Quattuor 森にまぎれる民、スオミ

 トロルを抱えたネイナスと少女は、そのトロルの飼い主のもとへ歩いて向かっていた。


「ネイナスさんの髪は金色なんですね」

「そうそう。目は青いんだよー」

「目もきれいですよ! ネイナスさんも、ここの人たちとはすこし違う感じがするんですね」

「俺は生まれたところが違うからね」


 それを聞いて、ふっと少女は上を見る。


(ネイナスさんは、北欧ラッピアの生まれって言ってたなぁ。どんなところなんだろ……)


 すると、ネイナスは町の大通りを外れた、坂をすこし登ったところで足を止めた。


「はい、ここだよ」

「? なんかいい匂いがしますね……」

「一応食事屋を営んでいるんだ。そこそこおいしいから、まあ生計は立てていられるらしいけど」

「ひとりなんですか?」

「のはずなんだけど……どうにもひとりだけいるお手伝いさんが、実は奴隷でもなんでもなくて連れてきた妖精だとかいう変な噂が……」

「それは、このトロルのこと……かな……?」


 ちら、と少女がトロルを見ると、またもやそのつぶらな瞳と目が合った。




4 森にまぎれる民、スオミ



 目の前には調理場の床に土下座をした男の人。

 台の向こうにはまだひとりふたりが残って、ゆっくりと朝食を食べている。


(この状況をなんといっただろうか……。そう、この状況こそカオス……)


