたが、リクライニングシートに座って「夢」を見ている覚醒者たちは置物にでもなったかのように身じろぎもしない。


 先ほどから感じている、薄ら寒いような気持ちが、またじわじわと頭をもたげる。

 覚醒者の一人に駆け寄り、身につけている装置を検分する。ヘッドホンやゴーグルを外せば目を覚ますのか? わけが分からない。

 腕を拘束された状態でそれらの装置に触れることもできず、焦ってあたりを見渡すが、役に立ちそうなものは見つからない。


「ちきしょう……っ」

 ユウキは声を上げていた。


 ドアを見渡して電子錠や認証システムの類がついていないのを見て取り、開閉ボタンに肩から体当たりしてドアを開け飛び出す。外には誰の姿もなく、薄暗く静まり返った長い通路がずっと先のほうまで延びていた。

 さきほどハシバが操作していたパネル。プログラムを終了させることさえできれば。


 体を捻ってスタンバイ状態になっていた液晶画面を表示させ、適当なボタンを探す。と――。


 鋭く高い音がした。

 立て続けに二、三発。

 映画に出てくる銃声とそっくりだ。

 男の叫び声。


 警報の音が近くなる。

 空気が微かに揺れ、遠くはないところで今、扉が開かれた気配がする。そして、足音。

 ユウキは咄嗟に廊下の先のほうまで走って、階段の陰に身を隠した。足音は、少々たどたどしいリズムでこちらに近づいてくる。身を屈め、息を殺して潜む。


 ついにおれは、銃撃戦にまで巻き込まれるのだろうか……。

 ユウキは重い体を壁にもたせかけて、緊張に唾を呑み込んだ。


 わずか一日の間に起きた出来事。聞かされた真実。思い返しても、どれもこれも、自分の身に起きたことではないようだ。

 なんだか、……遠い。しゃがみ込んで動きを止めると、意識が遠のきそうになった。


 まぶたが重い。汗が目に入って、一度目を閉じた。

 どこかで銃声がまた、数発続く。サイレン。

 足音が近づいてくる。


 こうなったらもう、戦車が来ても火を吹く怪獣が現れたって驚く気はしないが。


 ほんの間近まで近づいている足音。大きくため息をついて目を開けた瞬間、転がるようにして通路を曲がってきた人物が、陰に身を潜めるユウキの前を通り過ぎた。

 一瞬のことだが、ユウキは見逃さなかった。目の前を通り過ぎ、必死の様子で駆ける後姿。それは、予想していなかった人物のものだった。


「じいさん……っ?」


 次の角まで進もうとしていた人影が、つんのめるようにして停止する。振り返って、

「ユウキ……」

 小柄な影が、おぼつかない足取りでゆっくり引き返してきて、ユウキの前で膝を突いた。大きな両手が肩を抱く。小刻みに手が震えているのが伝わってくる。

「ああ、なんて事を……。すまない、この通りだ、許してくれ」


 事情は分からないが、また謝られた。


「……何が?」

「おまえをこの時代に連れてきてしまったこと。後悔している」


 じいさんまでそんな、時間旅行でもしたみたいな説を支持するのか?


「だが、ほかにどうしようもなかったんだ。遅かれ早かれ世界は滅びると言われていた。戦争。その後にやってくる、核の冬。再び人間が暮らせる状態になるまで生き残るためには、シェルターの中で『滅びの時』を眠り過ごすしか方法がなかった。おまえたちを置いていくことはできなかった。だから……」


「ちょっと待てよ、じいさん、わけが分からないよ」

 痛む頭を押さえながら、ユウキは遮った。

 何がきても驚かないと思ったが、告白系は駄目だ。頭が働いていない。飽和寸前だ。誰かイチから順に整理して教えてくれ。できればショック死しない程度にやんわりと。


「まったく覚えていないか。無理もない。二〇六五年、おまえはまだ五つの子供だった。子供の頭脳では、記憶を維持できないだろうと分かっていた。だがそれが、かえっていいと思ったんだ。知らない世界でも適応して生きていける。もしも私が眠りから覚めなくても……」


