506豚 <<ガガーリン>>

 ドストル帝国で幸せに生きる術は王族に関わらないことだ。特に国王の健康状態が危ういと噂される時は、国王の血を受け継いだ者たちの間で多くの血が流される。


 ガガーリンは優秀な若者であった。

 特に水の魔法に類い稀なる才能を与えられ、この世に生を受けた。だが、極めて優秀であったからこそ、ドストル帝国のおぞましき慣例に巻き込まれることとなった。


 ――力さえ無ければ、目をつけられることもなかった。

 ――だが、これで終わる。

 ――あの男を殺せば、殺し切れば、私の家族は助かるのだ。

 ――あの男に恨みはない。むしろ、男の考えは私の願いとも重なる。

 ――だが、不可能だ。

 ――この国で闇の大精霊に敵対しながら生きる人生なんて、私には考えられない。


 男を殺すために、男が運営する学園に近づいた。世界各地から優秀な若者を集め続ける学園の噂は聞いたことがあった。

 そして学園を運営する男が、ドストル帝国の王族だと聞かされた。


 険しき道だったが、ガガーリンは成し遂げた。

 学園から、教師としてスカウトを受けたのだ。

 そして最後の試練は、運営者との対面だ。


「ようこそ先生。あなたのことは、噂でよく知っているよ。帝国の明るい未来のため、我が学園の講師として力を奮ってくれまいか」


 男をこれから殺す予定だ。

 あの幼い、ファナ・ドストル擁する小獅子の軍勢が、ガガーリンの首根っこを掴んでいた。ファナの兄を殺さねば、家族が殺されると脅しを受けていた。


 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。

 ファナ・ドストルが、彼女を守る小獅子の軍勢が。

 噂があった。闇の大精霊は、ファナ・ドストルを未来の国王へ決めたと。

 噂は噂を呼び、日増しにファナ・ドストルの勢力は強大な力を手に入れている。


 ファナ・ドストルは怪物だ。従わねば、死よりも重い罰を与えられる。

 幼い見かけに騙されてはいけない。

 あれはモンスターだ。あの闇の大精霊から直接の教育をうけた化け物なのだ。

 ガガーリンのような小物には、ファナと敵対することなんて考えられない。


 そんなファナ・ドストルから、ガガーリンは兄を殺せ、と直接に命令を受けた。

 ――ガガーリンは、詰んでいた。王族同士の殺し合いに巻き込まれた瞬間から、ガガーリンの未来に光などあるはずもなかった。


 そうしてガガーリンは下準備を済ませ、他人に成りすまし、ファナ・ドストルの兄が運営する学園に忍び込んだ。架空の経歴を、架空の身体を、自らの魔法で自らの形を変えて、学園の講師としてスカウトされるよう動き出した。


 常に小獅子の軍勢に見張られていた。

 ガガーリンの日常に安息はなかった。


 ファナ様の兄を殺さねば、殺される。王族同士の殺し合いのなかで、最も暗躍していた精力――それこそがファナを支援する小獅子の軍勢だ。


 個人としては破格の力を持つガガーリンでさえ首切りファナ・ドストルの恐ろしい力に、絶望していた。抗う術を持たなかった。


 一度ファナに意見したことがある。その際は、ファナの側近から即座に首を半分切られ意識を失った。ファナは目の色一つ変えなかった。


 ガガーリンと同じ境遇にあるものがファナ・ドストルは機械だと言っていた。望むように生きることを望まれ、その通り生きている。そこへファナの感情は存在しない。

 ファナに尽くしてきた自分が、たった一度意見しただけで殺されかけている。だというのに、瞬き一つしなかったファナを見て、ガガーリンは同僚の意見に同意した。


「――おう! 来たか、先生。みんな、歓迎してくれ! 新しい学園の先生だぞ! ヒョロそうに見えるか中々に優秀で、俺好みの男なんだ!」


 ガガーリンが学園関係者から呼ばれた場所は地方都市の寂れた学園。

 本当にこんな場所にドストル帝国の王族がいるのかと疑いたくもなった。自分は騙されているのではないかと。


 だが、校舎に入ると自分の考えが愚かだったことを思い知った。自分に対して猛々しい殺気を振りまく者たちの姿が入った瞬間、ガガーリンはこの場が敵地だと知った。 


 さらに――歓迎されていないと理解した。


 自分をスカウトした帝国の王族がこの先で待っている。

 扉を開けて教室に入ると、整然と並べられた机と椅子。椅子には子供たちが腰掛けている。そして彼らは自分が教室に入ると、自分を見た。


 ――彼らもまた、警戒している。彼らの主人である、彼の敵なのではないかと。


「回りくどい真似をしてすまないね、先生」


 ガガーリンのターゲットは、学園で自らの考えを才能溢れた若者に伝え、仲間を増やしていると聞いていた。

 そして、ようやく出会えた。失望した。

 見てくれは、そこらの街でチンピラをやっていてもおかしくない若者だった。


「だけどさ、こうして段階を踏まないと、みんなが先生と俺を合わせてくれないんだ。これまで何度も段階を飛ばして、殺されかけたからね。皆が心配する気持ちもわかる。だから許してやってくれまいか?」


 この男が、あのファナ・ドストルと同じ帝国の王族なのか?

