474豚 一方、ダリスにて

 大陸南方の歴史は、ドストル帝国が支配する北方程に戦いに明け暮れたものではなかった。北方の冷たい雪と凍てつく寒さとは異なり、南方には暖かな空気と豊かな土壌が広がっている。豊かな恵みを謳歌する南方各国は、北方ほどに国同士の戦いを求めなかった。

 だが――全く、戦争が起こらなかったとは言えば、それは全く異なるのだ。


 現に、騎士国家とサーキスタの間でも多くの血が流れている。


「待て、待て待て待て! シューヤ! お前が動いてどうなる問題でもないだろう! 仕事をほっぽり出して陛下に会えば――身の破滅だぞ!」


 だがシューヤ・ニュケルンは止まらなかった。止まるわけにはいかなった。

 王都ダリス、石畳の上を馬を用いて駆ける白外套マントの意味は、ダリス王室の忠臣たる証。しかし、クルッシュ魔法学園の最終学年でありながら王室騎士ロイヤルナイトである誉れを与えられた赤髪の少年は、スロウ・デニングの友でもあった。


「止まれ、シューヤ! 止まらなければ――打つぞ!」

「止まれるわけがない! 俺はサーキスタへ行きますッ! クルッシュ魔法学園の瓦礫を燃やすことは確かに大事だけど……俺は今すぐにでもサーキスタへ!」

「この大馬鹿野郎! 時と場合を考えろ! お前の立場を忘れるなっ!」


 シューヤ・ニュケルンは王都の大通りを真っ直ぐに駆けながら、背後に迫る先輩騎士セピス・ペンドラゴンの存在を無視し続けた。

 街人たちはギョッとした顔で風のように馬を飛ばす王室騎士の姿を眺めた。

 彼ら女王の手ロイヤルナイトがあのように取り乱す時は――ろくなことがないのだ。


 しかし、兆候はあった。

 常に慌ただしい王都ダリスだが、最近彼のように慌ただしい人影が増えていたからだ。特に街中に、ひとつの噂が流れ出してからは。

 曰く――公爵家デニングの若様が、サーキスタにて殺された、と。余りに恐ろしい噂話で大っぴらに口にすることが憚れるが。

 

「止まれ、シューヤ! お前は王室騎士ロイヤルナイトで、お前の中にいる化け物を、今このタイミングで女王がサーキスタへ送り込んでみろ! それこそ戦争だぞ!」


 シューヤ・ニュケルンだって馬鹿ではない。彼はここ1、2ヶ月、確かに王室騎士としての務めを果たしていた。まだ王室騎士として責任のある仕事とは到底、言えないが。

 大抵はクルッシュ魔法学園に関してであり、未だ母校に籍を残すシューヤとしても王室騎士として母校の開校に向けて尽力を行うことはやり甲斐があった。

 特にシューヤの魔法は母校に積み重なった瓦礫を燃やすことに有用とされた。


「警告はしたからな――泥沼のようにマッドマッド


 セピス・ペンドラゴンの魔法が発動し、硬い石の畳が泥状に液化する。それはシューヤ・ニュケルンが向かう先にみっちりと。勢いのついた馬は大きく鳴いて前面に前のめり、当然、乗り手であるシューヤ・ニュケルンは泥の上に転がった。


「……やり方が相変わらず汚い」

「だが、怪我はない。だろう? それ以上に何を望む? 私はお前の哀れな馬の脚を切り取ることだって出来た。この場合、非をがあるのはお前だ。馬を傷つけることは忍びない」


 王都の平民が、物陰からこっそりと王室騎士同士のいさかいを眺めている。王室騎士としてはどんな場合も優雅でいることを求められるが、今この場では、後輩騎士の折檻が何よりも重要だろうとセピスは判断。


 シューヤ・ニュケルンはその場を立ちあがろうとして。


「聞け、シューヤ」

  

 先輩騎士から細い首を、力強く掴まれた。

 泥の上に座り込んだセピス・ペンドラゴンの苛立つほどの整った顔が見える。

 ダリスでは珍しい水色の頭髪を持つ騎士殿は、ペンドラゴン侯爵家の正嫡の子供ではないがシューヤにとっては尊敬すべき先輩だった。――今この時までは。


公爵家の若殿スロウ・デニングは死んだ。変えようが事実だ。サーキスタの言い分は間違っちゃない。若殿はどのような理由があろうと勝手が過ぎた。あの国が威信を掛けた祭典で、全属性の魔法使いとしての威光を存分に見せつけたとあっちゃ、庇いようがない……だろ? 話によると、傷ついた兵士、貴族は大勢。死人が出なかったことが奇跡だ」


 いつも冷静で理知的。あのモロゾフ学園長お墨付きの王室騎士。

 しかし今ばかりは憎かった。セピス・ペンドラゴンにとっては扱い難くて何を考えているか分からない公爵家の若殿スロウ・デニングも赤髪の少年にとっては命の恩人なのだから。


「現実を受け入れられないなら何度でも言ってやる。公爵家の若殿スロウ・デニングは死んで、私たちに大きすぎる置き土産を残してくれた。サーキスタは我らが祖国、騎士国家ダリスがドストル帝国と繋がり、ダリスは帝国の先槍として南方の地を侵すなんて糾弾を始めた――あの公爵家デニングが若殿に死後の名誉を与えることなく、破門するぐらいにまずい状況だ」


 セピス・ペンドラゴンは続けた。


「お前があの若殿とある程度の交友関係にあったことは私も知っている。若殿がいなければ、今の化け物を身体に潜ませるお前は……名誉ある王室騎士なんて恵まれた立場にいないだろう。お前が若殿に大恩を感じていることも理解出来るが、若殿はやり過ぎた」


 ――シューヤは泥の中に、身体を埋もれさせた。

 サーキスタへスロウ・デニングと共に派遣した外交官からの報告は既に騎士国家一部の階級間では共有されていた。スロウ・デニングが行った大事件の全貌が、平民の間にも広がることは時間の問題だろう。


「風の神童は帰還したなどと巷では騒がれていたが、結局はこれだ。彼をサーキスタに送り込んだ陛下の責任も免れんだろう……一体、何が若殿を凶行に駆り立てたのか――」

「……サーキスタの飯が――まずかったんでしょう」


 は? とセピスは首を傾げた。そしてシューヤの頭を「ふざけるな」と叩き、その場に引っ張り起こした。名誉ある王室騎士が、いつまでも地面に這いつくばっているなんて見栄えが悪いからだ。

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