 どこか遠くはない場所で、また何かが爆発するような音がした。先ほどよりは小さい。トキタは小さく身を震わせる。


「しかし、目覚めることができた。私もおまえも。母さんは駄目だったよ。起きるのが遅すぎたんだ。申し訳ないことをした」

 じいさんの告白は続く。彼は何を説明しているのだろう。ぼやけた頭では、よく理解できなかった。

 しかし。老人の震える手から、肩を通して温かいものが流れこんでくるのを感じた。


「ずっと成長を見守っていたよ。この都市に目を覚ましてから、ずっと。あの十五日間は楽しかった。本当の家族になれたみたいだった。ずっと続けていたかった」


 老人はそう言って、ユウキの体を抱きしめた。

 きつく。

 さっきまで感じていた、体の痛みも苦痛も、消えていた。

 老人の温もりだけを、感じる。


 おれも、楽しかったよ。ずっとそうしていられればいいと思ったんだ――。トキタの話を理解しようと思考が必死にあがく。その一方で、ユウキは脳裏にそんな言葉が思い浮かぶのを認識していた。

 もっと早くに。あの十五日間の間に、言っておきたかったこと。言っておくべきだったこと。

 それを言葉にしようとしたときだった。


 銃声に、ハッと我に返る。


 気づけば通路の先に、人影があった。この間、トキタの研究室に来ていた男。ハルと言ったか。

 彼の腕が水平に持ち上がって、銃声がした。


「トキタさん、時間がない。第二ゲートを無理やり壊して来たんだ。早く出ないとフロアごと全面封鎖されて逃げ場がなくなるぞ」

 ハルが駆け寄ってくる。


 名残惜しげにもう一度きつく抱きしめて、トキタの腕がユウキを開放した。

 崩れるように倒れそうになったユウキを、ハルが支える。右手に拳銃が握られている。

 そのままハルの胸に抱きこまれた。耳を覆われる。すぐ後ろで銃声がした。びくりと体を震わせ、それから、手が自由になったのに気づいた。


「歩けるか?」

 答えるよりも先に、体が勝手に頷いていた。


「よし、行こう。ともかくここを出る」

 ハルに肩を借りて、歩き出しかける。が、トキタはその場に留まったまま、動きを止めていた。

「トキタさん……?」ハルがトキタを振り返る。


「行きなさい。ハシバに用事があるんだ」

「だけど」

「早く」


 トキタは沈痛な面持ちで、しかしきっぱりと言った。

 そして、ハルに強い視線を向ける。


「この騒ぎで、ハシバは警戒を強めるだろう。彼に新たな動きを取らせては、『計画』はイチから練り直しだ。三日と言ったな。少しだけ時間を稼ぐよ。その間に準備を、頼む」

「トキタさん……でも、どうやって」


 ハルの低い問いかけに、トキタは唇の端をわずかに上げる。

「なに、いずれこういうことになると思って、常に心積もりはしていたよ。ハシバと『話をする』ね。先に、行っててくれ」


「話って……」ハルは眉をひそめ、早口に言う。「出直そう、トキタさん。一度『外』へ出て。必要な制御装置は破壊してある。計画を変えなきゃならないほどの復旧が、二、三日でできるはずないよ。ハシバなんか放っておけばいいだろう」


 言い募るハルに、トキタは緩やかに首を横に振った。

「私は過去の過ちを清算しなければならない。そして、彼も。やはり、放っておくことはできない」


「じいさん、一緒に行こうよ」

 不安をかきたてられて、訴えるようにトキタを見る。


 トキタはゆっくりと微笑んだ。

 初めてユウキが三〇七号室のドアを開けたときと、それは同じ笑顔だった。

「後でな」


 廊下の向こうのほうで、数人の足音が聞こえた。


「トキタさん、ギリギリまで『出口』で待ってるからな」

 早口にそれだけ言うと、ハルはユウキを支えて歩き出した。背を向け、トキタは反対へと進み始める。

 離れていくトキタの姿を、ユウキは痛む首をめぐらせて、見ていた。








「久しぶりだな。こうしてじかに会うのは」


 室内に並ぶ装置とモニターへと交互に目をやっていたハシバは、背後に他人の気配を感じ取ると、振り返って懐かしい旧友に会うような親しげな声で迎えた。


「ああ、久しぶり」

 トキタもまた、同じように声を返す。


「ここまで足を運んでくれるとはね。やっと協力してくれる気になったのかい? きみがなかなか首を縦に振らないから、手荒なことをしなければならなくなった。私も心が痛いよ。できれば同時代の人間を傷つけたくない」

