【外交官ナーゲラス視点】460豚 ナーゲラスの逆上
素晴らしい夢を見ていた筈だったのに――。
サーキスタの舞踏会に招かれた自分たちは、貴賓席で美しい劇を堪能するだけの客人のようなものだ。なのに今は、事態の移り変わりに息をつく暇すら無いのだ。
「我々とて望んではいなかった! ただ平和であれば! しかしファナ・ドストルが我々の国に何をもたらした!」
――やめてくれ。
――お前たちは彼女が誰なのか、分かっていないのか。
――わかっているだろう。彼女を呼んだのは、お前たちだ。
「各国の使者たちよ! 始まってからでは遅いのだ! サーキスタは、エデン国王は決断なされた! 我々は、立ち上がるッ!」
しかし、ナーゲラスの祈りは通じない。
彼が想定する最悪を超えて、事態は進む。
会場の出入り口は次々と封鎖され、兵を率いた
「ライアー公! イングウ家、ヒーゼルフ家、ボゴム家による包囲、完了しました! ネズミ一匹逃げ出さぬよう、隙間なくッ!」
頃には、ナーゲラスも彼らサーキスタが本気であると認めざるを得なかった。
イングウ家、ヒーゼルフ家、ボゴム家そしてタイソン家。
――本気なのか。
――彼女に手を掛ける意味が理解出来ぬ大国サーキスタではあるまいに。
誰かの興奮する叫びが聞こえる。
ナーゲラスが招待された湖の孤島とサーキスタの都市を繋ぐ、唯一の出入り口。
まるで島から出る者を一人も逃さない、そんな威容をもって
サーキスタという大国を背負う天才魔法使いが、エデン国王の声に応えたと誰かが叫んでいる。
歴史を紐解けば、国家同士による戦争が行われるきっかけは些細なものだった。
小事だった人の争い、すれ違いがいつの間にか、人の手を渡り、誰かの思惑を乗せて、大きなうねりとなる。
ナーゲラスは心の中で、いつかどこかで誰かに掛けられた言葉を思い出していた。
外交官を志すのであれば自分なりの正義を持てと、口酸っぱく自分に伝えてきたのは、確かクルッシュ魔法学園の卒業時――あの時はまだ一介の教師であったモロゾフ先生であったか。
正義、そんな陳腐な言葉はとっくに忘れてしまったが、何故今この場で思い出す。
「ファナ・ドストル。エデン国王の前に連行する前に、反論があれば聞こうか」
先生。自分には、無理です。無理でした。
この流れは止められない、止められません。
自分にはただ、事実を
自分以外の外交官。
誰であってもサーキスタの暴走を止めるなんて、出来るわけがないのだから。
「沈黙……ならば、ファナ・ドストル。その小さな身体に教えてもらおうか。お前の目的を、ドストル帝国の真意、あの
ライアー老のあの迫力――サーキスタは本気だ。
ナーゲラスは大国の外交官としての正しい振る舞いを考える。
それは動揺を隠さず、少し前まで南方四大同盟の盟主として君臨した騎士国家ダリスの在るべき姿として――少なくとも杖ぐらいは持っていないと、恰好がつかないだろう。
腰の杖に手を伸ばそうとして、全て取り上げられていたことを思い出した。
「既に理解しているだろうが、我々は本気だ。この先に待ち構える困難も、罵りも、絶望も覚悟の上。我々をドストル帝国の口車に乗り、突如、停戦が為ったなどと吹聴した
確かに自分は外交官として、何ら特筆すべき男ではない。
だが、一通りの教育は受けている。
降り掛かる火の粉は自ら払えるだけの、最低限の力も持っている。
しかし、杖を手に取った所で自分に何かが出来た訳もない。
彼とて分かっている。
自分の器、自分の限界、騎士国家の外交官としての経歴が、彼の生き様を証明していた。
――どうしろというのだ!
自分の立場は騎士国家ダリスの外交官なのだ。
この場で表立ってサーキスタを非難した際の祖国への影響を考え、彼はただ推移を見守るのみ。
動かない言い訳は幾らでも、思いつくのだから。
――私だけじゃない!
ナーゲラスは周りを見渡した、沈黙に徹するのは間違いでない。
それでも、サーキスタの暴挙を見逃すつもりかと――静観を決め込んだ彼には、大勢の非難の目が向けられている。
サーキスタの途轍もない非礼を、暴走を騎士国家ダリスの外交官は止めないのかと。
ドストル帝国との間で停戦交渉を行った当事者は、ダリスだろうと。
ダリスには、サーキスタを止める責任があるのではないかと。何が何だかわからんが、話し合いで解決すべきなのではないかと。
だが、一介の小役人である彼が止められるわけもなかった。
声を発することが、この場でどのような意味を持つか。
それにナーゲラスのような下っ端は、枢機卿や女王陛下が帝国との間でどのような話し合いを行ったのか何も知らないのだ。
サーキスタの兵は殺気立ち、もしファナ殿下が何らかの動きを見せれば、すぐに動き出せるよう臨戦態勢に入っていた。
ファナ殿下の目の前に立つ、あのライアー老の姿を見ろ!
孫を殺されたらしいライアー老の姿は、実際の年齢よりも二十歳は若返っているように思えた。
自分如きが、この場で何が出来る!
彼女とサーキスタの間で何が起きたのか、何も分からないナーゲラスだが、最も理解が及ばないことは、ファナ殿下が一切の反論を行わないことだ。
何らかの反論を言えば、幾らかの動きようがあるものを。
当然、そう思うだけだが。
ナーゲラスの思いも空しく、ドストル帝国からの使者はサーキスタの決断を非難することもなく、受け入れているように思え――。
「おーいアリシア。なあ、アリシアー!!」
だからこそ、突然聞こえた誰かの声は余りにも場違いだった。
バリボリと、クッチャクッチャと、この場に相応しくない無遠慮な咀嚼音を走らせながら、声の主は続ける。
「アリシアー! どこにいるか知らんけど、教えてくれよー! お前の親父、いくらでドストル帝国に買収されたのー?」
――は?
頭をハンマーでぶん殴られたのかと思った。
――何だ、今の言葉。サーキスタへの途方もない侮辱。夢か、夢なのか。
夢であってくれ。頼む、違ってくれ。違う人間であってくれ。彼じゃない。彼は、バカだが、更生したのだ。クルッシュ魔法学園を黒龍から救い、王都ダリスではカリーナ殿下を悪党から救い出した。だから、違う。彼じゃない。
もう頭の可笑しい、デニングの三男坊はいないのだ。
風の神童は帰還した、王都では誰だってそう言うじゃないか。
「え、違うの? 違うんだぶひい?」
……。
言葉の内容も含めて、声の主が彼と共にサーキスタへやってきた
豪勢な食事に手を付けなくてよかった。
きっと少しでも手を付けていれば、吐き出していただろうから。
「違わねーよ。お前の親父、騙されてる。間違いないぶひい」
そして騎士国家の愚かな外交官は。
心の底から、彼を同行者に選んだ、ヨハネ・マルディーニ枢機卿を呪ったのだ。
――くたばれ、マルディーニ。何故私をサーキスタへ送り込んだ、と。
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