グレートルイス シェリルシティ編

解放

 キースは、夢と現の世界の行き来を繰り返していた。


 ――四方をコンクリートの壁に囲まれた部屋で手の自由を奪われ床に転がされている自分。

 頭の上を飛び交うのは、キエスタ南部の早口の言葉。

 もう、ここに来て何日経ったのだろう。

 空腹感と口渇感と身体中に感じる痛み。

 喉が渇いたと、彼らに訴えた自分にかえってきたのは、頬に感じる衝撃だった。衝撃を与えたのは、ゴムのにおいの強い靴底だとキースは薄れゆく意識の中、認識する。――



 ――冬の明け方、薄暗い部屋のベッド内で身体に触れ始めたキースに、ウーが眠そうにこっちを見た。彼女の口を自分の口で覆うと、ウーが舌を入れてきて自分の口内をすくいとるようになめた。ウーが、顔を離す。

『マラバの毒か』

 いつの間にか、ウーは密林で暮らしてたころの姿になって、自分を見下ろしていた。

 再び口づけるウーに、キースは彼女を抱きしめた。――


 ――彼女の体内の熱に浸りきるのに夢中で、キースは我を忘れかける。その矢先、耳元で彼女が吐息と共に囁いた。

『もう少しこのままで』

 彼女の言葉に頷いて彼女を見下ろすと、見上げていたのはウーではなく鋭い目つきをした美女、歓楽街(パラダイス)のクラリスだった。――


 ――愛撫だけを済ませ、キースは背後で目を閉じて座っているウーを振り返り見て確認した。キースは目の前にいる少女に目を移し、口の前で人差し指を立てた。

 パイ=ムーアは丸い瞳で自分を見上げ、息を飲んでこくりと頷いた。――


 ……ちぎれてバラバラになった記憶は、パズルのピースよろしくなかなか正しい位置におさまろうとしない。


 キースは体に響く振動に気づいた。

 車に乗っているのだと思った。

 いつからだろう。乗せられた記憶はないが。

 それよりも、いつあの部屋を出た……?

 思い出せず、再びキースは夢の世界へと戻る。


 ――助手席に座るパウルが、運転席の自分を見てため息をつき、首を振った。

『私には、南部のイントネーションの方が東部よりも厄介です』――


 ――ランプの薄暗い明かりの部屋の中、ナシェが自分の話す口元を見つめながら、目を輝かせて言った。

『北の国の言葉はまるで歌を歌うみたいに話すんですね、先生』――


 ――顔をくしゃ、として笑い、生意気な口調でアキドが自分を見上げて言う。

『先生、泣き虫だから、女を捕まえられないんだよ。男たるもの、涙なんか見せちゃいけないぜ』――――



 懐かしくて幸せな夢を見ていると思った。

 いや、実はこれが夢で、目が覚めるとケダン教会の自室の寝台上に自分はいるかもしれない。


 ……薄目を開けると、一人の女が自分を見下ろしていた。

 女は、褐色の肌と癖のない真っ直ぐな黒髪をしていた。

 ややえらのはった骨格のしっかりした顔立ちは、妙齢を過ぎた女性の貫禄があった。

 彼女が、自らの手を伸ばし、キースの額の上に置いた。柔らかであたたかな手の平の感触に、キースは安堵を覚えた。


 自分が寝かされているのは、白いシーツのベッド上だとキースは気付く。


「君は…? 看護師か」


 自分を見下ろす女に、キースはキエスタ南部語で問いかけた。

 女が小さく笑った気配がした。


「そうだよ。白衣の天使じゃなくて悪いね」


 看護師にしてはあだっぽい声のグレートルイス語で女は答えると、額に置いた手の平をそのまま滑らせキースの瞳を閉じさせた。


「まだ眠りなよ。あんたはひどく疲れてる」


 女の声を聞きながら、再び暗闇に戻った視界で、キースは底知れない深い眠りの沼に落ちこんでいった。――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る