454豚 ドストル帝国の首切り姫

「スロウ様、アリシア様が見える場所に行きましょうよ!」


 知り合いの姿が見えてテンションが上がったらしいシャーロット。でも俺としては壁の花、この場所を動きたくなかった。

 それは勿論、今もこうして殺意をぶつけてくる姿を見せない何者の存在にある。

 超ド級の殺気。そいつは今すぐにでも俺の首を落としたいらしい。


「しゃ、シャーロット。ほら、俺たちは目立たないほうがいいって……」

「スロウ様! 今、アリシア様がこっちを見たような気がしますよ! 私たちのこと、呼んでいるのかもしれませんっ!」


 限界までつま先立ちをしたシャーロットにはアリシアの姿がよく見えているらしい。俺の手を掴んで、群衆の中に向かおうとする。つ、強い力だなあ。


 俺にとっての舞踏会は面倒で出来れば関わりたくないものだ。

 だけど、シャーロットのような女の子は何だかんだ言ってこういう煌びやかな世界が嫌いではないらしい。


 目をキラキラと輝かせて、アリシアの元へ向かおうと俺を引っ張る。

 わ、分かったよ、シャーロット。俺は根負けして、シャーロットに引っ張られる形で会場の中心へ向かう。


「アリシア殿下は何と美しい姫君なのだ……良い土産話が出来た――」


「アリシア殿下は魔法の力も抜群との話だぞ。わざわざ騎士国家のクルッシュへ留学するだけのことはある。知っているか? クルッシュ魔法学園といえば、学長はあの男——モロゾフ・ぺトワークス! 塔の男だ!」


 クルッシュ魔法学園の学園長はモロゾフ・ぺトワークス。知名度は俺たちの世代よりも、年齢を重ねた爺さん連中のほうが抜群らしい。


 そしてアリシアの美しさを称える言葉があちこちから耳に聞こえてくる。俺の前を歩くシャーロットだって、普段とは異なるアリシアの姿を見て上気している。

 そうだ。アリシア・ブラ・ディア・サーキスタというサーキスタの姫は、本来はシューヤ・ニュケルンなんて騎士国家の男爵家ヴァロン風情とは釣り合いが取れない高見の花。舞踏会に出れば、本人がその気でなくとも主役の座に座ってしまう。

 


 アリシアが拍手を受けている理由——サーキスタ大迷宮に潜った勇気が受けているようだ。

 俺の記憶じゃ、アリシアがサーキスタ大迷宮の中で役に立った記憶はないけどな。

 だけどサーキスタ大迷宮で何が起きたのか――わざわざ俺も口にする気はない。

 アリシアがこの国サーキスタで称えられるような姫様になったこと、それは俺だって嬉しいんだから。


「うう、スロウ様。これ以上、進めません……」

「ここでいいよシャーロット、ここからでもアリシアの姿は十分に見えるからさ」

「でも……アリシア様の晴れ舞台を目に焼き付けないと!」


 俺たちの前にそびえるものは人の壁だ。

 アリシアをアイドルのように慕う若手親衛隊のような貴族連中が前列を牛耳っている。全く、この舞踏会の目的はアリシアじゃないだろ。


 舞踏会の目的は、サーキスタという大国が世界に国力を示す場だ。


 何も起こらなければ、それに越したことはない。

 サーキスタが誇る王族たちのスピーチが終わる頃には観衆の注目は次に移っていた。周りでソワソワと、きょろきょろと誰かの姿を探す者の姿が増えてくる。


 彼らの関心は――帝国だ。ドストル帝国からやってくる要人だ。

 この場にやってきた各国の来訪者はドストル帝国の要人を知り、出来ることなら縁を結びたいと思っているのだ。


「――お兄ちゃん、ねえ。お兄ちゃんって、有名な人でしょ?」


 いつの間にか、俺とシャーロットの前に出来た僅かな空間に誰かの気配。

 そこにいたのは幼女だった。邪気のない笑顔を向けられて、多分、その時の俺はきっと気が抜けていたのだと思う。


「どうしたの? もしかして親とはぐれちゃったかな?」


 俺とシャーロットだって会場では随分と浮いている。各国の要人が集まる舞踏会では、年齢が若すぎるためだ。

 でも、俺に話しかけてきた幼女はそれ以上だった。

 少年のような少女のような、中世的な魅力を纏う子供。年齢は10歳を超えるか、超えないか。


 シャーロットは面倒見がいいから、迷子だと察した幼女の関係者を探してあげようと周りを見渡す。そればかりじゃなく、幼女と手を繋いであげようと――。


「止めなさい。私を誰だと思っているの」

「え」


 シャーロットの手を振り払う幼女。完全な拒絶にシャーロットは僅かに身震い。今の振る舞いには高貴な人間特有の冷たさが見えた。

 幼女はシャーロットの存在を無視し、俺だけを見つめている。

 

「期待外れね。あの人が頼れって言うぐらいだから、もっと出来るのかと思ったのに……これなら私だけでいいかな。それとも、わざと?」


 きょとんと首を傾げる姿、愛くるしいその姿に誰だって騙されるだろう。

 でも、俺は気付いてしまった。この子は――。

 

