第11話 出会い

 首に迫ろうとする蚊に、キースは舌打ちして振り払う。玉のような汗が出る。

 どうして、こんなに蒸し暑いんだ。

 知識ではしょうがないとわかっていても、この気候は自分には地獄だ。まだ、故郷ゼルダの極寒の冬の方がましだとさえ思えてしまう。

 ずいぶん歩いた。追手が来ないところを見ると、ばれずにすんだのか。

 幾分ほっとしてキースは汗をぬぐう。

 虫除けが欲しい。

 すでに何十か所もの蚊の犠牲となり、肌には赤い点々ができていた。

 あいにく自分は祖国ゼルダの兵役に課していない。

 こういうことなら一年ぐらい、軍で経験を積めばよかったかもしれない。肉体労働は苦手ではないが、得意というわけでもなかった。普段、別に鍛えてるわけでもなし……。


 ふと、ルーイのことが気にかかった。

 酷なことをしたと思うが、彼のせいで足を引っ張られるというのも嫌だった。

 彼は無事だろうか。温和だが、頭はよさそうなので、多分大丈夫だろう、とキースは自分に言い聞かせる。


 まったく、とんだ日だ。散々な目だ。

 キースは上官の顔が思い浮かんで、腹ただしくなる。あの人が本当は自分と同じ目に遭うはずだったのだ。

 もし無事に帰れたとしたら、あの人は含み笑いをしながら楽しそうに迎えるにきまってる。


 薄暗くなってきた。密林の奥深くは真っ暗らしいな、とキースは思い出す。

 先ほどから珍しい植物を目にし、興味がそそられることもあるが、やはり未知の世界は恐怖を感じる。

 原色の鳥が、ぎゃぎゃ、と上で鳴くのを聞きながら、キースは食料について考えていた。

 なにが、安全で危険かなんてわかるはずもない。とりあえず水の確保だけはしたいが。


 走らせていた目の前に小蛇のような水流を見つけてキースはたどって行った。

 案の定、少しひらけたところにでて、小さな池が現れる。

 キースはたまらず水で顔を洗った。衛生上よろしくないが関係ない。

 がさり、と木々の葉が揺れる音がして、キースは身構えた。

 そうだ、水があるところは生き物が集まる。何だ。

 キースは銃を取り出す。何者かの気配がする方向に向けて、構えた。


 仕留められるだろうか? 一発で?


 つばを飲み込んだ喉が、く、となる。暑さとは関係のない汗がにじんできた。


 前のしげみが割れた。茶色いものが転がってきた……ように、見えた。


(……!?)


 キースは目を見開く。


 褐色の髪の下から、ゆっくりと灰色の目がこっちを見た。


 キースは思わず銃を取り落しそうになった。夢かと、一瞬思う。


 なぜなら、その顔は自分のよく知っている顔に似ていたから。


 相手もびっくりしたように自分を見つめ返していた。

 お互い、相手の姿にただただ黙り込んでいた。



********




 相手の女は、キースの銃にうろたえたようだった。は、と気付いて、キースは銃を下した。


 お互いに様子をうかがう。

 痩せた少女のようだった。細い背中には幼児がくくりつけられていた。


 しかし、なんなのだろう。彼女から発せられる、強烈な存在感は。


 そのとき、ことんと眠っていた彼女の背の子供が火がついたように泣き出した。

 張りつめていた空気がほどける。身をよじって泣く子供を、彼女はあやしだした。


 ほ、とキースは力を抜く。


 まさか人に会えるとは。近くの村の娘だろうか。それにしては、原始的な服を身に付けている。もしや密林に住む原住民か? しかし、顔つきをみれば、この地方の民族系統ではない。


