第6話 フォードの入国 2

 火薬の爆ぜる轟音が、鼓膜を蹂躙する。

 鐘の中に放り込まれたような騒音の中、ハリボテの人型の眉間に三つ目の穴があき、立て続けにそれが四つに増える。

 音を越える速度の弾丸が木枠を射抜いていく瞬間は、端から見ると、目に見えない謎の力が働いているようで、まるで魔術のようだ。


 デコイの頭部にきっかり六つの穴を開けると、シリンダーを開き、空の薬莢を落として新しい弾丸を詰め替える。無駄のない滑らかなリロードを終えると、今度は胸部に次々と穴が開いていく。


 人型の的が六列に並んだ射撃場では、身が縮こまるような激しい音が絶えず鳴り続いている。

 並んだ六人の兵士達。練習用に支給された弾丸は、6×3の18発。

 息継ぐ暇も与えられずに、それらを一瞬の逡巡なく撃ち込んでいく。

 全ての行程は一分近くで終了する。しかし拳銃と言えど、発砲時の反動は凄まじいものだ。立て続けに撃てば支える腕の筋肉は瞬く間に疲弊し、火薬の爆発により本体は焼き鏝のように赤く熱されていく。単調な訓練ながら、尋常ではない集中力と胆力を要するのだ。


 最後の発砲音が鳴り止んでから、一人が静かに右手を挙げた。


「……枠外に逸れた者は三周。穴の足りない者は五周だ――走れ!」

『ハッ!』


 怒鳴るような声に、兵士達が堰を切ったように走り出す。


「次! いいか、迷わず、狙いは正確にだ! 無駄にするな、自害用の一発さえも敵を殺す牙にしろ!」


 規律と厳格さを思い知らせるような張りのある声は、女性のものであった。

 使われていた的が取り払われ、新しい的が用意される。

 脇にどけられたそれをチラリと一別し、女性は一瞬だけ、満足そうに胸に貯めていた息をなで下ろした。


 彼女が射撃した的は、頭、胸、腰、それぞれに六発ずつの弾丸が正確に撃ち込まれていた。

 正確無比な射撃、その全てが急所。18発の一つ一つが必死の一撃。

 この揺るぎない結果こそが、屈強な兵士達が彼女に従う何よりの理由。


 サリー・リトヴィク中将は誇り高い女性であった。

 再び、今度は監督する側となって、18発の弾丸が撃ち込まれていくのを眺める。コンマ一秒でも休めば、その兵士のケツに銃弾をぶち込んでやろう。そういう言外の気概が周囲の空気を竦ませる。

 日差しは強く、タンクトップから露出した肉付きのいい体を容赦なく刺してくるが、五年も前には、それは心地よさに変わっていた。それでも張りのある艶やかな質感を維持できているのは、自分でも不思議だ。訓練の賜とでも思っているが。

 後ろで一本に纏めた赤色の髪は砂と陽光を浴びて痛んでおり、まさしく馬の尻尾のような乱れを見せている。体と同じく日に焼けた顔は化粧気の欠片もないが、長いまつげを持つ目に宿る凛々しさと気高さは、端的に言って魅力的だった。


 一人あたり18発の銃声が洪水のように鳴り響く。それでいて尚、サリーは近づいてくる少年の声を敏感に察知した。


「何だ。てっきり王宮かと思ったら、軍の駐在基地じゃないか」

「王宮は北部にあるんです。王族の住まいを新設するほどの余裕はなくて……その分、不自由はさせませんから」


 練習の指揮を部下に任せ、声のする方に歩いていくと、見慣れない一行が目に留まった。


「……ねえ、フォード」

「うるさい。お前達とはしばらく口利いてやらんからな」

「うぅ……」

「フォードさん、子供じゃないんですから……」

「こいつらの食欲こそ、最も子供の枠を飛び越えてるわけだがな? 無邪気な食欲で俺は素寒貧になったわけだがな?」


 見知った少年が、二人の子供を引きずるようにして歩く英国風の男を案内している。

 奇妙な一団だったが……それでも、少年が自分を見つけてぱぁっと顔を明るくするのを見て、自然と笑顔が零れ出た。


「クリム!」

「サリー! ただい――わぷっ」


 彼が何か言うよりも先に、サリーは駆け寄り、覆い被さるように抱きしめた。

 クリムの頭は高身長のサリーの胸元にすっぽりと収まり、そこをぎゅうっと抱えるように頭と背中に手を回す。日に当たった肌は熱く燃え、それでも少年の体温と柔らかな体をしっかりと感じる。

