グレートルイス フェルナンド編 前編

ラマーン

 男の肌が汗をかいている。

 ウーは目の前に広がる褐色の背中を見た。

 光沢のある滑らかな肌を押し上げる筋肉の動きに、思わずウーは見とれる。


 湿った肌にウーが手を滑らせるのと同時に、上にいた男が息をゆっくりと吐いた。

 ウーから身体を離し、男がウーの顔を見下ろす。


 赤銅色の肌。高い鼻梁。黒々とした眉と髪。奥まった双眸の色は深い茶色。


 こんなに美しい男が今までいただろうか。

 ウーは心の中でため息をつく。

 銀幕の中の彼と寸分違わない。


 世紀の美男子と謳われる、キエスタが誇る名俳優、ラマーン=ドュバル。


 ラマーンは、微笑んでウーの頬を撫で唇にそっと唇を押し当てると、起き上がってベッドから立ち上がった。

 傍らのソファーにかけていたシャツを羽織り、テーブル上のボトルの水を手にとる。


「……寝るのにこんなに手間がかかる男なんて、あなたが初めて」


 立ちながら水を飲むラマーンの背中に、ウーはつぶやいた。


「ファンの英雄カレスのイメージを崩すわけにはいかないから。どうしても人目をしのぶことになってしまうのは申し訳ないけど」


 ボトルの蓋をしめながらこっちを振り返ってラマーンが笑った。


「いい加減、嫌になるよ。いつまで聖人ギールのような生活を送らなきゃいけないんだか。……映画のシリーズが終わるまでかな」


 魅力的な笑顔で答えながら、ラマーンがベッドに戻ってきた。


「君のような女性に誘いをうけるとはね。嬉しい。……また会えるかな」


 ベッドに座り、ウーに手を伸ばして髪を撫でる。


「マネージャーを通してくれれば、場所を手配する。頻繁に会えないとは思うけど」

「……あなたの子供が欲しいの」


 ウーの言葉に、ラマーンがウーの髪をなでる手を止めた。

 困惑の表情が浮かぶ。


「……あー、君が子供を亡くして傷ついているのは分かる。でも……」

「あなたの子供なら、さぞ美しい子が産まれると思うわ」


 ウーはラマーンの言葉を聞いていないかのように告げた。

 ラマーンは、はっきりとした太い眉をひそめる。


「すまない。僕は、君と籍を入れることは不可能だ。君はキエスタ人じゃないし、イメージを保つために僕は当分独身のままでいなきゃいけ……」

「結婚してくれといってるわけじゃないわ。そういう心配はいらない。ただ、あなたの子供が欲しいだけ」


 ウーはラマーンの顔を見上げて、ラマーンの瞳を強く見つめた。


「あなたの子ができたら、どこかへ行く。一人で育てるわ。だから、気にしないで」


 ウーは起き上がって、サイドテーブル上の煙草をとる。

 ゼルダ産煙草の箱をつきだしたウーに、ラマーンは首を振った。


「煙草は吸わないようにと言われている」

「そう」


 ウーは答えて、一本くわえた。


「子供は、父親がいなくても育つもの」

「たしかに、そうかもしれないが。……君はキエスタ人みたいだな。キエスタの女は男に全く期待しないんだ。家事や育児を。できないものだと思っているからね。男に期待するのは、土地と羊の数だけだ」