「ほんとごめんなさい!」

「……あ、あの……」


 地に伏した男の人がネイナスと少女に向けて謝る。

 そしてこの空気に耐えきれず、ついに少女は声を出したのだが、彼は顔を上げて少女を見、また頭を下げた。

 彼の色素の薄い金髪がさらさらと揺れる。


「危ない目にあわせてごめんなさい。トロルをちゃんとしつけてなかった僕のせいです、本当に申し訳ございません……」

「まあまあ、タルヴィッキ、とりあえず立って、ほら。ノクスもびっくりしちゃってるから……」

「そうです、そうしてください、お客さんもいるんですし……」

「はい……」


 男の人はとりあえず立ち上がったが、肩を縮こまらせていかにもシュン……としているようだった。


「でも本当にごめんなさい。兄さんも、娘さんも」

「いやノクスは俺の娘じゃない」

「? 僕、お嬢さんって意味で『娘さん』と言ったんですが……」

「あっ、ああ、そうっか。悪い悪い」


 ぴくっと肩を震わせて、ネイナスはひきつった笑みを浮かべる。

 その隙に、少女はこそっと、ネイナスに聞かれないように男の人に耳打ちをした。


「ネイナスさん、さっき酒屋で私と親子だと勘違いされてしまって、だからちょっと敏感になってるんです……たぶん」

「はあ、そういうことなんですね」


 男の人は心得た表情でふわっと笑った。なんだかほっとするような微笑みだな、と少女は思った。

 それから、男の人は改めて少女に向き合って、ぺこりと頭を下げる。


「初めまして、森にまぎれる民スオマライネンのタルヴィッキいいます。タルヴィッキは僕の故郷の言葉で、冬、というんですよ」


 そう言って差し出してきた手を少女も握る。整った顔立ちにきれいな色合いの緑の瞳が印象的だった。


「初めまして。私は名前がないんですけど、ネイナスさんにはノクスって呼んでもらっています」

「へえ、夜ですか。これは品のいい名前を選びましたなぁ、兄さん」


 話を振られて、ネイナスはまだ戸惑ったように曖昧にうなずいた。


「まあ、ついノクスって口から出てきただけだ。あとでまたシビラの店に行って、ルーンを見てもらわなきゃな。それから名前を決めよう」


 ネイナスがそう言うと、タルヴィッキはあからさまに顔をしかめた。意外と表情を出す人なんだな、と少女は心の中でうなずく。


「えー……あのおばあさんの怪しい家ですか……」

「おまえも、初対面でいきなり魔術師扱いされたもんなぁ」

「ひどいですよ。ちょっとトロルと友達になってるだけで」


 ぶう、と頬を膨らませるタルヴィッキに、少女はなんとなく同情した。


「でも、おばあさん……シビラ?さんは、タルヴィッキさんのこと化け物だって、むしろ恐れてたような……」

「ええ、ほんまに? なんでー」

「そりゃトロルなんてやつを友達にしてるからだろ。おまけに最近は従えるようになって、店を手伝わせてるようじゃないか」

「あぁ、そうそう。トロルは要領は悪いですけど、見た目はなんにでも変えられますからね」

『オイ、要領悪イトカ言ウナ』


 ぺし、とトロルがタルヴィッキのすねを蹴るが、タルヴィッキ自身はとくに気にしていないようだった。


「ははん、看板娘にでも仕立てあげているわけか」

「わあ、正解ですよ兄さん! さすがにクレオパトラ女王には及びませんけど、かわいくなりますからね、こいつも」

「えっ、女の子なんですか?」

「普通の姿だとほとんど雌雄の差はないように見えるけど、一応女なんですよ」

「へえぇ。というかまず性別あったんですね……」

「こいつは髪が赤いから、女だってわかるんです」


 ほら、と、タルヴィッキはトロルが頭からかぶっていた外套を取る。


「あっほんとだ、赤い。きれいな赤ですね。紅葉みたい」

「紅葉かぁ。ちょうど新しい名前を考えてましたから、紅葉を意味する名前にしてみようかな?」

『ドウセマタ気マグレデ変エルンダロ』

「いいじゃないか」


 ついつい、とタルヴィッキとトロルは互いの足を蹴り合う。仲良しだね、と少女とネイナスはちらりと笑い合った。




「それにしても、なるほど、兄さんはすっかりノクスちゃんと一緒に暮らす予定なんですね?」


 とりあえずお客さんがいなくなってから、少女たちは席についてのんびり話すことにした。

 タルヴィッキは少女のことを「ノクスちゃん」と呼ぶことにしたようだが、ネイナスは先ほどのティトスのように怒ったり(?)はしなかった。


「えぇっ? ああ、そう言われてみればもうそんな感じで話を進めてきちゃったけど……ノクスはそれでいいの?」

「むしろいいんですか? あの、すっごく助かります」

「よっしゃ決まり!」

「今ここで決めたんですね……」


 タルヴィッキは苦笑しながら、汲んできた水をふたりの前に置いて、自分も席に座った。


「そう言えば、ノクスちゃんてあまり見ない顔立ちですよね。どこから来たんですか? シュリア属州?」

「ああ、ノクスはずっと東の漢帝国セリカの近くにある国から来たようなんだ。それも突然ここに来ていたから、どうやって帰ればいいのかもわからないんだよね」

「そうなんです」

「へえ、まるでシビラのおばあさんみたいですね」

「シビラ? あいつがどうかしたのか?」

「シビラばあさんも、気がついたら突然このローマ帝国に来ていたって。しかも、シビラばあさんはドイツっていう国の生まれで、ローマ帝国なんて国はなかったって……」

「ドイツ? どこだそれは」

「さぁ……。ただ、彼女の言っていることを考えるに、ゲルマニア地方だと思うんですけど……あの辺りにドイツなんて国、ありましたっけ?」

「いや、……ないな。あのばあさんのことだ、ボケたんじゃないのか?」

「そういうことにしておきましょうかねぇ」


 そこまで話してから、二人は水を飲んで一息ついた。


「それにしてもおまえ、シビラのことよく知っているなぁ。毛嫌いしてるんじゃなかったのか?」

「そんな、僕は人を毛嫌いするような男じゃないですよ。シビラばあさんはよく飯を食べにきてくれますから、そのたびに何か話していくんです」

「そうだったのか。まったく変な仲だなぁ、おまえら」

「そうでっしゃろか……でしょうか?」


 タルヴィッキは頬を掻いてから、黙ってふたりの話に耳を傾けていた少女に顔を向けた。


「そういえばノクスちゃんも、あのおばあさんに魔女って言われたんですって?」

「あ、そうです。でも、ネイナスさんが助けてくれたので」

「へえ、兄さんが。どんなふうに?」


 ころころと表情を変えるタルヴィッキは、いかにもわくわくといった顔でネイナスを見る。


「べつに、ただぶらついていたら人だかりがあって、その中に椅子に縛られたノクスがいたから解放してあげただけだよ。まあ、助けてくれたって思われるのは悪くないな」

「わー兄さんカッコいい!」


 照れくさそうに口元に微笑みを浮かべるネイナスに、タルヴィッキはおどけたように手を叩く。

 楽しい人たちだな、と少女が思っていると、タルヴィッキはまた表情を変えて首をかしげた。


「それにしても、よくあのおばあさんからノクスちゃんを解放できましたね。僕だって数日間あの変な薬みたいなにおいのする部屋に閉じ込められて……ほんまに大変でしたよ」

「あぁ、それはネイナスさんが私を買ってくれたからで、」


 数日間……と内心青くなりながらも少女が微笑んでそう言うと、ガタッと突然タルヴィッキが立ち上がった。


「買った!? 兄さん! こないな娘さん買ってどうするつもりなんではりまっしゃるか!」

「なっなんて!?」

「おお落ち着いてタルヴィッキ! また言葉がヘンになってる! それに俺はべつに、ノクスを買ってどうしようとか変なことは考えていない……」


 タルヴィッキの突然の剣幕に驚きながらも、ふたりが彼をなだめると、タルヴィッキはとりあえずネイナスの言葉を聞いて椅子に座り直した。


「すみません、取り乱して。でも、買ったって? いくらシビラばあさんから解放するためでも、そのためにこの子を奴隷にするなんて……」

「そんなこと言ってないでしょう、タルヴィッキ。ほらもう、泣きそうな顔しないの」

「だって、兄さんがこの子に同じ道を歩ませようとしてるんじゃないかって……」

「大丈夫、買ったと言っても、前の報酬でもらったごてごてしい剣と交換してもらったってだけだから。奴隷にはしないよ」

(ごてごてしい……)

