悪夢

 その夜、エバンズは熱を出した。

 幼いころから、毎年エバンズは年に1、2回原因不明の高熱を出す。

 丸1日寝た後はスッキリ熱も下がり、そのあとは身体の調子はすこぶるよくなる。


 『マラリアに一度かかった人間は、とても強く病気にならない。ヴィンセント、お前もそれと同じようなものだ。高熱で身体の悪いものを浄化してるんだよ』

 戦時中にマラリアにかかった伯父がそう力説していて、実際そのとおり彼は丈夫だった。

医師からも、そうやって身体のメンテナンスをおこなう人間がいる、という話を聞いたことがあり、エバンズは自分はそういう人間なのだと思っていた。


 次の日の朝、自分の体調について連絡をした姉が『毎度のことね』と言いながら家に来て、エバンズのために軽い食事を用意して帰った。

 エバンズは水と食事を腹に入れると、ベッドに直行してもぐりこんだ。

 ただただ寝て、何も考えずにいたかった。

 熱が下がる明日の朝には、身体と同じように心もスッキリしているだろう。

そう期待しながら、エバンズは眠りについた。


 高熱の時にはいつも夢なんかみないのだが、今回に限っては夢をみた。


 ――亡くなったロザリーが生前のように自分をからかって話しかける夢だった。

 やめてください、と頼む自分にロザリーは笑い、周囲にいた女性たちもつられて笑い出した。

 ロザリーは元気で、記憶のままに生意気で、そして可愛かった。

 エバンズは救われた気持ちになった。


『あたしのこと実は気になってたんでしょう? だからずっと探してたんでしょう? ヴィンセント』


 脚をからませて聞くロザリーにエバンズは、はにかんで頷き、彼女の顔を見た。


『なら、なぜ見つけてくれなかったの』


 そう言って見上げたロザリーの顔は、死体安置所で横たわっていた彼女の顔だった。

 エバンズの心臓が凍りついた。


 周囲の女性たちはいつのまにか笑うのをやめていた。


『あなたはただメモをとるだけ』


 自分を取り囲む女性たちの声がそろう。

 行方不明の彼女たちは、全員が土気色の顔をしていてうらめしそうに自分を見ていた。

 その中の一人にサラを見つけ、エバンズは悲鳴をあげそうになった。――



 ――電話の音に、あえいでいたエバンズは目を覚ました。

 音が感じられるほどに、心臓が激しく脈を打っていた。

 身体中に冷たい汗をかいていて、パジャマがびっしょりと濡れて張り付いている。


 頭を振ってからエバンズはベッドを下り立った。

 部屋を出て、階下へと階段を下りる。

 けたたましく鳴りつづける電話にたどりつくと、エバンズは受話器をとった。


「……はい」


 電話の向こうの主は、相棒のテオだった。


「テオ? なに、どうし……」


 テオが話す言葉に、エバンズは目を見開いた。


「わかった……今から、出るよ」


 エバンズはそう答え、受話器を置いた。



 *****



「どうして、そんなことをしたの」


 カフェの席に座り、エバンズは前に座って押し黙っているダニエルを見た。

 ダニエルの頬は腫れ、唇は切れていた。

 下校途中にダニエルが他の少年たちと乱闘を起こしたのだと、テオが言った。

 たまたま、現場をとおりかかったテオが彼らを収め、『指導』で終わらそうとしたらダニエルがエバンズの名前を出したらしい。

 お前が『指導』したらいいんじゃないかと思って。

 テオは手間が省ける、と言った感じでエバンズに後を押し付けた。


「君が一方的に殴りつけたって聞いたよ。相手の子を」


 テオから聞いた話をエバンズはダニエルにぶつけてみた。

 ダニエルが殴った少年は、『イケてる少年』たちのグループ、貴族姓を持つ少年たちの中の一人で、殴られた彼の父母はダニエルの両親に激しい怒りの矛先を向けるだろうと思われた。少年たちの中には、先日会った女優の息子である美少年、ロミオもいたとテオから聞き、エバンズは驚いた。


「聞いたんです。サラさんから」


 ダニエルが言った。


「あのガラナ族のマークの意味。あいつらは、他の学校の女の子たちを家に連れ込んでたびたびやらかしてるって話も聞いたことがあるし。まさかと思って。もしかして、エルザがそんなことになってたら、と不安になりました。あいつらに、エルザと会っているところ見られたことあるんです。そのときに、エルザが目をつけられたかもしれない、と思ったんです」


 つぶやくように語るダニエルの切れた唇が痛々しい。


「聞いた僕に、奴らは笑いました。『あんな女になんか興味ねえよ、お前、よくあんな女にその気になるな』って。それで、カッとして」


 そういうことか。


 サラにダニエルに余計なことを言わないように釘をさしておくのを忘れたのは失敗だったな、とエバンズは後悔した。

 解熱したばかりのくらくらする頭で、エバンズは前かがみになり、うつむくダニエルをのぞきこんだ。


「サラにどこまで聞いたのかしらないけど。あのマークはただのファッションとして少年たちが身に着けているだけかもしれないし、いなくなったエルザが彼らと関係してるかどうかなんて……」

「サラさんに手を出そうとしたじゃないですか」


 ダニエルはエバンズをにらみつけた。


「聞きましたよ。サラさんから。あいつら、サラさんを連れ去ろうとしたって」

「ああ。それは、誤解だよ。ダニエル」


 彼女は本当におしゃべりで。あったこと、全部話すんだな。

 エバンズはため息をついて、続けた。


「障害をもった男性がサラにまとわりついただけだ。彼を保護して、家まで乗せていったらそこがロミオ……君の家だった。ロミオ君とサラは関係ないよ」

「……なに、言ってるの、巡査。知らないの?」


 ダニエルが非難めいた目でエバンズを見返した。


「あいつらのリーダーはロミオだよ。僕は本当はあいつを殴るつもりだったのに」



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