王子様

「来た」


 バス停で通りの向こうからやってくるバスを見たダニーが声を上げた。


「落ち着いたら手紙ちょうだい、エルザ。身体を冷やさないでね。……これ、あげる」


 エルザと腕を組んでいたサラが白い息を吐きながら、自らに巻いていたマフラーをエルザの首に巻いた。


「ありがとう、サラ」


 ニット帽をすっぽりかぶったエルザは、カールした髪に覆われた顔をほころばせた。

 監禁中、彼女はかすかに痩せたようだった。


「また、会えたら……赤ちゃん、見せて」


 サラはエルザをハグしたあと、エルザのふくらみかけたおなかを優しく撫でた。


「ありがとうございます、巡査。ベアーさん」


 大きいスポーツバッグを肩にかけたダニエルは、そばに立つエバンズとベアーに礼を言った。


「……約束だよ。必ず、ご両親に連絡するんだよ。無事なことは」


 エバンズの言葉にダニエルははい、と頷き、目の前に止まったバスに乗り込もうとエルザの手を握った。


「では」

「みなさん、ありがとう」


 ダニエルとエルザはもう一度、まわりの皆に頭を下げた。

 ダニエルがエルザに微笑みかけて促し、二人は首都キッド行きの夜行バスの階段を上る。


「……カール修道士と仲良く。ダニエル」


 ベアーがかけた言葉に、ダニエルが階段を上る足を止め、振り返った。


「はい。……カールおじさんは軍医だから。殴られることは覚悟してます。……歯の一本ぐらいは折れるのを覚悟しとかなきゃ」


 あはは、とダニエルは明るく笑い、隣のサラと顔を見合わせた。


 ダニエルが今からお世話になる親戚のおじさんの名前なんて、前にダニエルは僕たちに話したろうか。

 かすかに、エバンズは首を捻った。


 バスに乗り込んだ二人は一番前の席に座ると、窓を開けた。


「さようなら、サラ」

「元気でねエルザ」


 バスが発車する。

 身を乗り出して手を振るエルザに、サラも手を振りかえす。


「さようなら……」


 サラはバスに向かって手を振り続けた。バスが次第に遠くなり、エルザが車内に身体を戻した。


「……エルザ、うしろめたいところが彼にあったんだと思うよ」


 去りゆく夜行バスを見送りながらサラが上げていた手をおろし、ぽつりと言った。


「わたしたち、まだこの街にきて日が浅くて、初めて会った頃、よく夢みたいな話してたんだよね。……この街には王子様がわんさかいる。一人ぐらい、ゲットしてお姫様になってやろうよ、って。冗談でだけど。ううん、少し期待してた……だって、ここ、東オルガンだよ。少しくらい夢みたっていいじゃない。いつか王子様が、私をむかえに来てくれるかも、なんて」


 サラは傍らに立つエバンズを見て恥ずかしそうに笑った。


「エルザは少しくらいそんな気持ちがあって、彼に近づいたのかも。だから、うしろめたくて悩んでいたのかもね。私に相談してくれたらよかったのに。一緒に暮らしてたのに水臭いよね……それとも、あれかな。あたしが、妬むと思って相談できなかったのかな。……うん、確かにそれを聞いたらあたし、妬んでエルザのこと嫌いになっちゃってたかも」


 サラは声と同様に曇った目で、視線を少し落としたままつぶやく。


「あたしは……いつまでこの街にいるのかな……。……あの子のことがうらやましいよ。王子様見つけたんだもん」

「……王子様じゃないかもしれませんが、あなたも素敵な彼がいるではありませんか」


 サラを慰めるつもりで、エバンズは少し離れたところにいるベアーを見ながら小声でささやいた。

 あ、でも、ベアーがサラのことをどこまで思っているかは疑問だな。


「……あっはは! ベアー!?」


 サラがエバンズの言葉に目を見開いて笑い出した。


「あはは! 確かに、ベアーは髭をそったら王子様みたくなるかもしれないけどね。話し方も姿勢もなんだかキレイだし、頭よさそうだしね。……でも、彼さあ……いまいち、なんだよね」


 サラがエバンズに近づき、声をひそめた。


「アレ、まったくだよ。ド素人もいいとこ」


 エバンズは驚愕する。


「ほんと、ほんと。演技すんの苦労したあ。残念な男、だよね。まあ、育てがいがあるって考えればいいかもしれないけど。……まあ、それにしても私の好みじゃないや、ベアーは。……どっちかといえば、巡査の方がかわいくてあたしは好き」


 最後に自分の耳元でささやいたサラの言葉に、エバンズは赤くなった。


「からかわないでください」

「ほんと、ほんと。最初から、エバンズ巡査のこといいな、て思ってたんだよね。ほんとだよ」


 サラは微笑んで、身を離した。


「今度、エルザを助けてくれたお礼をさせて」


 一瞬、真っ白になって言葉を失ったエバンズを見てくすり、とサラが笑った。


「そういうお礼じゃないよ……いっしょに公園でピクニックでもどう? ベアーから教わったレシピのサンドイッチつくるよ」

「あ、ああ……」


 エバンズは我に返って頷いた。


「ありがとう。……それは嬉しいな。彼のレシピのサンドイッチなら」

「うん。すっごく美味しかった。味は保証するよ。非番の日、教えて」


 ぽん、とサラはエバンズの肩を叩く。


「決まりだね……制服は着てこないでよ」


 含み笑いをするサラにエバンズは頷いて笑った。


「じゃあね」


 サラは顔を傾けてかわいく挨拶すると、身を翻して去って行った。


 ――サラは今回のことがあって、今までの仕事はやめると決めたらしい。

 給料は少ないが、工場とダイナーで働くという。

 そのほうがいい、とエバンズが言うと、うん、とサラは頷き、じゃあダイナーに毎日来てね、巡査、と笑った。――



「……ベアーさん」


 エバンズはバスを見送ったまま立ちつくしているベアーの後姿に呼びかけた。

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