305豚 一撃も当たってませんけど?
ギラギラと燃える瞳を俺に向け、訳が分からないといった表情だ。
「……小僧、儂に何をした!」
火の大精霊さんは、他の大精霊さんと決定的に異なる部分がある。
それは、実体を持たない思念体だということ。
だから、この場にいる精霊を何とかすればいいんじゃないかと思ったんだ。
王都を発つ前に、あの光の大精霊さんから渡されたこの白杖。種を明かせば、光の大精霊さんの威光を借り、一時的に火の精霊をこの場から遠ざけただけ。
「ぶひい。まさか、こんなに上手くいくとはな」
「スロウ・デニング! 儂の身体に何をしたかと、聞いているのだ!」
意外と短気な大精霊さんだ。
突然、力の源を失ったことで動揺し、空にいた炎龍だって消えてしまった。
アディオス、でっかい龍。もう少しシューヤが強くなったらまた遊ぼうな。
さて、怒り狂った大精霊さんは放っておいて、俺はシューヤの背中にどっしりと腰を下ろす。シューヤに教えないといけないことがあったのをすっかり忘れていた。
「シューヤ。良い機会だからさ、俺が女王陛下とした約束を、特別に教えてやるよ」
「貴様ア! この儂の背中に座り、あまつさえ上から見下すなど許されぬぞ!」
おー、怖い怖い。
真っ赤な瞳が、俺を射抜く。
これまでの弱弱しいシューヤには出来ない、本物の殺気を乗せた人殺しの目だ。視線に幾つかの魔法を乗せているようだが、今さらそんなもので怯える俺じゃないんだよ。
俺はシューヤの背中にぐりぐりとお尻を押し付けてやった。
敢えて、プライドが高い大精霊さんが怒るように。
「このような屈辱は久方ぶりだッ! 覚えておれよ小僧! 身体が動くようになれば即座にその体を八つ裂きにしてやろう!」
「やってみろぶひい」
ほら、乗ってきた。
大精霊さんってどいつもこいつも煽りスキルが低いんだよなぁ。いっつも偉そうにしているからか、馬鹿にされていることに慣れていないんだ。
ならば、このまま煽り続けよう。シューヤが出てくる隙を作るために。
「さて、と。シューヤ。もう理解しているだろうけど、今の状態を改めて伝えておく。お前が生きる前提条件は
「無駄じゃ! シューヤに今の儂を押さえ込むなどできるはずがない!」
「勿論、大精霊の制御が難しいことは分かってる。だけど、お前なら出来ると王都で女王陛下を説得した。ちなみにだけど、外の軍隊はお前が大精霊さんに完全に操られたときの保険だ」
「無駄だと言っているのが分らんか! シューヤが小僧の声に反応することはあり得ぬわ!」
「うるさいなあ、大精霊さんは……次はそうだな、お前がこいつの制御に成功した先についても話しておこうか。そりゃあ気になるよな、自分の未来だからな」
俺がこんこんと大精霊さんの頭を叩きながら、言ってやる。
それだけで、怒り度マックスになった大精霊さんが暴れまくる。人間に体を踏まれるなんて経験今までしたことがないんだろう。
視線だけで俺を殺さんと呪いが降りかかる。
「シューヤ。お前が
「シューヤ! 小僧の声を聴くなと言っておろうにっ……! やはり小僧、お主を殺さねばシューヤの覚悟も決まらんようだ!」
俺にはわかるんだ。
お前が今、必死にもがいてるってことがさ。
「シューヤ、お前がこの国で生きるにはそれ以外の道はない。一つの身体に二つの心、お前らは共生していくことしか出来ない。だから――」
「そうか、そういうことか――小僧! 周囲の精霊に干渉したか! 精霊よ、この場にはあの小賢しい
光の大精霊さんからもらった白杖が根本からぽきりと折れ、火の大精霊さんが俺を押しのける。俺はコロコロと硬い地面を転がり、これまでとは比べ物にならない炎が俺を襲う。
どうやら第二ステージの開幕みたいだ。
〇 ● 〇
それは、大精霊さんにとっても不思議な体験だったと思う。
降り注ぐ火の玉は一撃一撃が直撃すれば、無事じゃ済まない。けれどそんな圧倒的優位な状況にいる大精霊さんが、苛立ちを隠せていない。
大精霊という超常の存在を相手にして、数分経っても俺が無傷だからかな。
「運がいい奴め! だが、その澄ました顔もすぐに絶望で歪むのだ!」
「なあシューヤ! お前も俺と同じ思いだよなあ! 今の
やべ思わず煽ってしまった。
でも、ピンピンしている俺に対して、周りはひどい有様だったりするんだ。
地面は所々が焦土と化し、煙が立ち上っている。
闘技場の観客席や外壁は抉れ、外の森まで見えているしさ。さっきまではあそこに生徒が座ってたんだぜ? 今の感じじゃ想像も出来ないよな。
地獄、うん、地獄だ。こんな地獄をたった数分で作り出したというのに、大精霊さんは完全に俺と言う存在を攻めあぐねていた。
「貴様! 馬鹿にしおって!」
「あ、そこ。落とし穴があるよ。実は大精霊さんがさっきシューヤと言い争いをしている間に作ったんだぶひ」
「ぐあ」
時折、魔法で火の大精霊さんをスリップさせたり、落とし穴を作って誘い込んだり、そういう悪戯が面白い位はまるんだ。
全ては、俺がやつの戦い方を知っているからこそ出来ること。
あ、まーた炎が爆発的な速さで迫ってくる。
