自然保護団体
カチューシャ市国ホテル立てこもり事件から三カ月が過ぎた。
今春の西オルガン終戦・返還記念パーティーでは映画祭も一緒に開催されることとなった。
ゼルダとしては初の試みである。
首都セパでは毎年、国内の作品だけの映画祭が小規模で行われていたが、今年は舞台を西オルガンに移し、外国の映画作品も受け付けた。
特に今年はグレートルイスフェルナンドでの映画祭が中断になったこともあり、西オルガン初の映画祭には期待が寄せられていた。
目玉はゼルダ人シャン・ウー嬢が女神ネーデ役として特別出演したラマーン主演の人気作、『英雄カレス』の新作だろう。
最近、東オルガン、西オルガンで起きた人身売買のドキュメンタリーを撮っているゲーリング監督が降板した監督の後を引き継ぎ、この話題作を撮りあげた。
会場にはもちろん作品に出演したシャン・ウー、ラマーン=ドュバルが参加した。
シャン・ウーはベーカー家の一員、レン=メイヤ=ベーカーと別れたばかりで話題の中心だった。
ゲーリング監督の強い希望により、映画祭のオープニングには彼の撮った自然環境破壊をうったえるドキュメンタリー映画が放映されるはずだった。
西オルガンには自然保護団体の男たちが幾人か入国し、緑色のコスチュームを着た彼らは目をひいた。
彼らは今がチャンスとばかり、カメラやインタビュアーをつかまえては自然保護について力説した。
しかし、オープニングではゲーリング監督のノンフィクション映画は中止となった。
映画祭の出資者にグレートルイス南西部密林開発にかかわる者がいたからである。
突然の中止宣言に自然保護団体の男たちは暴れた。
代表者である緑の服を着た小男は壇上にあがり、マイクをとった。
「暴虐だ! こんなことがあってはならない! 私は許さない! こんなことがあってはならない!」
大声で叫び散らす彼を、会場の警備員たちがあわてて押さえつけた。
緑の服を着た小男は警備員二人に引きずられながら背後の同志たちを振り向いて叫んだ。
「ヴィンセントくん!」
小男の後に壇上のマイクの前に立った男がいた。
身長は190はあるかという長身で、労働者風の服を着た男だった。
つばの大きめのキャップ帽の奥の顔に壇上の前の人々は引き寄せられた。
彼が稀に見る整った顔立ちをしていたからである。
ほとんどの者は彼を俳優かモデルかと思った。
何人かの者はその見覚えのある顔に仰天していた。
かつて、この北の国の重罪犯罪人とされ、無実が証明された今でも行方のしれなかった彼だと気が付いたからである。
彼の独特のオーラに、警備員も彼を捕えようとはせずに彼の動向を見守るだけだった。
「カメラを」
群衆の中の一員だった映画監督ゲーリングは、近くにいた男から中継カメラを有無を言わさず奪った。
表情に出ることはなかったが自作映画の放映が中止されたことに対して気落ちしていた彼は、今、目を輝かせてカメラを一心にのぞきこんでいた。
そして、壇上の彼の顔に焦点を合わせる。
壇上の彼は少したじろいでいたようだった。
だが一瞬後、咳払いしてから彼は口を開いた。
「こんにちは。私は、フェルナンド森林警備隊員をしておりますヴィンセント=エバンズです」
耳に心地よい、落ち着いた声色だった。
「今回のゲーリング監督が撮影したドキュメンタリー映画が発表中止とされたことは残念でなりません。なぜなら、この作品は全世界への警告を促すものであるからです。現在、多くの皆さんが迫っている環境破壊の危機をお気づきでない。状況は極めて深刻で……絶望的ですらあります。海を越えた国の熱帯雨林が開発のために5年で30パーセントの森林が失われたことは皆さんよくご存じのはずです。たった一本の道路。そこから差し込む光のために、周囲から草木はどんどん枯れていった。もう手の施しようがない。専門家も言っています。そういう事例を我々は知っている。その上で、この大陸唯一の豊かな密林に同じような運命をたどらせるのですか。あの豊かな自然が二度と取り戻すことができない状況になるまであなたたちはお気づきにならないのか? 今からでも遅くない。あの自然を守ることはできるのです。……現在でもあの密林には多くの少数民族が住んでいます。彼らのすみかをも破壊することになる」
彼の茶色の瞳が目前の群衆の上を泳ぎ、貴賓席に移動した。
座っている数人の列から、彼の目はその中の一人を選び出した。
その際立った美しい女性は先程から微動だにせず、壇上の彼の姿を見つめたままだった。
「この会場にいらっしゃる……シャン・ウー嬢の出身もあの密林の少数民族のうちのひとつです。あの希少な民族……」
彼が言葉をつぐんだ。
会場の全員は彼の次の言葉を待った。
「……すみません。今まで、私が述べた言葉は本心からのものではありませんでした。真実ではあります。自然破壊の危機はこの大陸の危機。それに間違いはありません。……すみません。……とどのつまり、私は」
