2 ―受け継がれるもの―

 地下都市を、破壊する――?


 真剣な色を浮かべるハルの瞳を見つめながら、ユウキはゆっくりと瞬きをした。

 だって、そんなことが――。


「そんな……都市にいる人たちは、どうなるんだよ」


「さっきも言ったけど、あの都市には子供たちしかいないんだ。たぶん、きみが思っているほど都市の人口は多くない。しかも元々は、周りの村から連れてこられた子供たちなんだよ。彼らはもとの村に帰す。ほかの村も、それは承諾しているし、もちろん歓迎するさ」


 たしかに、話に聞いたとおり村から子供たちが根こそぎ連れ攫われてしまったのだとしたら、心情的にも物理的にも、村の人々にはダメージが大きかっただろう。村の側からしたら返還を望むかもしれない。だが、しかし。


「だけど……無理だよ」

 呟くように言うと、ハルは眉を寄せた。


「無理って?」


「だって……ずっとあの都市で暮らしてきたんだ。砂漠のことなんか覚えちゃいない。今さらこんな場所で暮らせると思えないよ」

 ユウキは首を横に振る。

「そりゃ、おれはもう、都市に戻れないってのは分かったよ。だけどほかのみんなは違うだろ」


 都市から救い出されてここへ来る途中、目にした光景を、ユウキは思い出していた。

 月明かりに浮かぶ程度の暗闇の中で、それに半ば朦朧とした意識で、周囲をしかと把握することはできなかったが、それでも漠然と目に映るものを捉えながら――。

 ここは、出たら生きていけないと子供のころから繰り返し教えられた、都市の外。何もない、砂漠。

 外部の様々なものから住人を守ってくれる壁も屋根もなく、整備された清潔な空間でもなく、すべきことを指示してくれるコンピュータ・システムもない。


 都市とはまったく違う環境。そこで、都市の生活に慣らされた子供たちは、生きていけるのだろうか。

「やっぱり無理だ。こんな場所で、生活できるとは思えないよ」


「そこまで劣悪な環境じゃあないよ」

 ハルは不満げに、腕を組んだ。


「都市みたいな教育プログラムや娯楽は、そりゃあ、ないよ。たしかに学校に通って勉強だけしてればいいっていう生活からは一変する。だけど、別に食べ物や飲み物や生活に必要なものに困るほどのことはないし、助けてくれる大人たちもいる。家族とも会えるし、一緒に暮らせる。何より空の下で、広い世界で暮らせるんだ。本来の、人間の暮らすべき環境に戻れるんだよ」


「本来って言ったって……」

 ユウキは声を強めて食らいつく。


「みんな、都市の外での生活なんて知らないんだよ。いま一番よく知っている生活が、『本来の』生活じゃないのか?」

「だったら、あの都市暮らしのほうが良いっていうのか? 狭いシェルターの中で、自分を持たず、自分じゃ何も考えず、指示されるままに将来も見えずに生活しているほうが?」

「それは……」


 勢いを失って、ユウキは目を伏せる。たしかに、あの生活がいいとは思えなかった。ユウキには。あんな場所は出てもいいとさえ思った。

 しかし、本当にあの慣れた都市の生活を捨てるのだと思うと、俄かに怖気づく。その上ほかの者の生活さえも変えさせるのだという決断は、想像以上に重いものだった。


「どっちにしても」

 ハルは椅子から立ち上がり、ため息混じりに声を落とす。


「もう元に戻ることはできないよ。ハシバは死んだし、良いほうにしろ悪いほうにしろ子供たちを導く大人はもういない。あの都市に人間が暮らす意味はない。コンピュータとロボットは、壊さない限りこれからもずっといつもどおりに時間を進めるだろう。だけど、中で生きている子供たちの未来はないよ。あそこから出ない限り、無為に生きて、死ぬしかないんだ」


 そう言いながら、部屋の出入り口へと向かうハル。「どこへ?」と聞くユウキに、足を止めて振り返る。


「寝るんだよ。明日も朝早くから、ほかの村を回る。計画の決行はあさっての朝だ。これはもう、変えない。きみが反対しようとね」

「……」


「だけど、困ったな」ハルは立ち止まったまま、腰に手を当て、わずかに視線を落とした。「きみに協力してもらえれば、確実だったんだけど」


「協力……?」

 おずおずと聞くユウキからハルは視線を外したまま、また小さくため息をついた。


「中の警備ロボットは、さっき見たとおり大して優秀じゃない。計画通りの手順で行けば、彼らの警備の目を盗んで中枢システムを破壊するのは、そんなに難しくないはずなんだ。だけど、都市の内部を知っている者が、いないから――」