息を止めた。吸えば肺が熱で焼けるだろうから、俺はそれをさっと掻い潜る。うん、今のはデブにしては良い動き……あ、炎が消えた。
——ナイスアシストだ、シューヤ。
「シューヤ、お主もお主だ! どれだけ儂の邪魔をするつもりだ! 小僧の口車に乗り、この場で時間を食えば外に座するダリス軍がやってくる! それすらも分らんのか! くぅぅ、痴れ者が、こうなれば! お主など、気絶してしまえばよい!」
火の大精霊の動きが一瞬、止まる。
そして自らの腹を殴りつけ、ダメージを自分が受ける。そんなめちゃくちゃシュールな光景がさっきから何度も繰り返されているんだ。
「……ふう」
そのたびに俺はちょっと休憩ができるのだからありがたいことこの上ない。
「シューヤ! この先ダリスにいても、お前はずっと監視付きの生活が待っておるのだ! お前が求める幸せは到底辿り着けぬ! だから――小僧の言葉に惑わされるなッ! 奴は不気味だ、儂の動きを知り過ぎていることもそうだ!」
まあ、俺がどれだけさ。
大精霊さんとの戦いを事前に、頭の中でシュミレーションしたと思ってるんだよって話だよな。実際にこうやって戦ってみて、戦い方を知っていると言うのは途方もないアドバンテージだということを改めて俺は理解したよ。
遠距離、中距離、近距離と様々な戦い方があるけれど、火の大精霊さんは自分の圧倒的な力を誇示するために、まずは遠距離で戦いたがる。
そして自分の思い通りに行かなければ、徐々に距離を詰めてきて、最後には大精霊さんは自分が絶対の自信を持つ近距離を選択する。
だから、そろそろじゃないかな。
「王者は動かぬものだ!
——こんな風にさ。蛇だ。鞭のように伸びる。逃げても逃げても、地獄の番犬のように追いかけてくる炎だ。巨大なモンスター相手に使う魔法を、軽々と放ってくる。だから俺は逆に自分から懐に入り込んだ。
すると火の大精霊さんはぎょっと顔を顰めた。
「愚かな! 魔法使いが自らの得意領域を捨てるとは!」
「舐めるなよ? 近距離の戦い方は、身体に染み付いててさ」
奴の腕を掴んだ。
これまでの敵は俺の体格を大きく上回る相手が多かった。
けれど、こいつは俺と体躯が似ているから――。
シューヤの顔が目の前にある。あいつの身体が燃え、まさに発火している。体温はまさに炎のようだけれど、俺は臆せずに――。
「馬鹿め! 儂の身体は今――」
「炎と化している、だろ? だったら、こうすればいい。
全て、予め分かっていたことだ。
だから、何も臆することなんてない。
「これが
奴の身体を背負い込み――地面に叩きつけた。
舞う土埃。
どこかの骨が折れる鈍い音。
滅茶苦茶な衝撃が俺にも届いた。
でも、こいつの頑丈さは折り紙つき。
ほら、大精霊さんが息を乱し、眼を見開いた。
「諦めろ、エルドレッド。俺一人にここまで足止めされる奴が、外にいる包囲網を突破出来るわけがない。お前とシューヤは二人で一つ。どちらかの意思に反せば、力の半分も出せない。お前らってそういう存在なんだろう?」
「小癪なアッ――儂は災いを引き起こす
ぐつぐつと、足元が煮えたぎり、反射的にその場を離れた。
大精霊さんがゆっくりと起き上がる。あ、頬には地面の跡がついてる。
「認めてやろう、小僧! やはり、お主は儂の敵に相応しい! 龍殺しの際にお主へ抱いた感情は間違っていなかった! ならば、魔法の深淵を見せてやろう。シューヤ、お前もそこから見ておれ! 儂の声に従えば、お主には
自信満々に大精霊さんが言ってのけて。
全てを焼き尽くす、終わりの炎が空に現れる。
黒く禍々しい、不吉さを含有した球体がそこから落ちてくる。
「
だけど、残念。それも見たことがあるんだよなぁ。
絶大な代わりに、体力をごっそりと使用する大精霊さんの必殺技。あれが出てくるってことは大精霊さんもそれだけ焦ってるって証でもある。
「ニャマリアさん、貴方は結界の外にいる奴らへ離れるように伝え下さい!」
だから外へと繋がる唯一の出入り口の傍で。
俺たちの戦いを見ながら、ずっとおろおろしていた彼女へ叫ぶ。
「――デニング卿! しかし、それでは貴方が!」
「何の問題もない! 今のところ、全て想定通り! だから、君は――」
あれが落ちてきたらこの場所は全て破壊尽くされ、この結界も壊されるかもしれない。
だったら俺は、皆に逃げろと伝えなければ。
それに、今この場に誰か入ってきたら終わりだ。
空には異質な黒い太陽が浮かび、落ちてこようとしている。半壊した闘技場の中心には、明らかに異質なシューヤの姿。髪の毛なんか完全に逆立ってるし、明らかに悪者が醸し出すだろう雰囲気プンプンで、そこに立っている。
正直、今のお前の姿を外にいる奴らに見られたくはない。
「君は外に出て――引き続き、この場には虫の一匹も通すなとシルバに伝えろ!」」
特に——出世街道を驀進中の、俺の姉上サンサ・デニングにだけは今のシューヤの姿を見られるわけにはいかなかった。
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