 冗談だろう?


 耳にはイヤリングをかけ、髪を今どきの若者のように脱色している。ガガーリンには軽薄なチンピラにしか見えなかった。


 これがファナの兄? あの化物と同じ帝国の王族? 自分が殺すべき相手なのか?

 ――これなら、行けるか?

 

「どうした、先生」


 男は底抜けの明るい声を出し、ガガーリンを歓迎していた。

 ガガーリンとて、相手は帝国の王族。自分の素性がバレている可能性は高いと考え、生きて帰る未来を半ば諦めていた。

 だが、これなら――行けるか?


「大丈夫か、先生。その作り物のような顔に死相が出ているぞ? 我が愚妹ファナにいじめられていることは知っているが――助けが欲しいか?」


 男はニタニタと笑い、手を広げた。


 生還を諦める――やはり、無理だったか。


 自分はファナ様より手配された殺し屋――素性がバレている。

 無詠唱の魔法使いノーワンドマスターとして、ガガーリンは即座に魔法を放った。さらに小獅子の軍勢より与えられたマジックアイテムの力を解放し、学園そのものを更地にするほどの力を解放。


 これで全てが終わる。ファナは仕事を果たした自らの家族を厚遇し、明るい将来が約束される。ガガーリンに後悔はなかった。


 だがガガーリンが望んだ爆発は起きなかった。

 いや、魔法は受け止められていた。ファナ・ドストルの標的。ドストル帝国の王族は、自らの手でガガーリンの魔法を掴んでいた。

 

「君たち……先生を解放してくれまいか」


 ガガーリンは、彼の生徒に拘束されていた。床に押し倒され、這いつくばっていた。

 気持ちの悪い嫌な感触だ。

 ガガーリンは生徒の一人に、背中から腕を差し込まれ、直接に心臓を掴まれていた。


「……先生。貴方は失敗した。悔しいか?」

 

 ガガーリンは顔を上げた。

 標的ロメオ・ドストルの右手は焼け爛れ、苦悶の表情を浮かべていた。そしてガガーリンの魔法を受け止めていた右腕が落ちた。ガガーリンの魔法も消滅した。


 生徒の何人かが悲鳴を上げた。だが、教室の外からは誰も助けにこなかった。


「良い線を行っていた。だけど、失敗したんだ」


 ガガーリンは、失敗した。

 必殺の状況で、必殺の魔法を放った。それなのに殺しきれなかった。ガガーリンが奪い取ったものは命ではなく、片腕だけだ。

 そして標的は右腕を奪われたに関わらず、飄々したまま語る。


「だが、こうも考えれられまいか? 小獅子の軍勢は、恐るるに足らず、とな」

 

 それがガガーリンと、ロメオ・ドストルの出会いだった。

 必ず闇の大精霊ナナトリージュを打倒し、同じ両親を持つ妹ファナ・ドストルを殺すと公言してはばからないロメオ・ドストルとの始まりの一日。




 その後、ガガーリンは小獅子の軍勢によって既に家族が殺されていることを知った。

 自分の暗殺が成功の結果に関わらず、ファナ・ドストルにとってガガーリンはただの駒だった。望んだ未来など、訪れることはなかったのだ。


「先生。我が愚妹ファナは無知な子供なのだ。あやつは人の愛も知らず、闇の大精霊や小獅子の軍勢に洗脳された哀れな機械。同じ母を持つ兄妹として、ファナが闇の大精霊ナナトリージュによって完全に染められる前に引導を渡してやることが何よりの慈愛だろう。一番の未来は闇の大精霊を滅ぼすことなのだが、そのためには同士がまだ足りぬからなあ」


 家族は既に殺されている――衝撃の事実を、証拠とともにロメオ・ドストルより知らされたガガーリンはファナ・ドストルに復讐を誓い、ロメオ・ドストルに忠誠を誓った。

 ファナ・ドストルや小獅子の軍勢に向けていた偽りの忠誠ではなく、心からの忠誠を。 


 ガガーリンの生きる意味は、ロメオ・ドストルをドストル帝国の王とすること。

 そしてファナ・ドストルに、己が与えられた以上の絶望を与えることだ。

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