335豚 サーキスタ国境沿いの盗賊団④

 天地がひっくり返るとは、まさにこのことだろう。


『——アリシアには結構前に故郷から連絡があったみたいだぞ。でも、極秘の話であいつも随分と悩んでいたみたいだけど』


「ぶひっぶひっ」


 俺は走っていた。

 事の真相を確かめるため、アリシアが待つ馬車に向かって。

 手足をだりと伸ばし、口を金魚のようにパクパクと開きながら。


「ぶほっ、ぶひぃぃぁ」


 暗い真夜中。一人で、みっともなくオーク走りである。

 さぞや気持ち悪い姿だろう、思考がまとまらない。


『——デニング。やっぱり、お前何も知らなかったんだな』


「ぶひっ、ぶほっっぶひいいいいいいいいいいいいいい」


 ずざぁぁぁぁぁぁっと、盛大にコケる。

 目に泥が入った。痛い、涙が出た。空の上には満月が爛々と輝いていた。まるでどこかの幸せな誰かを祝福しているみたいに、奇麗だった。

 反対に、俺の心はずどんと大きく沈んでいる。


 そんな馬鹿なことってあるかよ。

 何も知らない、そんな話聞いたこともないぞ。


 俺とアリシアが、婚約したなんて――。


 ●


 じゃりじゃりとした小石を頬にぶつけながら、物思いにふける。

 誰に見られて、どう思われたって構うもんかよ。


『デニング。お前、本当に何も知らなかったのよ。アリシア、ずっと悩んでいたみたいだぞ。あいつもお前との婚約ってとっくに破談しているものだと思っていたからってさ』


 俺はシューヤから.アリシアが俺たちについてきた理由を聞きだした。

 さっき、2人で何やらヒソヒソ話をしていると思ったら、アリシアはシューヤの連日の説得が鬱陶しすぎて、ついに真意を語ることにしたらしい。


 シューヤから聞かされた話は、俺が全く想像もしていなかった類のものだった。


 大国サーキスタと公爵家の間で。

 アリシアと俺が婚約するなんて話が進んでいるなんて。


 何の反応もできなかった。

 だって俺だって一度も聞いたことが無かったから。

 俺はただ固まったまま、シューヤの話を聞いていた。


『デニング、お前ってさ……最近、結構すごいことしてるじゃん? クルッシュ魔法学園を守ったり、カリーナ姫を守ったり。アリシアがいるサーキスタって国は、何ていうか俺も噂で聞いたぐらいだけど、政略結婚とか当たり前の国だっていうしさ……お前が凄いことしてたから目をつけられたんだろうな』


 サーキスタ、あの国にとって王室の人間と言うのは単なる政略の駒だ。


 アリシアの故郷がどういう国か分かってはいたけど、俺とアリシアの婚約なんて話が余りにも急すぎて、シューヤから話を聞いている時、俺は相当顔が真っ白になっていただろう。

 途中から、あのシューヤがこの俺を慮るような口調になったのだから。


『でもデニング。お前とアリシアの結婚が、ダリスとサーキスタの同盟強化につながるんだから、お前たちってやっぱり凄い奴だったんだな。俺が口出し出来る話題でもないから、俺は触れないけど……お前らはちゃんと話し合ったほうがいいんじゃないか? 俺は暫くここで時間潰しているから、あいつと二人で話して来いよ』


 そう言って俺はシューヤから、アリシアがいる馬車の中へ行くよう促されたのであった。


 ●


「……ぶひい」


 満月の月明かりは、俺に立ち上がれと言っているようだった。

 ここでぐじぐじしていても仕方ない。俺は両手を地面につけ、ゆっくりと身体を起こした。


 頭が麻痺したまま、アリシアが待つ馬車の中に向かう。向かわなくては。アリシアと話をしないといけないぶひい。

 でも、何を話せばいいんだ?

 朗らかな顔で、俺たち結婚するんだってな、なんていえばいいのか?

 駄目だ。絶対、ぶっ飛ばされるに決まってる。ていうか、何でそんな大事な話をシューヤの奴から教えてもらわないといけないんだ。


「失礼するぶひ」


 覚悟を決めて、俺は馬車の中に入っていった。

 元婚約者フィアンセはすぐに見つかった。狭い馬車だ、乗り込めば、すぐに分かる。

 アリシアは馬車の中で一人で体育座りをして、何か考え込んでいるようであった。ここ数日、シューヤと言い争いをしている時以外はずっとこんな感じ。

 何か重たい何かを抱えているんだろうとは思っていたが、まさか俺との婚約の話に悩んでいたなんて。


「——あ、アリシア、お、あ、シューヤから聞いたんだけどさ」

.