「え、スロウ様。もしかしてお知り合いですか?」


 これはいけない。

 シャーロット、今すぐその子から離れるんだ。

 だけど、言葉にすることも出来ず、俺はただ狼狽えることしか出来なかった。


「え、スロウ様……?」


 だって、この子は普通じゃない。

 もともと普通の女の子が忍び込めるような場所じゃないけど、この子はサーキスタの貴族ってわけでもない。確かに気品を感じるが、サーキスタの王族でもない。王族なら、少なくとも周りのサーキスタ貴族が放っておかないだろう。


「——あの人からの伝言よ。まだ、。以上」


 俺は、反応するわけにはいかなかった。


「そして、私からも一つだけ言っておくわ。私は、。これから行われる余興には、私の意志は一切介入していない」


 だって。


 俺が、ドストル帝国の王族の顔を知っているなんて、可笑しい。


 だからこそ、俺は何も分からないバカな貴族の振りをして、幼女を見つめる。


 どうして貴女のような高貴な姫が、サーキスタに? なんて言えない。

 言えるわけが無かった。この子は……この漆黒の水面を体現するような黒い瞳の幼女は、先ほどまで拍手喝采を受けていたアリシアよりも――格が高い。 


「あくまで何も知らないと言い張るのね。でも、それもいいわお兄ちゃん。こんな暖かい南の国に生きていたら、あの人がお兄ちゃんのせいで北でどんな目に合っているかなんて興味も抱けないでしょうか」


 俺の目には見えている。はっきりと映っている。

 夥しい闇の精霊が、まるでこのサーキスタが敵地であるかのように彼女を守っていた。

 

「それでもあの人はこの国で、お兄ちゃんを頼れといった。だから、伝えるわ。戦争を回避したいなら――これから起こる茶番から、私を全力で助けなさい。以上」


 物騒な言葉を残して、するすると群衆の中を進む小さな女の子。

 理解を通り越して唖然とするシャーロットは俺の顔を伺っている。


「……スロウ様?」

「……」


 俺は心臓を抉られる痛みと戦っていた。

 頭の中で幾つもの映像がフラッシュバックしているんだ。


 血塗れで何かを言い残す彼女と、彼女を抱えるシューヤの姿。


 彼女とシューヤが出会ったのはドストル帝国内部。

 巨大すぎるドストル帝国の中には、派閥というものが存在する。

 確かにドストル帝国は闇の大精霊を頂点として君臨する巨大組織、しかし全ての派閥が闇の大精霊に永続的な忠誠を誓っているわけではなかった。虎視眈々と権力の座を狙っている者は大勢いる、それでも闇の大精霊の支配は弱まらないと、俺は考えていたが。


「あ! スロウ様! やっと来られるようですよ!」


 それからどれだけの時間が立っただろう。もしかすると一瞬かもしれないし、数分もの時が過ぎたのかもしれない。


「わあ! スロウ様、女性みたいです! 帝国の……お姫様みたいですっ!」


 俺が知らない間に、ドストル帝国で何かが起きた。

 国の未来を揺るがすような何かが起きた。

 であれば、説明がつかない。

 

 

 ……アニメの中で、シューヤは彼女を助けられなかった。

 火の大精霊の力を持ちながら、シューヤ・ニュケルンが救えなかったドストル帝国の姫が今、俺の目の前にやってきた。

 そして、何て言った? 私を助けろ? 止めてくれ、それはアニメの再現だ。


「……あれ、あの子って今さっき――え、スロウ様、さっきの子って!」

 

 大勢の注目を浴びながら、無表情で階段を下りてくる姿。

 その姿を見るために、サーキスタを中心として南方各国からこれだけの権力者が集まった。


 ——俺たち南方の人間は、誰もが理解していた。


 戦争が起これば、どれだけ南方各国が強固に結ばれたとしても、かの国には勝てないと。アニメの中でもシューヤ・ニュケルンという救世主が現れなければ、そのような未来となっていただろう。


 だけど、現実はどうだ。

 戦争は起こらず、起こる筈だった悲劇は回避された。

 それでも、彼女はやってきた。

 

「ご紹介致しましょう! 遠路はるばる、北方ドストルよりやってこられたドストルの姫君——! 麗しのファナ・ドストル姫殿下、我らの前にお越し頂きましょう――ッ! お集まりの皆様、惜しみのない拍手で、姫殿下をお迎えくださいッ!」

 

 ドレスを着飾り、階段の上からスポットライトを浴びた彼女の瞳。

 高みから俺たちを見下すその姿はまるで、餌が与えられると集まってきた魚を見つめるように感情の色が見えなかった。

 同時に理解する。

 ずっと感じていた強い殺気が誰から与えられたものか。


 闇の大精霊ナナトリージュの後継者——ファナ・ドストル。

 ファナ姫在る場所に悲劇有り、北方でそう呼ばれる首切り姫の登場に、会場の熱は限界を迎えた。

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