494豚 タイソン公の悲しみ
「ぐ……ぐぐ。だが、だが! 私はエデン王に…………!」
ロッソ公が杖を抜き、男に突き立てる。けれどドストル帝国の軍人は一才動揺することなく、真っ直ぐにエッソ公の顔を見つめ返した。しかし、その顔にへばりついた笑みは、これからヒュージャックとサーキスタで起こるだろう未来を楽しんでいるように思えた。
「タイソン公、末の孫を失った気持ちは余りあるが! 我が家系ロッソに連なるものたちもタイソンと同様に命を失ったのだ! タイソン公! 貴公にはあのリオット以外にも将来有望な孫がいるではないか――!」
だがタイソン公は静かに首を振った。
「我が孫リオットは、まさしくサーキスタを導く者として生まれついた。魔法の才ではなく、奴には軍を率いることも、仲間や民から愛される才覚さえ持ち合わせていた。タイソンを受け継ぐ者はリオットでなくてはダメなのだ……」
普段であれば活力がみなぎるタイソン公の悲しげなその様子に、ロッソ公は言葉を失う。
「……タイソン公。貴方はそこまでリオットを」
「愛していたなんて……そんな言葉では語り尽くせるものか。リオットはタイソンの全てだった」
「そこまでなのですが……リオットを失った悲しさはそこまで――」
確かにタイソン公の、孫リオットに対する溺愛は有名であった。
老齢な貴族としての頑固さや規律に煩いタイソン公であったが、タイソン公はどこへ行くにも孫のリオット・タイソンを連れまわし、自身の後継者であることを周囲に知らしめた。
それもリオット・タイソンが齢十を超えるよりも早くだ。
“ロッソ公! ロッソ公! 私に至らぬことがあれば、何なりとお叱りを! 私は若輩ながら立場もあり、私の周囲には私に苦言を呈すことすら躊躇うものばかりなのです……ロッソ公! 本来であれば私も従者としての立場を経験すべきなのに、従者を飛び越えて騎士の身分を与えられた。これは余りにも不公平ですが、誰も私に文句を言わないのです!”
幼き頃からリオット・タイソンは、早くしてこの世を去った両親の代わりに大人であるよう求められ、リオットはタイソン公の願いに応えた。
若きリオット・タイソンは、ロッソ公の目からみても有能で、愛らしい男であった。
騎士国家に生まれた風の神童、スロウ・デニング。あれが魔法使いとしての才能を欲しいままにした天才であれば、リオット・タイソンは民に愛される大貴族の貴公子であった。
それにあのリオットを失えば――
リオットの他に目ぼしいタイソンの後継者もおらず、タイソン分家の間で争いが後継者争いが勃発するに違いない。その時だった。「タイソン公! タイソン公!」「城主!」「タイソン公!」。
●
尊敬すべき男の決意は変えられないと項垂れるロッソ公。
その壮健たる男の様子を見つめる者が一人。
ドストル帝国の支配領域、その一部で執政を振るう王族の一人から密命を帯びた帝国の彼は内心で決断した。もっとも、支配地域の一部といっても領土はダリスよりも大きいが。
――ロッソ公の存在がタイソン公の決意を鈍らせるとも思えませんが……。
――邪魔であることは間違いありません。
――悲しいですが、殺しましょうね。
ドストル帝国よりやってきた彼に与えられた密命は大きく二つだ。
一つ目は子獅子の軍勢を指揮するファナ・ドストルを確実に葬り去ること。
二つ目はサーキスタを南方より離反させ、帝国の統制下とすること。
「……ッ」
――ロッソ公。私を睨みつけても、もう遅いですよ。
――エデン王も、タイソン公も、彼らの弱点はこちらが握っています。
――タイソン公の弱み、リオット・タイソンは私自らの手で葬らせて頂きました。
――あの優男リオットを私が殺したと打ち明ければ、タイソン公はどうなるでしょう? タイソン公の最後には、教えて差し上げるとしましょうか。