「ああ……」

 なんとなく予想できて、ユウキはあいまいに頷く。


「計画では、トキタさんが内部から、おれが外から村の人間の手引きをする予定だった。だけどトキタさんがいないとなると、内部で動けるのがおれ一人では厳しい。きみに協力してもらえれば、大きな計画の変更は必要ないんだけどな」


「え……だって、破壊計画だろ? さっきみたいにロボットたちとやり合ったり、爆薬を仕掛けたり……? 無茶だよ、おれ。そんなのやったこともない」


 戸惑うユウキに、ハルは目を向ける。その瞳がそれまでよりもずっと冷たいもので、ユウキは息苦しさを感じて目を逸らした。


「きみは」ハルは、感情の読めない口調で声を落とす。「あのトキタさんの息子だし。都市の子供にしちゃ多少骨があると思ったんだけどな。――まあいいや。突然いろんなことがあって、衝撃の事実ばっかで、疲れただろ。もう少し休めよ」


 言いながら出て行くハルを見送って、ユウキは深く、腹の底から絞り出すように息を吐き出した。




 眠れるはずもない一夜を、ベッドの上に横たわり、膝を抱えるように丸くなって過ごした。目を閉じていても開けていても変わらないような、色彩のない空間。宛てがわれた部屋には窓もなく、動くものはなく、どれだけ時間が経ったのかも分からない。

 それでも、うつらうつらしていたらしい。

 階上で空気が動き出した気配を察して、ユウキは部屋を出た。


 眩しさに、目がくらんだ。最初それが、「日差し」というものなのだと分からずに、ユウキは戸惑いしばらくその場に立ち竦む。

 次第に目が慣れて、わずかばかりに周囲の様子をうかがえる程度になると、自分が真っ青な空の下にいるのだということが分かった。砂の地面から突き出た建物たちは、どれも色あせくすんでいたが、それでも強い日差しを受けて白く輝いている。


「オイ!」


 唐突に声を掛けられて、目を向けると、赤い髪の小柄な少女が転がるような勢いでこちらに向かって走ってきた。昨夜ハルと一緒に、あのピアノのある部屋で見かけた少女だと思う。その後ろから、引き摺られるようにしてやってくるのは、都市から一緒に戻ってきたマリア――いや、ユリという少女。


「ユウキって言ったよな!」

「え、ああ……」


 元気に叫ぶように言う少女に、戸惑い気味に答えると、彼女は胸を張って笑顔を作った。


「あたしはルウ。こっちはマリ――ええっと」

 しかしそこで、わずかに言いよどむ。そして紹介しかけた相手に横目をやって。


「ユリよ」

 微笑んだユリの瞳には、昨夜の呆然としたような色はなく。清々とした顔で、ルウに笑いかける。

「自己紹介はまだだったけど、ユウキとは都市で会ったの」


「そうか――」

 ほっとしたように笑顔を作りなおすルウ。そして、再びユウキに向かい。

「ユウキもずっとここにいるんだろう? だったら仕事を手伝ってよ。冬が来る前に、やらなくちゃいけないことがいっぱいあるんだ」


 そこから後は、ルウという村の少女に連れまわされ、言われるままに細々とした作業を手伝わされて。慣れない力仕事に、日が頭の真上に昇るころにはすっかり疲れ果てて、体の昨夜とは別の場所があちこち痛みだした。


「ふーっ」

 大きく息をついて、畑に続く石段に腰を下ろし上半身を仰け反らせる。仰向けになると、真っ青な空と、真上から遮るものなく日差しを降り注ぐ太陽が眩しくて、思わず目を閉じた。


 閉じてもなお、明るい視界。

 自分が五歳までの時を過ごしたのだという二〇六〇年代には、当たり前にあったものなのだろうか。洗脳され二〇六〇年代から来たと語ったトオルやエリたちは、日差しというものがこんなに強烈なものだと知っていたのだろうか。


「おい! もうくたばったのか!」

 畑からルウが、厳しい声を投げかけてくる。ユウキはわずかに身を起こし、タフな少女に視線を向けた。


「少し休ませてよ」

「しょうがないな。もうすぐ昼メシにするから、それまで休憩してな。午後はまた、働いてもらうからね!」


 これならハルの誘いに乗って、都市に爆弾でも仕掛けるほうが楽かもしれないなどと、一瞬頭を掠めたが、振り払ってまた身を横たえた。


 クスクスと頭の上から控えめな笑い声がして、薄っすらと目を開ける。腰を折り曲げて覗き込んでいるユリの影が、それまで瞼を焼いていた日差しを遮っていた。


 見るからに非力そうな彼女にまで、ルウは力仕事を押し付けたりはしないものの、それでもルウやほかの村の大人たちの指示を受けてユリはよく動き回る。少し前までユウキと同じく、地下都市の学校で労働とはかけ離れた生活を送っていたはずなのに。