彼の目はシャン・ウーから離れず、シャン・ウーの目も彼にはりついたままだった。
「この美しい女性に故郷を失わせたくない。お願いです。……シャン・ウー嬢から故郷を奪いたくないのです。私が……愛してやまない彼女の」
会場の全員が貴賓席の女性に視線を移した。
彼女は石のように体をこわばらせたままだった。
時が止まったようなその場の空気を壊したのは、壇上の端に控えていた警備員だった。
彼は壇上の彼に近づくと腕をとり、その場から連れ去ろうとした。
舞台から彼がおろされようとしたとき女性の声が響き渡った。
「待って!」
渦中のシャン・ウーが席を立ち、つかつかと舞台上に歩み寄るところだった。
ゲーリングは彼女にカメラの焦点を合わせた。
先程スピーチした彼のもとに行くのかと思われた彼女は、以外にも舞台を上り壇上のマイクの前に立った。
純白のドレス。張りのあるなめらかな肌。理想的な筋肉のついた美しい脚。
最近さらに艶っぽさがまし、身体のラインも豊かになったと噂の彼女である。
彼女の美しさは他の者とは比べようもなく、会場の視線は彼女の身体一点に注がれていた。
「私は、シャン・ウーです。グレートルイスの密林で生まれ育ちました。もとはグレートルイス人だった。皆さんもご存じでしょうが……今はゼルダ人です。国籍はゼルダですが、私の故郷はいつでもあの密林。母や姉たちが今も住むあの豊かな森。今でも懐かしくてたまらない」
シャン・ウーの視線が移動して、会場の人々から舞台横の彼に移った。
「私の故郷を守ろうとしてくれた彼にお礼を言うわ。私からも、皆さんにお願いするわ。……どうか、|私の家(マイホーム)を壊さないで」
再びシャン・ウーの目は会場の人々に戻され、その中からカメラを持ったゲーリングに目を止めた。
「そして。この場を借りて、私は告発するわ」
彼女が言った一言に会場はどよめいた。続けざまに起こったハプニングに会場は混乱しつつあった。
「ゼルダでの私の保護者、外務局長官……『私の父』でもあるキルケゴール氏を告発します」
空前絶後な単語に人々は思わず声が漏れて、隣の者と顔を見合わせた。
「皆さんが驚きになるのは無理もないと思います。ゼルダ人の父から女の私が生まれるわけはないだろうと。でも、彼は私の父親よ。青年の頃、グレートルイスに来た彼は密林で私の母と会い、母に私を残した。遺伝子検査をしてもいいわ。彼は間違いなく私の父親だから。……彼の本体(レプリカ)だったヨハネがあのウイルスに感染していなかったことは意外に知られてないわ。その複製(ダミー)である彼の精子は正常。カチューシャ市国にいるアルケミスト画伯だってそう。彼らは、ゼルダ人であってゼルダ人ではないの。……それでも」
ウーはレンズの向こう側のゲーリングを見つめた。
「彼の国籍がゼルダである以上、彼はゼルダ人。罪人よ。女性と子を成すという法を犯したわ。先にグレートルイス人女性と子供を成し、重罪となって罰を受けた、K=トニオ氏と同じ。彼は罰を受けたのに、私の父はのうのうと自由を味わっている。その重責に娘の私は耐えられない」
会場は騒然となった。
蜂の巣をつつきまわったような喧噪の中、ウーは続ける。
「まだ、あるわ。父は祖国ゼルダを裏切っていた。20年以上前……戦前からね。彼はキエスタとグレートルイスに情報を流し続けてきた。外務局のトップに長座しながら、涼しい顔で両国に情報を垂れ流しにしてきたのよ。三重の意味でも彼はゼルダの重大犯罪人ね。フォークナー告別式の爆破事件もそう。事件を予知しながら、彼は同胞300人を見殺しにしたわ。……彼は地獄に落ちるべきだと思うわ」
更に沸き立つ会場の人々を無視して彼女は壇上を下りた。
舞台そでの階段から下りようとしていた彼女はふと気付いて、カメラのゲーリングの方を見やった。
ゲーリングと目が合った彼女は、口の端を歪めて片手を顔の前に突出し、中指を突き立てた。
レンズ越しに彼女を見ていたゲーリングは、彼女同様に唇を歪めると、彼女に親指を立てて返した。
そのまま、彼女は警備員とともに立ちつくしていた背の高い森林警備員の男の前に立った。
警備員に彼女は一言話し、警備員はつかんでいた彼の腕を解放する。
彼女は彼に一歩近づき彼の手をとった。
見上げてくる彼女の顔を彼は見下ろし、二人は無言のまま見つめあう。
ふいに一人の男がその間に入った。
スーツを着崩して色つき眼鏡をかけた男である。
男は彼女の手を彼から引き離すと彼に二言、三言言った。
彼はその言葉に頷いたあと、彼女を一瞬見つめ、背を向けた。
そして会場を去った。
ゲーリングは彼の後ろ姿をカメラ越しに追ったが、興奮してわめき立つ群衆に邪魔され、その姿を見失った。
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