100話 カチューシャ教
タクシーの窓から見える街並みにシアンは心が弾んだ。
青く澄みきった空、きれいに舗道された広い道路、黄色い煉瓦の歩道、光り輝く数々のブランドのショーウィンドウ。
ひときわ目を引くのは、街中を歩く人々の姿だった。
「今は礼拝の時間だから」
と、隣りに座るアルケミストが説明してくれた。
彼らは皆同じ色の衣装を着ていた。
この時間帯は、目が覚めるようなエメラルドグリーン一色に街が染まるのだという。
男性の衣装は、前合わせの長袖の膝下丈の衣を私服の上から羽織り、同系色の帯で腰前で締める。
女性の衣装は独特の形状だ。
長袖立て襟の身体のラインにそったワンピースは、両ウエストあたりからスリットが入っている。同系色の直線に裁断した長めのパンツをその下に履く。
カチューシャ市国の礼拝服の写真をウーに見せた時、ウーはこの服が欲しい、と言った。
それを聞いて、オレと同じ事言ってる、とシアンは心の中で笑った。
確かに身体のラインがきれいにスタイル良く見えて、かわいくて、異国的で、とても魅力的だ。
……いつか、キースがカチューシャ市国に行く前に、女性の礼拝服を土産に買ってきてくれ、と頼んだことがあったっけ。
何に使うんだ、と聞く彼に、カチューシャ教徒プレイに使うに決まってんじゃん、と自分はにやにやして答えた。
もちろん、手に入るはずもないと知っていて冗談で言ったのだが、キースは向こうで真面目に礼拝服を探してくれたらしい。
帰国後、あれはある程度修行した者しか手に入らないそうだ、と自分に告げたキースにシアンはあきれを通りこして愛しさを覚えた。
あいつ、バカでやっぱ可愛いわ。
シアンはその時のことを思い出して小さく笑った。
平日毎朝8時に、カチューシャ教徒は礼拝服を着て礼拝堂に寄ってから仕事や学校に向かう。
本当に、カチューシャ教を唱えたカチューシャ市国建国者は頭がいいと思わざるを得ない。
永世中立を打ちたてたのも、他の宗教に寛大なのも、高級主義も、皆が憧れるデザインの礼拝服を考えたのも。
オレもついカチューシャ教に入りたくなっちまうな、とシアンは礼拝服を着て登校する女子学生の列を見て思った。
カチューシャ教は百年ほど前に誕生した新興宗教だ。
ドロリスという神がかり的な超能力を持つ女性が神の声を聞いたのが始まりだという。
罪を犯すな、というのは他の宗教と一緒。
それ以外の行ないや、飲食で禁じられているものは一切ない。
特徴的なのは他の宗教の神の存在を認めていることだ。
だからメイヤ教徒でありながら、実はカチューシャ教徒です、というのはよくあるパターンである。
テス教徒はストイックな性格ゆえ、少ないらしい。
キエスタにいたっては、多くの神々のうちの一人にカチューシャ教の神がすでに加わっている。
その他の特徴的な点を上げると、カチューシャ教は日々の労働に誇りを持って従事することを一番の幸福だとしており、だからカチューシャ市国のサービスの質は他の国より群を抜いているとされる。
また、この世のすべては偶然ではなく必然で、前世からの因縁によって存在するとされている。現世の人間関係も、先の前世で何らかの関係があったもの同士で成り立っているということだ。
コピーの繰り返しであるゼルダ民には、ぴんとこない話である。
……オレの仕事も誇りを持ってやるなら、カチューシャ教の神は認めてくれんのかな、とシアンはちらりと思う。
タクシーは街の中心部大広場にある観光名所の巨大噴水場が見下ろせる上ランクのホテル前で止まった。
このホテルの宿泊費、食費などを始め、絵が完成するまでの滞在費は全部レン持ちだ。
アルケミストはタクシーに残った。
早速、この国の顧客から依頼された仕事を九時から始めるという。
相変わらずだな、と挨拶をして降りるシアンに彼はスリに気をつけて、と声をかけた。
タクシーを見送りながらシアンは少々驚いた。
意外だった。
今までゼルダから出なかったから分からなかったけど、自分の祖国は政情こそ不安定だが、そういう治安は一番良かったのかもしれない。
ホテルの入り口にはすでにスタッフが待ち構えていて、シアンの荷物を持ち、案内してくれた。
豪華で優雅なフロントで受付を済ませ、シアンはエレベーターにのる。
案内された部屋は最上階ではなかったけど、スタッフが一番眺めのいい部屋でレン=ベーカー様がよくお泊りです、と紹介した。
部屋に入るなり、窓越しに礼拝堂のドーム型の屋根が見えた。
シアンは窓辺に近づき、窓を開けるとテラスへ出た。
手すりにつかまり、街を見下ろす。
噴水が真下に見えた。
朝日を浴びて、キラキラと水面が輝いている。その周囲をエメラルドグリーンの人々が歩いている。
息を大きく吸い込む。
朝のすがすがしい空気に混じって、広場にあるパン屋のパンを焼く香ばしい匂いがした。
シアンは部屋に戻り、天蓋付きのベッドに仰向けに寝転んだ。
体が沈む柔らかな寝具の感触を味わいながらシアンは目を閉じ、額に両手をのせた。
――とうとう、この国に来た。
礼拝堂の鐘の音が聞こえてきた。
シアンは満足気に口元を緩ませた。――
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