 そう思うと、少々情けない気分になって、身を起こし石段に座りなおすユウキ。


「肉体労働、お疲れさま」

「きみは、よく疲れないね」


 微笑むユリに、なんとなくバツの悪い気分で、ユウキは畑に目をやったまま聞き返す。


「そんなことないわ。最初の二、三日なんて、クタクタで翌朝起きるのも大変だったもの」

 そう言うユリにはしかし、不満な様子はまったくなく、それでユウキは少し考えて、聞いた。


「なあ。あの都市から出て、良かったと思うか?」


 ユリは、「うーん……」と瞳を宙に向けて、考える。そして、首を捻った。


「分からないわ」

「そう」


 ユウキは少しばかり落胆していた。もしも「出てきて良かった」などという言葉がユリの口から聞ければ、自分のこれからの生活に対する不安も軽くなる。

 そして、ハルの言うとおり、都市の子供たちを村に帰すという計画も――。


 だが、そう都合のいい答えが簡単に出てくるはずもなく、ユウキの心の中のわだかまりは払拭されない。小さくため息をつき、ユリの視線を追って青空に目をやったユウキの横で、ユリは「だけど」と言葉を継いだ。


「いま、楽しいわ」

「楽しい?」


「うん。あの都市の中にいて、今と同じように楽しいと思うことがあったかな」

 ユリはまた、首を傾げる。


「友達とおしゃべりして、遊んで、それは普通に楽しいんだって、都市にいたときは思っていたような気がするけれど――だけどそのころは、ほかに楽しいことがあるって考えたことがなかったものね」


 ユリの言葉は漠然としたものだが、ユウキにはなんとなくその気持ちが分かるような気がして、あいまいに頷いた。


「都市の中で普通にずっと暮らしていたら、それはそれで不満はなかったかもしれない。だから出て良かったかどうかは分からないけれど、今のこの気持ちをずっと知らないままだったとしたら、それは寂しい気もするし」


 独り言のように続けるユリの言葉を聞きながら、ユウキも想像していた。ここでの暮らしが続くうちに、自分も楽しいと、都市よりも砂漠の生活が良いと、感じるようになるのだろうか。

 そうなれば、ハルたちの計画に、一も二もなく賛同できる。都市から子供たちを解放する手助けができる。だが、計画の実行は明日なのだ。それまでに気持ちを固めることなどできないような気がした。


 それに。と、ユウキは思う。ここの生活が都市よりも良いものだから、都市から子供たちを解放する? そんな決断に、自分などが加わって良いはずがない。それでは、二〇六〇年代の生活を押し付けようとしていたハシバや『覚醒者』たちと変わらないではないか。


 そう考えると、ハシバも、その計画を阻止して子供たちを砂漠に帰そうとしていたトキタやハルも、等しく独善的に感じられて、そんな風に考えてしまう自分にまた苛立ちを覚えた。


「ねえ、畑の野菜を見たでしょう?」

 唐突に、ユリがそんな質問をする。


 午前中いっぱい、いやというほど見ていた。

「ああ。トマトにナスだろ? 木に成っているのは初めて見たけど」


「それでね、スープを作ったの。モトさんに――ああ、ここに住んでいるおばあさん、彼女にね、作り方を教えてもらったのよ。もう収穫も終わりの時期だから、最後に私もって思って」ユリは、ユウキに目を向けて、笑った。「お昼はそのスープよ」


『きみは誰かの手料理を食べたことがあるかい?』


 ふいに、トキタの言葉がよみがえり、ユウキは心臓を素手で掴まれたように胸が鳴るのを感じた。


『ずっとやりたかったんだ。嬉しいもんだよ。家族に手料理をふるまうというのは』


 与えられるだけでなく、与えるということ。人から人へと、受け継ぐということ。

 二〇九九年で時間を止めたその都市の中では、それは考えたこともない、だがそれでも外の世界では脈々と続けられてきた自然の営みなのだと、ユウキは思った。


 そして、考える。

 おれも、じいさん――いや、父さんから何かを受け継いで、何かを後に引き渡すことができるのだろうか。と。







「あー、トマトスープ! いいね!」


 砂漠から帰って来たハルは、台所を覗くなり疲れ果てたような声を上げた。

 村の女たちとユリが、その様子に笑う。


「ユリが作ったんだよ」

「ハルに食べさせるって、昼ごはんに作ったのを残しておいたんだ。生のトマトやナスは、今季最後だからってね」

「まずは砂を落として、さっぱりしておいでよ」


 口々に言われ、囃すような女たちの言葉と気恥ずかしげに笑うユリに見送られて廊下に出たハルを、ユウキは呼び止める。


「ハル。明日おれも、都市に連れて行ってよ」


 ハルは一瞬目を見張ったあと、ニヤリと笑った。


「いいよ。早起きだからな」

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