 火を点けて一息吸い、ウーはゆっくりと煙を吐いて宙を見つめた。


「……わたしが生まれた一族は、父親がいないのが普通だったの。母や姉や妹と、みんなで子供を育てたわ。父親がいるかいないかなんてそんなに重要なことじゃない」

「そう。君が、グレートルイスの少数民族出身ていう噂は本当だったんだな。……意外だけど」


 ラマーンは驚いて、目を丸くした。


「……まあ、僕の子供が欲しいなんて嬉しいね。金銭面でなら補助させてほしい。それくらいなら僕でもできる」


「ありがたいわ。それは助かるわね」


 ウーはにこりともせず応じた。


「でも、煙草は止めた方がいいな。これから母になろうとする君が」


 ラマーンの言葉にウーは煙草を吸う手を止め、いぶかしげに眉を寄せた。


「おなかの子供に良くないよ。煙草は」

「そうなの?」


 ウーは驚いたように言って手先の煙草を一瞬見た後、そのまま灰皿に押し付けた。

 ベッドサイド上の煙草の箱もベッド横にあるダストボックスに放り投げる。


「今からやめるわ。もう二度と吸わない。……ゼルダじゃだれもそんなこと教えてくれなかったわ。医者もよ。あのやぶ医者」

「君は変わった人だね」


 ラマーンはため息をついて苦笑した。


「稀にみる美女で、とらえどころがない悪魔だとおもったら、何も知らない少女みたいだ」

「教えてくれてありがとう。……そういえば、一族の姉で始終吸ってる人がいたわ。その人の子供は死産だった。それが、原因だったのかもしれないわね」


 こっちの話を全然聞いていない、とラマーンは戸惑った。

 こんな変わった女、初めてだ。今まで相手にした女たちは、自分に好かれようと必死だった。

 新鮮でたまにはいいかとラマーンは思う。

 しかし。


「ところで、……最中に他の男の名前を呼ぶのはよしてくれないな。興ざめだ」

「……何のこと?」


 ラマーンが何を言っているのかわからないといった表情で、ウーが聞き返した。


 まさか、気付いてないのか。

 とラマーンは驚く。

 ウーが前の恋人の名を呼ぶのを、彼女の身の上を知っていたラマーンは哀れに感じて聞き流した。なぜか一度だけ、リック、という別の名前が出てきたのは疑問に思ったが。


「いや、なんでもない。……じゃあ、僕は先に帰るから。君は一晩過ごして朝にホテルを出るようにお願いするよ」


 座っていたベッドから立ち上がったラマーンに、ウーはこくりと頷いた。


「楽しかったよ。次作の映画撮影で君とは共演できるかもしれないな。監督は君を特別出演させたがっていたから。……伝説の女神、ネーデ役か。いいね、人間離れした君の美しさならできる」

「何も言わず立ってるだけでいいって、本当かしら。わたし、演技なんてできないもの」

「君の存在自体がネーデだ。観客は満足すると思うよ。ネーデはハマリ役だな……次の僕の相手役、ケイト=ローランドは気の毒だな。せっかくのチャンスを君に奪われて存在が霞んでしまうだろうね」


 簡単にシャツの前のボタンを留め、ズボンに足を通したラマーンはウーを振り返って笑顔をつくるとあっさりと部屋を出て行った。

 ウーはその背中を見送った後、ベッドにうつ伏せになった。


 この間月経が来たのは、二週間前。

 今の彼の子供が宿せればいいのに。


 部屋のドアがノックされる音がした。

 彼か。

 かすかに舌打ちして、ウーはそのまま一糸もまとわぬ姿でドアへと向かった。

 ドアを開けると、立っていたジミーはウーの姿を見ても微動だにしなかった。色つき眼鏡の奥の目の瞳孔も開かれなかったのだろうと思う。


「入っても?」


 聞くジミーにウーが顎で示すと、ジミーは部屋に入ってドアを閉めた。


「確認せず、ドアを開けるのはどうかと思います。あと、なにか一枚くらいは体に羽織られた方がよろしいのでは」

「あなた以外の誰が入ってくるっていうの」


 胸の前で手を組んで、ウーは目の前のジミーを見上げた。

 ジミーはウーの全身を見下ろした。

 ジミーが西オルガンから彼女のそばにつくようになって、半年になる。

 この半年の間に、彼女の身体は驚くほどの変化を遂げていた。

 棒のようだった脚はほどよく脂肪がついて女性としてのラインを描き、その上の臀部もひとまわり脂肪の層が覆ってまろやかさを帯び、乳房は丸く張り出して前を向いていた。

 ウーの故郷の女王(メヤナ)とはまだ比較にならないが、下女(クアン)だったころとは想像もつかないほど、ウーは女性としての身体に成長していた。


「お食事は」

「ルームサービス頼んで。オムレツ」


 ウーは答えてジミーの身体をじろじろと見た。


「……なにか」


 ジミーが聞くのと同時にウーが手を伸ばし、ジミーの色つき眼鏡をとった。

 紫色の目をした、整った顔立ちの男があらわれた。


「綺麗な目の色してるのね」


 素直にウーがジミーの容姿を褒める。


「目立ちます。目立たないように、コンタクトを入れていた時もありました」


 ジミーはウーに色つき眼鏡を返すよう、手を差し出した。

 ウーは眼鏡を手に持ったまま、ジミーから目を離さずに続けた。


「あなたでもよかったのに。ゼルダ人じゃなかったら」


 間を置いて、ジミーは口を開いた。


「……私は、パイプカットしてます」

「そう」


 ウーは、ジミーの言葉の響きに何かを感じたのか、鼻で笑った。


「じゃあ、尚更する意味がないわね」


 ウーは色つき眼鏡をジミーに返した。


「シャワー、浴びるわ。食べたら、朝まで寝る」

「……わかりました」


 背を向けて、浴室に入るウーをジミーは見送った後、眼鏡をかけた。

 先程の言葉を吐いてしまった自分を、後ろめたく思いながら、ジミーはホテルのフロントにルームサービスを頼もうと電話に手をのばした。














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