「あのバカ、どんだけ口が軽いのよ……黙っててって言ったのにさすがに早すぎでしょ……」


「ご、ごめん。何も気づかなくて……で、でも、それって本当なのか? その、そのさ、俺たちが婚約するなんて……お前の勘違いってことも」


「——私たちの婚約は、事実よ」


 アリシアは何も否定することなく、一刀両断にばっさりと答えた。

 その頬には、なんか涙の後も見えるし。俺はもうどうしていいか分からなくなった。


 ――シャーロット、まずいことになったぶひい。助けてぶひい。


 ●


 同じ、空の下。

 サーキスタ国境沿いにいるスロウ達と同じ目的地を目指す者達が、野営の準備を進めていた。

 だが、その規模はスロウ達とは比較にならぬ。統率された動きで、数十人の男達が迅速に行動し、彼らの中心地に設置された天幕の下には二人の女性。

 彼らは騎士国家ダリスを支える公爵家の集団だ。そして、そんな彼らを統率するのはサンサ・デニング。公爵家直系であり、次期当主筆頭候補に数えられる黒髪の女性。


「サンサ様。今、何ておっしゃいました……スロウ様が婚約?」

 

 そんな高い地位のサンサから、スロウ・デニングの専属従者、シャーロットは衝撃な事実を告げられていた。


「アリシア様を救いに、お前に協力を依頼する立場で、このタイミングで、伝えるのも、どうかと思ったんだが――そういう話があることは、事実だ」

 

 スロウの提案により、公爵家で魔法の特訓に励んでいたシャーロットは数日前、サンサ・デニングに突然、呼び出された。詳細な理由も教えられないまま、隣国のサーキスタに向かうから着いてこいと言われたのだ。


「何も言わずに連れて来たのは悪いと思っている。だが、今から私が対処する問題は国家の未来を左右しかねない一大事であり……シャーロット、お前の協力が必要不可欠なんだ。ここまで言えば分かるだろうが、問題の中心にいるのは、スロウだ」


 いつも落ち着きはらっているサンサ・デニングが尋常じゃない様子だったから、シャーロットは余計なことを言わず、素直に従った。スロウの姉でもあるが、サンサはシャーロットにとっても姉代わりのような人でもあった。


「スロウは今、女王陛下と強く繋がっている。陛下からの勅命を受け、シャーロット、お前と距離を取った。お前に危害を与えないためだ。私も詳しい話は言えないが、確かにスロウの考えは理解できる。だが、事情が少し複雑になった。そこにサーキスタ王室から留学しているアリシア様が関わってきたからだ」


 シャーロットはクルッシュ魔法学園にいるであろうスロウの身に何かが起きたのだろうということは、薄々気付いていた。サンサ・デニングは忙しい人間だ。騎士国家でも非常に高い地位に就いている人が本来の予定を全てふっとばして、シャーロットを連れてサーキスタへ向かうと言い出すのは可笑しいことであった。


 ——絶対に、スロウ様が絡んでいる。そう思った先に、これだ。

 シャーロットはサンサ・デニングに呼び出され、突然のこれだ。


「アリシア様とスロウに、婚約の話が再び持ち上がっている。これはまだ公にはなっていないが、公爵家は今、あのサーキスタから、アリシア様とスロウ、過去の婚約関係は未だに有効だと、一方的な通告を受けている」

 

 ――曰く、アリシアとスロウにもう一度、婚約の話が出ていて。

 ——それは、大国サーキスタからの一方的な通告であり、公爵家の方針としては跳ね返す方針であること。アリシア様が婚約の話を気付き、スロウが対応している女王陛下からの勅命をこなう旅に同行している可能性が極めて高いこと。

 ——そして、サンサ様は今、自暴自棄になっている可能性が高いアリシア様を止めにいくため、サーキスタのとても危険な迷宮に向かっているのだ、と。


「……シャーロット。これから私は公爵家の精鋭を引き連れ、サーキスタ大迷宮に潜る。だが、残念ながら、我々は女王陛下から勅命を受けたスロウのように非合法なサーキスタ大迷宮への入口を知らない。故に、正規の手段に乗っ取り、冒険者ギルドやサーキスタが管理する正面玄関から大迷宮に入る。それでも非常に危険なことに変わりはない、お前は大迷宮の入り口で待機をしていて欲しい」


 サンサから、ある程度の事情を聞かされ、シャーロットはくすりと笑った。

 

 つまるところ、シャーロットは、未だ守られている。

 スロウ・デニングやサンサ・デニングにとって、シャーロット・リリィ・ヒュージャックは守るべき対象であり、危険には近寄らせない、

 そんな彼らの思いを正しく理解したからである。


 ――公爵家デニングの方々は、どこまでいっても、優しすぎる。


「シャーロット、お前はクルッシュ魔法学園でアリシア様の友人でもあったと聞いている。我々がアリシア様を無事に連れて帰った時にはアリシア様のメンタルケアを――」


「サンサ様。ご心配には、及びません。私も、サーキスタ大迷宮に潜りますから」


「……本気か?」


 サーキスタ大迷宮は恐ろしい場所だ。

 そんこと、シャーロット・リリィ・ヒュージャックも十分に理解していた。けれど、そんなよりも、スロウに早く会いたいという感情の方が遥かに勝っている。


「——これでも、私。修羅場には慣れているんでッッ!」

 

 満月に反射する美しいシルバーヘアーをなびかせて。

 シャーロットはぐっと拳を握る。そして魔法の特訓で潰れた指先のマメ、微かな痛みを感じながら元気一杯に笑ったのであった。

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