「あー、あのおばあさん金にはがめついですからね。よくまけろって言ってきて困りますわぁ」


 はぁーっと息を吐いて、タルヴィッキは背伸びをする。


「あ、そうだ兄さん。今度また兄さんの家掃除しに行ってもいいですか?」

「いいよいいよー。断らなくていいからね、どんどん掃除してくれちゃってー」

「わーい。また皇帝の金貨コイン見つけちゃおー」

『オイラモ見ツケル!』

「おまえらなぁ……」


 呆れたようにネイナスが頬杖をつく。


「わざわざお掃除をしてくれるなんて、優しい弟さんですね」


 感心した少女がそう言うと、あぁ、とネイナスが漏らした。

 

「そういえば言い忘れていたけど、俺とタルヴィッキは本当の兄弟ってわけじゃないんだ。育った場所も別々」

「あ、そうだったんですか」

「うん。俺はさっき言った通り北欧ラッピアの生まれでしょう? タルヴィッキもそこの生まれだから、俺のことを兄さんって呼ぶんだ」


 ネイナスに続けてタルヴィッキが口を開く。


「兄さんはずいぶん昔にノルウェギアからローマ帝国に来ていたようなんですが、フィンニア生まれの僕があとからこのローマに来て、そこで偶然知り合ったんです。まさか北欧生まれの人が僕以外にもいるなんて思いませんでしたから、すごく親しみがわいてしまって」

「なるほど」

「ちなみに、タルヴィッキがさっきみたいな変なしゃべり方をしちゃうのは、フィンニアからここへ来る途中で影響を受けたのかルテニアかぶれなところがあるからなんだよ。微妙にルテニア訛りで変な発音でしょ」

「僕の言葉が変なのは確かですが、マケドニアとかギリシアの訛りよりは上品なはずですよ」


 タルヴィッキがそう言って頬を膨らませたところで、店の前の通りから客が入ってきた。


「おっと、もうこんな時間か」

「早く二回目の朝食プランディウムの準備をしなくちゃ。ほら、トロルも手伝って」

『ンン……』

「じゃあ兄さん、またあとでお掃除しに行きますね」

「おー、よろしく。んじゃノクス、行こうか」

「はい」

Moidoじゃあね! また来てくださいね、兄さん、ノクスちゃん」

「はい。お邪魔しました」

『バイバイ』


 ノクスとネイナスは店を出て、坂道の上の方を見る。


「今日は疲れたでしょう。もう戻って家でゆっくりしようか」

「ぜひともそうしたいですね……」


 もうくたくたです、と少女が笑うと、ネイナスも楽しげに笑った。


「よーし、じゃあもうひと頑張りしてお家帰りますか!」

「はーい!」


 坂の下を見下ろすと、昼の町はさらに活気づいてきているようだった。






*Praeterea…


『ルテニア』

 現在でいうウクライナ西部(地図でいう左)とポーランド南東部(地図でいう右下)にまたがる地域。「赤ロシア」の意。

 広い意味でいうとウクライナからベラルーシに広がる地域です。


『ノルウェギア』

 現在でいう北欧のノルウェー。代表的な妖精はトロル(トロール)。最近の悩みは日本などへのサバの輸出が、同じく北欧の島国アイスランドに占領されつつあること。温暖化の影響ですね。


『フィンニア』

 現在でいうフィンランド。スオミの国。代表的な妖精(笑)はムー●ン。わりと日本と行き来がしやすくて「日本のお隣さん」とも言われている国。寒くて外に突っ立っているだけでかなりのエネルギーを消費するので、高カロリーなものをよく摂取しますが、そのせいで肥満気味になっているかも…?




※フィンランド語でタルヴィッキは冬という意味ですが、現在のフィンランド語を当時のフィンニアの人々が喋っていたわけではありません。たぶん。よってタルヴィッキたちの話には矛盾点が生じていますが、物語の流れ自体に影響は出ないのでこのままでいこうと思います。こちらもご了承ください。


*ふぅ…とりあえず三話あたりでノクスたちを暴走させてからようやっとキャラが摑めてきましたぞ。

えっノクスが空気だって?タルヴィッキが予定の斜め上をぶっ飛んでキャラが濃くなったからですね!

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ギューフ 水石さざら @Mizuishi-Suiseki

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