「今日は……はっきり断りに来たんだ」


 友人の拒絶を受けて、ハシバは遺憾そうにため息をついた。

「どうして分からない。きみも、きみのも。われわれの素晴らしい時代を、もう一度よみがえらせようというのだよ。否定されなければならない要素はないはずだろう」


「そう、素晴らしい時代――」

 苦い口調で、トキタはつぶやく。


「だがその時代に、我々は、世界がこうなることを止められなかった。限られた人間を不当に未来の世界へと送り込もうし、それにさえも失敗した。しかし人類は生き残った。我々には想像もつかない極限状態を生き延びて、こうなってしまった世の中に、着実に新しい世界を作っているんだ。この世界の人々の中に入って暮らしていこうというなら、私も止めんよ。だがな、『われわれの時代』などと、そんな妄想に、彼らを引き込むことはできない。こんな閉ざされた前時代の遺跡の中ではない。人は、空の下で、大地の上で生きて、新しい文明を作っていけるんだ」


「綺麗ごとだ」ハシバはくだらないという表情で、鼻を鳴らした。「きみも見ただろう。目を覚ましてから、一面の砂の世界を。あの不毛の土地に、どうやって新しい文明を築く?」


「できるさ! 既に人々は、それを始めている!」


「ハッ! 不毛だよ、実に不毛だ」

 ハシバは言い切って、両腕を広げる。

「ここにはこれだけの文明が残されている。ここでなら、またあの時代をよみがえらせることができる。前文明は、われわれにこれを残してくれた。イチからやり直すチャンスを与えてくれたんだよ」


「きみの理想は分かる。だが、やり方は間違っている。きみはその理想のために、どれだけ現代の人間を傷つけた?」


 平和に暮らす家族を引き離し、子供たちを良いように洗脳し、そして最後には人格さえも奪う。そうまでして、この時代によみがえらせるべき文明などあっただろうか。


「必要なのだ。この世界を良くするために! 野蛮で頭の固い砂漠の大人どもから、未来のある子供たちを助け出してやっただけだ。必要な教育さえすれば、彼らは素晴らしい世の中を作れる。ここに! そのために、多少の犠牲はやむを得ない。後になれば皆、これで良かったと思うさ」


「偽善だよ」トキタは断言する。「きみは、間違っている。きみのその独善的な理想のために、あの子たちを傷つけるのは許さない。この時代の人間を傷つけることも、許されることではない」


 トキタは古い友人の目をまっすぐに見つめる。


 意に染まぬ研究開発を、何十年も自分に強い続けた友人を。あの研究が、現代の人間をどれだけ傷つけているのだろう。

 もっと早くに、こうするべきだったのだ。

「私たちは、過去の人間だ。この世界を変えようなんて思ってはいけなかったんだよ」


「きみが、それを言うのか。私をこの世界に連れ込んだきみが……!」

 ハシバの口調がいらだたしげな色を帯びる。

「きみが……コールドスリープ技術などを完成させなければ! 私はこの時代にはいなかった!」


 しかし、すぐに怒りをしまう。

「ああ、勘違いしないでくれ。私は感謝している。あの技術がなければ、ずっとむかしに私は死んでいた。自分の世界を見ることなくね」


「ここはきみの世界ではない」

 断罪するように、強い口調でトキタは言う。

「だれか一人が、思うように操っていい世界なんて、どこにもない。そうだろう。コールドスリープは、文明の間違った産物だった。われわれは、ひとつの時代に生きて、その時代に消えるべきだったんだ。私は禁忌を犯した。いま清算しなければならない。これ以上この世界に影響を及ぼさないうちに」


 トキタの決然とした口調に、ハシバは余裕の笑みを消し、不審げに眉を顰める。


「申し訳ないと思っている。この時代に目覚めてしまった者にも、目覚めずに朽ち果ててしまった者にも。われわれが乱してしまったこの時代の人々にも。贖罪の方法は、ほかに思いつかなかったよ」


 もっと、早くに。――こうするべきだったのだ。

 あの子達を傷つける前に。何も知らないうちに。

 トキタの手にするものに、ハシバの視線は釘付けられていた。


「トキタ……貴様……」

「本当に、すまない。許してはもらえないだろう。きみにもみんなにも、あの子達にも」


 閃光が、部屋を覆った。

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