427豚 大精霊の執着

 クルッシュ魔法学園を囲む門の向こう、広大な敷地の中に幾つも建てられた校舎。

 校舎の上に寝そべる、巨大な生き物の姿が見える。


 いつからそこにいたのか――誰も分からない。

 だけど突然、姿を見せたその生き物から発せられる圧力は、何よりも雄弁に俺たちの存在がどれだけ矮小か教えてくれた。


「――……こ、殺される……あれは、アルトアンジュだぞ……!」


「彷徨いアルトアンジュが、どうしてダリスに!?」


 動けない。動けるわけもない。誰もが、言葉を失っていた。

 この場にいる者が戦場の経験が全くない平民であったならば、もしかすると大精霊の姿を目にしても、その正体に気付かなかったかもしれないが。


「公爵様、抜刀の許可を!」


 だけど、この場に一般人はいない。

 ここにはデニング公爵家の庇護の元、戦いに戦いを重ねた者たちがいるだけだ。


「我々なら――ヒュージャックの亡霊を、やれますッ!」


 風の大精霊アルトアンジュは神出鬼没な大精霊。

 巨大な黒猫の姿を模し、世界中を意味なく放浪、気まぐれに災いを振りまく恐ろしい存在として知られている。風の大精霊が、ヒュージャックという国に居着くまでは、火の大精霊エルドレッドと同様に避けられぬ災害として恐れられていた。


 しかし、今。

 風の大精霊が愛したヒュージャックは喪失した。

 居場所を失った大精霊ってのは、何をするか分からない。


「害獣アルトアンジュ……許可してくれたら……坊ちゃん、俺はやるぜ……」


「止めろシルバ、勝てると思ってるのか。あいつはお前が制御し切れない光の大精霊の力を止めてるんだぞ」


 姿を現したアルトアンジュ、横目で俺たちを見ている。


 風の大精霊さんが見つめる先に、コントロールを失った魔力の塊。

 目を凝らせば、風の奔流が魔力の塊を押し留めていることが分かるはずだ。


 しかし風の大精霊さん、評判悪いよなぁ。


「公爵さま! 危険ですっ!」


 大精霊の圧の中、進み出てたのは俺の父上ただ一人。


 公爵家の当主として、光の大精霊とも言葉を交わしたことがある父上は大精霊に恐れている様子はない。


 この場で大精霊の扱い方を知っている人間は父上だけだ。

 だから父上に向けられる視線には、何とかしてくれって皆の声が乗っていた。

 たしかに父上は大精霊との交渉役に適任だろうが――。


「父上、俺に任せてください」


 父上の歩みを止める。これは俺の役目だ。


「……スロウ。お前は気づいていたのだな。アルトアンジュ様がいると……」


 うなずいた。


「ならば、任せる。お前が適任だ」


 父上は、知っている。

 俺の目に見えている特別なもの。

 だから父上はずっと俺を特別扱いしていた。


「手を出すなよ、二人とも。俺を信じてくれ」


「……」


 シルバとクラウドが、神妙な顔で黙って頷いた。


 さて、やるか。

 俺は遠目に見えるアルトアンジュに語り掛ける。

 大精霊との会話に声の大きさは関係ない。


「大精霊アルトアンジュ、俺の頼みは分かるはずだ」


 付与剣によって解放された力を葬り去るには、あいつの力を借りるのが一番だ。


 だから大精霊さんを利用したんだけど、あの様子はまずいな。


『……何故?』


 大精霊は空に浮かぶ莫大な魔力を止めながら、横眼で俺たちを見ている。

 ……機嫌が悪い。

 

『……何故、この俺がレッグの力から貴様らを守らねば? 姿を見せたのは、忌々しい奴の力が気に障ったからだ。姿を見せるつもりもなかったが、怒りが理性を超えてしまった』


 風の大精霊さんは俺に利用された事実を理解している。

 大精霊同士の関係なんか興味もないけど、王都にいる光の大精霊さんにも風の大精霊さんが姿を現したことが伝わっているだろう。


『……貴様、調子に乗るな』


 あいつが怒っているのはそこか……もしくは、シャーロットを巻き込んだことか。

 だけど、シャーロットにはあいつを利用することを伝えている。


『……』


 大精霊さんも勿論、分かっている。

 顕現した光の大精霊の力、あれが落ちれば俺たちは終わりだ。


 シャーロットだって、無事では済まない。

 ヒュージャックが喪失した今、あいつの執着はシャーロットに向いている。


『……』


 しかし、こうやって真正面から大精霊に敵意を向けられるってのは鳥肌が立つもんだ。

 俺に余裕があるのは、火の大精霊や闇の大精霊。

 彼らと戦った経験があるからだろうか。


風の大精霊アルトアンジュ


 でも、これは初めてじゃない。

 激怒のアルトアンジュと向かいのは、これが二度目だ。


「お前は、俺に大きな貸しがある」


『……』


「忘れたとは言わせない」


 シャーロットが俺の袖を握る。彼女も分かっている。

 風の大精霊さんは、俺にだって多少の好感を持っているだろう。 

 だけど、あいつは利用されることを極度に嫌う。


『……勿論、覚えているにゃあ』


 風の大精霊アルトアンジュは空を見上げた。


『お前が他の人間の前で俺を頼ったのは、これが初めて。だから驚いたにゃあ』


 そして瞬き一つで、光の付与剣から発生した魔力の塊を葬り去った。

 残ったのは、穏やかな雲一つない青空だけ。

 余りの早業に、改めて思い出す。

 大精霊と俺たちの間でどれだけ力が隔絶しているかって。


 そして大精霊さんは身体を起こし、口を開いた。


『聞け、ダリスの民』


 俺が感謝の言葉を告げるよりも早く、あいつは言った。


『この身はいつ何時なんどきも、その者と共に。偉そうなレッグと女王に伝えろ。その者を面倒に巻き込むな。この先、何度も頼られては面倒だからな』


 そして、あいつは姿を消した。


 空に浮かんでいた恐ろしい魔力の塊も綺麗さっぱり消えている。


「……」


 周りには絶句し、腰を抜かした者の姿しか見えなかった。


 全員、驚愕した顔で、俺のことを見ていた。


「……坊ちゃん、アルトアンジュと……知り合いだったんで……?」


 誰もが聞きたい質問を、代表してシルバが俺に問う。

 俺はゆっくりと目を閉じた。



 最悪だ。

 あの野郎、やりやがった。


 風の大精霊さんが言ったその者とはシャーロットのことだ。


 だけど、この場にいる人間は、勘違いをしてしまう。

 そして瞬く間に世界に広まってしまうだろう。


 風の大精霊、アルトアンジュ。


 ヒュージャックを失った大精霊の執着が、シャーロットではなく、この俺に向いていると――。




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