「すまない、おどろかせてしまった」


 声をかけたとたん、彼女は子供から目を離し、ぎょ、としたような顔つきでこちらを向いた。

 大きく、鋭い目だ。灰色が印象に残る。

 何かを問いかけているような目だった。


「ああ」


 キースは気づいて息を吐いた。思わず母国語ゼルダ語が出てしまった。通じるわけがないのに。


「すみません、この近くに住んでいらっしゃる方ですか?」


 キースはグレートルイス語で話しかけた。グレートルイス国民の70パーセントはグレートルイス語を公用語としている。日常生活では盛んに使われる。


「……」


 反応がない。グレートルイス語を知らないのか。


「失礼、この付近の方ですか?」


 キースは願いを込めて、キエスタ東部語で今度は話しかけてみた。この付近はキエスタに近いし、もしかしたらそっちの言語系かもしれない。

 だが、やはり反応がなかった。どうやら、独自の言語を使う民族らしい。


「グレートルイス語が話せる?」


 再び、グレートルイス語で話しかけてみるが、相手はいぶかるようにこちらを見るだけだった。

 ああ、くそ、とキースは心の中で舌打ちした。言葉が通じないとなると、ここから抜け出すのも倍の時間がかかりそうだ。


「お前はなにをしているんだ?」


 その時、彼女から発せられた言葉にキースは目を見開く。


 今のは。……彼のよく知っているもっとも身近な言語。ゼルダ語。


「ゼルダ語が話せるのか?」


 思わず聞き返す。


「やっぱり、この言葉を使うんだな」


 彼女は、ほ、とした表情で言った。

 先ほどの反応はゼルダ語に反応したらしい。驚いた。もっとも確率が低い言語があたるなんて。しかも母国語だ。


「ありがたい、話が早いな。……人に追われている。助けてほしい。ここから出たい」


 彼女はしばらくキースを見つめていたが、うなずいた。


「わかった。ついてこい」




 キースは彼女の後について、歩き出した。

 地獄に仏というところか。安堵して、体の力を抜く。

 彼女は森の奥深くを選び入っているようだった。慣れた足取りを見るに、ここで生活をしているのだろう。自分はといえば、ついていくのに精いっぱいだ。

先へ進む彼女の背に向かって


「私はゼルダの外務局長補佐官だ。飛行機がここに不時着した」


 とキースは話しかけた。彼女はちらり、とこちらを一瞥した。


「外務局長補佐官。それがお前の名か」

「? ……いや」

「じゃあ、なんだ」

「キース・カイル。キースだ」


 ふん、と彼女はうなずいた。

 教育はあまり明るくないらしい。おそらく情報がほとんど入ってこないところに彼女は住んでいるのだろう。

 キースは彼女の背の幼児を見つめた。再び眠りに落ち入りつつある子供。

 彼女の子供だろうか。それにしては彼女は若すぎるような気がした。体つきも幼いというのに。

 だが、キエスタ辺境の地域では女性は信じられないほどの若さで子供を産むところもあると聞く。彼女もそのくちか。


「君の子か」


 キースは聞いた。


「ちがう」


 一言、彼女は答えた。

 つまり、他にも女性がいるのだ。たぶん、彼女よりも年上の。その家族のもとへ連れて行ってくれるのだろう。


 それにしても無愛想な娘だ。

 キースがいうのもなんだが、やわらかさがない。親しくする必要はない、と考えているのか、はっきりと壁をつくっているようだった。

 今までキースが会った数少ない女性の中でも、異質だった。

 外見もそうだ。中性的な体つきをしている。細く女性としての肉が少ない。

 顔はおそらく特上の部類に入るだろう。

 こんなところで美女と出会えるとはめずらしい。と、いいながらキースにそれほど感動がないのは、彼は長年シアンという人物と過ごしてきたため、目が肥えているせいかもしれなかった。


 とにかく、粗末な身なりでも美しいと感じられるのは、よほどの素材だ。

 小作りの整った顔立ち。日に焼けた美しい肌。バランスの良い手脚。

 そして褐色の髪に灰色の瞳。

 どう考えても、この地方の民族ではない。混血でもなさそうだ。

 さきほどからの身のこなしを見るに、よほどの運動神経をもっているとみた。

 キースは気づく。

 彼女から出ているのは、豹とかそういった肉食動物が持っている気だ。


「君はなぜ、ゼルダ語が話せる?」


 ひょい、と彼女はこちらを向いた。


「母が私に教えた」

「彼女はどうやって……」


 言いかけた途端、キースは言葉を失った。

 目の前に白滝が現れたからだ。巨大な水の帯からは無数の細かい霧が飛び交っていた。ひんやりした冷気がキースを包む。

 見とれていたキースに、彼女が呼びかけた。


「こっちだ」


 ざぶ、と彼女は水の中に入る。

 キースは目を見開いた。


「待って、どこに行く気だ」


 彼女は何をいっているのだという顔をしてこっちを見上げた。


「My home」


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