188豚 ギフト・サーキスタ①

「国力減衰、貧富の拡大といった様々な原因で急速に治安の悪化した騎士国家ダリス。だが内政を司るようになったマルディーニ枢機卿の手腕によってダリスの治安は急速に回復する。デニングが管理していたダリス軍に関しても、国内の安定のために使われるべきだとの意見が唱えられ、実行された。これもマルディーニ枢機卿が行った改革の一つだな。さて、そんなダリスの中で唯一、軍が定期的に巡回しない地域が存在する。アリシアちゃん、どこかわかるか?」


 道なき道を歩き続ける。

 アリシアは自分よりもずっと大きな少年に身体を預けていた。


「不正解、ていうかよくそんなマイナーな地域を知ってたな。えーと正解は俺たちがいるここ、デニング公爵領地だ。デニングの奴らが敏腕の枢機卿を嫌ってるっていうしょうもない理由もあるけど、この広大すぎる領地にまで軍を手配すれば他の地域の巡回が疎かになる。デニング公爵領地だけはデニングの者達だけで治安を維持してるんだ。だから時折、管理が行き届かずダンジョンが出来ることもあるってわけさ」


 赤いマントを身にまとったシルバは飛び出してくるモンスターの首を容易く掻ききった。それはアリシアを背負っている影響など微塵も感じさせない動きであった。


「でも、デニングの奴らにとってダンジョンなんてもんはご馳走だ。日頃の鬱憤を晴らす良い機会とさえ言ってもいいかもな」


 嫌そうにモンスターの死骸を眺め、シルバは再び歩き出す。

 正式なデニングの騎士の証である赤い外套を羽織っているが、その容姿は余りにも若すぎる。

 外見から推察される年齢は十台中盤ぐらいだろうか。

 クルッシュ魔法学園に通っている生徒達と同世代の年齢。

 だが、今にして思えばあり得ないことだとアリシア・ブラ・ディア・サーキスタは思うのだ。

 クルッシュ魔法学園に通うべき年齢の、それもただの平民が正式なデニング公爵家の騎士として叙任されるなどあってはならないことだ。

 

「特にこの時期は外に出歩くのは危険なんだ。デニングの館があるこの辺なんて……無法地帯だぜ。アリシアちゃんも勝手に外を出歩かないようデニングの奴らから厳重に言われていただろ?」


 アリシアはこくりと頷いた。

 余りにも暇すぎて、外を出歩いてしまったのが運の尽き。

 ちょっとした散歩のつもりが、思ったよりもデニングの森は深かった。

 迷宮のように入り乱れ、一度入ってしまうとどこから自分がやってきたのかをすぐに忘れてしまった。

 迷ったと理解した瞬間にそこで立ち止まっていれば話は変わっていたかもしれない。けれど森の中での探索は冒険のように楽しくて、水都で生活していては経験出来ない緑の世界がそこにあった。

 だから、モンスターが群生している場所に迷い込んでしまったのも自業自得といわれても仕方ない。


「だけど、無事に見つかって良かったなアリシアの嬢ちゃん。あのままだと、死んでたぜ」


 そう言い、アリシアを背負う若者、シルバは笑った。

 本当に彼らが来てくれなければどうなっていたか分からない。

 

「けれど、これで分かっただろう? デニングで生きるということがどういうことか。デニングの館を包み込む太古の森への入り口で身を持って経験した筈だ。だから、俺は言うぜ。―――アリシアちゃん。本当に考え直したほうがいい。坊ちゃんとの結婚はもっと熟慮した先にあるべきだ。デニング公爵家もサーキスタ王室も一体、何を考えている。いや、この場合はあっちの王室だな」

「し、シルバさん!」


 幼い声が二人の前、狭く曲がりくねった道の先を歩く子供から発せられた。


「シャーロットちゃんも分かってる筈だ。デニングの者として生きるという意味を。寿命を全う出来る者なんて皆無、それが風の一族に課せられた宿命だ。……本当に考え直したほうがいいぜ。デニングは狂ってるからな。近くになってよく分かる。なあシャーロットちゃんもそう思うだろ?」

「そんなこと……ないです」

「顔が引き攣ってるように見えるけどなぁ。今はスロウの坊ちゃんもいないんだし、本音で話しても構わないぜ。ほらっ、俺なんてデニングに雇われてるだけの平民さ。何も気を遣う必要なんて無い」


 そう言ってシルバは笑った。

 屈託の無い、平民らしい笑みだった。

 シルバの言う通り、この場にスロウはいない。

 スロウはモンスターに襲われかけていたアリシアを助けた後、すぐに用事があるといってその場を去ってしまった。

 いつもこうだ。

 風の神童はせわしない。

 婚約者である彼が何をしているのかはアリシアでさえも分からなかった。

 そのためアリシアの滞在中はよくスロウの騎士であるらしい若者とシャーロットが相手をしてくれた。


「……そんなこと……ないです。デニングの人たちは……優しいです」

「まあ実際、シャーロットちゃんは大したもんだよ。デニングの従者教育、スパルタだからさ。よく食らいついてる。これで魔法がちゃんと使えるようになればデニングの従者としては一人前になれるだろうな」


 魔法。

 その言葉を聞いて、今までとは打って変わりとぼとぼとシャーロットは歩く速度を緩めた。

 自分と同い年の女の子がしっかりと険しい森の中を歩いている様子を見て、アリシアは何だかシルバにおぶわれているこの状況が恥ずかしくなってしまった。

 だからアリシアはおんぶをやめてもらい、地面に降り立った。


「え? 自分で歩くのか? まあいいけど。あ、アリシアちゃん。そこにいい感じの木の枝が落ちてるぜ。坊ちゃんに奪い取られたアリシアちゃんの杖と形が一緒だ、ははっ。ああ、うそうそ。冗談だって」

「だめです。アリシア様は王族の方です。からかっちゃ駄目です」


 シャーロットに窘められ、何が可笑しいのかシルバは笑った。

 何だかむかついて、アリシアはその枝を蹴飛ばした。

 するとシャーロットが急いでその木の枝を拾ってどや顔をしていた。これ私の杖にする! と言って大切そうに持ち出した。


「はははっ、何だかわかるなあ。坊ちゃんがどうしてシャーロットちゃんを従者にしたか。おっと、そろそろ見えてきた。アリシアちゃん、覚悟しなよ。デニングの奴らは例え他国の王族が相手でも怒る時はまじで怒る」

「アリシア様、泣いたらダメですよ。もっと怒られちゃいますから……」


 そう言って震えるシャーロットの姿は、アリシアにとっても非常に可愛らしそうに見えたのだった。

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