彼はサーキスタの戦力を二つに分け、一つをあの憎き子獅子ファナ・ドストルへぶつけることに成功した。生への執念が深いファナ・ドストルだが、南方の地サーキスタまで追い立て、ファナの仲間はもういない。
いかにファナがドストルの王族とて、相手はサーキスタ。ファナは地の理にも疎く、さらに国が相手であれば終わりであろう。それにもはや、闘う気力が残っているのかも怪しいものであった。
機会があれば、自らの手でファナ・ドストルを討っても良かったが、相手は首狩りとしても有名なあの子獅子だ。万が一、自分が討たれるようなことになれば自らが属する勢力が弱体化する。
だからこそファナを討つ役割は、王都にいる彼の手駒とエデン王に託した。
――ぐふふふ。ファナ狩りよりも、本命はこちらです。
――タイソン公の軍勢とヒュージャック領地を支配する奴らとの戦い。
――覚悟してくださいよ、タイソン公。ヒュージャックにいるモンスターは手強いですよ。私が掴んでいる情報によれば、ヒュージャックを支配しているモンスターは二個体。オークキングを超えた向こう側へ進化を果たし、絶滅種に到達したオークが一体。
――さらにこれまた珍しい、希少種に進化した一つ目のサイクロプス。
――タイソン公が集めた軍勢であっても全滅さえ考えられますが、これはヒュージャックを攻略するための試金石となる一戦です。
――見せてもらいます、見せてもらいますよおッ!
彼は内心で発狂しながら、静かに魔法を発動させた。
それは心の狂乱とは裏腹に見事な魔法技術。サーキスタでは武闘派として鳴らした過去をもつロッソ公であっても気づかぬほどに静かに魔法は拡散を開始する。
――我が君に南方の要所ヒュージャック、そしてサーキスタを献上すれば他の兄弟君より一つ抜け出すことが出来るのですっ! ああ、我が君! 早く! 早く南へお越しくだい!
――まもなく冬を超え、春到来せし! 私がこのサーキスタにて盤石の布陣を整えて、貴方をお待ちしておりますので!
――このガガーリンが、世界を統べるべく定められた我が君のためにッ!
敬愛すべきドストル帝国の彼、ガガーリンは帝国に座す指導者の一人に思いを馳せた。
天より寵愛を受けたとしか考えられない褐色の肌と堂々たる佇まい、ファナ・ドストルの兄の一人であるドストル帝国王位継承者の一人を。
「……気狂いがッ」
その歪な感情の変化を、ロッソ公は目を細めて観察し、苛立ち気に舌打ちをする。
だが、ロッソ公は気づかない。
ガガーリンが発動させた目には見えない魔法は既に透明な蛇となり、ロッソ公の首に巻き付いている。
「――さあさロッソ公、ここまでですよ」
ドストル帝国に籍を置く
そしてパンパンと手を叩きながら、ガガーリンはロッソ公に近づいた。激しい敵意を浴びせられながらもガガーリンは意に介さず、ロッソ公の腕を取った。
「これからタイソン公は無謀にも……いや、失礼。勇敢にも歴史を作るために立ち上がるのです。騎士国家ダリスに先んじる一歩を。彼は、タイソン公は踏み出そうとしているのですからねえ。それは歴史に刻まれる英雄への道しるべと言って然るべく。ただの傍観者であるロッソ公が邪魔をしては、いけないですねえ?」
――――――――――――――――――
リオット・タイソンはファナ・ドストルを監視していましたが、ひょんな出来事からファナの置かれた残酷な立場に気づいてしまいました。ファナからは自分の傍にいると殺されると警告を受けていましたが、心優しいリオットはファナを守るために最後まで職務を全うしてしまいました。この辺りの話もやりたいですね・・・。
そしてヒュージャックを支配するモンスターの支配者。絶命種のオークと希少種のサイクロプスを見れば、モンスターマニアのスロウは色んな意味でびっくり仰天の予定。
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