 訓練の時には考えもつかない甘い声で、囁きかける。


「長旅ご苦労様。怪我はないか? 私がいなくて怖くはなかったか?」

「むぐ……だ、大丈夫だよ。言ったでしょ、ボクはもう子供じゃ――」

「何を強がっているんだ。ほら、こうやって抱かれるのも久しぶりだろう? しばらくこうしておいてやろう」

「い、いいから! 恥ずかしいでしょっ!」


 突っぱねるようにして、クリムはサリーの束縛から抜け出す。

 そのことに衝撃を覚えたのはサリーだ。自ら拒絶したクリムに目を見開き、嬉しさと寂しさの入り交じった表情で、感慨深く頷く。


「そうか、クリムも大人になったのだな。素直に抱きついてきたあの頃から、随分と成長したものだ」

「……あの、サリー。ボク、その言葉三年前ぐらいから聞いてるんだけど」

「これはもう、私も全身全霊を尽して羽交い締めにするしか無いようだな」

「やめるって選択肢はないの!?」

「どうだ、今夜は一緒に寝ないか? 寝かしつけるのは得意なんだ」

「それ聞いた後だと不穏すぎるよ、その言葉!」


 冗談だ、と気さくに笑って、しばらくぶりの王子の肩をぽんぽんと叩く。

 クリムが生まれたときから軍に在籍していた彼女は、その誠実さから上層部の信頼も堅く、彼と一番と言ってもいい程に親交のある人物だ。


「しかし、本当に安心したよ。けがもなく帰ってきて、何よりだ」

「だから、僕はもう子供じゃ……」

「いつになっても元気な姿を見れることが、私は本当に嬉しいのさ……すまん、もう一度いいか?」

「もう……」


 躊躇いもなくそう言って、肩に置いていた手を引いて、もう一度強く抱きしめる。

 情に厚い性格で、それが過保護という形で現れることが、クリムにとっては非常にむずがゆくもあった。


「……ははぁん」

「っな、なんですか。何ですかその鬼の首を取ったような顔!」

「いや。鶏の首を絞める気分だ」

「くぅぅ、すでにしとめている気分だなんて……!」


 ニヤニヤと笑う金髪の男を見て、サリーは怪訝そうな顔を作る。


「クリム。ひょっとして、この方たちは」

「ヘイミッシュ・フォードだ。コイツがわざわざ探し出した、流れの魔導機技師」


 フォードの方から差し出された手をすぐには取らず、サリーは一度側に立つクリムを見る。

 クリムが力強く頷くのを見て、サリーは一度目を伏せ、初めて目の前の男に笑顔を向けてその手を取った。


「サリー・リトヴィクだ。すまない。期待こそしていたが、まさか実在するとは思わなくてな……来ていただいて感謝する」

「まあ、普通その程度の期待値だろうな」


 率直な感想は、寧ろ裏表のなさの現れのようで好感が持てた。

 後ろに控える美女と双子にも会釈を垂れて、ふと思いついたように言う。


「ひょっとして、家族旅行の一環かな? 妻子持ちにしては若く見えるが」

「家族ではないな。愛のある関係ではあるが」

「あらあら、嬉しいお言葉」


 頬に手を当てるラクシュミーに、首を回して片目をつむってみせる。気取った態度に、サリーも微かに苦笑をこぼした。

 怒号のようなかけ声と共にグラウンドを走る兵士達を横目に、フォードはサリーの目を見る。


「チラッと覗いた程度だが、厳しく鍛えているんだな。俺からしたら背筋が凍るよ。そちらが指導をしているのかな……サリーと呼んでも?」

「構わないよ、ヘイミッシュ殿。そうだ、私が監督している。厳しくはしているが、基本的には自ら望んでやっているさ。誇り高い奴らが集まっているからな」

「それは、南ベナントとしてか?」

「ああ。国を挙げて戦うことを志願した者達だ。気概もあり、強くなければという使命感もある。強いぞ?」


 不敵に笑う。心地いいほどの自信だ。鋭い目には豪傑の光が宿っていて、フォードを得も言えない高揚感に誘うような、指導者の力を感じさせる。


「戦略魔導機が完成すれば『傍観者』なんて揶揄されるが、それでも白兵戦は必ず起こる。兵の統率で遅れを取っていては、勝利なんて霞の遙か先だ。もちろん、最後には魔導機が物を言うわけだがな……それに関しては期待しているよ、ヘイミッシュ殿」

「こっちもちょうど暇していたものでね。受ける以上は、勤めさせてもらうさ」


 礼節がありながらも砕けた調子で笑い、再び握手を交わす。

 南ベナントとしての団結力を持っているとすれば、近々起こる戦争の気配も、敏感に察しているのだろう。軍であれば、それは統率に強く現れる。

 クリムにも見られ、そこから更に無駄を削いだ、気高い精神を感じた。


「……しかし、だ」


 交わしていた視線が、ふと細められる。

 そこで言葉を切って、サリーは一旦距離をとる。革製のブーツが、重い足取りで砂を踏みならした。


「私は訓練ばかりで、正直魔導機に関しては疎くてね。できれば正規契約の前に貴公の実力を伺いたいのだが、よろしいか?」

「ほう?」


 興味深げに眉を持ち上げ、フォードもまた、意地の悪い顔を作る。


「それは別にやぶさかじゃないが、どうすればいい?」

「もちろん魔導機だ。ここで一つ作って見せてくれ……私がそれと戦おう」

「は?」


 間抜けな声をあげたのは、側で黙って聞いていたクリムだ。

 目をまん丸に見開くクリムの前で、サリーは拳銃を持ち上げてみせる。


「こう見えて、腕には自信がある。力比べといこうじゃないか」

「ちょ、ちょっとサリー!? いきなり何言って……っ!」

「ッハハハハ! とんでもない女傑だ――乗った」

「フォードさん!?」


 愉快そうに喉を鳴らし二つ返事で了解したフォードに、クリムはまたも目を丸くする。


「いいじゃねえか。魔導機に正面切って立ち向かおうなんて、まともな人間の発想じゃない。気に入ったよ」

「準備がいるかな? 簡単なものでも構わないが」

「いいや? すぐに出してやるよ」


 底知れない輝きを薄い碧の瞳に秘めて、フォードはクリムに白い歯を見せた。


「お前も、改めて見ておいた方がいいだろう? 魔導機っていうのは、すこぶる面白いモンだぞ」


 誘うような言葉の響きに、クリムは言葉を飲み込み、ぐっと喉を鳴らした。


「決まりだな。では来てくれ。直ぐに始めよう」


 踵を返し、サリーの赤いポニーテールが荒々しく揺れる。

 言いようもない不安と興奮がごちゃ混ぜになった感情のまま、クリムはフォードに背中を叩かれ、強引に場所を移動した。

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