サジ

 南部には、たまに花のような芳香を放つ体臭の女が生まれる。

 彼女たちは特別な女とされ、裕福な家の男たちがこぞって欲しがる存在だ。

 南部出身であるサジの母も、そういう女だと聞いた。サジもその血をひいているのだろう。


 ――先日、大学時代に交友していた男と再会した。

 そのときに、彼が言った。


 オネーギン閣下の年頃の娘――サジのことだが――彼女はお前がもらうことになるんだろうよ、と。


 自分でもそうなるのではと、思っていた。

 彼女はそろそろ、適齢期だ。

 適齢期を逃すとろくなことにならない。

 子供を多く産めないからと、価値が下がる。正妻の地位は難しく、年がかなり離れた老人相手に押し付けられることもある。

 ……自分の母のように。


 サジの伏せた小さな横顔を思い出した。


 彼女が妻になれば、自分は嬉しいだろう、とドーニスは思った。



 オネーギン宅を出て、待っていた車に乗り込んだドーニスは、走り出した車の窓から見えるオデッサの市街風景に目をやった。

 冷房完備の車だが、ドーニスは冷房が苦手で開けた窓から流れる風を普段から好んだ。


 街並みの建物は、全てがモザイクタイルでできている。

 幾何学的に複雑な模様を描く壁は、皆一様に美しく、丸い玉ねぎ様の屋根には金を貼るのがお約束だ。


 止まった車の脇を通る華美な若い女二人連れの姿をドーニスは先程のサジと比べる。

 彼女たちは、赤い生地に金、白、ピンク、黒、緑の糸で豪華に刺繍された長袖、くるぶし丈の衣を着ており、首、手首、足首には細い金の輪が幾重にもつけられていた。

 サジが着けていたのは柘榴石の耳飾り一点だけだが、彼女たちはそのほかにも耳飾りをニ、三点着け加えていた。

 髪には真珠、エメラルドの髪飾りが留められている。

 キエスタ西部の女性は、全財産を普段から身につけていると言ってもよい。


 ――南部の女の方が、肌は美しい。


 ベールも被らず、むき出しの面で笑顔を浮かべている彼女らを見て、ドーニスは思った。


 南部の女性は黒い生地の服で頭の先から地面まで身体を覆う。

 東部の女性も同様の格好をするが、東部は顔だけは露わにするのに対し、南部は目の上もメッシュの生地で覆う。

 十歳を境に、そういう服装で残りの人生を過ごす彼女たちは、紫外線から遮断され、老婆になってもシミ、シワの少ないみずみずしい肌を保つ。


 西部の女も、そうすれば色の明るい肌を保てるだろうに。


 キエスタ北部西部の民と、東部南部の民は生まれ持った肌の質が違う。

 東部、南部の民は赤子のころから褐色の肌色をしているが、北部、西部の民は赤子のときには黄色に近い明るい肌色をしている。

 北部、西部の民の肌色は日焼けによって作られているのだ。

 だから、日焼けに気を配れば赤子のとき同様の明るさを保つことは可能なはずである。

 肌色が明るい女は、それだけで良縁に恵まれる。

 太陽光にさらされるままに、むき出しの顔で歩く女性たちを見て、ドーニスは西部に来た当初、もったいないと思った。


 サジは南部の母の血をひいているのて、濃い褐色の肌をしていた。

 褐色の肌に、血のように赤い柘榴石は美しかった。


 女にしては、珍しい装飾品を選ぶとドーニスは思った。

 赤に菱形は、南部で主に信仰する戦神ザクトールの印だ。

 雄々しい男神であるザクトールを示す装飾品は男が身につけることがほとんどである。


 ――戦神、ザクトール。

 彼は、火の神でもある。炎の中から生まれた彼は、自身の身体を燃やし続け、炎の中で永遠に生まれ変わる。

 死と再生の繰り返し。

 敵を燃やし尽くすだけでなく自分自身をも燃やし尽くす。

 キエスタ神話では、南部の民が他の遊牧民族に襲撃を受けたとき、ケダン山脈から彼が救いに現れた。

 遊牧民族を燃やし尽くし、彼は民を守った。



 車はオデッサ市の中心部まで来た。

 突然ひらけた広場の片隅には小規模のバザールが並び、所々で観光客相手の曲芸師が技を披露していた。

 外国人観光客は、今はいない。

 田舎から出てきたキエスタ人が、曲芸師を見守っているだけだ。


 広場から東の方角に目を向けると、建物の上空に浮かんでいるようにケダン山脈が連なっているのが見える。

 今日は特に空気が澄んでいるのか、峰の端々がいつもより鮮明に見えた。


『オデッサは、世界で一番美しい都市だと思います』


 初対面の彼をこの広場に案内したとき、彼が自分に笑顔を向けてそう言った情景が突然、ドーニスの頭に浮かびあがってきた。


 彼のその言葉は世辞ではなく、心からの言葉だと分かった。

 自分はあのときかなり緊張していた。

 ゼルダ人と身近に接するのは初めてだったので。

 素っ気ない応えを出すので精一杯だった。

 外見からは想像出来ないと周りの者は言うし、自分でも恥じているが、自分は幼い頃からかなりの人見知りである。

 好戦的に見える顔立ちは、愛想の悪さとあいまって、初対面の人物に高圧的な印象を与え、反感をもたれることが多い。


 後日、再会したゼルダ人の彼が自分を避けていることに気付いた。

 何が悪かったのか。

 反省して原因を考えてはみた。

 彼が自分を嫌う理由。

 気付かないうちに、女性を軽視するような言動でもやらかしたのだろうか。

 南部から移って何年も経ってはいたが、自分は無意識でそういう行動をしてしまったかもしれない。

 それぐらいしか思いつかなかった。


 だが、もう仕方ない。

 今までも同じように初対面で反感をもたれてそれが覆ることはないという経験を繰り返してきた。

 あきらめるしかない。

 相手が思うとおりの自分をあとは演じ続けるしかない。

 いや、一例だけ例外はあったか。


 グレートルイス人の彼だ。

 レン=メイヤ=ベーカー。


 ――彼だけは……なんというか、最初から一貫して態度を変えなかった。

 底抜けに明るい性格、親しみを帯びた笑顔は天性のものだと思う。

  彼の懐に入ってくる人懐こさには、ドーニスも気を許した。

 その彼は、ゼルダ人の彼と特に親しかった。

  レンと自分とゼルダ人の彼。レンが一番年上ではあったが、三人は割と年が近かったと思う。

 嫉妬ではないが、ゼルダ人の彼と親しく話すレンのことをドーニスは羨ましく思った。――


 先程の続きで、初めてゼルダ人の彼を接待したその後の自分の行動をドーニスはぼんやりと思い出した。


 キエスタ西部の郷土料理を出すレストランに彼を連れて行った。

 自分も何回も足を運んで、味を確かめた店だったが、未知の食文化の彼が自国の料理を気に入るのか、かなり不安だった。

 想定外の好反応で、鶏の煮込み料理を食した彼は手放しで絶賛した。

 自分はその時も、心の中では崩れ落ちそうに安堵しながら、無愛想な応えしかしなかったと思う。

 ……そういう積み重ねが、彼に嫌われる要因となったのかもしれない。


 丁度、車がそのレストランの前を通り過ぎた。


 あの時は自分なりに必死だったのだがな、と、過去の自分を思い、ドーニスは小さく笑った。






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